二部:思い通りにならないこの世界で

第二部第一話 思い通りにならないこの世界で


■ 世界歴2019年5月20日 第76行政区魔法大学校附属白魔法治療院

 南病棟8階 802号室



 真っ白なベットの上で、それよりもはるかに白い顔をした佳苗かなえさんが横たわっている。彼女に繋がれたケーブルの先のモニターと、かすかに上下に動く胸だけが彼女が"まだ生きている"ということを僕に伝えてくる。少しだけ開けてあった病室の窓から涼やかな風が吹き込むと、ほのかに朱い髪が一束揺れる。



 僕は死に向かう彼女を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。僕はもっと前から、"この時"が来ることを知っていたはずだった。


 解離性かいりせい魔力中枢症――通常、一つしかない魔力中枢を二つ持つことで、二種類の魔法体系を同時に使うことが可能になるこの特異な形質をもつ人々は、脳や身体に僕らには想像もできない負担を常にかけ続けているため、例外なく短命であるとされている。事実、50歳を超えた解離性魔力中枢症患者は

 報告されているケースにおけるその「最後」は、ある時点を境に急激に体内から魔力が失われ、二次性低体温症となり、そのまま眠るように死ぬことが多いとされている一方、何故、元々魔力を一切持たない全魔力中枢欠損症マナ・ディフェクトの患者でも死には至らないのに、解離性魔力中枢症患者の魔力が枯渇すると、個体の死に結びつくのかという点など、まだ明らかにはなっていないことも多い。そもそも解離性魔力中枢症自体がごくまれな希少疾患きしょうしっかんであるため、研究そのものが進んでいないのが現状であった。




「悔いのないように。 ・・・まさか、"また"この言葉を言わなくてはならない時が来るとはね・・・」


 左斜め後ろから松田先生の声が聞こえ、僕の左肩に優しく手を置く。しばらく手を置いたままにしたあとで、松田先生は病室を出て行く。自然と涙が頬をつたい、ぽたぽたと足元へと落ちていく。それはあまりに規則的すぎで、ちょうど砂時計の砂が落ちていくようにも思えた。


 僕は、彼女を救うための白魔法ちりょうほうを持っていない。仮にその白魔法があったとしても、それを実施する免許すら持っていない。何でもすべてを一度に解決できる奇跡のないこの世界で、あまりにも重い事実が僕の最愛の人のカタチをして、目の前に横たわっている。



 僕はいつだったか松田先生が南大陸での昔話をしていた際に、先生が自分自身にいいきかせていたあのセリフを思い出していた。


“今でも時々悔やむことがあるよ。、何故もっと注意深く行動できなかったのか、とね”


 僕がもっと注意深く行動していれば、この結末は変えられたのだろうか? いや、少なくとも、これまで報告されている50歳直前までは生きることができたのかもしれない。そう考えると、また涙があふれ、喉からは嗚咽おえつが漏れる。



 僕の第76行政区魔法大学院第三呪術研究室での最後の物語は、今から二年前、桜がちらほらと咲き始めて、キャンパスに彩りが戻ってきつつあった世界歴2017年4月5日 あの奇妙な新入生の入学から始まる。




■ 田中佳苗の「最後」まで、あと


 ―2年と3週間

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