第二十八話 異変
櫻国第76行政区内にある唯一の国立大学、第76行政区魔法大学校。行政区庁舎所在地の中心部に一つと、郊外に一つ、そして隣接する自治体に一つの合計三つのキャンパスを持つ、総合大学である。
そのうち、郊外にある白魔法教育・研究のための校舎と附属治療院のあるキャンパス――
世界歴1800年代の魔法発見よりもはるか昔、まだ櫻国が現在のような呼び方ではなかった時代に、この地を治めていた豪族の墓所が小高い丘となって残っている場所に、そのキャンパスは位置しており、それゆえ「
古陵キャンパスには、色彩魔法のうち、ヒトの怪我や疾病の治療を行う白魔法についての教育・研究を行う白魔法学部と、魔法薬の製造や開発を専門にする教育・研究する魔法薬学部、およびそれらの大学院が入っていて、中心部にある別のキャンパスに、橙魔法学部、魔獣や魔法史などを研究するための学部が集まっている。
古陵キャンパスに二つある学生食堂のうち、より大学院に近い方で、僕と
附属治療院で働く白魔道士とその"タマゴ"達は、もっぱら治療院側の食堂を使うため、こちらの食堂には魔法薬学部の学生やその教員、そして、僕らのような臨床に携わらない大学院白魔法学科の研究者たちがほとんどである。
どことなく、もう片方の食堂に比べて、内装やメニューもちょっと差があるような気もしないでもない。
大学院側の学食はカフェテリア方式になっていて、自分で食べたいものを選んで持って行き、中央のレジでお金を払う。
「かけそば270円と、小鉢で320円です。」
「かけそばと小鉢だけ? 貧素なもん喰ってるなぁ。」
レジに並ぶ列の後ろから嫌味のようにいう御神苗に、「放っとけよ」と言って、財布の中から350円をレジのおばさんに渡し、お釣りをもらう。そういう御神苗も、Mサイズのカレーライスにサラダだけで、僕とほとんど金額はかわらない。
「・・・で、D論(博士論文)はどうよ?」
御神苗がスプーンを口元に運びながらいう。
「学位申請のための要件事項揃ったからな。ぼちぼち書いてる。さっき、原稿の一部を先生に送ったところだよ。」
博士号を取るためには、博士論文を提出し、その内容について主査および副査の先生たちから合格をもらわなくてはならないのだが、この審査を行う前に、(1)講義および演習などの学位要件単位をすべて取得する、(2)それぞれの大学院が、学科ごとに定める学位申請要件事項を達成する、ということが必要になってくる。
この第76行政区魔法大学院白魔法学科の学位申請に必要な要件事項は、(a)第一著者として、西大陸言語で書かれた
博士号の審査を海外の機関(論文誌を発行する雑誌社や学会)に丸投げしていることになるとの批判もあるが、現状ではこの審査基準が適用されていて、僕もようやくこの要件事項を満たしたことになる。
「そっか。一時はどうなることかと思ったけど、何とか3月末で卒業できそうだな。」
と、カレーを口にしながらいう御神苗に、「まだ公聴会とかあるし、わからないけどな」と返す。
すると、誰かが点けた食堂のテレビから、南大陸で発生している奇病の話題が流れる。去年からずっと続いていて、収まる気配のないまま、多くの死亡者が出ているという内容であった。
「・・・また南大陸の奇病の話題か。うちの教授も、これにかかりっきりだけど、なかなか糸口掴めないみたいだな・・・」
御神苗がテレビの方に目線を向けながら話す。
(そういえば、これも南大陸か・・・) 僕は教授の話を思い出していた。
「なんか地域ごとに症状が異なってるようで、本当にひとつの感染症なのかどうか・・・というより、感染症かどうかさえいまいちよくわかってないなんて、異常だよな。」
「そうなのか・・・?」
御神苗に尋ねる。
「南大陸のほぼ全域で起ってて、その発症時期が最初に報告された場所から同心円上に広がってるってこと考えると、まぁほぼ感染症ってところだろうけどな。
原因がさっぱり掴めないまま、もう一年以上経つからな。渡航制限のレベルも、また引き上げだとよ。」
かなり深刻な問題になってるんだな、というと「ああ、そうみたいだな」とだけ返事が返ってくる。
南大陸から遠く離れた多くの櫻国の人間にとって、たぶん、この話題はこの程度の受け取られだと思う。この間の教授の話がなければ、僕も南大陸についてはそれほど感心をもたなかっただろうな、とぼんやりと考える。
「・・・・そういえば、来年どうすんだ? このまま、
話を切り替えて、御神苗に尋ねる。博士課程最後の年の僕らにとっては、こっちの『卒業後の進路』の方が、よりリアルな話題だ。
「ああ、この南大陸奇病がある限り、俺の研究領域は、研究費の心配はしなくていいからな。・・・お前は?」
「うーん・・・正直、まだ何にも。」
「マジかよ・・・もう、ほとんどの公募終わってるだろ。どうすんだよ!?」
御神苗が"うわぁ、マジかこの人"というような顔で、こっちを見てくる。
「ま・・・まぁ一年くらいは就職浪人するさ。 それよか、今はD論無事に提出できるかどうかの方が心配だよ。」
「・・・・お前、こんなにドン臭いやつだったけ?」
御神苗が、いつもの調子で憎まれ口をたたく。
「余計なお世話だよ。俺は、もう行くぞ。魔獣の飼育ケージの交換しないと行けないし。」
僕も、いつもの調子で、怒ることなく受け流して、食堂を後にした。
■
第三呪術研究室の入る大学院研究棟から歩いて2、3分の奥まった場所に、別棟として『研究用魔獣飼育施設』が建っている。
研究用の魔獣は、その飼育環境によって、実験データが大きく変わることから、常に一定の飼育条件を保つことが重要で、そのため、この施設は別棟として独立していて、ヒトと同じレベルの環境管理をしている。
その中でも、僕が使用している
いつものように、カードキーで入口を通り、無塵服に着替え、エアシャワーで外界の微生物等を落として中に入る。
松田教授が白魔道士として外勤して、さらに奨学寄付金をもらって研究費を稼いでいるとはいえ、第三呪術研究室には研究費がないのは事実である。
そんななかで、普通の魔獣飼育室の二倍強の経費のかかる高度気密空調飼育室を使い、さらに一匹で僕の食費の何ヶ月分もするヒト化魔獣を何匹も使って実験させてもらっているのは、本当に感謝している。
たぶん、あのままこの研究室に魔研費があたっていたら、こんなに密度の濃い研究生活なんてできなかったのではないか――とさえ思っている。
そんなことをぼんやり考えながら、最近実験したヒト化魔獣の飼育ケージを、新しい飼育ケージに替えていく。いつも通りの作業。
そして、飼育ケージを交換する作業が、最近実験してたものから、かなり前の、この研究を始めてすぐくらいに実験したものに差し掛かったとき、僕は何かに導かれるように、その手を一瞬だけ止める。
そこには、"紅い眼"をした魔獣が、飼育ケージの中から、こちらを覗き込んでいる。
僕はふと、本当に何気なく、その飼育ケージ掛けてあるラベルを確認する。そこに書かれている文字列を見た途端、背中にゾッという感覚が襲ってきて、間髪入れずに、顔と胸あたりが熱くなるのを感じる。
「えっ!!? な、何で!? 確かに"黒い眼"を確認したはずなのに!!」
思わず無人の飼育室で声を上げ、再度、飼育ケージのラベルを確認する。そこには、確かに自分の字で、こう書かれている――
『ヒト化魔獣 8週齢 市販ジェネラル・アンチスペル投与 (2015.8.12)』
年老いた黒い眼をしていたはずのその魔獣は、じっと飼育ケージの中で動かずに、ただ
■僕の博士課程論文提出期限まで、あと
―5ヶ月
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