第二部第十四話 悪意、その先に 中編
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第76行政区魔法大学院防爆実験棟――
何もないだだっ広いだけの部屋で、私の目の前には具現化されつつある女性の形をした濃い灰色の幻獣が一体、それに床に転がっている男が一人。様々な衝撃に耐えるように出来ているこの建物のなかからは、外の音や動物の気配、それに風雨さえも感じることができず、ただただ静かなだけである。
「・・・・私、何してるんだろう」
誰に聞かせるわけでもない独り言を小さくつぶやく。もうずっと思っていることでもあった。
「黎花ちゃん、もうやめるんだ・・・・こんなものを・・・・・」
私のその言葉に反応したのか、床で弱っていたる男が私に話しかけてくる。
(もう遅いんですよ、先輩)
私はそれを口にすることなく、ただ声の主を一瞥だけして具現化の作業に戻る。十分に蓄積されている魔力の塊に、青魔法式を使ってその性質や特徴を定義付けしていく。ヒト一人分の膨大な量の定義付けを行うための魔法式を延々と構築しては、その塊に与えていく作業。
その一部を、床に転がっている男に呪具を使って強制的にさせている。実のところ、自分の魔力のうち具現化に回せるだけの量が足りないため、魔力を必要とするほとんどすべてのパートを、呪具『白の指輪』を介して男にさせている。そのため、男は時間とともにどんどん魔力が失われていき、それに合わせて顔色が白く唇が紫色になっていく。
それについて、別に特段の思いはない。この幻獣の具現化が終わるころには、どうせこの男の命も絶えるのだろうし。目の前の私によく似た姿をしたそれは無表情でゆらゆらと宙に浮き、ゆっくりと回転している。
ふとした瞬間、青鈍色をした顔の口の部分が開く。開いた口がぱくぱくと何かを刻む。
(え!?何?? ・・・・まさか!!)
「・・・・!? な、えっ???」その幻獣の動きに、男が即座に反応する。男の表情が驚きに変わり、私の方をまっすぐに見つめている。
「黎花ちゃん・・・・いや、君は・・・・・・君は一体、誰なんだ!?」
男の反応が、自分の予想していた通りだったため、私は青魔法式の詠唱を一旦やめて、少しだけ目を閉じる。そして、この"何も思い通りにならないくそったれな世界"を恨んで、男に目をやる。
「そっか・・・・読んだんですね。まったくの未知な幻獣の、それも、こんな短時間で・・・・私はどんなに望んで、どんなに努力しても、その能力を手に入れることが出来なかったのに・・・・やっぱり、あなたは"特別なヒト"なんですね・・・・」
男はじっと私の顔を見ている。少しの間、沈黙が流れる。
「ねぇ、先輩。先輩はどうして
少し行けば旧帝国大学の
男の返事はない。
「・・・・・きっと、『色彩魔法の適正がない』と判断されたからでしょ?」
やっと男の顔がハッとする。どうやら図星のようだった。
この世界では、ごく一部の例外を除いて、ほとんどすべての生き物が魔力を持ち、程度の差はあってもほとんどすべてのヒトが魔力を使った魔法を行使することができる。それらの魔法を使う人間は、そのメカニズムはわかっていないものの、個々人で得意とする魔法体系の『適正』が異なることがわかっている。適正の違う魔法を後から習得することも可能ではあるものの、元々適正を持っている人間の魔法とは比べ物にならないほど劣る。
そして、ほとんどの人間は色彩魔法(白魔法、黒魔法、青魔法、緑魔法)のいずれかに適正を持ち、それを中学校、高校で明らかにした上で、大学への進学や、企業への就職などを決める参考にしている。なかには白魔法の適正もないのに白魔法学科に進む例もあるものの、大半は自分が適正を持っている魔法にあった進路を決めていく。
そんななかで、稀に――といっても、中学や高校の一クラスに一人くらいの頻度で、『魔力はあるものの、色彩魔法のいずれにも適正がない』という子供が見つかる。そのような子供たちは、色彩魔法とは違う魔法体系である橙魔法の大学や専門学校に進学し、橙魔法の技師として民間企業に就職していくケースが多い。
確かに呪術も色彩魔法とは異なるため、『適正なし』の人間の進路としては正しいのかもしれないが、そもそも世界暦2017年現在、すでに廃れた魔法体系であるため、自分の適正を理由に呪術を専攻する人間はほとんどいない。
「先輩はね、
男は驚いたような表情を浮かべる。何かを言いたそうにしているが、おそらくすでに大半の魔力を失ってしまっていて、急性の症状として一時的に声を出すことができなくなっているのだろう。私はそれを見て、目を閉じ、少し間をおいてから続きを話しだす。
「先輩の適正は、青魔法。
それも、より高位の幻獣を使役することが可能な『
きっと、あの雪の降る逆鉾村でこれの原型を見れたのも、その適正のせいですね。
でもまぁ、今となって思えば、魔力の流れを過敏なまでに見るその『眼』で
私はそういうとゆっくりともう一度目を閉じる。
「ただ、これの中身を読んだ以上、先輩を生かしておく理由なくなったんで、残念ですけど、ここでお別れです。さようなら――」
■
「・・・・思ったより遅かったですね」
息を切らしてたどり着いたその先で、朝比奈と彼女にそっくりな灰色の人形が寄り添うように立っている。
「彼はどこ?」
佳苗は努めて冷静に短く尋ねる。
「ああ、愛しの王子サマなら――ほら、そこに」
朝比奈が指を指した先の床に力なく倒れている彼がいる。その姿を見た瞬間、佳苗のなかで怒りが爆発して、全身の毛が逆立っていくのを感じる。眉間に強く力を込め、怒りを込めて朝比奈を睨み、「何をした」と問いただす。
「ぷっ、アハハハハハハッ! そういう、感情が理性とか凌駕していく感じ!私、結構好きですよ!!」
朝比奈が吹き出した瞬間を見計らって、彼の元に駆け寄ろうと防爆実験棟の特殊コーティングされた床を強く蹴りだす。
倒れている彼まであと数メートルというところで、身体が何かにぶつかって後ろによろける。ぶつかった空間を見ても、何も見当たらない。これは――
「やだなぁ。貴女への対策を何もしてないと思いました?対人障壁だけは張らせてもらってますよ」朝比奈が莫迦にしたように口角を上げる。
「彼を返して」佳苗はやや下を向きながら静かに告げる。
「返して? 別に貴女のものじゃないでしょ? それとも一回か二回、セックスしたら自分の男とかそういう感じの人なんですか? ふふ、可愛いですね、田中さん」
「ウォォォォォォォォォァァァァァ!!!!」
朝比奈の嘲りを怒号で掻き消して、佳苗は魔力を込めた拳を魔法障壁に向かって突き立てる。もう一度何かにぶつかった衝撃がして、今度はめりめりと拳の皮が衝撃で剥がれていき、激痛が右手の拳から肩まで走る。それでも佳苗は一寸も力を緩めることなく、対人魔法障壁を突き破ろうとして、さらに右手の拳に魔力を込め、両足で踏ん張る。力を込めれば込めるほど、ミシミシと骨の軋む音が右腕を伝わってくる。別にそれでもいい。腕の一本や二本とんでも、必ず彼を助ける。
やがて、何もなかった空間で明らかに拳の周りが歪んで見えるように変化していく。佳苗の右の拳は皮が捲れ、肉の赤い色が見えている。
「
・・・・まぁ、さっきも言いましたけど、そういうところ嫌いじゃないですよ」
「ワタシはオマエが大っ嫌いだ!!」佳苗が応えて叫ぶ。
「アハハハハハッ!!! ねぇ、先輩、まだ意識ありますか?
ほら、アナタの女騎士が助けに来てくれましたよ? 目の前の魔法障壁を、魔力を乗せた拳でぶち破って、私をぶん殴ってしまえば、愛しの王子様助けられるんですものね!
アハハハハハハッ!! こんなか弱い小娘なんて、軍人だった自分の全力の一撃で一瞬でけりをつけるって感じの、自信に満ちた最高な目してますねぇ! ほんと、
朝比奈が放り投げた黒い何かが、金属音を立てて転がる。
「まさか自分が負けることなんて想像もしてないって感じの・・・・うふふふ、あははははは!!! 甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い、あはははははは!!」
朝比奈が甲高い声で笑い声を上げる。随分と口角を上げニヤけた悪意剥き出しのその顔は、普段のそれとはまったく違うものだった。
「・・・・ねぇ、先輩。この
「佳苗さんッ!!!ダメだ!!!」
床から頭だけを持ち上げ、必死の形相で彼が叫ぶ。
(大丈夫、もう少しでこの壁を破るから――)
「正ぇ解。 ――さようなら、
魔法障壁が破られた瞬間、朝比奈の掌から放出された魔力の塊のような炎が一瞬無防備になった佳苗にぶつかり、まるでおもちゃの人形のように空中に放り出されて、そのまま十メートル以上先の床に叩きつけられ、一度バウンドして、ようやく止まる。
「ぐッ がぁ・・・・ああァ・・・・」
激しく床に叩きつけられた佳苗は、声どころか息も満足に吸うことが出来ずもがく。とっさに炎から頭を守った右腕の皮膚がただれ、"曲がってはいけない方向"に曲がっている。霞む目が彼の姿を捉え、ボロボロの身体が勝手に前に進む。
「意外としつこいな。そういうのは、嫌いです」
朝比奈の二撃目は防御する間もなく佳苗の身体を穿ち、左の脇腹から足、そして床が赤く染まっていく。それでも何歩か歩いた後で、ゴトンッという鈍い音を立て、佳苗の意識が途絶えた。
■ 田中佳苗の「最後」まで、あと
―1年と2ヶ月
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