第2話 未来を変えるのは今
高校生になったイチとニナは、勉強と両立するために、相談日は週末のみとしていた。とは言っても、そんなにたくさん来るわけではないし、むしろ月一人の事も少なくなかった。
インターネットで作成したホームページに説明を載せ、悩みがある方は予約の上、週末に家にお越しくださいと書き込んでいた。予約は、希望日と、苗字・性別をコメント欄に書き込むだけだ。
イチとニナは、毎日コメント欄をチェックするのが日課だった。大抵来ていないが。
いつものように、コメント欄をチェックしていたイチが声を出した。
「ニナ、予約が入ってる」
ニナも、慌てて覗き込んだ。
「ほんとだ。三田倉さん、女性の方から。希望日は、えっと、今週末の土曜ね」
ニナはカレンダーを見ながら言った。イチが、カレンダーに予定を書き込む。
「うわぁ、今月初のお客様だ」
イチは僅かに頬を緩ませた。
「そういえば今月は、相談してくる人いなかったもんね。でも、それって良いことなんだから」
ニナも、嬉しそうにイチを見た。
「それに、別にこれで食べていこうとしてる訳じゃないんだもん、焦らなくて良いでしょ?」
「まぁね」
ニナはカレンダーを見ながら、
「どんなお客様かなぁ」
と呟いた。
「何の悩み事なんだろう……」
土曜の予定時刻、イチとニナは応接間で座って待っていた。洋館のこの家は、吹き抜けの応接間になっていて、上の方の窓はステンドグラスになっているため、様々な色の光が降り注ぐ。アンティークっぽいテーブルと椅子が、落ち着いた模様の高そうな絨毯の上に乗っていた。一階部分の窓からは花畑のような庭が見える。綺麗なものが大好きな親とニナの趣味で、部屋の一角にある棚には、ガラス製の置物や綺麗な模様のサンキャッチャー、可愛らしいドレスの小さなフランス人形など、小ぢんまりとしたものがたくさん並んでいた。
と、その時。玄関のベルが鳴った。ニナがドアを開け、応接間に案内した。その間に、イチはお茶を用意する。バラの模様が描かれたティーカップは、母親の趣味だった。こういった細々したものにもこだわりが出ているのが、この家の特徴かもしれない。
相談者の三田倉さんは、少し弱気な女性だった。自信無さげな立ち振舞いが、戸惑いや迷いを表しているのだろうな、とニナは感じた。応接間に三田倉さんを座らせると、お茶を持ってきたイチとニナが向かいに座った。始めに切り出すのはニナだ。何となく、お客様の性別によって、どちらが主に相談を聞くかが決まるといった風になっていた。
「それで三田倉さん、相談の内容は?」
ニナが訊ねた。
「はい……。えっと、主に恋愛のことなんです。ですが、その、怖くて……」
「怖い? と、言いますと?」
ニナの質問に、横にいたイチも少し首をかしげた。三田倉さんは、俯いて少し震えながら答えた。
「異性が、怖いんです。過去に色々あったもので……」
「口に出して言うより視た方が良いですか?」
あまり話したがらない雰囲気を感じ取ったニナは、そっと顔を覗き込んで訊ねた。三田倉さんは、申し訳なさそうに頷いて、
「はい、お願いします」
と答えた。その言葉に、イチが三田倉さんの前に座り、ぐっと顔を近づけた。しかし、彼女はさっきよりもひどく震え始めた。
「三田倉さん? 大丈夫ですか?」
慌ててニナが三田倉さんの手を握り、落ち着かせるようにそっと手の甲を包み込みながら撫でた。震える身体と震える声で、彼女は答えた。
「大丈夫、です。わかってて来たんですから。こうなることはわかってました。でも、視てもらわなきゃ、解決しないから……。頑張ります。ただ震えるだけなので、心配ありません」
ニナは息を吐くと、
「無理しないでくださいね? 絶対ですよ?」
と言って顔を覗き込んで確認した。三田倉さんは震えながらもゆっくりと頷いた。
「えっと、視ても良いですか? 大丈夫ですか?」
イチが、どうしたら良いかわからないといった顔で、ニナに助けを求めながら言った。しかし、ニナは敢えて無視した。三田倉さんの意思を尊重したかったのだ。ニナは、三田倉さんの方に顔を向けると、頷いた。彼女は、強ばった顔で
「お願いします」
と答え、何かを決意したように、自ら少しだけ顔をイチの方に近付けた。イチは、三田倉さんに近付き、瞳をじっと見つめた。三田倉さんの瞳に自分が映る。その更に奥へ、どんどん進んでいく。
◇ ◇ ◇
「やめて! お父さん!」
「うるさい! 黙れ!」
父親の暴力を必死に止める幼い少女。それを無視して母親に拳を振りかざす父親。少女は、父親に突き飛ばされ、壁に頭を打ってしまった。
「やめて……お父さん……」
涙をこぼしながら、呟いた。
「行こう、もうお父さんとは別れたから。これからは、二人で生きていくの。もう、怖い思いはしなくて良いんだからね?」
「うん……」
「三田倉さん」
「っっっ!!は、はい……」
「あの、ノート出してないよね?」
「は、はい……。すみません……」
「三田倉さん家って、母子家庭なんでしょ?」
「知ってる、聞いたことあるー!」
「それで、貧乏だから三田倉さんもバイトしてるんでしょ? 特別に許可もらって」
「ずるくない? うちらもバイトしたいのに」
「わかるー。てか、お母さん水商売やってるって噂ホントかなぁ?」
「ホントらしいよー」
「……根も葉もない噂ばっかり……」
◇ ◇ ◇
しばらくの間視ていた。ようやく身体を離したイチは、かなり疲れて見えた。三田倉さんは震える身体を抑えながら、イチから離れた。疲れた様子のイチを見たニナは、ただ事ではなかった事を察して、
「何が、見えたの?」
と恐る恐る訊いた。イチは、何度か深呼吸すると、
「わかったよ、彼女が異性を怖がる理由」
と答えた。ニナは首をかしげ、
「どういうこと?」
と訊ねたけれど、イチが口を開こうとしない。普段なら、何が見えたかをすぐに答え始めるのに。先程から様子がいつもと違うイチに、ニナは別室へ行こうと切り出した。イチも頷き、二人は三田倉さんに
「少しお待ちいただけますか?」
と言うと、二階にある二人の部屋へ入った。ベッドが両端にあり、その隣に棚、勉強机とそれぞれ置いてある。ニナはイチのベッドに座り、その隣にイチが座った。イチは、溜め息を吐き、ぽつりと呟いた。
「思ったより大変だった」
ニナは、首をかしげて、
「どういうこと?」
と訊ねた。イチは、首を振りながら小さな声で話し始めた。
「きっと、思い出したくなかったんだと思う。視るのがすごく大変だった。なかなか視えなくて、ようやく視えたけど、それも酷くて……。思い出したくないのも納得だったよ」
「何が視えたの……?」
ニナは少し不安げに、イチに訊ねた。
「父親が虐待をしてたんだ。すごく暴力をふるわれてた。だから、異性を怖いって言ったんだ」
「そういうこと……」
ニナは頷きながら、ぼんやりと床を見つめた。それから、
「三田倉さん、きっと苦労してきたんだよね」
と呟いた。イチも、ニナの言葉に頷きつつ、話を続けた。
「それで、虐待から逃げるために両親が離婚して、それ以来、男性とは関わってないように感じた。三田倉さんは母子家庭で育ったみたい」
その言葉を聞いたニナは、少し安堵の表情を浮かべて、
「良かった。三田倉さん、もしかして施設で育ったんじゃないかって思ったから。ちゃんとお母さんと一緒に暮らしてたんだね」
と言った。
「でも、その後も苦労したみたい。やっぱり母子家庭だと、大変なことがたくさんあるだろ? それが原因でいじめにもあったみたいだよ」
イチは、眉を潜めて怪訝な顔つきをしていた。視たくなかった、とでも言っているような顔だ。それを察したニナは、
「イチ、ありがとう」
と声をかけて立ち上がった。そして、
「三田倉さん待たせてるんだからね?」
と言うと、先に部屋を出て、応接間に戻った。しばらくして、イチも戻ってきた。応接間では、何の相談に来たのかについて、ニナと三田倉さんが詳しく話し合っているところだった。
「恋愛、つまり、好きな人がいるということですか?」
「そうなんです。ですが、その、先程も言った通り、異性が怖くて……。だから、近付けないんです」
「そうですか……」
ニナは少し考える素振りを見せてから、三田倉さんに訊ねた。
「何を視てほしいとか、ありますか?」
三田倉さんは、しばらく考えた後、ゆっくり口を開いた。
「私、いつか異性嫌いを克服できるのかなって……。実は今、好きな人がいるんです。でも、怖くて近付けなくて……。気持ちと行動が一致しなくて、それがすごく苦しくて……。私、一生独り身なのは嫌なんです。いつかは結婚したいなって考えてて……。でも、今のままじゃ一生独り身なので……。お願いです、私が誰かと結ばれる日は来るのか、視てください」
ニナは、大きく頷くと、
「わかりました」
と答えて、息を吐いた。目を閉じて、集中力を高める。それから、三田倉さんにぐっと近付き、瞳を覗き込んだ。ニナの大きな瞳の中に、三田倉さんが映る。
沈黙が続いた。ニナの微かな息だけが聞こえる。イチは、微動だにしなかった。
ふうっと息を漏らし、ニナが三田倉さんから離れた。視終わったのだ。ニナは、かなり疲れていた。力尽きたように椅子に座ると、三田倉さんの目をじっと見つめ、切り出した。
「率直に述べます。三田倉さんは、結婚できます」
その言葉を聞くと、途端に三田倉さんはぽろぽろと涙をこぼし始めた。よほど嬉しかったのだろう。ニナは少し微笑んで言葉を続けた。
「実は、途中で視えるものが変わったんです。それはつまり、三田倉さん自身がここに来たことが、未来を変えたということだと思います」
三田倉さんは、涙を拭いながら訊ねた。
「以前の私は、一生独り身だったということですか?」
「おそらくそうです。ですが、問題もあるんです」
ニナは顔を引き締めて、一呼吸おいた。
「ただ待っていても、異性嫌いは克服できないということ」
「そう、ですよね……」
三田倉さんは溜め息を溢した。と、今までじっと黙って傍観していたイチが、ふいに口を開いた。
「どうやって克服するか、ここで考えないといけないってこと?」
ニナは大きくうなずいた。それから、
「そしてそれを、ちゃんと三田倉さん自身が実践していかないといけないってこと。未来は自分の手で変えるんだから。人に頼ってちゃ、変えられないんですよ?」
と言って、大きな瞳で三田倉さんを見た。三田倉さんは、少し下を向いて、
「出来るかな……」
と不安げに呟いた。それを見たニナは、にっこり笑って、
「大丈夫ですよ、今のところ順調ですから!」
と言いながら肩を竦めた。
「もし三田倉さん自身が努力をやめたら、また未来は変わります。悪い方に」
ニナはそう言って、どうやって異性嫌いを克服するか、考え始めた。イチも、隣で考えていた。
「とりあえず、異性が怖いっていう認識を変えていかなきゃいけないんだから……。そのためには、話すことが一番です」
「話す……」
三田倉さんは、ニナの言葉を不安そうに繰り返した。ニナは、いくつかの質問を三田倉さんに投げかけた。
「三田倉さんの周りに、異性はいますか?」
「います」
「その方々に、挨拶しますか?」
「します、一応……。その、会社の上司や同僚なので……」
「自分からしてますか?」
「上司には、自分からしてますけど、同僚には……。挨拶されたら返すくらいで……」
ニナは大きく頷くと、
「では、まずはそこからですね!」
と言って、三田倉さんの目を見た。
「異性の同僚に、自分から挨拶する。それが慣れてきたら、今日はいい天気だね、とかそういうことを話してみてください。同僚でそれが出来るようになったら、三田倉さん自身も変わってくると思います。そうしたら、上司にも自分から話しかけてみたらどうでしょうか?」
三田倉さんは、自信なさげに俯いていた。怖い、という感情が全面に出ているのが伝わってくる。ニナは、
「変わりたいんじゃないんですか?」
と大きな目でじっと三田倉さんを覗き込んだ。ビクッと肩を震わせ、唇を噛んだ三田倉さんは、目を閉じて何度も深呼吸し始めた。しばらくして目を開くと、にっこりと笑った。それから、
「私、変わりたいです。だから、頑張ります」
とはっきりと答えた。その笑顔からは強い意思が見てとれた。
三田倉さんは何度もお礼を言い、帰って行った。
三田倉さんを見送り、客がいなくなった応接間にイチとニナは座った。溜め息をつき、残った紅茶を飲み干すと、ニナは
「私、ティーカップ片付けちゃうね」
と言って立ち上がった。イチは、
「ありがとう」
と言ってティーカップをお盆に載せ、ステンドグラスからこぼれる太陽の光を見上げた。張り詰めていた糸が途切れたように緊張が解け、静まり返った応接間に、違和感さえ覚える。キッチンから聞こえるティーカップを洗う音が、平和を教えてくれているようで、イチはふっと笑みをこぼした。
過去と未来とさくらんぼ 胡蝶陽夜子 @hiyokochou
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