第二部第十五話 悪意、その先に 後編


松田純二まつだじゅんじの場合


 会議が終わって研究室に戻ろうとする松田を年配の教授が呼び止める。しばらく雑談が続いた後で、思い出したように「そう言えば、大変だったね」と切り出す。

「・・・・? 何のことです?」

 松田が聞き返すと、年配の教授は不思議そうな顔をして応える。

「おや? まだ事務から書類が来ていないのかい? あの新しい修士の子、退学届を持ってきたらしいじゃないか」その瞬間、松田の顔が険しくなる。すぐに話を切り上げ、別の部屋で会議をしていた斉藤を呼び、指示を出す。

「斉藤君、僕の鞄を持って防爆実験棟へ。できるだけ急いでくれ!」

 松田の剣幕に圧されて、斉藤は返事も出来ずにただ黙ってうなずく。


(くそ、あまりに大人しかったから油断してしまった。考えてみれば、あの子があれだけの理由でこんなところまで来ることなんかないはずなのに!)


 松田は附属治療院の廊下を走りながら、自分の迂闊さを呪っていた。




 附属治療院の玄関を抜け道路を超えて、ようやく防爆実験棟にたどり着くと、何度も嗅いだことのある血と肉の焦げる臭いと、そしてあの黒魔法独特の禍々しい感覚が辺りに漂っている。松田は慎重に正面の入り口を開ける。そこには自分の姪とそれによく似た灰色の人形、その傍らに蹲っている自分の研究室のポスドクに、そしてその手前で血溜まりのなかで倒れている秘書がいる。松田は眉間に皺を寄せたまま、黎花に質問する。


「・・・・何をした」


 黎花は口角を上げニヤついたまま答えようとしない。松田は黎花から視線を外さないままゆっくりと倒れている田中のもとに歩く。まだ微かに胸が上下しているのが遠目にも確認できる。このまま近寄って直ぐに白魔法による応急処置を施せば、何とか間に合う。黎花の邪魔が入らなければ、の話だが。


「"何を"か。"何で"ではないんですね、伯父さま」

「・・・・君の目的など、今は関係ないからな。目の前の二人を助けるだけだ。だからもう一度聞く。黎花、何をした?」

 黎花は、気だるそうに息を吐く。

「魔力を炎に変えて一撃。そのオバサン、それでもまだ動いていたんで、次は衝撃系の魔法で身体に穴をあけてやろうと・・・・ちょっと邪魔が入っちゃいましたけど」

 黎花はそういうと自分の傍で倒れている男を一瞥する。

「・・・・まさかとっさに腕を操作するような呪術を私にかけて、それに対してジェネラル・アンチスペルが発動して打撃ポイントをずらされる、なんて思ってもみませんでしたわ。

 しかもそれを私の黒魔法が発動するまでの、ほんの一瞬でずれる方向を計算して呪術式を構築するなんて・・・・ホントに"天才"っていうのは嫌ね。先輩からさっさと殺しておけばよかった」


 松田は倒れている田中のところまで来ると、呼吸を確認する。顔色は悪く呼吸も浅い。

(これだけの対人黒魔法を連続で受けているとは・・・・しかし今すぐ白魔法で出血を止めて、治療院に運べば何とか・・・・あとは・・・・)

 黎花の横で倒れているポスドクの方に目をやる。顔が真っ青になっていて、急激に体内の魔力を消耗した時に起こるショック症状を呈している。おそらく体温も下がっているのだろう、ガタガタと震えている。


 松田は素早く止血に必要な白魔法を田中にかけ、後ろに町田が到着するのを確認して立ち上がる。「町田君、すぐに斉藤君がここに到着するから、君は田中君を出口まで退避させ、斉藤君が来たらすぐに治療院へ運ぶように指示を。それが終わったら、私のサポートを頼む」町田は黙ってうなずくと、田中が倒れている場所まで駆け寄る。

「・・・・退避? 伯父さま、私がそんなことさせると思ってます?」

 黎花が右手を上げ、町田に向けて魔力を掌に込めていく。

「年増のオバサンたちは退場いただかないと。さような・・・・」



『黙れ』



 松田の一喝で黎花の動きが止まる。魔法文字ルーンを詠唱していた口からは、かわりにうめき声が上がる。「あっ・・・・がッ・・・・な・・・なにを・・・・!」黎花が絞りだす。するどい眼つきで黎花を睨んだまま、松田が答える。

「麻酔に使う白魔法を強めにかけている。お前は直に意識を失う。俺の前で対人黒魔法なんて、絶対に使わせない」

 松田はそう吐き捨てると、動けない黎花をよそに倒れているポスドクのところに近寄る。(そんな・・・・詠唱しているのがわからないスピードで・・・何なのよ・・・・こいつら・・・・全員・・・・)黎花の顔が苦しさというよりも、悔しさで歪む。


 松田は震えている男の背中を軽く叩き、大丈夫かと声をかける。意識はある。これなら直ぐに魔力の補給をすれば大丈夫そうだと、男の体温を保つためにヒールをかける。徐々に男の顔色が戻ると、何かを小声でつぶやいている。「どうした?」と松田が声をかけると、うずくまっていた男が松田の服の袖を握り力を振り絞って、声を上げる。


「先生ッ!!駄目です!! その子は、黎花ちゃんじゃない!!!!」



 松田が「えっ」と後ろを振り返った瞬間、動けなかったはずの黎花がニヤリと笑い、「もう遅い」と吐き捨て、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。代わりに灰色の宙に浮いたままだった人形が口を開け、突然大音量で金切り声を上げる。


「キィアァアアアアアアァァアアアアアアァァ!!!!!!」


 あまりの不快な音に松田が咄嗟に耳を押さえると、灰色の人形は見る見るうちに色を変え、次第に人間の肌のような色になっていく。


 数分の間、金切り声が続き、それが止むとそこには一人の裸の女性が立っていた。その女は松田の顔を見ながらにっこりと微笑む。



『・・・・ただいま、伯父さま。またお勉強、教えてくださるんでしょ?』



 その声は確かにそこに崩れおちている黎花のものと同じで、その話し方は黎花よりもややゆっくりとしたペースで、落ち着いている。松田はそれを聞いて酷く動揺して、よろめきながら二、三歩後ずさる。



「そんな・・・・これが・・・・これが君の目的だったのか? まさか・・・・逸花いちか・・・・そんな・・・死者の幻獣としての復活なんて・・・・」


 松田が怯えたように立ちすくしていると、逸花と呼ばれた女がもう一度、にっこりと笑う。あまりの出来事に松田は、床に倒れている男の指がピクリと動いたのを見逃してしまっていた。




■ 田中佳苗の「最後」まで、あと


―1年と2ヶ月

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