エピローグ(後)
土日が明けて一週間ぶりに登校した威太刀を出迎えたのは、いつにも増して愉快げな二ノ宮のにやけ面だった。
「意外と早く退院できたんだな! 良かった良かった! 賭け金がいくら集まったか気が気じゃなかったんだろう!?」
「……結局俺は賭けに参加できなかったんだが」
「そうショボくれるなって。来月もあるんだからさぁ。聞いて驚け、賭け金の総額は二万円だ」
「おぉ、初回にしては結構悪くないんじゃねーか」
朝のホームルーム前にまたもや屋上へ連れ出され、連日続いている曇天も吹き飛ばしかねない意気揚々とした二ノ宮の饒舌に付き合ってやる。
非日常と隣り合わせる束の間の日常。そこに以前までの不快な違和感はもうない。
「ひとり千円ずつで二十人。なかなか皆ノリが良いんだよ。で、投票自体は六十弱まで集まった」
「なかなか頑張ってるじゃんか。投票の締切は明日だっけか?」
「うーん……そこなんだけど。明後日まで伸ばそうかなって思ってる」
「おいおい、なんかアクシデントでもあったのか?」
「そういうわけじゃない! ただ、噂なんだけど、今日……」
二ノ宮のなにやら思わせぶりな口調を、直後鳴ったチャイムが遮る。時計を見れば八時三十分。ホームルームがはじまる時間だ。
「やっべ!! 戻るぞイタチー!」
「おい待て、噂って何だよ! 気になるだろ!」
さすがに朝から屋上で密談というのは無理があったようだ。
慌てて校舎に戻った二ノ宮を追い、威太刀も階段を駆け下りる。もう他の生徒の姿は見当たらない。
南棟三階の廊下に降り立ち、急ぎ西棟にある教室を目指す。一年B組の入口前には早くも担任教師の福原が立っていた。
「またお前らか! 着席時間過ぎてるぞ!」
「さーっせん!! マジさーっせん!!」
「さーっせんじゃなくてすみませんだろが!!」
福原の怒声を浴びながらも勢いを緩めることなく教室へ滑り込む。その刹那、福原の背後に見覚えのない女子生徒が控えているのを威太刀は見咎めた。
栗色のカールがかったセミロング。目鼻立ちは日本人離れした印象すら受けるほどはっきりしている。
五月も終わろうとしているこんな時期に転校生とは珍しい。だがこれで先ほどの二ノ宮の口ぶりにも合点がいった。
美少女番付の賭け金はキャリーオーバーで間違いない。
元凶を断てども街に放たれた厄叉が一度に絶えることはない。
人を喰らって新たな厄叉を生み、常に増え続ける。全てがそうとは限らないだろうが、新たな元凶となり得る刀憑きだって十一本はあることが分かっている。
いずれにせよ化け物狩りの習慣が終わることは当分なさそうだ。
『二匹ほどおるようだの。近いぞ』
ビルからビルへと飛び移り、スティークが指示する場所へと向かう。今夜の厄叉は
適当なところで壁を伝って減速しつつ地上へ降りる。
月明りの届かない宵闇の路地。彼方には揺らめく白い影。当たりだ。
すかさずスティークを抜刀した威太刀は、目標めがけて駆けだす。
あちらも接敵を察知したのだろうか、角を曲がってより細い路地へと逃げ込む。
『もう一匹が見当たらぬ。油断するでないぞイタチ!』
「ああ、わかってる!」
追って角を曲がると、表通りへの出口が見えてくる。その手前で厄叉は立ち止まっているようだった。
やはり罠なのだろうか。半ば余裕を持ってそう確信しかけた威太刀の思考は、次の瞬間、焦燥に塗り替えられた。
よく目を凝らすと、厄叉の前にはへたり込む別の人影が見て取れる。そして今まさに、
「やらせるかよ……!」
地面を蹴り全速力で急行。ほんの一息ほどの間で厄叉の背後についた威太刀は、一息にも満たぬ素早さでスティークを振り上げる。
被害者の脳天へ到達するより先に、鋸は宙を舞ってそのまま塵と消えた。
続いて反対の腕を即座に切断、Aの字を描くように最後は胴を真っ二つ。秒の単位では計れないほんの一刹那の斬撃だった。
「……あれ? な、なにが……?」
咄嗟に頭を守って突き出したであろう腕を下ろし、襲われていた人物はすっかり呆けた顔で威太刀を見上げる。こちらとそう歳の変わらない朴訥そうな男だ。
「とっとと行け。危ないからな」
「は……はいっ……!」
威太刀のぶっきらぼうな口調にびくりと跳ね上がり、男は何度かずっこけながら表通りに去っていった。
暗がりとはいえ顔を見られたかもしれない。この調子で人命救出を繰り返していけば、いずれ正体が知れ渡ってしまうのだろうか。
であれば出来るだけそれよりも早く厄叉を狩り尽してしまいたいものだ。
「俺は――戦い続ける。俺にしかやれない事があるなら、やれる限り向き合い続ける。それが結論だ」
両翼のビルに挟まれた半月へ語り掛けるかの如く、ふいに威太刀が口を開く。
応じる声は後方から返ってきた。
「どうあっても投げ出すつもりはない、か。そうだろうとは思っていた」
振り向く先にいたのは崩れ落ちるもう一方の厄叉――の背後で凌霊亞切を構える克那だった。
面持ちにはもう憤りも呆れもなく、どこか腑に落ちたような様子でいる。
「ちょっとは認めてもらえたってワケか?」
「馬鹿も休み休み言え。狩人は私一人がいればいい。ただ、今暫くは保留してやってもいいと考えた」
「まあ、そうだろうなと思ったよ、俺も。お前はそういうヤツだ」
瀬田を斬った直後、威太刀は倒れた。それは克那にとって障害を排除するまたとない機会だったはず。だがそうしなかった。
理由は単純に二つだろう。
一つは、曲がりなりにも一度は己を負かせた敵を、改めて真正面から叩き潰したいと考えているから。
もう一つは、どちらかが先んじて厄叉になってしまった時に、己を葬る狩人が必要だから。
どちらにしても冷徹に判断した末の保留。だが少なくとも、ある程度対等の相手としては認められたようだ。
『カテナ! まだいるみたいだわ』
凌霊亞切の警告を受けて二人とも構え直す。裏路地の奥に注視すると、更なる新手の厄叉が数匹駆けつけているようだった。
「あくまで保留だ。元よりこの使命は誰に譲る気もない。だから精々、己の覚悟を示し続けるが良い。あの夜のように」
「上等だ。俺もお前も、そうする事しか出来ねぇからな」
ほどなくして二人同時に厄叉に向けて走り出した。
あくまで言葉による対話が終わっただけだ。威太刀と克那の間では、言葉よりも剣こそが雄弁に語る。これは確認作業に過ぎない。
二人の道は交わりはすれど、いずれ必ず別たれる運命にある。別たれるその時までは紡ぎ続けよう。
此処には剣を交えてしか語り合えない心がある。
終
イタチの太刀 空国慄 @aero_coffin
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