第二部十八話 決別 前編
■ 僕の場合
僕はカタカタとPubmagicに検索する単語を打ち込んでいく。誰もいない院生室。少し前までは後ろ斜めにいたあの優秀な後輩も、時折僕の様子を見に来るあの黒髪の研究室の秘書ももういない。僕だけが淡々と作業を続けている。
いつも通り、それらしい論文の要旨だけをプリントアウトして床に乱雑に落とし、次の調べる対象についても同じようにする。床が紙だらけになったところで、それを一枚一枚拾い上げ、ブツブツといいながら丸めたり、バインダーに挟んだりしていく。それを何時間も続け、外の明りが完全に落ちてもう一度明るくなりかけた頃、僕は一つの推論を導き出していた。
「・・・・まずやることは三つ。二人にメールと・・・それと、電話か・・・・」
誰も聞いてないと思ってそう一人で呟くと、もう一度パソコンのキーボードに向かって手を伸ばす。慣れない他所行きの文面を作っていく。どちらも初めてメールをする相手だったし、彼らが自分に返事をくれるかどうかはわからない。それでも、返事が来なくては何も始められない。綱渡りのようなこのプランに、改めて不安がよぎる。
(それでも、このプランにかけるしかない)
自分自身にそう言い聞かせる。
無機質な送信音を聞いて、次に電話の受話器を取る。反対の手には一枚のカード。それはすぐに僕の今後の人生を左右することになった。
■ 斉藤律子の場合
私はただその姿をじっと見ていた。何年も前からずっと同じようなことをしている。彼が集中すると毎回決まってする癖。たぶん、次は左手で髭も生えてない顎をさすって、右足だけを抱えるように椅子に乗せる。
ほら、やっぱり。
自分のなかのどこかで、田中さんがああなったことを悲しんでいない部分があったのに気づいた私は、それ以来、田中さんの病室に入れなくなってしまっていた。自分の汚い部分と対峙しないといけない気がして。
なるべくそういうことを考えないようにしようと、研究室で論文の続きを書こうと思って来たら、久しぶりに明りの点いていた院生室が目に入った。そこでは彼が調べ物をしていて、それが何のためなのかを悟った私は一歩も動けず、声もかけられないまま扉の影から彼を見つめている。これまでもそうだったように。
あなたはきっと私の思いに気づくこともなく、真っ直ぐに彼女の元に向かうんでしょうね。本当に真っ直ぐに――
「教員と学生ではね」、と自分を誤魔化すような想いを呟きに変えて口にしようとした瞬間、ボロボロと大粒の涙が零れていく。自分でも何で流れているのか、何で止められないのかわからない。たぶん、このまま扉の内側に行って、『もう諦めて、私でいいじゃない』と言えれば、この涙も止まる気がする。何年も、何年も一緒に二人で実験をしてきたのだから。
そう思ったところでグッと下唇を噛む。血の味がする。そして、私はそのまま院生室をあとにして、教員宿舎の方に歩き出す。途中、教授とすれ違っても顔はうつむいたまま。今の泣き顔は誰にも見られたくない。そんな想いで薄暗い大学の廊下を急いだ。
■ まで、あと
―1年
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