第三十二話 四番目の魔獣



「さて、状況を整理しておこうか。」


 灯りを落とした薄暗いいつものセミナー室で、松田教授の一言から、今週の進捗報告会プログレスが始まる。報告会と言っても、学生は僕一人で、報告を聞くのも松田先生と佳苗さんの二人だけ。三人だけの小さなプログレスにも、もうだいぶ慣れてきた。


「はい。それでは、始めます――」



 ■


 『魔法』は、世界歴1800年代の南大陸で、"偶然"発見されたとされている。この発見の経緯については諸説あって、現在でも確定的な説は定まっていない。そんな状況でも、1800年代後半にはすでに、白魔法と呪術は確立した魔法体系として記録に残っていて、呪術がであると言われる所以である。


 呪術は、その確立から1900年代初頭に起こった二度の魔法大戦までの間、対人兵器としての研究が盛んに行われ、直接的な攻撃を行う黒魔法とは異なり、目に見えないまま、対象者の身体あるいは精神にダメージを与えるという点から、恐怖の対象とされていた。

 そのため、呪術を使った攻撃を無効化する解呪式アンチスペルの研究も軍事目的で数多く行われ、新しい呪術が開発されると、敵対する勢力がそのアンチスペルを開発するという"イタチごっこ"のような関係が長らく続いていた。



 その状況を一変したのが、世界歴1987年にC.マリスというそれまで無名だった呪術研究者が発表した、『ほぼすべての呪術式を、「発動」の手前で無効化する』というジェネラル・アンチスペルである。このすべての呪術を無効化するアンチスペルの登場により、兵器としての呪術の効果は無くなり、人々は呪術の持つ"得体の知れない恐怖"から開放されたのだった。




 僕の研究は、このジェネラル・アンチスペルの解析から始まった。


 ジェネラル・アンチスペルは、呪術としては最も長い呪術式の一つで、冒頭に"マリスコード"と呼ばれる乱雑な魔法文字ルーンの羅列が大量に存在する。その後に、『コール』と呼ばれるジェネラル・アンチスペルの効果対象を特定するための呪術式があり、続いて条件分岐ブランチと呼ばれる式が延々と続く。


 この条件分岐の部分は、“どのような”攻性呪術が、体内の“どのような場所に”侵入してきた場合に、最後に続くアンチスペルの本体である『主文』に繋げるかということを決めてる部分で、ジェネラル・アンチスペルの場合、『現在報告されているすべてのタイプの攻性呪術』が、目、口、皮膚、血管・・・といった『想定されるあらゆる部位』に侵入してきた場合でも、効果を発揮するように条件付けられていることになる。


 ジェネラル・アンチスペル以前は、解呪式自体の複雑化をさけるために、部位特異的な条件分岐設定したアンチスペルを複数組み合わせて用いるというのがセオリーであったため、その点からもこのジェネラル・アンチスペルの異質性がわかる。僕も『原典』を見るまでは、こんな条件分岐式が成立するとは考えてもみなかった。




 ――最後に、解呪式としての本体である『主文』である。



 ここにも、ジェネラル・アンチスペルが特異なものであることを示すものが、二つあった。


 一つは、多くのアンチスペルが『インターセプター<捕縛型解呪式>』と呼ばれる、攻性呪術が体内に侵入する前に働き、その侵入を阻害するタイプであるのに対し、ジェネラル・アンチスペルは、現在ではほとんど見かけることのない、解呪式が体内に侵入してきた攻性呪術そのものに入り込みその効果を抑えるという『インターカレーター<機能欠損型解呪式>』タイプのアンチスペルであった点である。


 インターカレータータイプは、捕縛型解呪式よりも、解呪ディスペルの成功率やその効果が低いとされているため、""であるジェネラル・アンチスペルがインターカレーターを採用していることは驚きだった。



 そしてもう一つ、僕がこの研究のために構築したヒト化魔獣の瞳を赤くするという呪術を、市販のジェネラル・アンチスペル剤が解呪した際の、魔獣の虹彩部分で生じるわずかな解呪効果のバラつきを超解像度魔力イメージング装置で解析したところから、ジェネラル・アンチスペルが、インターカレーターの中でもかなり特殊な『ドミナント・ネガティヴ』と呼ばれるものであることを突き止めた。



 ドミナント・ネガティヴは、対象となる呪術式に一文字か二文字の魔法文字ルーンを付加するような、通常のインターカレーターとは異なり、体内に侵入してきた呪術式と解呪式を融合させ、まったく別の呪術式に変えることで、対象者にかけられた呪術を無効化するというものである。

 しかし、ヒトを対象とした臨床試験において、意図しない呪術式の暴走を引き起こし、対象者を死亡させる可能性があることがわかったため、一度も実装されたことはないとされていた。


 そのため、この間アクセプトされた僕の初めての原著論文を投稿した時も、魔術雑誌の査読者レビュアー編集者エディターからも、『本当にドミナント・ネガティヴなのか』と、再三質問を受けたほど、大きな驚きであった。




「そして、今回、新たに市販のジェネラル・アンチスペル剤を投与した後に、瞳が赤くなるという呪術をかけたヒト化魔獣の一部が、最初はアンチスペルの効果が確認できたにもかかわらず、長い時間を経て、その効果が失われ、瞳が赤くなったことから、『ジェネラル・アンチスペルは、まれに解呪が完全には成功しないことがあり、その場合、加齢とともにかけられた呪術の効果が現れる』という現象を確認しました。」


 薄暗いセミナー室のプロジェクトの横で、僕がこれまでの経緯と新しい観察結果を報告する。すると、腕組みをしたまま僕の報告を聞いていた、松田先生が話し始める。



「加齢・・・か。この点については、今回のわれわれのアプローチは、偶然とはいえ、""といえるね。」


「ええ、ヒト化魔獣ヒューマナイズド・ビースト、というよりヒト魔力中枢を移植する前の魔力不全魔獣ヌード・ビーストは、Klotho遺伝子に変異を持った早期老化モデル魔獣でもありますし、ジェネラル・アンチスペルの効果がなくなるという表現形フェノタイプが加速された可能性はあります。


 その点においては、本当にラッキーだったと思います。」


 松田教授は時折、うんうんと頷きながら僕の話を聞いた後で、こう付け加える。



「今回の発見は、今後の『呪術』にとって非常に大きな意味を持ってくるのは間違いない。


 ・・・しかし、今は世界歴2016年10月。すでに君の博士課程最終年度の10月ってことだね。卒業という意味では、そろそろタイムアップなのも事実だ。君はこれから学位論文を書き、審査を受けて、パスしなくてはならないわけだからね。


 もちろん、『実験をするな』とはいわないが、優先順位を考えて行動すること。大丈夫、この最後の発見は、現象論だけでも、充分インパクトあると思うよ。」


 そういわれた僕が、「わかりました。学位論文を優先します」と答えたあとで、プログレスは終了し、教授、佳苗さんともに別々にどこかへ行ってしまう。



 (とりあえず、またケージ交換に行くか)と軽く考えて、飼育施設に向かう。








 ―――そして、僕はまた新たな現象に直面する。



 4番目の赤い目の魔獣。



 そのラベルには、僕の字で


『ヒト化魔獣 8週齢 改変呪術式投与 (2016.4.22)』 


と書かれていた。




 ■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 ―4ヶ月

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