第三十三話 目に見えていない、何か



「改変呪術式投与群・・・・しかも、まだ6ヶ月でアンチスペルの効果が消えるなんて・・・」


 誰も居ない魔獣飼育室で、赤い目をした四番目の魔獣を呆然と見つめる。その魔獣は、こちらの気持ちなど意に介せず、飼育ケージの中を自由に動き回っている。



(・・・ダメだ。何が起こっているのか、まったくわからない・・・・)



 僕たちはこの『ジェネラル・アンチスペルが、時間経過とともに効果を失う』という現象を、『加齢』と結びつけてとらえようとしていた。ヒト化魔獣の持つKlothoクロトー遺伝子変異が、早期老化症を示すことからも、われわれヒトではまだそのような事例が報告されていないだけで、加齢現象が加速しているヒト化魔獣ではそれが顕著になっている、と考えていた。


 しかし、6ヶ月でアンチスペルが消えたこの四番目の魔獣と、市販のジェネラル・アンチスペル剤投与群の1年2ヶ月が経過しても目が黒いまま、つまりジェネラル・アンチスペルの効果が消えていない18匹の魔獣たちは、それが単純な加齢と関連した現象でない可能性を示唆している。


 仮に、ヒト化魔獣において、Klotho遺伝子変異の影響で加齢が加速したことが原因でジェネラル・アンチスペルの効果が消えたのだとしたら、今年の4月に実験を行った、この四番目の魔獣よりも先に、1年2ヶ月前に実験を行った実験群にもっと同様の現象が確認されるはずだ。



「・・・・市販のものと、この改変呪術式のアンチスペルとしての骨格は同じものはず。なのに、1年2ヶ月で効果を失わないものがいるのに、同じ解呪式主文を持った6ヶ月前のもので、アンチスペルの効果が消える理由・・・」


 すぐに思いつくのは、『個体差』という便利な言葉で、魔獣一匹一匹の"個性"のようなものに影響していると言ってしまえば、それなりの説得力は持っているように感じる。


 しかし、このヒト化魔獣の元になっている魔力不全魔獣ヌード・ビーストは、『近交系きんこうけい』と呼ばれる98.7%以上の遺伝子が同一である純系の動物を使っているため、"加齢の速さ"のような大きな表現形フェノタイプが個体間でバラつくとは考えられない・・・・




『――アンタって、ホントに愚図ね。そういうわけがわからない文字列を見る時は、意味のわからないところなんて読み飛ばして、どこでもいいから"理解できるポイント"を最初に探すのよ。』



 その時、僕はこの研究を始める最初の時に、佳苗さんに言われた言葉を思い出す。


(理解できるポイント・・・というより、この場合は両者で明らかに違うポイントか)


 この改変呪術式を投与した"四番目の魔獣"と1年2ヶ月前に市販のジェネラル・アンチスペルを投与したヒト化魔獣では、


(1)『コール』およびインターカレーターそのものである『主文』は同じ

(2)改変呪術式では、構築を簡単にするため、瞳に関するもの以外の条件分岐文ブランチを削除している

(3)マリス・コード中にある魔法文字ルーン33文字の『アダプター配列』は、文字数やその配列も含めて同じ

(4)改変呪術式では、構築を簡単にするため、アダプター配列以外のマリス・コードを削除している


という関係になる。



「また、マリス・コードのが・・・・今度は、"効果維持の時間"に関与しているということか・・・・」


 僕は誰も居ない魔獣飼育室で、また独り言を呟く。アダプター配列の33文字の理由、その配列特異性など、僕が"まだ解決していない"謎と同じく、この現象もやはりまたマリス・コードと呼ばれる乱雑な魔法文字ルーンの配列の中に原因が潜んでいることが推測できる。


 しかも、何度解析しても、このマリス・コード部分に規則性や、小規模機能性呪術式マイクロドメインのようなものは発見できていないという点も同じである。




 初めてジェネラル・アンチスペルの原典を見た時に感じた『C.マリスは何故こんな乱雑な配列を解呪式の冒頭に置いたのか』という僕の最初の疑問は、アダプター配列、そしてこの効果維持に関するに触れて、次第に『C.マリスは、本当は何を作りたかったのか』というものに変わってきていた。



 僕はデータ用紙に、四番目の魔獣の出生日、実験開始日、現在の体重などを控え、研究用魔獣飼育施設を後にする。北国である第76行政区では、もうすでに冬に向かって風が冷たくなっていた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 ―4ヶ月

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