第十二話 雪の降る山奥の村で 後編


■ 三、 雪の降る山奥の村で


 翌々日。


 朝早くから出発して、教授に借りた車で、助手席に田中さんを乗せて走るという、ちょっとよくわからない状況のまま、昼過ぎには目的地のある隣の行政区に入っていた。教授の教えてくれた温泉宿のある逆鉾村さかほこむらは、第25行政区庁舎のある街で高速を降りた後、下道でさらに一時間ほど山側に走ったところにあった。



「あ、やっと『逆鉾村』って標識に名前でましたよ」


 そうね、と窓の外を見ながら素っ気無い返事が返ってくる。田中さんは朝からこの調子で、僕は気まずい感じがしていた。

「……え、えっと。ちょっと、そこのコンビニで道聞いてきます」

 気まずさを誤魔化すために、田中さんをおいて、車を降りる。

 コンビニで目的地の宿の場所を尋ねると、また車に乗り込む。どうやら、もう少し村の奥の高台のようだった。牡丹雪の中、さらに車を走らせた。



「お! お兄ィさんたちが、松田っちの言ってた二人だね? 蒼鷺館あおさぎかんへようこそーー!」


 旅館というには少し小さい感じのする玄関を入ると、やたらとハイテンションな四十代くらいの女性が声をかけてくる。人懐っこい感じの顔で、少し細い特徴的な目をしている。

「後ろの超絶綺麗なおねぇサンと、二人で一泊ね。お代はもう貰ってるから平気だよ。田舎だったから、ここ来るまで大変だったっしょ?」

 なんとなく言葉が少し古くさい感じがするけど、カラカラと笑いながら話してくる女将さんには悪い印象はなかった。

「いえ、落ち着いた雰囲気で、思っていたよりもそんなに道も悪くなかったですし」

「そう? 若い子たちはみんな都会に憧れて出て行っちゃったんだけどねぇ。あ、それでお部屋は二階の『水芭蕉みずばしょう』ね。松田っちからは、一部屋でいいって聞いてたけど」

 あのクソオヤジ……ほとんどというより、完全にセクハラの域に達している教授の余計なお世話に怒りがこみ上げてくる。ハッと後ろを振り返ると、朱い顔のまま完全に固まってしまった田中さんが立っていた。



 この地方の雪解けを告げる花の名前がついた部屋は広くて、内装をリニューアルしたばっかりだったのだろう、暖房器具もしっかりとしていて、思ったよりも快適だった。

 夕飯も、鮭料理、とろみのある汁物、着けた大根菜の煮物、とこの地方の郷土料理らしい料理ばかりで――そして何よりも、米と酒が美味しくて、大満足なものだった。これだけ揃ってると、いくら平日とはいえ、年末で宿泊客が僕達だけなのが不思議に思えてくる。


 旅館の中の内風呂もあったのだが、せっかくなので、と外の露天風呂を目指す。「外」と言っても、脱衣所を抜けてすぐの露天風呂で、雪見風呂が出来るようにしてあるというものである。

 状況的に貸し切りなので、僕は広々と手足を伸ばす。

 このところの、上手くいってない実験の疲れも取れるような感じがする。ぼんやりとした灯りに照らされた周囲の景色は、雪で白一色だった。



 しばらくぼーっと湯船の周りに落ちる雪を眺めていると、背後で物音がして何も考えずに振り返る。


 ――そこには、あの時と同じ、透き通るような真っ白な身体をした田中さんが立っていた。


 驚いた様子で、両手で胸と下腹部を隠すが、胸の方は大きすぎて片手では覆いきれていない。

「っ!!? す、すいません!!」

 僕はとっさに顔を両手で覆い、入り口とは反対側に体を向き直す。また殴られるというのと、あまりに綺麗でたおやかな肢体の印象がゴッチャになって、混乱する。

 一瞬で顔が上気していく。

「あ、あの! お、俺もう出ますね」

 と振り絞っていうと、「そのままでいい」と一言だけ返される。背中の少し後ろあたりで、ちいさく水面が揺れる音がする。


「……うしろ、見たらコロすから」

 消え入りそうな声が聞こえる。お互い声を出せないまま、舞い落ちる牡丹雪が温泉の蒸気で消えるのを、ただ黙って見続けていた。


 しばらくして、背中に何かが触れる感触がして、田中さんが背中合わせで座る。僕のなかの全部の感覚が背中に集中していくのがわかる。華奢な、女性の体の感覚が伝わってくる。

 僕は他愛もない話をして、この感覚を誤魔化そうと言葉を紡ぐ。

「そ、そういえば田中さんは松田先生と昔の職場でも一緒だったんですよね?」

「…………」

「田中さんって、院生の中でも人気あってですね。この間も――」

「…………」

 気まずい。午前中のドライブの時よりも輪をかけて、ただただ気まずい。


「――あ、そういえば、田中さんもんですよね? 大学とかで習ったんですか?」


 やっぱり無言のまま、時間が過ぎる。


「――ねぇ。アンタは何のために、研究してるの?」

「えっ?」と意外な返しに思わず振り返ろうとするが、寸前で堪える。


「誰かに褒めてもらいたから? 有名になりたいから?」

 少しだけ考えこんで、応える。

「わかりません。多分そういうところもあるんじゃないでしょうか? でも、今は単純に好奇心です。あ、もちろん博士号は取りたいですけど」

 僕の答えに対し「そう」と一言だけ返ってくると、背中の後ろで音がして、田中さんが立ち上がる。



『部屋で、全部、教えてあげるわ』



 えっ、と突然聞こえた西大陸言語べつのくにのことばに驚いて振り返る。お湯で濡れた長い黒髪が、白い背中を這って、引き締まった臀部にまで届きそうになっている。そのまま、振り返ることなく脱衣所の方に消える。

 僕は疑問に思っていたことを聞きたいという気持ちと、このまま聞かずにいたい気持ちが半々で、空を見上げる。


 さっきよりも細かくなった雪が、まるで僕に向かってきているように降っていた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年2ヶ月と1週間

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