第1話 どっちが幸せ?
「ねぇ? ニナのほうが幸せだよね?」
その言葉に、ニナはびっくりしてイチを見た。
「イチ、突然どうしたの?」
今朝少し言い合いをしてしまってから元気がないとは思っていたけれど本当に怒っていたわけではなかったニナは、突然そんな言葉を発したイチに少し戸惑っていた。それでもイチは、少し俯いて、前方をじっと見つめたままだった。どうしたらいいかわからなくなって、
「今朝のことなら、気にしてないよ?」
とそっと言ってみたけれど、様子が変わることはなく、重い空気が漂ったまま。
今朝のこと、というのは、家を出る前にあったちょっとした言い合いだった。朝が弱い二人は、毎朝起きるまでが大変。しかし、起きた後も不機嫌で、何かと反抗的な態度をとってしまう。いつも先に支度が終わるニナは、玄関でイチを待っていた。なかなか来ないイチに少し苛々して、
「イチ、早くしてよ」
と玄関先で声を掛けた。しかし、不機嫌なイチは、素直に返事ができず、つい
「わかってるよ。今支度してるじゃん」
と、きつく答えてしまった。それを聞いたニナも、さらにムッとして言い返した。
「だから早くしてってば!!」
優しいイチは、強い言い方が出来ない。どんなに苛々しても、決して"先に行って"とだけは言わない。それは、昔それを言って、本当にニナに先に行かれてしまったことがあるからだ。その後イチは、母にこっぴどく叱られ、一人で行くことの寂しさを嫌というほど実感した。"二人で一緒に行く"という母との約束を、小学校一年の頃にして以来、その1日を除いて毎日必ず一緒に通っていた。だからイチは、喉まで出かかった"うるさい"という言葉を飲み込んで、支度が遅い自分を責めた。
実際、不機嫌な朝に待たされるからきつい言葉をかけてしまうだけであって、普段から世話を焼きはするけれどきつい言い方はしないニナは、朝、イチを急かしてしまう事に対しては反省していた。だから機嫌が直ってくると、きつく言ってしまった分、イチに優しくするのだった。
そんな言い合いをしながら、ようやく支度を終えたイチが、奥から来て
「遅くなってごめん」
とひとこと言った。その後、二人は声を揃えて
「いってきまーす」
と言ったけれど、イチの声に元気がなかった。その様子を見たニナは、イチの元気のなさを少し気にかけたけれど、すぐに直るだろうと思い、特に声もかけなかった。
しかし、イチは違っていた。支度をしながら、いつもニナの足を引っ張ってばかりだ、と自分を責めていたのだ。支度が遅いのもそうだが、過去が見えるのもそうだ、と。過去が見えても未来は見えない、何の役にもたてない自分をもどかしく感じていた。ニナの手助けをしたいのに、出来ない。その思いから、先ほどの台詞に至ったのだった。
少し沈黙があった後、イチは口を開いた。
「 ニナはさ、未来が見えるじゃん? でも俺は過去しか見えないじゃん? 過去は変えられないんだよ。でも未来は変えられる。ニナのアドバイス次第で、その人の人生が変わる。絶望が希望になるんだ。俺、過去が見える意味あるのかなぁって。ニナの能力の方が、ずっと人のためになるだろ? それが羨ましいんだ」
ニナは、イチがそこまで思い詰めていたとは知らず、驚いていた。けれど、突然の告白に何も答えられず、ニナは黙ってイチの言葉を待った。しかし、イチも黙ったまま何も言わない。ニナは、恐る恐る訊ねた。
「どうしてそんなこと言うの?」
イチは、黙って首を振った。それはおそらく、わからない、と言いたかったのだろう。イチが少し涙目になっていることに気付いたニナは、慌てて言葉をかけた。
「私、イチの方が羨ましいよ? だって、未来が見えても良いことないんだもん」
「どうして?」
イチは、ふっと顔を上げてニナを見た。ニナの唇が、わずかに震えていた。
「だって、相談に来る人はみんな悩んでる人だもの。大抵の人の未来は辛くて苦しいものばかり。それを見えた通りに話さなきゃいけないの、すごく辛いんだよ? その人を傷付けるんじゃないかって」
ニナの顔が、少しずつ下を向いていった。今にも涙が溢れそうになっているのはニナの方だ。イチは、ニナまで暗い気持ちにさせてしまったと、また自分を責めて下を向いた。こういう時、空気を少しでも明るい方向に向けようと努力するのはいつもニナだ。その点、ニナの方が少し大人なのかもしれない。
「確かに、未来を変えることは出来るよ。でも、私の言ったことで、その人の人生が変わっちゃうんだもの、すごく怖いよ。言わない方が良いんじゃないかって、いつも悩むの」
そこまで言うとニナは、顔を上げてイチを見た。まっすぐに。それから、一呼吸置いて、少しはっきりした口調で言った。
「でも、過去は違う。変わらない。決して変わらない。それに、思い出したくない過去を伝えることはあるけど、その人が一番よく知ってることを伝えるんだもの、プレッシャーも少ないでしょ? 私は、イチの方がずっと幸せだと思うよ」
少し優しさを含んだニナの言葉に、イチは再び顔を上げ、隣にいるニナを見た。さっきよりは明るくなったイチの表情。しかし、その顔にはまだ迷いが見えた。
「それでも、俺は自分の能力がいらない気がするんだ」
その言葉に、ニナはハッとした表情を見せた。それから、強い口調で、まるでイチを諭すように言った。
「そんなことない。私は、イチの過去が見える能力、必要だと思うし、私は必要としてる。それに、記憶喪失の人の過去が見えるんだもの、それってものすごく凄いことでしょう?」
イチは僅かに俯いて、
「それは……」
と小さな声で呟いた。それからイチはしばらく黙っていた。おそらく、イチの中でたくさんの感情が渦巻いていたのだろう。沈黙が続き、お互いに考え込んでいた。ニナも、イチを説得するような言葉をかけたものの、本当のところは答えが出ていなかった。イチの能力が必要なことは確かだ。しかし、幸せかどうかはまた別問題。幸せかどうか、なんて、今まで深く考えたこともなかったのだ。ニナは、イチに大切なことを気付かされた気がした。
それから何も話さないまま学校に着いてしまい、二人は別々のクラスへ入った。
帰りはそれぞれ友達と帰ってくる二人は、玄関先でたまたま一緒になった。
「おかえり、イチ」
「ニナもおかえり」
二人は一緒に家へ入り、同時に大きな声で
「ただいま!」
と言った。二人は顔を見合わせると、肩を竦めて微笑んだ。それから、小さな声でニナが言った。
「朝、イチ、私の方が幸せだって言ったでしょ? そのことね、ずっと考えてたんだ。それで、わかったの。私、幸せだって。でも、イチも私と同じだけ幸せなんだよ。だって、双子だから。幸せの数が違ったらおかしいでしょ?」
「そっか。そうだね」
イチはニナを見て、頷いた。キッチンから聞こえてくる聞こえてくる母親の
「手を洗ってきなさい! おやつあるから!」
という声に、また同時に
「はーい!」
と返事をして、ぱたぱたと走って行った。
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