エピローグ
エピローグ(前)
ノイズが五月蠅い。
ブラウン管の砂嵐が頭の中で暴れまわり、頭骨を内側から引っ掻き回されているようだ。
たまらず眼を開くと薄暗い天井。
身体にかけられた白いシーツと、左腕から伸びる点滴のチューブ。
ベッド脇の椅子には無表情のスティークが腰掛けていた。
「ここ、病院か」
「慈玄のやつが手配したと申しておったな」
「どれくらい寝てた?」
「陽が四度上がる程度、かのぅ」
「金曜……いやもう土曜か」
反対側へ目をやると、小型のテレビが置かれた箪笥にメモが添えられている。
“美少女番付の投票経過を置いておく
早く元気になって学校来いよ。ちなみに賭け金の受付はもう終わったからな!”
どうやら二ノ宮が見舞いに来たらしい。
こちらは仮にも昏睡して入院しているというのに、ずいぶんと呑気なものだ。
彼らにはどう言い訳をしたものだろうか。それも後々考えておかなければなるまい。
だが意識を失う直前までの記憶が徐々に戻ってきている今、最初にスティークに問うべきことは一つだけだ。
「救えなかったんだな、俺」
「ああ。刀憑きの厄叉は死して、その残滓をわらわが喰らうた。そこに小僧の姿は無かった」
「…………畜生」
くぐもった雨音が責め立てているように聴こえた。
窓の向こうには重苦しい暗雲が広がって陽の光を遮っている。この空の下にもう、瀬田はいない。
威太刀の手では何も覆すことが出来なかったのだ。
「わらわは慰めの言葉はあまり好かぬ。であるから端的に事実を申そう。そちは厄叉を蔓延らせる刀憑きを殺し、より多数の民を守った。代償として小僧は人としての生を完全に断たれた。……威を断ち、選び、捨てた。最も単純な結末よ」
「……下手な気休めよりかマシだな」
「素直なのは良いぞ」
どこか母性的な微笑を浮かべながら、スティークは懐に手を伸ばす。
そうして差し出されたのは、瀬田を操っていたあの短刀だった。鞘に納められたそれをやにわに抜刀すると、刃に入れたはずの欠け目が綺麗に元通りとなっている。
「
「なんで
「わらわに喰われ、わらわの一部と成った故であるな」
「中に憑いてる厄叉が死んだら、残った外身はただの刀、ってわけじゃねーのか」
「……刀憑きの性質はややこしゅうての。我らの外身となる刀は本来、砕け散った神性を十四に分けて鍛えた神剣なのだ。刀そのものもまた一つの物の怪であり、内に宿る厄叉とは
「駄目だ、わけがわからん」
「むぅ……では、わらわの分身と捉えるが良い。新たな器、もう一つの身体と」
「なるほど、持ち運びはしやすくなるか」
納刀したのち手渡されたそれを、固く握りしめる。
複雑な想いはある。瀬田を乗っ取り狂わせた元凶を、中身は消えたとはいえ、改めて己の得物とするなど、抵抗を感じないわけがない。
だが裏を返せば、救いきれなかった瀬田との数少ない形ある縁だとも言える。
「さて。あの小僧を討った今、そちに改めて訊ねておかねばならぬことがある」
先ほどまでの穏やかな雰囲気をすっと隠し、冷徹な面持ちになったスティークが問う。
「戦い続ける覚悟と意思はあるかえ?」
彼女の真意はこうだろう。
友を守り救うという目的は、結果はどうあれ既に過ぎた問題となった。威太刀にとっての直接的な動機は失われたのだ。
今後も厄叉との戦いを続けるのなら、それはもう個人的な利害を超えた重い責になる。
人であったものを斬り、名も顔も知らぬ他人を守るために戦う。誰の目にも留まらず、血塗れの十字架を背負って傷付き続ける。
「たぶん、続けても一銭の得にもならねぇよな」
そしてその先に待ち受けるのは恐らく――自分自身も厄叉に成り果てるという最期。
今なお静かに疼く右腕に目をやる。傷口はパテで埋めたように白く変色した新たな皮膚で塞がれていた。
「でももう逃げられない。瀬田を救えなかったって事実は永遠に消せない。だからせめて、同じような悲劇は繰り返させない」
この肉体が、自我が、心が。いつまでも保つかはわからない。
ならば命ある限り己の手で成すべきことを成すだけだ。
血の十字架なら、とうに背負っている。
「俺は――」
外傷がなければ後遺症も無く、そもそも倒れた理由さえ医学的な理屈に結び付け難い。だから目を覚ました次の日には徒歩で退院することとなった。
医師は右腕の変色も含めてひたすらに首を傾げるばかりだったが、絆創膏で日焼けしなかったとか、適当な言い訳をしてあしらった。
退院して最初にするべきことは決めていた。
「悪いな。わざわざ付き合ってもらって」
「はぁ。なんで私、克那様に傷をつけた男を案内してるのかな……」
「そう言うと語弊があるような無いような……いや、俺だって斬り付けられてるけどな」
「まあ私も勝負事の世界を知ってはいるつもりですし? 克那様が本気でやり合った結果なのなら、部外者が口を出すのもお門違いだって、分かってますし?」
住宅街の路地を憮然とした顔で綾瀬が先導する。
先日の決闘と瀬田にまつわる顛末はどうやら彼女の耳に入っていたらしい。威太刀の頼みを渋々ながらもすぐに受け入れてくれた。
二人が今いる場所は、威太刀の住む地帯から通学路を挟んだ反対側に位置している。
あまり歩き慣れない通りだが、そんな中で唯一見覚えのある家屋にほどなく近付いてくる。病室のテレビ越しに初めて知った場所。
「ここが瀬田の家……だったのか」
「今は空き家、というか当分はずっと」
威太刀が昏睡している間、皚貴市はあるニュースに震撼していた。
閑静な住宅街に突如として起こった悲劇。その現場がここ、瀬田紡の実家なのだという。
「……まさか彼が操られていたなんて」
あの戦いが終わった翌朝、異臭に気付いた隣の住民によって瀬田紡の両親と弟の惨殺遺体が発見された。
前の晩までは一家団欒の賑やかな声が聞こえていた、と多くの近隣住民が口を揃えて証言している。だが死亡推定時刻は少なく見積もっても一週間以上前。犯人と目される瀬田紡も行方不明となり――実際は文字通り消滅したのだが――事件捜査は暗礁に乗り上げている。
巷ではその不可解さ・不気味さから早くも都市伝説的に噂が広がり、心霊現象やら何やらと勝手な憶測を呼んでいる。
実情を知る威太刀からすれば少々腹立たしくもあるが、それ以上に虚しさが募った。
「アイツの名前は殺人犯として皆に記憶されて、そのうちまた忘れ去られてくんだろうな」
「たぶん、そうね」
ならば自分だけでも覚えておかなければ、などとのたまおうにも威太刀は、そもそも刀憑きに乗っ取られる前の瀬田のことを何も知らない。
彼と過ごしたあらゆる時間、交わしたあらゆる言葉は、厄叉に手繰られし虚構だった。
誰も、本当の瀬田紡を知らない。そして誰にも知られずに消えていく。
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