第三十五話 再会
ふーーと長く息をつく。第三呪術研究室の大学院生のための部屋・・・と言っても、ここ1年以上は僕一人しか使っていない。僕はマリス・コードに隠された謎を明らかにするための決定打を欠いたまま、博士論文の執筆を続けていた。その間にも改変呪術式を投与したヒト化魔獣は、どんどん赤い目になっていく。
時計の針が夜の10時を過ぎた頃、コンコンッと扉を叩く音がして、佳苗さんが院生部屋に入ってくる。
「・・・・今日も、泊まるつもり?」
「ええ。もう残された時間から考えると、ヒト化魔獣を使った実験は出来ないですけど、出来るだけの実験はやっておきたくて。
・・・・佳苗さんこそ、どうしたんですか?」
手に持った書類の束に目線を落として、これこれというような仕草をする。
「教授から頼まれてた書類をプリントアウトして、一部ずつ綴じておこうと思って。・・・・あ、ひょっとして、迷惑だった?」
そんなことないですよ、と首を横に振りながら答えると、佳苗さんがクスッとだけ笑う。
居候をしてたときからは考えられないような距離で、話が出来るようになったもんだと思う。最近切ったのか、あの頃とは違ってだいぶ短い髪になった佳苗さんが手際よく書類を綴じていく。真っ白な指がスラスラと紙をめくっていく様子に、少し見惚れていると、それに気づいたのか、あしらうような仕草をする。
「いいよ、こっちは気にせず、仕事つづけナさい。」
そう言われて、自分のパソコンに向き直る。しばらくカタカタというキーボードを叩く音と、佳苗さんが使っているステープラーの音だけがする時間が続く。
ふっと背中に人の体温を感じる。振り返らなくても、佳苗さんの顔が、僕の背中にくっついているのがわかる。自分の心臓の音が早くなってるのが、バレてしまうんじゃないかと焦る。
「・・・・無理しないでねって言っても、どうせ、無理しちゃうんだよね。」
「えっ」と聞き返そうと振り返ると、不意に目が合って、佳苗さんは照れたように軽く口角を上げる。そのまままとめた書類を手に取って、立ち上がる。
「じゃぁ、また明日ね。」
■
「チャールズ・マリスって、まだ存命だったのか・・・・」
僕は思わず呟く。
「確かにどこにも所属してないし、クロウリー賞の授賞式以降、彼の姿を見たっていうのも聞かなかったし、そう思っても不思議ではないねぇ。」
「でも、どうやって説得したんですか!? ・・・いや、"どうやって見つけだした"んですか?」
「ああ、それについては直接聞いたらどうかな。院生部屋で田中君と書類書いてると思うから。」
そう教授に促されて、僕は院生部屋へと向かう。
「おお!"シン"君!! 久しぶりですね。元気でしたか!?」
そこには佳苗さんと、何かの書類に記入している細身の若い女性が居る。
「斉藤先生!?? 西大陸でサバティカルだったんじゃないんですか!?
・・・・・って、その呼び方、僕はもう『新人』じゃないですから。」
"シン"という呼び方は、僕が都市部のキャンパスからこの古陵キャンパスに移ってきてすぐの時に、まだ何人か居た博士課程の先輩たちが付けたアダ名で、『新人君』からほどなくして『シン』になったものである。
ちなみに、僕の名前には一文字もかぶっていない。
「・・・でも。どうして斉藤先生が?」
僕は首をかしげながら、斉藤先生に尋ねる。
「ああ、そうでした。 シン君は・・・南大陸でのこと、松田先生から聞いているんでしたよね。
・・・・あの話の中で、松田先生や田中さん、町田さん、それに黄伯飛大統領以外に登場人物がいたの覚えていませんか?」
「どこかの大学の教員・・・・・それに、亡くなったサクラ鉱業の社員・・・」
僕は思い出しながら答える。
「そう。あの時、松田先生の前で、最後に死んだ社員が、ボクの父親だったんです。橙魔法の技師でね。
ある日突然、会社から『事故でなくなりました』と告げられてね・・・・まだ学生だったし、仕事で南大陸に行くことは聞いてたけど、何で南大陸に渡ったのかは詳しくは聞いてなくて・・・
母親もパニックになってしまったり、大変だったんですよ・・・
それからしばらくして、ちょうどボクの大学卒業くらいの時に、実家に松田先生が訪ねてきて・・・その後、まぁ色々あって、松田先生のところにお世話になってる、という感じです。」
最後にニコッと笑いながら話す斉藤先生を見て、(大変だったんだろうな)と思う。それで、どのように返していいかわからずに、「そうだったんですか」とだけ口にする。
「あ、そういえば、先生がC.マリスと交渉したって・・・・」
しばらくの沈黙の後で、僕は思い出したように本題を切り出す。
「ああ、ボクの留学先の先生が、マリスとは旧知の中で・・・・と言っても、それだって松田先生の指示で留学先決定したんですけどね。今回は。」
それを聞いて、いつだったかに感じた猜疑心が、またブスブスと燻ぶる。
「なんというか・・・・少し都合が良すぎませんか?」
それを察したのか、斉藤先生が後ろに結わえたポニーテールを軽く揺らし、もう一度微笑む。
「気持ちはわかりますよ。何となく、利用された気がしちゃうんですよね。ボクもそうでしたから。
松田先生は、たぶん何年もかけて、この"道具立て"が揃うのを待ってたんでしょうね。もちろん、ジェネラル・アンチスペルが、シン君の研究で『あんなもの』だとわかるところまでは想像していなかったでしょうけど。
・・・・ただ、シン君が"最後の鍵"となるのも、何となく予感してたように思いますよ。」
「えっと・・・それは、何故ですか?」
「シン君がこの研究室に来る前にも、魔研費がなかった年なんて何回もあるからね。それなのに、わざわざこのタイミングで行動に移したのは、何かあるんだと思うんですよ。」
最後に「ただの勘」と軽く笑いながら付け加える。まだ僕が基礎的な呪術実験を習っていた頃とかわらず、終始穏やかな口調で話す斉藤先生に、安心する。僕には弟が一人いるだけだが、もし『お姉ちゃん』がいたら、こんな感じなんだろうなと、何度も思ったもんだ。
「それで、この後はどうするのかな?」
「博士論文書きながら、出来るだけの実験はしてみようかと思ってます。もう時間的には、細胞を使ったin vitroの実験だけになるでしょうけど。」
そう答えると、「頑張ってね」と破顔しながら返す斉藤先生を見て、(やっぱり、お姉ちゃんだよなぁ)とどうでもいいことをぼんやりと思ってしまうのであった。
■僕の博士課程論文提出期限まで、あと
―3ヶ月と一週間
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