第二部第十三話 悪意、その先に 前編


「うっ・・・・ぐっ・・・・」

 全身の力が抜け酷く寒気がしたままの状態で、僕は意識を取り戻す。床に伏せたまま視線を上方に向けると、青魔法独特のうたうような魔法文字ルーンの詠唱が続いている。黎花れいかの二つに結わえた髪が詠唱のリズムに合わせてたなびいていて、その姿はどこか神秘的にも見える。もしこんなことがなければ「美しい」という感想だったに違いない。

 僕は、自分の魔力を奪い続けているこの真っ白な装飾のない指輪を外そうと力を込める。でも、右手の指先に力が入らずに指輪は一ミリも動かない。


「・・・・気がついたんですか。意外としぶといですね・・・・先輩のそういう諦めの悪いところ、正直、嫌いです」

 僕に視線をやらずに冷たい口調で黎花が吐き捨てる。

「まぁ、いいか。どうせ、もう先輩は"用済み"、ですし」

 アハハハと笑いながら僕の方に向き直る。

「ねぇ、先輩。これ、見えますよね?」

 そう言って黎花が手をかざしたすぐ先の空間には、灰色よりもやや濃い青鈍色あおにびいろの液体のような塊が人の形をとってふわふわと浮いている。ときおり、その人形がぐるりと大きく横に回転すると、その顔にあたる部分や露わになっている胸や性器が見える。それは明らかに人間の女性の形をしていて、そして、その顔は―――


「こ、これが・・・・君の本当の目的・・・・」僕はその人形の姿に言い知れない嫌悪感を抱いて、うっと込上げる。

「ふふ・・・・そうです、これが私の本当のもの」

「私が何年も・・・・十年以上かけてこの呪具『黒の指輪』を使って私自身の魔力を吸わせ続けたに、私の力だけじゃ足りない顕現に必要な青魔法式を、呪具『白の指輪』を使って先輩に強制的に唱えさせ続けて完成させた、私だけのオリジナルの幻獣――ふふふ、先輩と私の共同作業の結晶、ですね」

 黎花はうっとりとした表情を浮かべ、目の前の魔力の塊を見つめている。


「こんなもののために、魔法を使うなんて・・・・」

 僕は思ったままのことをためらいもなくぶつける。

「こんなもの? あはは、面白いことをいうんですね、先輩。世界歴1800年に"始まりの魔女"がこの世界に魔法をばらまいたその時から、魔法なんて、ずっと『こんなもの』なんですよ。それを貴方達のような研究者が、自分たちの理想の清純さを当てはめていっただけです。

 原始の魔法は、ただの『力』に人間のエゴを重ねただけの剥き出しの感情のようなものなんですよ」



「私の、私だけの大事な、大事な幻想おもいで――」





佳苗かなえッ!!!」

 事務まわりをしていた私を聞き慣れた声が呼び止める。声のした方向を振り向くと、町田涼子まちだりょうこが血相を変えてゼイゼイと息を切らしている。「どうしたの?」と尋ねるのをさえぎって、涼子が焦ったように話始める。

「あの子!アンタんところの、あの新しい院生が彼と一緒に防爆実験棟に!!」

 (ああ、なんだ。そのことか)と、ほっとして答える。

「それなら、今日はその予定だって聞いてるし、教授も斉藤先生も会議が終わったら合流することに――」

 私が言い終わる前に涼子が怒鳴る。

「違う!! あれは・・・・アイツは『朝比奈あさひな』なのよ!? それが防爆実験棟なんて絶対何かする気に決まってるでしょ!!!」

「え? ・・・・涼子、何言ってるの??」

 私は要領を得ないまま涼子の顔を見る。眉間に皺をよせ、何か切羽詰まったようなその表情は、冗談や私をからかおうとしている様子は微塵もない。



「・・・・思い出しなさい、佳苗。あの赤い砂漠の街で私達の他に誰が居たのか。アンタと隊長、松田先生、あの大男フェイ、亡くなった斉藤先生の父親、そしてどこかの大学の教員――」

「?? えっ、何!? 急に何を言ってるノ、涼子??」

「サクラ鉱業側の人間で生き残ったのは何人だった?」

「え? ふ、二人? 涼子、それが―――」私がそう答えると、涼子はもう一度怒鳴る。

「佳苗、しっかりしなさい!! 彼を守れるのはアンタだけなんでしょ!? "もう一人の生き残り"はどこに行ったのよ!? そいつは、のよ!?」

 まだ何もつかめていない私を見て、涼子は少しだけうつむいて続ける。その両手の拳はギュッと握り締められている。



「佳苗。『死』がすぐそこに転がっているようなあの砂漠を越えて、二人だけで櫻国このくにに戻ってくるときに言ったでしょ?


 『私は、私達をこんな目に合わせたヤツラを絶対に許さない』


 松田先生は松田先生で、フェイはフェイで同じように時間をかけて調べて、ジェネラル・アンチスペルの謎だったり西大陸の思惑を暴いたのだろうけど、私達の、私とアンタの復讐は終わってない。あの時、あの作戦の失敗の罪を私達のせいにしたのは誰なのか――」

 涼子の顔は苦悩したようにゆがんでいて、下唇の端を噛んでいる。

「・・・・それが、"生き残ったもう一人"、だっていうの?」

 私はまっすぐ涼子を見つめて、そう尋ねる。



「そいつの名前は、さかき榊龍造さかきりゅうぞう。あの新しい院生の――『朝比奈』の家の使用人で、サクラ鉱業の登記簿上の代表ということになってるわ」

 涼子の答えを聞いて、私は驚いて聞き返す。

「!!? ちょっと待って!じゃぁ、あの時救助要請をしてきた会社の社長が現場に居たということ!? ・・・・いや違うわ、涼子。あの時助けたヒトは、サカキって名前じゃナかった!」

 混乱する私に、涼子がしっかりとした口調で話す。

「佳苗、落ち着いて聞いて。私はこの国に帰ってきてから、ずっと『サクラ鉱業』を調べてきた。

 帰国直後にアンタが大変な思いをしたのも知ってたけど、私はどうしても連中を許せなかったから・・・・東都とうとにあるサクラ鉱業の本社を調べたり、その社員に近づくために"夜の仕事"についたり・・・・でもね。びっくりするぐらいに悪い噂も、社員たちの不満も出てこないような健全な会社なのよ、あの会社。

 途方に暮れてたときに一度だけ、出社する社長の車に遭遇したの。黒いリムジンから降りてきたあいつの横顔、今でも覚えてるわ――間違いない、あいつは榊だった。その後で松田先生に呼ばれてこの大学に来ることになっても、あの男の事を調べるのを続けたわ。そして、松田先生に写真を見せて、アルゴダに居たのがあいつだって知ったの。

 もし、あの時、アルゴダに行ってたのが佳苗じゃなくて私だったら、このもその場で気づいたかもしれないのに、って何度も何度も悔やんだ。ごめんね、佳苗。本当にとばっちりなんだけど、アンタのことも少しだけ恨んでた」

 俯きながらもう一度、ごめんねとつぶやく。



「・・・・リョウコ。アナタ、何でそのヒトの顔を知ってるの?」


 涼子はだまったまま下を向いている。涼子とその榊という男に何か因縁があることは明らかだった。聞けないことなの?と言うと、やはりだまったまま小さく頷く。少しの間の沈黙を破って、うつむいたままの涼子が話始める。


「これだけ調べても、『朝比奈』の連中があの街アルゴダで何をしようとしていたのかは、結局わからなかった。

 でもね、あの転入生は今になって、この76行政区どいなかに来たんじゃない。『朝比奈』は最初っからこの一連の出来事の中心にいて、奴らの悪意を持った目的の一部に、ジェネラル・アンチスペルや南西諸島、西大陸連邦国のそれぞれが必要で、そして、今必要になってるのは――」

 うつむいていた顔を上げ、私の目をしっかりと見据えて、真剣な表情で続ける。



「間違いなく、よ」


 そういうと涼子は私にスペアの防爆実験棟の鍵を渡す。私はそれを無言で受け取ると、持っていた事務書類の束を廊下に放り投げ、附属治療院の玄関に向かって走りだす。


 一瞬一秒でも早く、あの人の元に駆けつけるために。





■ 田中佳苗の「最後」まで、あと


―1年と2ヶ月

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