第十話 ヒトを模した魔獣とその問題点について




「……君がドミナント・ネガティヴを知らなくても、それは不勉強ということではないよ」

 松田先生が重い口調で話始める。その表情は険しい。

「なにせ、僕もいくつかの魔獣実験・臨床試験の結果を知っているだけで、これまでにのアンチスペルだからね」

「なっ、えっ!? でも、これは世界中で最も使用されているアンチスペルの呪術コードですよ!?」

「…………ドミナント・ネガティヴ理論は、西大陸の研究者たちがジェネラル・アンチスペル発表の数年前に相次いで発表したものでね。インターカレータータイプとは違い、当時、主流となりつつあったインターセプタータイプと同レベルの高い解呪率と、インターセプターよりも圧倒的に呪術式が構築しやすいという利点を兼ね備えた"新しいアンチスペル"として、非常に注目されていたんだよ」


「―――ただ、それは魔獣実験までの話だったんだ」

 松田先生が話を続け、田中さんは腕を組みながら、下を向いている。


「いくつかのドミナント・ネガティヴタイプのアンチスペルが、開発地である西大陸の国々で臨床試験が始まったとき、攻性呪術に汚染されていない健康な人を対象とした、最初の第一相の安全性試験では、重篤な副反応は確認されなかった」

 松田先生は時折目を閉じ、さっきまでと変わらず重苦しい口調でゆっくりと話す。

「第一相の結果を受けて、引き続き行われた第二相試験では、南西諸島内戦で呪術汚染された負傷兵を対象に、残存呪術へのアンチスペルとして、小規模な用量依存性ドーズ ディペンデンシィの試験が開始された。 ……まぁ、ごく普通の手順だね。ただ、その結果は――」


 しばらくの間、沈黙が続く。


「低用量でのドミナント・ネガティヴタイプのアンチスペルには、魔獣実験で示されたような効果は得られず、用量を増やした投与群では――――すべての被験者が急性の過剰呪術反応によるショックで、亡くなってしまったんだよ」


 僕は、初めて聞く話に言葉が出なかった。


「原因はドミナント・ネガティヴの呪術式と、被験者の体内に残存していた呪術の混合呪術式が、ごく短時間に爆発的に増え、残存呪術がターゲットにしていない、まったく関係のない臓器・器官のシグナル伝達や代謝経路など、生体内でごく普遍的に行われている様々な反応を非特異的に阻害し、結果として、死亡ということになっている。

 魔獣実験とヒトの体内反応の違いから生じた典型的な事故として、『呪術学』というよりも、白魔法の体内動態を教える『魔法安全学』なんかでは、今でも講義のなかで出てくるかもしれないね」


 しばらく考えこんだ後で、教授が続ける。

「さて、ジェネラル・アンチスペルがインターカレーター、しかも、ドミナント・ネガティヴタイプのアンチスペルだとわかっただけでもかなり大きな発見だが、いくつかの謎が新たに持ち上がってくると思うけど、それはなんだと思う?」

「……複数のヒト臨床試験で呪術暴走を起こしたドミナント・ネガティヴタイプが、なぜ、今は暴走を起こさずに世界中で普及しているのか、マリスはなぜ主流だったインターセプターではなくて、わざわざドミナント・ネガティヴを選択したのか、あと――」

 僕は即答して、まだ険しいままの田中さんの顔を見た後で、最後にもうひとつ付け加える。


「ヒト体内で、用量依存的ドーズディペンデントに呪術暴走を起こすことが知られていたドミナント・ネガティヴを採用していて、現在の注射剤がそれらの副反応を起こさないということは、マリス自身か、現在ジェネラル・アンチスペル剤を販売している魔法薬製造企業か――あるいはその両方が閾値いきちということだと思います。

 完全に魔力系統をヒト化した魔獣系統の樹立は、世界歴1998年の櫻国このくに、あるいは2000年の西大陸連邦国です。僕らと同じようにヒト化魔獣を使った実験であった可能性はほとんどありません」


 それは、少なくとも両者のうちいずれかは、死亡事故につながる危険性を承知の上で――僕がジェネラル・アンチスペルについて調べた限りではの話かもしれないが、報告されていない臨床試験を実施していた可能性を示唆している。


「ジェネラル・アンチスペルの成立の陰に、何かしらの『闇の部分』があったとして、アンタはそれを追求していくつもりナの?」

 ずっと黙っていた田中さんがうつむいたまま、口を挟む。

「そんなつもり、僕にはありませんよ。僕の魔術的な興味はただ一点、マリスコードのどの部分が『副反応を起こさない呪術濃度域で、強力なアンチスペルとしての作用を保つ』ために必要なのか、ということだけです。

 それと、教授がこのテーマの最初にジェネラル・アンチスペルの『解呪ディスペル』って言った意味、何となくですけど、やっとわかりました。確かに不確定要素の多い現状のジェネラル・アンチスペルをこのままにしておくのは、、面白くないですね」

 そう言った後で、暗くした教授室のスクリーンに映し出される呪術コードを見ながら、教授はニヤッと笑い、僕は頭のなかで、次の改変呪術式の実験計画を練っていた。


 ただ一人、田中さんだけが浮かない顔をしたまま、じっと一点をみつめているのだた――




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年4ヶ月

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