第十一話 雪の降る山奥の村で 前編



 櫻国このくには南北に長いため、同じ月でも寒さや暑さには地域差が大きい。僕の住む地域では、すでに細雪から少し重い綿雪の季節になっていた。研究室の窓からは、分厚いコートと傘、長靴で歩く学生たちの姿が見える。

 一方で、テレビから流れる東都しゅとけんの映像には、まだ雪はなく、こちらよりも薄手のコート姿の女子アナウンサーが年末に向けて活気づいている街を紹介している。


 ――そんな季節の話



■ 一、 「僕」の場合


「アァァァー!! またダメかぁ……」

 先月のプログレス以降、僕はマリスコードの『ドミナント・ネガティブの骨格となる部分』を削った改変呪術式の構築を試みていた。これまで行ってきた別の既存呪術式の改変であれば、1週間もあれば完成していたのに、もう三週間も失敗し続けている。

 いくら教授の兼業バイトと奨学寄付金があるとはいえ、流石にこんなに湯水のように魔法触媒を使いまくっていいんだろうか、と変な後ろめたさまで出てくる。

「……このグチャグチャな部分に手を加えて、って事自体が無理なのかぁ」

 僕以外誰も居なくなった院生部屋の自分のデスクの前で、ひとりごとを言いながら、キイキイときしむ椅子の背もたれに背骨を伸ばすようにもたれかかる。両手はバンザイのポーズのまま。だらっと天井を見つめる。

「年末だってのに、実家にも帰れそうにないな」

 最初から今年は帰ろうと思っていなかったが、なんとなくそうつぶやく。


「お、そうなの? じゃぁ、ちょうど良いねぇ」

 開けっ放しにしていた入り口のところで、松田先生がふいに声をかけてくる。

「なっ、え、すいません!」

 僕はびっくりして意味もなく謝ると、姿勢を元に戻す。

「ははっ、謝るところではないよ。暇ならちょうどいい話があってね」

 松田先生は慌てる僕を見て、笑いながら続ける。

「ここから高速道路を使って、北西に200kmくらい行った山奥の村に、知り合いのやってる温泉宿があってね。今年も年末のこの時期に行くつもりだったんだけど、少し忙しくて無理になったんだよ……そこで、君、どうかな?」

「え、僕は実験ありますし……」

「でも、上手く行ってないんでしょ?」

 痛いところをつかれる。松田先生はかまわず、「田中君を誘って、二人で行って来なさい」と温泉宿の連絡先を僕に手渡そうとする。


「はっ、えっ!!?? な、ななななんで田中さんも一緒なんですか!? 無理です、絶対に無理です!!」


 僕はさっきよりも慌てて、連絡先を先生に返そうとする。

「えっ、君、こんなに長い間一緒に暮らしてるのに、の!?」

 すごく余計なお世話だ。あのヒトは、手を出すとかそういう次元の生き物じゃない。

「……なおさら一緒に行って来なさい。研究のことは一旦忘れて、ルームメイト同士、親睦を深めるのも必要だよ」

 教授は、ニヤニヤしながらそういうと、「バイトだから」と院生室をあとにする。

 僕はまた一人になった院生部屋で、手元に残った温泉宿の連絡先をじっと見つめていた。



■ 二、 田中佳苗の場合


 ガヤガヤと人の話し声が途切れず、今日もこの居酒屋『成政』は賑わっている。

 女子会という名はついているけど、参加者は私も含めて、もう「女子」と呼ばれるのがキツくなってきているような年代のメンバーばかりだ。


「カナエーーちゃんと、呑んでるぅーー!?」

 学生時代からの同期で、前職でも、今の職場でも同期の町田涼子が酒臭い息をしながら、抱きついて来る。

「ちょっと、リョウコ。アンタ、いきなりどんだけ呑んでるのよ!?」

「量? やだなぁ、まだビールをジョッキで4、5杯ってとこよ。ワタクシ、全然酔っておりませんん」

 やばい、始まったばっかりなのに、もうすでに面倒くさい。私はあからさまに嫌そうな顔をする。

「ねぇねぇ、噂の年下の彼氏とはどうなったのよぅ?」

 涼子がこちらの顔色などかまわず絡んでくる。

「か、彼氏? なンのこと??」

「しらばっっくれても、無駄よ! アンタのマンションに若い男が入って行くのみたって、証言、いっぱい集まってるんだからね!」

 さっきまで思い思いに雑談してたはずの他の参加者も、いつの間にかジロリとこちらを見ている。

「あ、アレは教授の指示でアパート追い出された院生に、部屋を一つ貸してるだけで――」

 全員が「あやしい」と声をそろえて言う。


「いや、そもそもわが魔法大学事務部の鉄仮面こと、佳苗が男と一つ屋根の下に居るってだけで大事件よ」

「手を出そうとした白魔道士なんて、もう数追えないくらいだしねー」

「あ、うちの新任助教君もカナエの話してたわー」

「え、あのデブ? 返り討ちにあいそう。あのハゲの時みたいに」

「アハハハ、そうそう、パンチくらったあとの精神領域研究室の教授ハゲの顔とか傑作だったよね」

「……いや、あのみんなちゃんと聞いてる?」

 すでに本人を置き去りにして盛り上がっていて、間違いなく誰も聞いてない。また、明日から色々噂されるのかと思うと、急に頭が痛くなってきた。



「で、実際はどうなの?」

 ニヤニヤした顔で涼子が空になりそうなビールジョッキを片手に尋ねる。

「な、何もナいわよ! それにワタシは――」

「図星つかれると"向こうの言葉"が混じるの、なかなか抜けないわね……そろそろ、もう、いいんじゃないかな。ただ、それだけ」

 残りのビールを呷り、少し真面目な顔になった涼子がまっすぐとこちらを見る。

 と、次の瞬間には、「え、ちょっとちょっと何の話ー?」とさっきまでの酔っぱらいの顔で、他の参加者のところに移動している。

「――そろそろ、か」

 飲みかけの杯を空けると、その後は妙に酔えないままで、散会となった。



 この時期、この地方では雪雲が晴れることはほとんどないため、夜は本当に暗く、雪の降る音だけが聞こえるような静寂の世界になる。しかし、この日は珍しく雪雲がなく、欠けた月がきれいに夜道を照らしていた。


 自分のマンションの入り口の近くまで来ると、反対側からいつも見る人影が同じ場所を目指して近づいているのに気づく。酒のせいなのか、涼子のつまらない言葉のせいなのか、顔が上気するのを感じる。


 向こうもこちらに気づいて立ち止まる。


「あ、あの田中さん。 え、えっとですね……」

「な、なナによ。はっきりしゃべりなサいよ」

 自分の方がはっきり喋れていないことはわかっている。

「あの……教授の紹介で、お、温泉行くことになったんですが、もしよかったら――」

 向こうも顔が朱くなっているのを見て、なんだか少しだけ、ホッとする。


「忙しいですよね。年末ですし。 やっぱり僕一人で――」

「い、いいわよ。アンタ、友達少なそうだし、か、可哀想だから、ついていってあゲる」

「――ですよね、じゃぁ教授に……え? ええ!?」

「行ってもいいって、いってるノよ、この愚図!」


 年上の余裕というか、強がりというか、何だかそのようなものでキツイ言葉を使ってみても、私の朱くなった顔は、真っ白な雪に映えて、コイツにも丸わかりなんだろうな、とそっぽを向きながら考えていた。


 さっきまでやんでいた雪がパラパラと降り始めて、マンションの前の街灯がチラチラと揺れていた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年2ヶ月と1週間

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