第十三話 赤魔道士


一、


「ええっと、こういうとき何ていうんだっけ? あ、そうそう――」

『ゆうべは おたのしみ でしたね』

 カラカラと細い目をさらに細くして笑う女将さんに、僕は「違いますよ」とさらりと返す。

「あれ?一晩で随分と余裕出てきたねぇ。からかい甲斐なくなっちゃう……まぁでも、また泊りにおいで。ココは一応、なんだけどさ。君とそっちの綺麗な"彼女"さんならいつでも歓迎するよん」

 僕は「だから違います」と笑顔で返し、旅館の玄関を出て、車に乗り込む。駐車場の除雪装置も完璧で、本当に寂れた田舎って感覚がない。隣に座る田中さんにも、心なしか緊張しなくなっていた。

 ラジオをつけて、車を出す。昨日と違って、他愛もない話を何かの誤魔化しのために使う必要はない。


『第25行政区地域の天気は雪。夜半すぎからやや強く降る見込みです。お隣、第76行政区地域の天気は雪、昼過ぎにところどころ晴れるでしょう。つづいて、ニュースです。政府は南大陸で発生している奇病の追加支援を決め――』


 ただ、純粋に僕たちは他愛もない話をしながら、第76行政区に向かって車を走らせた。




二、


 部屋に戻ると、浴衣に着替えた田中さんが座っている。まだ少し濡れた髪と浴衣の胸元が妙に艶やかに見える。

 僕は少し距離を置いて座る。しばらくの間、最初の言葉を選ぶのに悩む。


「……なんで、西大陸の言葉なんですか?」

 確かに話す人口が一番多い言語ではあるけど、特有の言語を持つ櫻国このくにで、日常的に話す人はそれなりに珍しい。


「わたしは生まれてすぐに向こうの国に渡っタの。母さんの母国でもあるし、それに――見てもらった方が、早いカな」

 そういうと田中さんが右手を広げて魔法文字ルーンを詠唱する。発動者の魔力を使って、軽い外傷を癒やす初歩的な白魔法の淡い白の光が右手の手のひらの上で揺れる。

 次に左手を同じように広げて、さっきとは別の魔法文字ルーンを詠唱する。すると、左手の人差し指の先に、黒い火の玉のようなものが浮かぶ。ごく簡単な黒魔法だった。


「えっ!? これって、解離性魔力中枢症かいりせいまりょくちゅうすうしょう!?  ……しかも、赤魔道士だったんですか!」


 僕は目の前で見る初めての"赤魔道士"に驚きを隠せないでいる。


 まだ完全にその原理がわかっていないものの、ヒトには生まれつき、「適性」を持った魔法体系というものが存在している。訓練次第ではある程度の別の適性の魔法も使うことは出来るようになるが、同時に詠唱したり、それぞれをマスターレベルで使うことは出来ない。

 とはいっても、僕を含め一般の人が実生活や研究などで魔法を使うくらいでは、魔法をマスターレベルで行使することはほとんどないため、最後まで自分の適性を知らない人も多い。


 解離性魔力中枢症は、先天的に二つの魔力中枢を持って生まれてきたヒトの状態を総称して指す言葉である。一般的に、複数の魔力中枢を持つと、脳や身体に過度の負担がかかることが知られていて、幼少期の死亡率が高く、無事に成人になっても短命であるといわれているため、「症」という字がてられている。


 そのなかでも、単独でもマスターするのが難しい色彩魔法(白魔法、黒魔法、緑魔法、青魔法)のなかの任意の二つを適性として使いこなす魔道士はかなり稀有けうな存在で、畏怖を込めて『赤魔道士』と呼ばれていた。



「――そう。それで子供の間は、向こうの国の研究機関で保護されて、櫻国に戻ってきたのは高等学校の時から」

 田中さんは少し寂しそうな顔で答える。



「……ドミナント・ネガティヴを知っていたのは何でですか?」


 僕が一番聞きたかったことを口に出すと、田中さんの顔がさらに悲しそうに歪んで、下を向く。

「……あンたが言っていた『誰かが行っていた実験』を見たから――場所は南大陸。時期は『モーリュ戦争』の頃。それがそうかもしれないってわかったのは、後になってから……ごめんナさい。今は、それだけ」


「モーリュ戦争ってことは、2000年代初頭ですか。でも、何で田中さんがそんなところに?」

 モーリュとは南大陸に自生する魔法植物で、世界暦1990年代の終わりにこの植物から抽出した魔力を使った魔法薬製造技術が開発されると、東大陸、西大陸それぞれの国がその利益分配をめぐって起こした戦争が勃発し、それを『モーリュ戦争』と呼んでいる。


「……昔、"軍"に居たの。その時の後方支援活動で」


 赤魔道士は存在自体が稀有なだけではなく、そのほとんどの場合が高い戦闘能力を有するため、軍人として大成することが多いとは昔、何かの講義で聞いたような気がする。白魔法と黒魔法を備えた赤魔道士で、しかも元軍人――とりあえず、ヘタな行動はやめようと肝に命じる。


「でも何で、今になって僕にそんなことを話そうと思ったんですか?」

「それは、アンタが自分の意志でジェネラル・アンチスペルの研究したいってのが……」

 急に田中さんが顔を上げたせいで、不意に目が合う。「だから……その……」と、視線を外せずにもごもごと口ごもっている。この人はこんな感じで、時々、年上には見えないような可愛い仕草をする。


というがあるとしたら、今、なんだろうなとぼんやりと考えていた途端――


 バタンという何かの音と一緒に電灯が消える。「きゃぁ」という声がすぐ近くであがると、僕の右腕に柔らかい双丘の感触が伝わってくる。


「アーア゛ーお客様には、大変申し訳ありませんが、謎の力によりーえー何故か電灯系統だけ停電しておりますーこのまま、朝までご不便だと思いますがーなにとぞーなにとぞーご協力下さいませー」


 あの女将の声で素っ頓狂なアナウンスが流れると、暗闇になれた目で顔を見合わせる。


『ぷっ!・・・あははははは!』


 絶対、あの女将の余計で、明らかに的を外してる策なのだと思うのだけど、その馬鹿馬鹿しさで、二人して大声で笑う。

 ひとしきり笑ったあとで、もう一度、目を合わせる。今度はどちらも緊張することなく、お互いにそのまま唇を重ねていく。

「……ごめんね、今はここまで」

 ええ、とだけ返して、僕と田中さんは布団のなかで、手を絡ませたまま、眠りについた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年2ヶ月と一週間

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