第二十七話 ほほえみは暗闇の中で



 居酒屋『成政』の店内はいつの間にか、僕と松田教授、それにカウンターに一人だけになっていた。時計の針は22時30分を指している。


 天井の電灯の光を受けて、時折、きらきらと光る八海山の入った杯を、松田教授はじっと見つめている。



「・・・彼の実家は、第3行政区で小さな酒屋をしていてね。私は2002年に櫻国こっちに戻った後、少し忙しくて、帰国後はじめてそこに向かったのは、二年後の2004年だったんだ。」


 ゆっくり大きく酒を回し、それを口元に運ぶ。一口、それを飲み込むと、ふーっと短く息を吐く。



「そこには、私より先に戻っていた田中君が居てね。直哉の両親は最初は断ったらしいんだが、頑として『働かせてくれ。雇ってくれるまで帰らない』と一歩も譲らなかったらしい。


 ・・・実に田中君らしいといえるが。」


 はは、と小さく笑うと、またゆっくりと話し始める。



「私が訪れた頃にはすっかり、"義父母と息子の嫁"のような感じになっていてね。遠目に幸せそうな雰囲気を感じたんで、そのまま帰ろうと思ったんだけど、まぁ折角来たんだし、線香の一本くらいと思ってね。田中君には『何しに来たんだ』とおもいっきり睨まれてしまったよ。


 ・・・そこで、親父さんが『息子の好きだった酒です』と持たせてくれたのが、この八海山というわけだ。」



 杯に残った酒をグイッと呷ると、「・・・と、いうことが、昔、あったのさ」と軽い調子でいい、僕にもう一杯の八海山をすすめる。



「・・・あの、一つだけいいですか?」


 僕はその酒に少しだけ口をつけて、教授に尋ねる。


「何かな?」


 教授は左手の肘をテーブルにつき、話を聞く態勢をとる。



「・・・その女の子はんですよね? それって、もしかして・・・・」



 僕の質問に驚いた表情を浮かべ、少しだけ考えて、松田教授が答える。


「さぁね。 ・・・それに、もしそうだったとしても、"もう確かめようがない"、そうだろ?」


 そうですね、と僕も残った八海山を空けた。






 こんなに酔えない酒は、久しぶりだったような気がする。


 僕は寄宿舎に向かう川縁の細い道をぼーっと歩いていた。夏から秋に向かう季節の少し肌寒い夜が余計に酔いを覚ましていく。

 すでに人通りもなくなっていて、夏の終わりを惜しむかのように羽虫たちが街灯に群れている。



「・・・あ」


 僕は寄宿舎までの中間くらいの場所で、見慣れた人影を見つける。向こうも、小さく「あっ」といいながらこちらに気づく。


「・・・どうしたんですか? こんな夜中に」


 僕は暗闇のなかの人影に向かって声をかける。


「えっと・・・・・教授から、サっき、電話あって・・・・『酷く酔ってるみたいだったから、様子みてきてくれって』・・」


 全然、酔ってない。教授お得意のお節介だとわかると、どこかほっとする。


「・・・・・たな・・・」


 そう言いかけて、少しだけ間をおいて言い直す。


「・・・・か、カナエさん。」


 名前で呼ばれたことにびっくりして、佳苗は頬をほんのり朱く染めて俯く。


「・・・その、教授に南大陸の話を聞きました。田中"直哉"さんのことも。」


ピクっと反応すると、そう、とだけ返ってくる。


「・・・・・僕の研究が始まる前に、皆さんに色々あったことはわかりました。でも、僕は自分の好奇心で研究を続けるだけです。」



「アンタは・・・・それでいいのよ」


 佳苗は俯いたまま、小さく笑う。



「僕は死にませんから。」


 予期してなかった言葉に、ハッと佳苗が顔を上げる。僕は優しく微笑むと「それじゃ、おやすみなさい」と、その場を後にした。




■■


 その後姿が見えなくなった後で、佳苗が暗闇に向かって告げる。



「・・・・・・・・・出てきたら?」



 すると、これまで気配もなかった背後の街路樹の陰から、防護服を着込んだ小柄な男が一人現れる。


「気づかれてましたか」


 振り返ることもなく、佳苗が問いかける。


「諜報部が何のようかしら?」


「先輩、もうわかってるんでしょ? ・・・・折角、"魔研費を止めて、警告した"のに。」


 男が間合いを詰めながら、答える。


「魔研費に政治的な要因が関わるなんて、驚きね。」

「建前と現実、ってやつでしょ。 先輩ならわかってると思いましたけど。」


「・・・・アンタに『先輩』って呼ばれる義理はないわ」


 佳苗は不快そうに眉間に皺を寄せる。


「えぇー 僕は憧れてたんですけどねぇ。""、に。」


 男がおどけたように言う。夜道であることと、防護服のフードを目深にかぶっているせいで、その表情ははっきりとわからないものの、佳苗をどこか馬鹿にしていることは確かだった。


「・・・・べらべらと五月蝿うるさい諜報部員なんて、ロクでもないわね。」


 佳苗が吐き捨てるように言う。


「いやぁ、あなた達の勘がいいのか、何なのかわかりませんが、苦労しましたよ。


 学生の方をつけようとすれば、あなたのマンションに住んでなかなか手出しできないし、教授の方は、白魔法治療院に各国の要人が集まってきたせいで、SPだらけになるし。


 ようやく隙をついて強襲しようとすると、どっかに旅行いっちゃうし。かと思えば、紅蓮国大統領なんてまで来ちゃうし。偶然に助けられましたね、先輩。


 ――まぁ、それも今日までですけど。」


 ニヤリと下卑た笑いを浮かべる。


「・・・・それをだと思ってるんだったら、本当にお目出度い連中ね。」


 そう言うと地面を強く蹴って、一瞬で男との距離を詰める。男もそれを予測していたように後ろへステップを踏む。


 後ずさった軸足に体重をかけ、反転して、佳苗に目がけてナイフを突き出す。それを身体を捩ってかわすと、頬が軽く裂け、長い黒髪の一束が宙に舞う。


 「ハハッ!!」と得意気に笑う男のナイフを持った手首を素早く片手で押し、バランスを崩すと、右足で男の膝を蹴る。


「グッ!!」


 男が前のめりによろけたところに、高速で魔法文字ルーンを詠唱して、背後から火炎系黒魔法を放つ。


「ちぃッッ!!」


 男はとっさにひるがえり、両手で頭を守るように防御姿勢をとる。すぐに魔力を帯びた黒い炎が襲う。


「遅い。」


 炎の衝撃が過ぎ去る前に、がら空きになった腹部に回し蹴りをくらわせると、一瞬、沈んだ男の頭に向けて、今度は左手で衝撃系黒魔法を放つ。無防備になった頭にハンマーで殴ったような衝撃を受け、男は声を上げてその場に崩れ落ちる。


「・・・・は、早い・・・・」


「・・・はぁ、オマエ、"黒髪の魔女"の何を聞いてキいていたんだ。愚図にもほどがアる。」


 佳苗は、うずくまる男の脇腹に蹴りを入れ、呆れていう。


「グッ・・・ちょっと甘く見過ぎましたね・・ こちらも本気で」


 男が呻きながら強がる。


「"本気"? その辺でノビてるお仲間のことかしら?」


 そういうと、男と同じ防護服を着た男たちが後ろ手に縛られた状態で、ドサッと周囲から放り投げられる。それに続いて、金属のような光沢を持った黒衣に全身を包んだ人影が4つ現れる。



「なっ!! ・・・魔力絶縁服アンチマジック・スーツ!? まさか、南西諸島連合軍の黒鳥隊!? なんでこんなところに!!」



 黒鳥隊は、魔力を断絶する特殊な繊維を編み込んだアンチマジック・スーツを着込み、相手の黒魔法を無効化したうえで近接戦闘を行う、独立戦争において、連邦国黒魔法部隊相手に活躍した紅蓮国の白兵戦専門の戦闘部隊である。アンチマジック・スーツは自己のすべての魔法も無効化してしまうため、隊員のすべてが戦闘用黒魔法、白魔法を使わず、己の肉体だけで戦う。



「さぁ? アナタの知るところではないわ。」


 冷たい視線を落としながら、佳苗がいう。



「グッ・・・・ あの学生・・・このまま無事で・・・いられると・・・」


「ハァ。 ・・・アンタ、とんでもない愚図ね。

 私と涼子、そして黒鳥隊の警護ガードを、こんな平和な国で、一度も実戦経験してないようなアンタたちが何か出来ると思ってるの? 救いようのない莫迦ばかどもね。お仲間と一緒に紅蓮国から政府に引き渡されて、生き恥を晒すといいわ。」


 往生際の悪いセリフを聞いて、佳苗がやれやれといった調子でため息をつく。トドメとばかりに、男の腹をもう一度蹴り上げる。





「・・・『僕は死にませんから』、か。」



 佳苗は川縁の細い道の先の暗闇を見つめる。




「――ええ、アナタは死なないわ。"今度こそ"、私が守りぬくから。」



そういうと、寄宿舎の方に向かって、微笑むのだった。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 ―6ヶ月

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