第二部第十七話 思い通りにならないこの世界で 二



■ 世界歴2018年5月8日 第76行政区魔法大学校附属白魔法治療院

  南病棟8階 802号室



 佳苗さんが倒れてから二カ月が過ぎた。身体の傷は徐々に回復している。ただ、髪や肌の色は日を追うごとに薄くなっているように見え、それと呼応するかのように起きている時間が短くなっている。最近は何日かに一度、目を覚まさない日があって、その度に僕は心臓を誰かに締め付けられているかのように息苦しくなる。



 今日も、まだ目を覚ましていない。



 定時に様子を見に来る附属治療院の先生や看護師の人以外、たまに斉藤先生や松田先生が来ることはあっても、その他の人が訪れることはなく、僕だけがずっとこの病室に居る。晴れの日は少しだけ窓を開けているのだけれど、今日は外は小雨が降っていて閉め切っている。佳苗さんの胸はリズムよく上下に動き、本当にただ眠っているだけのように見える。


 僕はこの二カ月の間、ほとんど何もせずに病室に置いてあるパイプ椅子に座りながら、ずっと佳苗さんを見ている。その間に、黎花と名乗っていた彼女が正式に退学し、事件のあった防爆実験棟は名目上は改修工事のために一時閉鎖になり、町田さんが第76行政区魔法大学このだいがくを去った。町田さんはこの部屋を訪れて、眠っている佳苗さんに向かってただ一言「ごめん」とだけ言って、そのまま姿を消した。それ以外この病室では何も起こらず、ただゆっくりと時間が過ぎている。


 僕はどこかで少しずつこの状況に慣れてきているようにも感じていた。




■■

 十一時を少し回ったくらいに扉の開く音がして、まだ担当の白魔導士が来るには早いと後ろを振り返ると、年配の女性が立っている。手には大きな包みを持っていて、目が合い僕が軽く会釈をすると、ハッと驚いたような顔をする。その後で優しそうな表情を浮かべ、「隣、いいかい?」と誰も座っていない僕の横の椅子を指さす。

 続けて「食べるかい?」そう言って包みの中からイチゴを取り出して勧めてくるのを、いえと断る。そう言えば最近まともに何も口にしていない気もする。


「・・・・・この子もそうやって最初の頃は何も食べようとはしなかったねぇ。もう何年も前の話だけどさ」

 僕はそうなんですかと短く返す。年配の女性が誰なのかはわかっていたのだけど、僕はそれをあえて口にはせず、女性の方も僕が誰なのかを尋ねたりもせずに、目の前のベットで眠っている佳苗さんをみながらポツリポツリと話す。

「あんたは白魔導士なのかい?」

「・・・・いえ、そうではないです。呪術学の研究者です」

 そうかいと言うと、女性は手に持っていた包みのなかからいくつかの封筒を取り出して僕に渡す。

「なか、開けて見てみなよ。あんたのことばっかり書いてる」

 封筒から取り出した便箋には、とりたてて綺麗な字ではないものの、一文字一文字が丁寧に書かれた櫻国語で、確かに僕のことが書かれている。(佳苗さん、手紙では僕のことを下の名前で呼んでいたのか)と、目の前にある状況とはかけ離れたどうでもいい感想が浮かんでくる。また、しばらくの間沈黙が続く。


「・・・・・なんでこうもうちの"子供たち"は先に逝っちゃうのかね」

 そう老婆がつぶやいたのを聞いて、僕は思わずその横顔を見る。目にはうっすらと涙が浮かんでいて両手の指は自分の腕に爪を立てて、泣き出すのを堪えている。自分の息子であった田中直哉さんと、その婚約者であった佳苗さん、その両方を次々と自分より先に失ってしまうという悲しみは、僕には想像もできない。

「松田の坊っちゃんから連絡を受けたときには・・・・この子も前から言っていたことだし、少し諦めもあったんだ・・・・でもね、こうやって目の前で・・・・」

 そこから先は言葉になっていなかった。僕はかける言葉もわからずにただ、じっと佳苗さんの眠るベットを見ている。



 僕は、彼女を救うための白魔法ちりょうほうを持っていない。仮にその白魔法があったとしても、それを実施する免許すら持っていない。何でもすべてを一度に解決できる奇跡のないこの世界で、あまりにも重い事実が僕の最愛の人のカタチをして、目の前に横たわっている。



 しばらくして外の雨が上がり、巡回に来た看護師が窓を少しだけ開ける。吹き込んでくる湿気を帯びた風が佳苗さんの仄かに朱くなった前髪を一束揺らす。そのタイミングで老婆が誰に聞かせるわけでもなく、「あたしにできることで、何かこの子にしてあげることがあれば何でもするんだけどねぇ」とつぶやく。




 僕はその瞬間、あの村の夏祭りで浴衣を着て照れくさそうに笑う佳苗さんの姿を思い出す。濃い藍色に、白と梅紫で牡丹が描かれている浴衣、後ろでまとめた黒い髪、そして朱いトンボ玉の簪――


(あの時、僕が思いついたのは何だった?)

(斉藤先生は、何て言った?)

("黎花ちゃん"がやろうとしていたことは何だった?)

(あの夷国の若い研究者が作ったものは、何だった?)

 僕の頭のなかで整理できていなかった一つ一つの点のような出来事が、次々と浮かんでくる。やがて、それは僕のなかで一つの像を結ぶ。前と同じように、背中にゾッという感覚が襲ってきて、間髪入れずに、顔と胸あたりが熱くなるのを感じる。



「そうか・・・"何でも"と"出来ること"・・・僕に"出来る" "すべて"!!」



 僕はそう叫ぶとぽかんとしている佳苗さんのお義母さんを病室に置いたまま駆け出す。途中でぶつかった看護師に咎められても、速度を落とすことなくまっすぐにあの第三呪術研究室を目指す。



 この思い通りにならない世界で、僕が出来ることをするために。




■       まで、あと


―1年

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