番外編 ウズメとサラス

私はずっと、自分が神であることに疑問を感じていました。下界を見れば、人間達は楽しそうに笑顔を浮かべて毎日を生きていて、そうかと思えば瞬きをする毎にどこかで命が消えていく。

その過程は不思議なものであり、私を酷く誘惑するものでもありました。

一言で言えば、羨ましかった。私も限りある時間で人生を全うしてみたかった。

例えば、美味しいものを食べて「美味しい」と微笑んだり。例えば、夕焼けに目を細めてみたり。例えば、もどかしい恋に身を焦がしてみたり。そんなありふれた「平凡」が、なぜ私達神には無いのか、幼い頃はそれが疑問で仕方ありませんでした。今から私がお話するのは、そんなつまらない疑問に自分なりの答えが出たときの、それはもう気が遠くなるほどずっと昔のお話です。


「ウズメ、そんなはしたない行動は慎みなさいと何度言えば分かるんです!?」

「私、そんな悪いことしてないわ」

「十分過ぎる程しています!」

「お母様には関係ないでしょ」

「いいから、すぐにそこから降りてらっしゃい!」


人間で言えばまだ10代半ばの外見だった頃の私は、性格も酷いものでした。とにかく親に縛られることが嫌で、常に反抗を繰り返していました。怒られていたこの時も、私は家の庭にあった大きな木に登って座っていました。


「この木、大切なものだから降りて欲しいんでしょう?」


一言冷たく言い放って、私はお母様を挑発するように足をブラブラと揺らしてみせました。私が座っていた木は、何千年も前からこの家を見守っている木でした。それを両親が丁寧に手入れして、ずっと大切にしていたのを私は知っていました。


「何言ってるの、違います!あなたが心配だから言ってるに決まってるでしょう!」

「嘘つき。心配だなんてそんなこと、思ってないくせに」


私はすっくと立ち上がって、鼻歌を歌いながら枝を歩いていきました。


「やめなさい、ウズメ!」


そんなお母様の制止の声も聞かず、歩き続けていると。ミシッと音がして振り返ると、まるでマンガか何かのように私が立っている枝が折れた瞬間でした。視界がグラリと傾き、お母様の叫び声が聞こえながら私の体は落下を始めました。目に映る景色はまるでスローモーションのように流れていき、無意識に助けを求めた手は虚空を掻きました。ギュッと目を閉じた瞬間。ドサッと音が響き、私は体に少しの痛みを感じました。痛みはそれだけで、体に広がったのは温かな熱。それに疑問を感じ、固く閉じていた目をそっと開きました。


「え……?」


私を抱えていたのは、お父様でした。受け止めてくれたのです。


「お父様……」

「いい加減にしろ!!なぜあんな所へ登った、なぜ自分の身を危険に晒す!?」


地面に下ろされた私はずいぶん怒られました。今考えてみれば、それは親として娘を本当に心配した結果なのだと理解することは出来るのですが、その時の私は「そんなに怒るなら助けなくてよかったのに」という、相も変わらず反抗的な態度をとって、お父様にまともな返答もしませんでした。しかし、そんな私はお父様の言葉で声を出さざるを得ませんでした。


「……この木は、切り落とすしかないな」

「え?」

「確かにこれは、代々うちの家系を見守ってきた大切な木だ。だが、娘に危険が及ぶのなら見過ごすわけにはいかない。大切な大木と娘の命。……わざわざ天秤にかけるまでもないだろう」

「……」

「この木は明日にでも切り落とす。……お前も、それでいいな?」


最後の言葉はお母様に向けたものでした。問われたお母様もまた、躊躇うことなく頷きました。


「お前は自分の部屋で反省でもしていろ」

「……はい」


その日の夜。人間はおろか、木々までも寝静まった深夜。寝付けなかった私は障子を開けました。


「あ、満月」


窓からは満月が覗いていました。手に取れそうなほどに近くにある、異様な程の輝きを放つ月。私はそれをしばらく見つめた後、満月が覗く窓とは反対側にある窓を開けて外に出ました。

私の部屋の前には、例の大木があります。それは月明かりに照らされ、辺りになにか不思議な力を放っているように見えました。私は何かに導かれるようにその大木に近付き、そっと手を伸ばしました。


「……」


木に触れた手から、まるで溶けて木と一体化していくような心地よい感覚がして、私はその木に耳を当てました。大木が地面から水を吸い上げる、力強い音がしました。目を閉じます。

そのまましばらく身を預けていると、ふいに身体がふわりと浮くような感覚を感じました。でも嫌な感じは全くせず、私は閉じていた目を開けました。


「あ……」


私は、今しがたまで身を預けていたその大木になっていました。……こう書くと、読んでいる人は「は?」と思うかもしれませんが、大木となった当の私は、その時は何の疑問も感じることなくそのことを認識することが出来ました。

きっと、世の理では説明のつかないことが起こったのでしょう。私の魂がその時だけ抜け出て、大木の中に入り込んだ……今の私はそう考えていますが、詳しい事は分かりません。とにかく、その時の私は大木になっていました。ですが、周りの景色が違った。真夜中に外にいたはずなのに、辺りは昼間のように明るかった。


『……っ』


その時少し強い風が吹いて、私は身じろぎしました。ふと視線を下に降ろすと、ハッとしました。


『桜が咲いてる!』


思い出しました。私のいるこの大木は、桜の木だったということを。花びらかヒラヒラと飛んでいくのをじっと見ていると、トンッと幹に軽い衝撃を感じました。


「さくら、さいてるー」


その少女を見て、ハッとしました。


「ウズメー。ウズメ、どこにいるの?」

「おかあさま!さくらさいてるー!」


これは幼い頃の私だと気付くと、なんとも言えない気持ちが広がりました。


「ウズメ、今日はお花見しましょうか。お父様も呼んで」

「する!おはなみしたい!」


お母様と私は家の中へ入り、しばらくしてからまたやって来て、敷物を敷いてお弁当を広げました。


「お花見か。久々だな」

「おとうさま!」


恐らく仕事を早く仕上げてきたのでしょう。お父様は少し疲労の滲んだ顔で笑いました。


「さぁ、食べようか」


お父様の膝の上に乗せられ、楽しそうに食事をする私。その家族3柱の光景は、まさに「幸せな家族」というものでした。


『思い出した。……私、このお花見やった記憶がある』


家の中で食べるのとは違い、外でお弁当を食べるというのは子供心にワクワクしていた思い出です。

無意識のうちに微笑みが溢れると、周りの景色がものすごいスピードで変わり始めました。瞬きもしないように、目を凝らします。夏、秋、冬……何度も季節を越え、私達家族の思い出が巡っていきます。それと同時に思いました。


『この木は、私達をずっと見守ってきたのだ』


その考えが頭に浮かんで、そして気付くと、私の身体に感覚が戻りました。今度は紛れもなく私の身体です。見上げると、何もかも分かっているといった様子であの大木が私を見下ろしていました。


「……ウズメ」


振り返ると、お父様とお母様が立っていました。


「こんな夜中に何をしている。早く寝なさい」

「お父様、お母様」

「……」

「お願いです。この大木を、切らないで下さい」


頭を下げると、辺りには沈黙が広がりました。


「この木に登ったのは、私のつまらない出来心です。この木は何も悪くない」

「……」

「この木はずっと家族を見守ってきたんです。お願いします、切らないで下さい」


しばらくの沈黙が続いた後、お父様は重い口を開きました。


「……もう二度と、あんな真似はしないと約束してくれ」

「はい」


辺りはうっすらと明るくなり始めた夜明け。これからは、優秀な神になろう。そう固く誓ったこの日を、私はずっと忘れないでしょう。






それからまた数十年、時は流れ……。

私は独立し、神として毎日を過ごしていました。忙しさに倒れそうになりながらも私の胸はまた、一つの疑問で一杯でした。

『なんで私って、神様なんだろう』

馬鹿馬鹿しい疑問に思われるかもしれませんが、私にとってはずっと腑に落ちない疑問だったのです。もちろん神としてこの世に生を受けた以上、神として働くつもりではあるのですが、私には他の世界で生きる道もあったのではないか……そんな疑問が常に私の胸を満たしていました。

そんなある日、いつものように忙しく仕事をしていた私の家に、一柱の神様が駆け込んできたのです。


「ウズメ、ウズメ!」

「……オモイカネ様!?一体どうなさったのです?」


よほど急いでやって来たのか、その神様は両膝に手を付き、肩を大きく上下させながらぜぇぜぇと息を吐き出していました。

駆け込んできたのは、知恵を司る神様である、オモイカネ様でした。


「ウズメ、来てくれないか!?大変なんだ!」

「え?」


だから何がと聞き返す前に、強引に外へ連れ出されました。そして私は外を見上げて絶句しました。


「オモイカネ様」

「うん?」

「……今って、夜ですっけ?」


外は重苦しいくらいの真っ暗で、隣に立っているはずのオモイカネ様の顔さえ、かなり近づかなければ見えない程でした。


「僕について来てくれないか。着いた場所で事情を説明するよ」


静かなその声に私は無駄な追及を止め、しばらく二柱で歩きました。そして着いた場所は。


「暗くてよく見えませんけど、ここって多分……天岩戸、ですよね?」


天岩戸。そこは普段、綺麗に澄んだ水が流れる川の側にある場所で、その名の通り岩に囲まれている場所です。本来ならば人が一人入れるくらいの洞窟が口を開けているのですが、それが今は固く閉ざされています。


「ちょっとしたトラブルがあってね。アマテラス様がこの洞窟の中に隠れてしまって、そのせいで真っ暗なんだ」

「ちょっとしたトラブルって……」

「スサノオ様って分かる?」

「あ、はい。アマテラス様の弟さんですよね」

「そう。そのスサノオ様がここ最近は天岩戸に滞在していたらしいんだけど、色々と粗暴を行ったらしくてね……。そのせいで、アマテラス様がここに隠れてしまわれたんだ」

「そんな……。アマテラス様がここからずっと出てこられなかったら、この世界は真っ暗なままですよね」

「そうなんだ。そこで、君を呼んだってわけ」

「どうしてそうなるんですか?私、何の力も持っていないのに……」

「大丈夫。君がいれば、絶対にアマテラス様は出てくる」

「その自信は一体どこからくるのです?」

「まぁ、僕に任せなさいって。他にも助っ人は呼んであるんだ」


そう言ってオモイカネ様が指した先には、何柱かの神様の集団が。その集団に私も引き込まれ、何事かオモイカネ様から指示を受けました。


「よし、じゃあみんな僕の言う通りに動いてくれ!」


こうして始まったのは、天岩戸のアマテラス様事件でした。


『アメノコヤネとフトダマは、祈祷を行って欲しい。少しでもアマテラス様が外に出てくる確率を上げるんだ。それから、鏡も用意してくれ』


そう指示された二柱の神様は、早速祈祷を始めました。辺りに広がる祈祷の声は、懐かしいような落ち着くような、不思議な感覚がしました。鏡に関しては、私にはなぜそれを用意しろと言ったのか分かりませんでしたが、二柱には分かっているようでした。


『僕は常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて、鳴かせる。夜が明けて、朝が来たことをアマテラス様に知らせる』


常世之長鳴鳥というのは、現代で言う鶏のことです。何十羽と集めたその鶏達は、一斉に大きな声で鳴き始めました。


『アメノタヂカラは、アマテラス様がおられる岩戸の側に立っているんだ。アマテラス様が少しでも顔を覗かせた瞬間、こちらに引き出して欲しい』


筋力や力を司る神様のアメノタヂカラ様は、アマテラス様に気付かれないよう静かに佇んでいました。


『そして、重要な鍵になるのは君だ。ウズメ』

『……え?』

『君には岩戸の前で舞ってもらう。どんな舞でもいい、とにかく舞うんだ。そして、アマテラスに外へ関心を向けさせるんだ』


色んな神様の縋るような視線を感じながら、私は岩戸の前へ進み出ました。ゆっくり息を吐き、私は舞い始めました。






やっぱり、ウズメを呼んできて正解だった。

暗闇の中ウズメを呼びに行った僕は安堵の息を吐いた。目の前で舞う彼女は力強く、けれども優美な姿である。この場で見ているものが引き込まれてしまうほどなのに、岩戸の中に隠れているアマテラス様は余計気になるだろう。

案の定、しばらくしてからあれほど固く閉ざされていた岩が少し動き、アマテラス様が少しだけ顔を覗かせた。心底不思議そうな声音でウズメに問う。


「私が岩戸に篭って闇になっているのに、ウズメはなぜそんなに美しく舞っているの?」


それを受けたウズメは、艶美に微笑んでみせた。


「貴方様より貴い神様が現れたので、喜んでいるのです」


その言葉を聞いて、僕は祈祷を行っていた二柱に合図を出した。二柱はすかさず鏡を掲げ、アマテラス様の位置から少しだけ姿が映るようにする。






「あれが貴い神様?姿がよく見えないわ」


そう言いながら、アマテラス様は身を乗り出しました。その身体はアメノタヂカラ様の強い力に引っ張られ、完全に外へ出てしまいました。それと同時に太陽が昇り、辺りはいつものように明るくなりました。

喜ぶオモイカネ様達の姿を見ながら、私の頭には唐突に疑問の答えが浮かんだのです。

なぜ私は神様なのか。それは、こんな笑顔を増やす為だからです。

その気持ちを大切に抱えながら、また数百年を生きました。そんな私の家の前で、子供の泣き声が響いたのはまた別の話です。



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神様になる方法 浅葱 京 @chocolate-01

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