第三十一話 寄宿舎にて



 寄宿舎に帰ってきてから、数時間、ただボーっとしている。教授に言われたことを気にしていないと言えば嘘になるのだが、それほど精神的なダメージがあったというわけでもない。教授の指摘は当然だとも思っている。ただ、今は考えることを、頭が拒否しているような感覚がしている。



 そこから、さらに一時間くらいが過ぎただろうか、不意にバキンッという音がしたかと思うと、ドアの開く音がする。この寄宿舎は、元は民間のアパートだった建物を大学が買い取って寮にしたものなので、それぞれの部屋は1Kの個室になっている。そのため、僕以外がこの部屋に入ってくることがあるわけがない。そもそも、鍵もちゃんとかけたはずだ。


 足音が玄関入ってすぐのキッチンを過ぎて、僕が今いる部屋に近づく。僕はこの部屋とキッチンを隔てている扉に、全神経を集中させ、身構える。


 ガチャリとドアノブが回る――



「よぅ!童貞君。」


 そこにはコンビニの袋をぶら下げて、片手を上げる町田涼子の姿があった。


「えっ!? なッ・・・・えっ!?どうやって入ったんですか!?」


 慌てていて、『何で来たのか』を聞くのを跳ばしてしまう。


「ん? 寮母さんに鍵借りて。すんなり貸してくれたわよ。」


「えええええ!?  ・・・にしたって、ドアチェーンは? 僕、チェーンもしてたはずですよ??」


「ああ。切った。」


「えっ!! なっ、切っ、ハァァァァ!?」


「まぁまぁ、細かいこと気にすると、"卒業"できないぞ! ・・・二つの意味で。」


 ケラケラとわざと下品な調子で笑う。


「いやぁ、帰りがけに肩落としながら歩いてるアンタを見てさぁ。お姉さん、元気づけてあげようと思ってぇー ほらっ☆」


 手にしていたコンビニの袋をガバッと開くと、そこにはコンドームの箱がいくつかまとめて入っている。


「なっ!!? 何してるんですか!??」


 一瞬で顔が真っ赤になる。続けてモゴモゴと何かを口にしよとうした僕の頭をつかまえて、小脇に抱え、買ってきたコンドームの箱を一つくわえ、町田さんがスマートフォンで自撮りする。佳苗さんほどではないにしても、かなりしっかりとした胸の感覚が、よけいに顔を上気させる。


 続けて、メール送信の軽快な音がする。




「・・・・・え? 今、何したんですか?」


 不敵な笑みを浮かべている町田さんに、恐る恐る尋ねる。町田さんの顔が、ニタァといういやらしい笑いに変わる。


「童貞君が、私の胸に顔を埋めて鼻を大きくハスハスしている写真、カッコ、コンドームの箱付きを『彼の部屋なう』って、メールで送ったのよ。


 ・・・・・君の愛しの"カナエさん"にッ♡」



「くぁwせdrftgyふじこlp!!!!」


 僕は、パニックになって言葉にならない言葉を叫ぶ。


「アッハハハッ!! 佳苗、たぶん今頃、"人外の"力でココに向かってると思うから、怖いし、お姉さんは先に帰るわねぇ~」


 そう言うと、バタンッという音を立てて町田さんが立ち去る。僕は残されたコンビニ袋を持ったまま、呆然と立ち尽くす。


 ところが、すぐにもう一度玄関の扉が開き、ひょこっと町田さんが顔を出す。


「あ、"それ"、使っちゃっていいからねッ!」


 またバタンッという音を立てて扉が閉まると、アハハハという声が遠のいていく。本当に台風のような出来事だった。




 やっと頭が追いついてきて、(一体、何だったんだろう・・・)と思うようになった頃には、寄宿舎の外階段から、聞き覚えのある唸り声が、凄い勢いの足音と一緒に聞こえてくる。



 そして、三度みたび、今度は蝶番ごと飛んでいってしまいそうな勢いで玄関の扉が開く。



「リョォォォコォォォォォーーーーー!!!!!!!!」


 玄関すぐ脇のキッチンで突っ立っていた僕と、血相を変えた佳苗さんの目が合う。


『あっ。』


 不意に台詞が重なる。佳苗さんが口を開けたまま、無言で扉を閉める。


(何で、すぐ閉めたんだ・・・)


 佳苗さんの不思議な行動に疑問を持ちつつも、誤解を招きそうな町田さんが残していった"ブツ"を、キッチン台の下の物入れに袋ごと入れる。



 一、二分経ってから、ゆっくりと扉が開いて、決まりが悪そうな顔をした佳苗さんが話す。


「あの・・・・ごめん・・・・・その・・・リョウコが・・・」


「えっと、と、とりあえず上がりませんか? 寒いですし。」


 かなり上ずった調子で返事をする佳苗さんの手には、近所のスーパーの買い物袋が握られていて、野菜や、肉類のパックが入っているのが見える。


 ひょっとしなくても、あのお節介焼きな教授が佳苗さんを促したんだろうな、と察する。



「・・・・・さっきの、アの・・・・うぅ・・・」


 何かを聞こうとしながら顔を真っ赤にして、視線を泳がせながら口ごもる佳苗さんを見ると、本当に歳上なのかという疑問を抱いてしまう。


 そのくらい、時々、この人は可愛い仕草を見せる。



「さっきの、何ですか?」


 だから僕も、少しだけいじわるをしたくなって、わざと問い返す。すると、さらに顔を紅く染めて、目にうっすら涙を浮かべながら、うーと小さく唸る。


「だ、だから! ・・・・その、リョウコと・・・コ、ココンドー・・・つかう・・・つかっ・・・」


 もう今にも泣き出しそうなくらいの顔になったところで、遮って応える。


「――何もありませんよ。町田さん、すぐに帰りましたし。」


 そういうと、パァァという音が聞こえてきそうなくらい一瞬で嬉しそうな顔にかわる。


「そ、ソっか! ・・・・ア、これ晩ごはん、一緒に食べようと思って!」


 そういうと、手に持っていたスーパーの袋を差し出す。


 「じゃぁ、僕が作りますよ。」と僕がいうと、無邪気な顔で「うんっ!」と返事をする佳苗さんを見て、今度は逆に僕が照れてしまうのだった。





 寄宿舎の建物を見上げながら、町田はスマートフォンでどこかに電話をかける。


「・・・・あ、ちゃんと行ってきましたよ。」


「え? ああ、セキュリティは『ザル』ですね。まぁ、大学の寄宿舎ですもの、当然ですよ。」


「ええ、寮母に話はつけて来ました。一階のオートロック、個別の玄関の鍵の交換にカメラの設置、ですね。・・・お金はそっち持ちでいいんでしょ?」


「?? ・・・ああ、今は"ちゃんと"佳苗が居るから大丈夫ですよ。じゃぁ切りますよ、アタシももう帰りますし。じゃぁ。」


 アウターのポケットにスマートフォンをしまい、もう一度、寄宿舎を見上げる。



(・・・アタシとしては、面白くないんだけどなぁ)



 突然、冷たい夜風が強く吹く。



「ちょっと肌寒いわね。『成政』で呑んで帰るか。」


 普段なら絶対に言わないようなわざとらしい独り言を行って、町田は行きつけの居酒屋に向かって歩き出した。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 ―4ヶ月と三週間

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