第二十六話 "その名を、この身に刻み込んで"


■ 四、 松田純二の場合



 今、窓の外に見えている風景の、"何か"がおかしい。松田は一つ一つ整理するように、隣で椅子に腰掛けているフェイに尋ねる。



「なぁ、フェイ――

 あの赤魔道士、お前には何語で話しかけてた?」


 不審な顔をして、フェイが「西大陸言語だったぜ」と答える。松田に話しかける時も、櫻国語ではなく、ほとんど西大陸言語だった。南大陸では広範囲で西大陸言語を公用語にしているため、その方が都合がいいためだ。


「・・・お前、鳥国エルトリアの言葉は話せるか?」

「? ああ、少しだけだがな。前の現場も鳥国内だったからな。それがどうかしたか?」


 松田の顔がどんどん険しくなっていく。



「もう一つだけ教えてくれ。


 このあたりの部族は、"小さい子供まで、西大陸言語を喋るのか"?」



「・・・?? 何言ってるんだ、こんなド田舎でそんな必要ないだろ? ルタ訛りの鳥国語だよ」


 瞬間、松田は開けてあった窓から身を乗り出し、大声で叫ぶ。



『赤魔道士ッ!!!! "そいつ"から離れろッッ!!!!!!』





■ 五、 田中直哉の場合


 純二の叫び声を聞いて、直哉はすぐに『それが何を意味しているのか』を理解した。


 迂闊だった――



 南緯8度線ブラック・エイトよりも、かなり北側に位置するこの街で、"それ"があるとは考えてもいなかった。急いで橘のところまで駆け寄る。もう"それ"は、白目の色が黒くなり始めている。


 (頼む!!間に合ってくれ!!)


 状況がつかめていない橘と小さな女の子との間に自分の身体を滑り込ませ、軍服の腰の部分に留めていたナイフで、橘の袖を掴んでいる手を手首ごと切り落とす。同時に、橘の腹を後ろ回し蹴りし、自分から少しでも遠ざける。


 手首を切り落とされた、少し前まで現地人の女の子だった"それ"は、叫び声もあげることなく、ついさっきまで橘の顔があった場所を見つめている。もう、その眼は白目の部分もすべて黒くなりつつあった。




 「クソッ!!!」、そう吐き捨てると、直哉は小さな女の子"だったもの"を抱きかかえ、橘が突き飛ばされて倒れている場所からなるべく遠ざけるために走り出す。




 ――"黒い人形ブラック・ドール"


 南方部族軍が8度線で最も多く使用した黒魔法兵器で、人間の精神に干渉する黒魔法を同時に複数使用し、精神鹵獲マインド・ハックを行って自由を奪った上で、「任意の場所にたどり着く」などの特定の条件を満たした際に、対象となった人間の魔力を暴走させるという呪術を仕込んでおき、その魔力暴走を起爆装置として、衣類や体内に設置した魔力反応型の小型爆弾を爆発させるという非人道的なものであった。


 精神鹵獲された対象者が、呪術による魔力暴走を開始すると、身体が硬直し、眼の白目部分が徐々に黒くなっていくことから、"黒い人形ブラック・ドール"という名前がついている。


 この黒魔法による精神鹵獲には対象の年齢によって成功する、成功しないを分ける「臨界期」と呼ばれるものが存在しているといわれ、そのため、南方部族軍は北西部戦線からの撤退時に、多くの穏健派部族から、子供を誘拐したとされている。世界歴2015年現在、モーリュ戦争時の連邦国と南方部族の戦争犯罪として、最も批難されている非人道的行為である。




 (なるべく、遠くに!!!)



 直哉は身体に残っているすべての力を振り絞って、力強く南大陸の赤褐色の地面を蹴る。



 ほんの少しだけ、本当に少しだけ時間をおいて、大きな爆発音と舞い上げられた赤錆のような土埃が、松田やフェイ、そして、佳苗を襲う。やがて、土埃が消え、爆発の中心だった場所が視認できるようになると、そこには、見慣れたあの生真面目で、不器用な優しい男の姿は無かった。




■ 六、 "田中"佳苗の場合


 腹を蹴られた衝撃で地面に伏していた橘に、続いて爆発の衝撃が襲ってくる。とっさに頭を両手で守り、衝撃が過ぎるのを待つ。


 何が起こっているのかわからずに、恐る恐る目を開けると、松田が険しい顔で何かを叫びながら爆発の中心地に走っていくのが見える。土埃と一緒に襲ってきた爆音のせいで、一時的に耳がおかしくなっている。



 (何? 何が起きたの・・・?)



 ゲホッと口や喉に溜まったものを吐き出して、ふらふらと立ち上がる。


 (あの、子は・・?)


と辺りを見回そうとした瞬間、自分のすぐそばに袖を握っていた小さな手首が転がっているのを見つけ、「ひッ!!」と後ろによろけてまた倒れる。


「・・・・・・・!!!! ・・・・・・・!!」


 爆心地だった場所で、あのドクターが何か叫んでる。まだどこかモヤがかかったような感覚がしていた橘は、それを虚ろな目で見つめている。


「・く・・・しッ!!  ・・・・か・しッ!!」


 ドクターが地面で横たわっている何かに向かって、白魔法の詠唱を始めている。白く淡い光を帯びた右手で、それに手を入れていく。



 徐々に意識と聴覚が戻ってくると、だんだん、その物体が人の形をしていることがわかってくる。




「しっかりしろ!!直哉ッ!!! 赤魔道士! 早く!!手伝ってくれッ!!」



 それが、自分を受け入れてくれた最愛の人だとわかった瞬間――



「いいいいいやぁぁァァァァァァァァァァーーーーー!!!」



 絶望が佳苗を襲った。





■ 七、 "その名を、この身に刻み込んで"


 その慟哭を後ろに聴いた純二は、小さく舌打ちをして、フラつきながらもこちらに向かってくるフェイの方に声をかける。


「フェイ! こっちで手伝ってくれ!! 早く!!」


 その間も咳き込みながら大量の血を吐く直哉に、気道を確保するための処置と、出血を止めるための白魔法をかけ続けていく。同時に幾重もの白魔法をかけ続けるため、指先の感覚がなくなり、背中から体温が奪われ、自分の魔力が急速に失われていくのを感じている。


「フェイ、俺のサイドポーチの中の魔力補給剤を開けて、俺にくれ!」


 自分の近くにたどり着いたフェイが、すぐに指示通りに魔力補給剤を開ける。それを摂って、自分の魔力がやや回復したのを確認し、さらに別の白魔法を直哉に向けてかけはじめる。直哉の身体は、"黒い人形"を抱えていた腹部から下が原型を留めておらず、片方の腕と目がそれぞれ潰れている。


 (これでは、もう・・・・)という感情を、無理矢理押し殺して、白魔法をかけ続けていく。



「フェイ、俺が合図をしたら、一本ずつその魔力補給剤をこちらにくれ。最後の一本になったら、詰め所の中にある物資の中から――」


 続きの指示をしようとしたところを、「じ、純二・・・」と直哉が遮る。静かにしてろ、と返事をすると、直哉は血だらけの口元でニッと弱々しく笑ってみせる。


「・・・・もう・・・いい。 す・・・すまないが・・・・"時間"を・・・くれない・・・・か?」

「何を言って・・・・」

「・・・・頼む・・・」


 その意味を悟った純二は無言のまま、残りの魔力補給剤をすべて摂取し、幾重にもかけていた白魔法をやめ、一時的に身体能力を魔力で補うヒールと止血のためのものだけに切り替える。そのまま、しばらくの間、自分の魔力が尽きるまでかけ続ける。



「あり・・・がとう。・・・どのくらい、保つ・・・?」


「・・・さぁな。 お前次第だ。 ・・・悔いのないようにしろ。」


 そういうと、純二はフェイの肩を借りて立ち上がる。ふらふらとおぼつかない足で直哉に近づく橘を横目に、「行こう」とつげる。



 サクラ鉱山開発の詰め所に戻ろうとする途中で、フェイが紙切れを一枚拾い上げる。そこには西大陸の文字で『この街には近づくな』と書かれている。


 あのブラック・ドールによる攻撃で、仮にも生き残りがいた場合の警告文のつもりなんだろう。


「・・・・ドクター、裏を見てみろ。」


「これは?」


 西大陸言語とは違う別の言葉で、拙い文字が書かれている。


「エルトリアの文字だ。 ・・・『にげて しにたくない』と書いてる。」


「・・・おそらく、"あの子"は臨界期ぎりぎりの年齢だったんだ。それでマインド・ハックが完全にはかかっていなかったんだろう・・・」


 こんなことって・・・と小さく呟いたフェイに、松田がもう一つ、つげる。


「フェイ、あの爆発で・・・防護服を身に着けていた直哉が、あそこまでボロボロになるようなあの爆発で、何故、『この魔法紙だけ残ってる』んだろうな」


 フェイの顔がハッとする。


「この紙には、何重にも対黒魔法用魔法障壁マジック・シェルがかけられてる。・・・白魔法のな。


 白魔法ってのは、通常、命の無い物体にはほとんど効果がない。だからこそ、モーリュをめぐって、今、まさに戦争が起きている。なのに、この魔法紙には高位ハイクラスの白魔道士にしかできないようなマジック・シェルが幾重にもかけられている・・・」


「・・・・この大陸の、南方部族の連中の仕業ではない・・・ってことか。」


 ああ、と険しい顔で松田が答える。おそらく、西大陸連邦国の何者かが、この街を新しい呪術の実験場として選んでいたことは間違いない。それにサクラ鉱業と櫻国が関わっているのだろう。


「・・・ドクター。俺を治してくれ。俺は、南西諸島おれのくにをアイツらから取り戻す。こんなことを・・・こんなことを平気でする連中に、俺の故郷を好き勝手させていいはずがない!」


 決意に満ちた顔をするフェイに、松田は目を伏せて、「ああ、もちろんだよ」と返す。



(俺も、俺のやり方で・・・・)





 どのくらいの時間が経っただろう。自分たちにはひどく長い時間だったように思えたものの、実際にはほんの数時間程度だったのかもしれない。あたりは夕焼けの色に染まっている。

 あの赤魔道士が唱えたのであろう黒魔法の独特の肌に感じる不快感と、少し遅れて肉の焼ける臭いが伝わってくる。そこからもうしばらく、何もないままに時間がすぎる。



 ギィという鈍い音を立てて、詰め所の扉が開き、橘が戻ってくる。乾いた血が顔や腕、服の上で朱殷しゅあん色をしている。


「タチバナ・・・・」


と松田が声をかけようとすると、『違う!』と大声で否定する。


『・・・・ワタシは ・・・・ワタシは、"田中"佳苗だ・・・ さっき・・・・そう・・・』


 大声で泣き崩れてしまいたいのを押し殺して、気丈に振る舞う。


「・・・・そうか・・すまなかったな。」


 それを察したのか、松田もそれ以上の言葉をかけてこない。




(ワタシは、生きていく。 アナタの"その名を、この身に刻み込んで"――)






■僕の博士課程論文提出期限まで、あと


 ―6ヶ月

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