第四十一話 学位記授与式



「そして、このことはもう一つの"重要なこと"と強く関連しています。」


 そう言った後で、僕は少し呼吸を整え、これから話すことについての覚悟を確かめる。何故か、佳苗さんの顔が一瞬浮かんで、その決心がつく。



「それは、ヒト化魔獣ヒューマナイズド・ビーストにおいて、市販ジェネラル・アンチスペル剤、あるいはその改変呪術式の効果が消え、最終的に対象者にかけられていた攻性呪術式の"呪い"が発動するということ、特に市販ジェネラル・アンチスペル剤と改変呪術式の双方で、最終的にということにあります。



 ――これは何を意味しているのか?


 私は先ほど、ジェネラル・アンチスペルで無効化されたと思われていた攻性呪術式は、実は結合魔法式キャプチャースペルに結合し、アクセサリー・ルーンの力を借りながら、そのまま保持されている、と述べました。


 言い換えれば、【元の攻性呪術式は、その"活性を保ったまま"、対象の動物のなかに残っていて、それは時間経過とともにいずれ発動する】ということを示しています。しかも、無効化までの経過時間に差のある市販ジェネラル・アンチスペル剤と改変呪術式の両方で最終的に発動する"呪い"の表現形は同じ・・・・・


 つまり、われわれのように早い時期にジェネラル・アンチスペル剤を投与された1990年代以降のヒトにおいて、何かしらの呪術をかけられた場合、それが何十年先になるかどうかは分からないものの、そのかけられた呪術はその効果を少しも減衰することなく『いずれ発動する』ということになります。



 例えば、私はこの研究を始める前に、指導教官に『自分の持っているコーヒーを、自分に向けてぶちまける』という呪術をかけられています。この呪術は私の体内にあるジェネラル・アンチスペルにより、その発動の一歩手前で止まっています。おそらくあと数十年したところで、最後の"呪い"である、右腕が持っていたコーヒーカップを私の顔めがけてひっくり返すという動作をすることでしょう。


 ・・・・それは、死に至るような重篤な呪術式をかけられた対象者も同様であると思われます。」


 その結論を話し終えたところで、突然、聴講席にいた例のスーツ姿の男が立ち上がり、僕に向かって叫ぶ。


「あなたはこの研究で"何をしてしまった"のか、わかっているですか!」


「・・・・どういう意味でしょうか?」と僕は、なるべくおだやかに返す。この反応でこの"スーツ姿の連中"のうちの少なくとも何人かについては、何者であるのかがだいたい想像することができた。・・・アルゴダという南大陸の街に居た連中の関係者なのだろう。


「あなたのせいで、また先の魔道大戦の時のように人々が"呪術"におびえながら暮らすことになるんですよ!」


「・・・・では、この結論を隠した方がよかったとでも?」


「当たり前だ!税金で研究している身であるなら、櫻国このくにの役に立つ研究をするべきであって、人々を恐怖にさらすなど許されるはずがない!」


 男が語気を強めると、やはりスーツ姿の男女が「そうだ」などと野次を飛ばす。僕はその光景を見て、櫻国国営放送が中継するある会議を思い出す。(確かに、"あの連中"っぽいな)と、鼻からフッと息を抜く。



「・・・・なるほど。あなたの考えは、『優しい嘘』という考え方に似ていますね。確かに一般市民にパニックを引き起こす可能性がある場合、その情報がある程度統制されるべきだという"考え方については"理解できなくもありません。好き嫌いは別として。


 しかし、この結果は【純粋な魔法研究】であり、政治的な意図はどこにもありません。仮に私がここで発表を辞めたとしても、そう遠くない未来に、世界のどこかで、別のグループが発表するはずです。そしてそこには、一般市民に絶望を与えるためという目的は一切なく、『不完全なアンチスペルをより良いものに変える第一歩として』という私達と同じ理想によるものだと信じています。」


 「そんなのは詭弁きべんだ」と男が返すのを途中でさえぎって、僕が続ける。


「もっというなら、このジェネラル・アンチスペルの真実を隠すことで、"逆に"深刻な事態になることも考えられます。先ほど私が示したように、ジェネラル・アンチスペルの骨格はただの結合魔法式キャプチャースペルであり、その効果の"強さ"は周りの短いアクセサリー・ルーンが担っています。


 この実態を先に知っている人間に、、アクセサリー・ルーンを無効化、あるいは限りなくその効果を薄める・・・つまり、真の意味での【ジェネラル・アンチスペルの解呪ディスペル】を真っ先に開発し、それ政治的なカードにするでしょうね。 ・・・・もうすでにされているのかも知れませんが。」


 男は心臓を鷲づかみにされたように、ひどく驚いた顔のまま立ち尽くしている。さっきまでのざわつきが嘘のように会場フロアは静まり返っている。


 僕は続けて、"もう一つの結論"を話し始める。



「・・・・もう一つ、私の研究から推察される点があります。それは、『もし、私達よりも前にジェネラル・アンチスペルを投与された人々が居たとしたら、その人々のジェネラル・アンチスペルの効果は、すでに切れているのではないか』という点です。


 ――それが、今、南大陸で起こっている【奇病】の正体です。」



 今度は桑門くわかど先生を含めた副査たち、それに御神苗おみなえとその指導教官たちが大きくざわつく。すぐさま御神苗が近くのスタンドマイクまで駆け寄り、「根拠は何ですか?」と食いついてくる。



「現在、南大陸のほぼ全域で起っている【奇病】は、その病状は地域によって違うものの、有効な白魔法が見出せていないという点と、最初に発症が報告された地域から同心円状に広がっていることから、感染症だと考えられています。


 ところが、世界暦2000年に南大陸北東部ルタ湖の近く、当時アルゴダと呼ばれていた地域で同様の症状が確認されています。このときは、現地住民や櫻国企業の社員などが罹患りかんし、多くの人命が失われましたが、そのなかの全魔力中枢欠損症マナ・ディフェクトの人物の症状が一番軽かったことから、これは攻性呪術によるものだと、居合わせた白魔道師により報告されました。



 ・・・・おかしいとは思いませんか?


 当時は、現在市販されているジェネラル・アンチスペル剤の原料であるモーリュを巡った戦争の最中だったとはいえ、少なくとも櫻国わがくにの海外出張する民間企業社員が1987年にすでに発表されていたジェネラル・アンチスペルの投与を受けていないはずがありません。なのに、彼らはんです。」


 そういうと、御神苗が(早く結論を言え!)という顔で睨む。せっかちなやつだ、と、いつだったか僕が教授にいわれたのと同じ感想が浮かぶ。


「私はこの事件と南大陸で現在起こっている奇病が、等しくジェネラル・アンチスペルの不安定性に起因すると考え、南大陸出身で20歳以上のボランティアの方から魔力中枢細胞の一部を提供いただき、初代細胞として、先ほど説明したのと同様のIn Vitroインビトロの実験を行いました。

 もし、南大陸出身の方々に投与されているジェネラル・アンチスペルに問題があれば、私が構築した細胞死ネクローシスを誘導する呪術式が発動するはずです。


 これが結果のスライドですが、すべての検体において、細胞死が誘導されていることがわかると思います。つまり、南大陸の人々のジェネラル・アンチスペルは、、すでに効果が切れかけていて、その結果、モーリュ戦争前後で受けた攻性呪術式の影響が【奇病】として認識されているものと思われます。もちろん、この結果はまだ検証が必要だとは思います。」


 そう話し終わると、またフロアがざわつく。御神苗とその指導教官はすでに僕の方を見ずに、いろいろと話しているのが見える。


 僕の櫻国語を桑門先生が翻訳して、その"もう一つの結論"を聞いたマリス博士は、目を見開いて僕の顔を見つめ、無言で涙を流す。僕はそれを見ただけで確信が持てなかったいくつかの点について、納得する。それは、まるで彼がやってきたことを涙を通して、僕に伝えているかのようだった。

 おそらく、彼も関与していた南大陸での【実験】は、ドミナント・ネガティブの"それ"ではなく、アクセサリー・ルーンを外部から削るための実験であったはずで、それは制御が利かず、協力者であったはずの櫻国人の教授たちにも反応してしまった・・・というところなのだろう。もっとも、それを追求して認めさせるというのは、松田先生の【目的】であって、僕は興味がない。


 僕はこの研究がしたいだけだ。



「それでは、最後に総括そうかつします。ジェネラル・アンチスペルは、これまで考えられていたものとは大きく異なり、体内に侵入してきた攻性呪術式を、コール以下の緻密な呪術式を使って、マリス・コード内にあるアダプター配列に正確に結合させ、それを同じくマリス・コード内に存在するアクセサリー・ルーンを使って強固なものにするという、『呪術式と結合魔法式を組み合わせた類を見ない魔法』であることがわかりました。


 しかし、現在のジェネラル・アンチスペルでは、体内に侵入してきた攻性呪術式を解呪ディスペルすることはできず、時間経過とともに最終的には攻性呪術式は発動してしまいます。


 ですが、私はこの点についてはマイナスには考えていません。


 例えば、先ほどの私にかけられている『コーヒーをぶちまける』という呪術ですが、もし長い時間が経って最後の"呪い"が発動したとしても、そのときまでに私の右腕がコーヒーの入ったカップをどこかにやってしまえば、その影響は限りなくゼロになります。これと同じように、マリス博士の作ったジェネラル・アンチスペルによって与えられた『時間』を使って、ほとんどすべての攻性呪術を解呪ディスペルすることができる【真のジェネラル・アンチスペル】を開発できれば、世界は今度こそ本当に呪術の恐怖から開放されると考えています。


 ――以上です。ご清聴ありがとうございました。」



 会場から拍手が起こると、誰からというわけでもなく、聴講者が拍手をしながら立ち上がる。その拍手が何分も続き、そして、僕の公聴会は終わった。





 第76行政区魔法大学大学院の学位記授与式は、午前中に行政区庁舎のある都心部のキャンパスで、すべての学科合同の式典が行われ、午後から各学科のあるキャンパスで、それぞれの学科長から学位記を受け取ることになっている。


 僕はやっぱり着慣れないスーツ姿でそれを受け取り、挨拶のために5年間通い続けた研究室に向かう。北国である第76行政区でもこの国の花になっている桜がちらほらと咲いていて、時折ときおり、風に乗って花びらが舞う。大学の正門から附属治療院の脇を通って研究棟に向かういつもの道も、心なしかいつもより綺麗に見える。



 第三呪術研究室の教授室には、松田先生、斉藤先生、そして佳苗さんが待っていて、それぞれに「おめでとう」といわれ、少し照れながら「ありがとうございます」と返す。しばらく話をした後で、僕は松田先生のそばに近寄る。



「――先生、ちょっといいですか?」


 そういうと僕は渾身の力を込めた右手で、松田先生の頬を力いっぱいに殴る。


「グッ!! ・・・なかなかの強さじゃなか! これは田中君をスカウトに行った時以来かな。」


 それを見ていた佳苗さんが、フッと小さく吹き出す。後ろに倒れこんだ松田先生も、どこか予想していたように笑い、生真面目な斉藤先生が一人だけオロオロしている。



「おめでとう。これで君も晴れて、一人前の『呪術師』だ。君が、ジェネラル・アンチスペルの不完全さをあばいたことで、呪術研究のニーズもかつてないほどに高まってるし、引く手数多あまたということになると思うよ。」


「そうですね、就活できてなかったんで助かります」と僕も笑う。


 改めて、学位記に目を落とす。魔法紙に書かれたたった数行の文章。最初の春にはここまで来るとは、僕自身思ってもみなかった。




「――それで、これからどうするの?」


 佳苗さんが書棚に寄りかかり腕を組みながら、静かにつぶやく。


「さぁ、どうしましょうかね。何にも考えてないです。1年くらい旅行でもしてみたいとも思いますけど。」

「そう。」


と髪をかきあげて、そっぽを向きながら一言だけ返す。



「松田先生、斉藤先生、・・・・そして、佳苗さん。ありがとうございました。最初の年の五月には学位とれるとは思ってもみませんでした。皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。」


 深く頭を下げる。


「それでは、失礼します。」


 僕は晴れやかな顔で、教授室の扉を開け、外に出ようとする。




「――ねぇ。」

「え?」


 佳苗さんに急に呼び止められて振り向く。


「私の古い友人の研究室で、研究員ポスドクを一人探してるんだけど、どうかしら? 今時流行りもしない呪術の研究なんてしてて、不器用な教授とバカ真面目な助教がいるだけで、あと――」



「絶望的に研究費がない――でしたね。」


 そっぽを向いたままの佳苗さんの口角が少しだけ上がる。教授室の窓からは、暖かい春の日が差し込んでいた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 0日 博士号取得

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