終幕
「サラス、もう準備は出来たのですか?」
「はい!今行きます!」
その日のサラスは朝からバタバタとしていた。いつもとは違う綺麗な衣装を着込み、顔にも綺麗に化粧を施して。
「サラス様。仕上げに髪を結いましょうね」
カフカがサラサラと長いサラスの髪に触れる。
「サラス様、緊張してらっしゃいます?」
「そうだね。……少しだけ」
固い表情でそう言うと、カフカがくすっと笑った。
「大丈夫ですよ、あなたなら素敵な神様になれます」
今日は、サラスが正式な神様になる日だ。この1年での働きが認められ、日本の祖父神であるイザナギから新しい名前をもらう。その名前の元、サラスは自らが望む神となって人々の願いを叶えるのだ。
「なりたい種類の神様、もう決められました?」
「うん。ちゃんと決めたよ」
「一体何の種類の……ああ、言えない決まりでしたね」
何の種類の神様になりたいのか。それは名前をもらう前に宣言するのだ。宣言するまでは誰にも言う事は出来ない。
「ほら、仕上がりましたよ。ああ、本当にお美しいです……!」
「本当?全部カフカがやってくれたからだよ」
言うと、「そうですか?」と照れたように笑った。
「さぁ、それでは行きましょう!」
手を引かれて行くと、綺麗に身支度をしたウズメと出会った。
「綺麗になりましたね」
「カフカの力です」
それからカフカが用意した車で会場に向かう。到着した場所は、大勢の神様で埋め尽くされていた。
「サラスー!アンタ、超可愛いじゃん!」
会場に着いてすぐに声をかけてきたシタテルヒメは、いつもクルクルに巻いている髪を少し緩やかに巻いて、メイクも清楚な感じだ。いつもと違うのはそこまでで、着ている着物はシタテルヒメらしく着崩し、その着物から覗く肩が妖艶さを際立たせている。
「シタテルヒメ、寒くないの?」
「オシャレと寒さだったら、アタシはオシャレをとるから!」
へへっ、と笑うシタテルヒメの背後から、新たに別の神が現れた。
「久しぶりだな、サラス」
「クロノス様!?」
「何をそんなに驚いている?一年に一度、新たな神が誕生する式典だぞ。来ないわけにはいかないだろう」
「た、確かに……」
「ウズメも久しぶりだな。元気だったか?」
「ええ、お陰様で。……それにしてもクロノス、あなたもう少し見栄えを良くする事は出来ないのですか?」
クロノスの服はいつもと何ら変わっていなかった。今日はかなり大事な式典のはずなのだが……
「服でその神の性格まで判断されるのは嫌いだからな。外見だけでその神の価値を計るような奴なら、俺はそんなものいらないな」
「いつまで経っても変わりませんね」
「褒め言葉として受け取っておく」
そんな会話を聞きながら、控え室に移動を始めてすぐ、今度は別の神に声をかけられた。
「サラス」
「オオクニヌシ様!」
「いよいよ今日という日を迎えたね。いや、成長の早い君にとっては『やっと』と言った方が正しいかな?」
「だからさ、親父!サラスとの距離が近いの!」
大声で言いながら、シタテルヒメが2柱を強く引き裂いて間に立つ。こんな事が前にもあったなぁと思いながら、控え室に向かう。
「どーしてそんなに、サラスに近付くわけ!?」
「だから、愛娘の大切な友達だからだって」
「嘘つき!可愛くて若い女が気になるだけのくせに〜」
「そんなことはないよ」
止まる気配のない言い争いを聞きながら、サラスは今にも緊張に押し潰されそうである。それもそのはず。名前をもらう前に新しく神となるもの達は、他の神の前で舞わなければならないという掟があるからだ。
「サラス、そんな顔をしてどうしたのだ」
声にハッと顔を上げると、サラスは驚いた。
「イザナミ様!」
「少し心配でな。お前の様子を見に来たのだ。大丈夫か?」
「緊張でお腹が痛くなりそうです……」
その言葉に苦笑したイザナミは、サラスの手を取った。
「大丈夫だ。心配する事は何もない。むしろ、やっと正式な神となれる時期がやって来たのだと開き直ればいい」
「そうですかね?」
「皆、そんなものだ。……ほら、そろそろ始まるぞ。覚悟を決めろ」
周りを見ると他の全員が立ち上がり、サラスの事を待っていた。
「頑張れ」
「はい!」
その言葉に背中を押され、会場へと向かった。入り口に立ち、深呼吸する。
そしてその扉を大きく開いた。
「おお、あれが噂の……」
「確か『サラス』という名前じゃなかったっけ?」
会場の中心に立つと、観客のそんなひそひそ話が嫌でも耳に入ってくる。その雰囲気に気圧されないように、サラスは足に力を込めた。
「……お前が、サラスか?」
ふと前を見ると、サラスに新たな名前を授けてくれるイザナギが静かに座り、じっとサラスを見つめていた。イザナギが声を発した瞬間、会場が静まり返った。
「……はい、私がサラスです」
「ならばこれより、儀式を執り行う。サラスよ、中央へ」
言われた通りに中央に立ち、詰めていた息を吐いた。
「まずは、舞を」
「はい」
サラスは目を閉じた。音楽が聴こえ始めると同時に、一歩大きく踏み出した。
「……良い神を育てたな、ウズメよ」
イザナギはそう一言呟き、静かに微笑を浮かべた。気付けば音楽は止まり、サラスは息を切らしていた。
「サラス」
「は、はい」
「お前は一体、何の神になりたいのだ」
サラスはゴクリと唾を飲んだ。この質問で、どんな神になるのかが決まるのだ。
「ウズメ様と同じ、芸能の神になりたいです。……特に、音楽分野の」
サラスの言葉をイザナギが分厚い帳面に書き写していく。
「私の予想通りだ。お前ならばそう言うだろうと思っていた。……サラスよ」
「はい」
「これまでのお前の活躍の数々、耳にしたぞ。そこで、お前に提案がある」
「提案、ですか?」
「ああ。複数の分野に精通した神になるつもりはないか?」
その言葉に会場が大きくどよめいた。
「それは、どういうことでしょう?」
「お前はこれまで叶えてきた願いを言葉で人々の心を救ってきた。つまり、非常に言葉の才に優れている。そこから、学芸や智恵の力も手に入れるつもりはないかと言っているのだ」
「では、私は音楽の他にも学芸・智恵にも御利益のある女神に……?」
「そういうことだ」
サラスの目が驚いたように見開かれ、そして……宝物を見つけた少女のようにキラキラと輝いた。
「私でよければ、ぜひ!」
イザナギは満足そうに頷くと、帳面を閉じた。そして、一際大きな声を出した。
「それでは、お前に新しい名を与える」
「……」
「お前はこれより『サラスヴァティー』と名を改め、芸能・智恵の面から人々の願いを叶えるように」
サラスヴァティーは深々と頭を下げ、新しい自分の名前を噛み締めるように呼んだ。
そんなサラスヴァティーの様子に、会場は大きな拍手に包まれた。サラスヴァティーを見つめるウズメの目には、人々の願いを叶える愛しい娘の姿が映っていた。
サラスヴァティー。彼女は歴史によるとヒンドゥー教の女神であるとされている。彼女は日本に上陸した後、神と仏を調和させ、同一視する思想である神仏習合によりその姿を様々に変えていった。さて、そのサラスヴァティー。現在では七福神の紅一点『弁財天』として人々に親しまれている、その女神である。
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