第三十話 たとえ、不都合なことだったしても



 電灯を落としたセミナー室で、プロジェクターの光だけが煌々と壁のスクリーンを照らしている。無言のまま僕の推測を聞き終えた後で、松田先生が静かな怒りを込めた口調で話しはじめる。



「・・・・君は少し、をしているんじゃないか?



 確かにこの研究は、君にとって、『自分で関連論文を読み込んで、実験計画を立て、それを遂行する』という人生で最初の研究だ。君の同期の御神苗おみなえ君のように、少し早く、博士前期課程(修士課程)から始める学生もいるけどね。たいていの場合は、君と同じ、博士後期課程からそれを始める。


 その大事な、自分にとって初めての本格的な研究活動の中で、自分にとって不都合なデータが出てきたり、最初の仮設と違う結果になって、落ち込んだり、『どうしてだろう?』と悩むこともあるだろう。


 『ひょっとしたら、卒業が延期になるんじゃないか』、教授わたしに何か怒られるかもしれない、あるいはもっと直接的に、自分のキャリアにとってマイナスになるのでは、とか思うのかもしれない。



 しかし、もし君がこの実験データを、隠し、世に出さなかった場合、この世界に横たわっている『真の現象・原理・原則・法則』は、どうなるだろうか?


 ・・・・考えたことはあったかい?




 もちろん、いずれは世界のどこかで、今の我々と同じようにこの研究対象に挑み、いずれはこの実験データと同様な結論にたどり着くものも出てくるだろう。


 しかし、君が今回のデータを不都合なデータとして隠し、その推察を発表しなかった場合、その"誰か"は君の不完全な研究論文を見て、大いに混乱し、無駄な実験を繰り返してしまうだろう。


 そうなった時、君は『アイツの論文は間違いだ』と指をさされる覚悟は出来ているのかな?」



 教授は、テーブルに置いてあったコーヒーを少しだけ啜り、無言のまま立ち尽くす僕に向けて、さらに続ける。



「研究というのは、常に時間軸の中でしか語ることが出来ないものだ。


 もし、今、我々の出した結論が間違っていたとしても、"今、この瞬間"に、考えられる必要なすべての実験を行い、それから得たデータから結論を導き、それを論文として発表したのであれば、仮に後世でさらに進んだ実験機器や解析方法が生み出されて、今と違う結論になったとしても、その時の研究者たちは、我々について、さっき言ったような負の感情を抱くことはないだろう。


 そして何よりも、自分自身がその論文について、胸を張って堂々と話すことができる。そして、その結果について、世界中の研究者たちと議論ディスカッションすることが出来る。


 ・・・・君が、さっき、何かに囚われて、この『時間経過とともにジェネラル・アンチスペルの効果がなくなる』というデータから導かれる推察を述べることを躊躇ためらったのは、これらを放棄することだと思っている。」



 僕は目に涙をため、さらに無口になり、ただ立っているのがやっとになっていた。その様子を察し、教授はさっきよりもやや穏やかな口調で続ける。



「私はね、研究とは『つむぐ』ものだと思っている。たとえ、今わからないことも、我々と同じテーマで研究している別のグループが、あるいは後世の研究者が、我々の書いた論文を使って、新しいことを見出していく・・・それは、私達が先人たちの先行文献を読んで、それらを参考にして実験を進めていくのと同じことだと思うよ。


 その中に、恣意的しいてきに捻じ曲げられたものがあってはならないとも思っている。


 ・・・もちろん感じ方は自由だし、100パーセント私と同じ考えを持って欲しいと言ってるわけではないけどね。」



 そういうと、少しぬるくなった残りコーヒーをあおり、僕から少し目線を外して、ちょっと遠くを見るような素振りをしてから、教授が「最後にひとつだけ」と付け加える。



「・・・・君が覚えているかどうかは知らないけど、昔、櫻国このくにで白魔法研究をめぐって"ある事件"があってね。


 その彼女はまだ若く、話しぶりも達者で、一般の人だけでもなく、研究者からしても魅力的に映った。彼女は、人間の組織や器官を再生するための白魔法を研究する研究者でね、それまで誰も成し得なかった特殊な魔法薬を用いずに、純粋な白魔法だけで組織を再生することが出来ると発表したんだ。


 論文発表当初、世界中が驚きと感動をもって彼女に注目し、スポットライトを浴びて、堂々と研究内容を話す彼女に、時の首相さえも賞賛した。


 でも、その結果は――― 君も知っているだろ?」



 その結果は僕も知っている。確か・・・・・



「・・・・私は、君が彼女と同じことをしようとしているなんて、これっぽっちも考えていない。ただ、今回の君の行動が・・・・


 いや、いいか。


 君の"若さゆえの危うさ"に年寄りが釘を刺した、と思ってくれ。すまなかったね、少し説教が長くなってしまったようだ。今日はここまでにしよう。セミナー室は田中君に片付けてもらうから、今日は帰りなさい。」



 そう教授に促されると、僕はやっとの思いで「・・・・頭、冷やしてきます」とだけ絞り出して、研究室を後にした。





「少し過剰というか・・・・感情的になりすぎじゃありませんか?」


 セミナー室の明かりをつけながら、佳苗が松田に問いかける。


「・・・・ああ、そうだね。」


 松田はテーブルに肘をつけ、両方の手のひらを組んで、額にあてて、テーブルの上を見つめる。何か考え事をしているときの癖だった。


「田中君。悪いけど、彼の護衛を強化するように、町田君とフェイに伝えてくれ。


 ・・・・正直、この結果は想像以上だった。""。


 モーリュ戦争の後でジェネラル・アンチスペル剤が爆発的に広まっているという事実と、あのアルゴダに蔓延まんえんしていたのが呪術だったこと、そして何より、C.マリスがアルゴダに滞在していたという理由で、ジェネラル・アンチスペルを突っついてみたが、まさかこれほどの結果が出てくるとは・・・・」


 ブツブツと独り言を続ける松田に、佳苗が投げかける。


「・・・・そんな理由で、彼をんですもの、私たち、ろくな死に方しないでしょうね。」


 返事が返ってこないことも予測していたように、そのまま佳苗がセミナー室を出る。


「あと数ヶ月。何とか、このまま無事に・・・・・」


 松田の最後の独り言は、ちょうど閉まった建付の悪い扉の音にかき消された。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 ―4ヶ月と三週間

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