第二十九話 "世界をゆるがすもの"



 僕は飼育ケージの交換作業を一旦止め、すべての飼育ケージの中の魔獣の眼の色を、一匹一匹確認していく。すべての飼育ケージを確認したところで、その結果を飼育室に置いてあるメモ用紙に書き出す。



 陽性対照群(市販のジェネラル・アンチスペルを導入した実験群)では、21匹中3匹が赤い目をしていて、ジェネラル・アンチスペルを改変した呪術式を導入した群では、新たに眼の色が変化していたものはなかった。



「21匹中、3匹・・・・」



 正直、何を意味しているのかを解釈するのが、一番むずかしい範囲の数のように思えた。1匹だけの特異な変化ではなく、何らかの現象がそこにあるのがわかる。ただ、すべての個体が赤い目をしていないため、それが何の要因なのかをすぐには思いつかない。



 去年、最初に僕がこのヒトと同じ魔力中枢を持つように操作したヒト化魔獣ヒューマナイズド・ビーストに行った実験は、"市販のジェネラル・アンチスペル剤の効果を確かめる"というもので、次の通りである。


 はじめに、『ヒト化魔獣の目を赤くする呪術式』を構築し、すべてのヒト化魔獣に反応させ、その効果を確かめた。この呪術は、元々、魔獣の瞳にある色素を消したあとで、虹彩領域の色素合成系活性をなくすための呪術コードが働き、瞳の色素が完全に失われ、その結果、魔獣自身の血液の色で瞳が赤色になる。


 この呪術式の効果を確かめた後で、次に、別のヒト化魔獣を複数匹使って、市販のジェネラル・アンチスペル剤の効果を確かめる実験を行っている。


 具体的には、『ヒト化魔獣の目を赤くする呪術式』を反応させる前のヒト化魔獣を、二つのグループに分け、片方のグループには市販のジェネラル・アンチスペル剤を投与し、もう片方のグループにはジェネラル・アンチスペル剤の投与に使う溶媒ベヒクルのみを投与して、それぞれに赤い目の呪術を反応させる。



 この結果は、予想通り、市販品のジェネラル・アンチスペル剤投与群では、最後の色素合成系を阻害する呪術コードに対して、ジェネラル・アンチスペルが作用することで、色素合成活性が維持され、目の色は黒いままとなることがわかり、その後、それがまばらであることを見出した。一方で、溶媒ベヒクル投与群は、すべての個体で目が赤くなっていた。


 実験後の個体については、『ひょっとしたら、何か経時的な反応(時間が過ぎることによって引き起こされる反応)があるかもしれないな』くらいの考えで、飼育維持していたものであった。



 しかし、今、実験から一年以上が過ぎたところで市販ジェネラル・アンチスペル剤投与群のヒト化魔獣の目が赤くなっている。僕は当初こんな事想像もしていなかったし、何が起こっているのかの推測さえ出来ない。





「・・・いや、君は"推測できない"んじゃなくて、んでしょ?」


 薄暗いセミナー室のなかで、プロジェクターが投影する魔獣の赤い目を見ながら、松田先生が腕組みをしたまま静かに問いかける。そこには佳苗さんも居て、そちらも目を伏せ、僕の言葉を待っている。


 そう、僕はその結論を考えたくなかったんだ。



 たぶん、それは『世界をゆるがしてしまうから』――




 呪術は、その誕生から二度の魔法大戦に至るまで、相手を殺傷する『兵器』として使用されてきた。直接、対象者に危害を及ぼすものから、条件さえ整えば、モーリュ戦争時に南大陸で使用された"黒い人形ブラック・ドール"のような無差別非人道兵器のようなものさえも、簡単に


 それを、世界歴1987年に登場したC.マリスという一人の呪術研究者が、『ほぼすべての呪術式を、「発動」の手前で無効化する』というジェネラル・アンチスペルを開発・発表し、この世界に住むすべての人々は1800年代から続いた呪術の恐怖から解放された。



 僕は重い口を開いて、その推測を述べる。



「・・・・・・ジェネラル・アンチスペルは、完全に呪術を解呪ディスペルすることができない場合があり、その場合、時間をおいて、最終的に対象者にかけられた呪術が『発動する』可能性がある・・・・」




 それは、ジェネラル・アンチスペルが不完全なもので、今、その投与を受けている僕を含めたすべての人にとって、また、呪術が脅威になることを示唆していた。





■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 ―4ヶ月と三週間

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