第24話 二人の裏道


 最近、タマの機嫌がすこぶる悪い。

 川島麻子は頭を悩ませていた。

 タマはいつでもお構いなしに麻子に話しかけてくる。それは正直言って迷惑なことも多いのだが、最近はそれがない。

 不機嫌そうに、むっつりと黙ったまま、時々溜め息を吐く。

 十年以上一緒――それこそ常に四六時中――にいた麻子にとって、この反応は今まで見たこともないものだった。

 麻子は大太良駅から自分の家の最寄り駅、泗泉駅に向かう急行の座席に腰かけていた。

 今までならば人目があって麻子が返答出来ないことも関係なしにタマは麻子に声をかけてきた。だが今は終始無言で、時折重苦しい溜め息を吐くだけだった。

 麻子は夏休みを利用し、大学生になってから徐々に受け始めた「仕事」をいくつか大太良市の方で片付けていた。

 自分でもある程度の力は付けてきていると思う。タマの力も、自分の持つ曰く反則級の力も使うことなく、今まで培ってきた知識と経験で依頼をこなせるようになってきた。

 しかし――麻子は考える。このまま「仕事」受け続け、大学卒業後の進路をそちらに向けていいものか。麻子は自分の力を生業にしようなどということは、「仕事」を斡旋している三条という男に出会うまで考えたこともなかった。

 その三条に少し訊いてみたことがあるが、返答は「表の仕事は持っておいた方がいい」というものだった。

 三条もそうした仕事以外に、表の稼業も持っているらしい。殆どそれ一本で食っている者――麻子も知っている安野という男――もいるにはいるが、本当に稀だという。

 ならば、ある程度自由の利く仕事にした方がいいのか――などと考えて、麻子は憮然とした。

 いつの間にか今受け持っている「仕事」を中心に物事を考えている。

 あまりそちらに関わらない方が賢明だというのは、自称麻子の師匠である風雲寺の住職の言葉である。

 その言葉を麻子は半ば無視し続けてきた。麻子は既にあまりに深くそちらと関わってきたからだ。

 だが、今になってその言葉が深く胸に突き刺さる。

 住職の言っていたのは、こういうことだったのではないか。

 仕事としてそちらに向き合えば、厭でも危ない橋を渡ることになる。それでも麻子は自分の力が役に立つのなら――と依頼を受け続ける。そしていずれは自分の手の収まらない程のものが現れるのではないか。

 今はまだいい。

 三条は麻子の力量に見合った仕事を斡旋してくれている。だが、麻子が大きくなりすぎて三条の手を離れたなら――。自分で判断出来る程麻子の目は確かだろうか。お人好しが過ぎて、とても手に負えない依頼を引き受けたりはしないだろうか。

「はあー……」

 タマの今日何度目かの溜め息で麻子は我に返った。気付けば電車は既に泗泉駅を視界に捉え、減速してホームに着こうかというところだった。

 麻子は慌てて立ち上がり、ドアの前に移動する。

 ホームに降りて改札を出ると、自転車置き場に停めておいた自分の黒いこれといって何の変哲もない自転車を引っ張ってくる。

 このまま家に帰ろうかとも考えたが、先程思い出した言葉が気にかかり、どうせ家とは目と鼻の先でもあるので風雲寺に向かうことにした。

 風雲寺は隣接する墓地を含めなくともそれなりに大きく、本堂以外に講堂、その奥には住居が建っている。それでも麻子はこの寺に檀家の者が訪れているのを見たことがない。

「やあ麻子ちゃん。相変わらず変な髪型だね」

 悪鬼すら裸足で逃げ出す恐ろしい顔に不釣り合いな笑みを浮かべた住職がいつもと同じ挨拶をするが、タマは何も言わない。

 住職は怪訝な顔をするが、麻子を冷房の効いた本堂へと招き入れた。

「どうかしたのかい? タマ」

 座布団の上に腰を下ろし、お互いの前に冷たい麦茶を出すと住職はそう切り出した。

「別に……」

 今日初めて発した意味のある言葉に、麻子はほっと胸を撫で下ろした。

「あの、タマは最近なんというか……機嫌が悪くて」

 麻子が言うとタマは荒々しく溜め息を吐く。怒っているらしい。

「でもね」

 タマは麻子の頭の上で恥ずかしそうに身を捩る。

「今は少し、機嫌直ったかも」

 そう言いつつタマはまたもや溜め息を吐いた。

「それはまたなんでだい?」

「別に……」

 同じ答えを返し、タマは深く身体を沈める。

 住職は苦笑しながら、麻子の顔へと視線を下ろす。

「麻子ちゃん、『仕事』については再三注意してるから今は言わないが、今は手が空いているかい?」

「え? まあ、はい。今日あらかた片付けたので」

「じゃあ今日から夏休み中は仕事を受けないようにして、じっくりタマと向き合うといい」

 確かに最近は夏休みということもあり、少し依頼を受けるペースが速かった。三条にしても麻子だけが斡旋先ではないのだから、休みたいと言えば了承してくれるはずだ。

「それから、暇があるなら出来る限りここに顔を出してくれるかな。僕もタマと話したいことがあるからね」

「はあ……」

 麻子は礼を言って立ち上がり、風雲寺を出た。

 家に帰ってもタマは相変わらず不機嫌なままだった。

 それでも着替えや、風呂でのシャンプー、風呂上がりの髪の乾燥といったタマが麻子の頭の上から移動しなければならない場面では、昔からの阿吽の呼吸で流れるような動きを見せた。

「おう、久しぶりだな麻子」

 部屋に戻って鍵をかけてさあタマと向き合うぞと身構えたところで、天井の方からそう声がした。

 天井に寝転ぶように、少年が浮かんでいた。膝下丈のズボンと、意味不明の英字がプリントされた半袖のTシャツという格好から一瞬見間違えかねないが、この体勢を鑑みればどう考えても普通の人間ではない。

「嘉津間――久しぶりだけど、勝手に部屋に入らないでよ」

 麻子はそう言ってベッドに腰かける。

 嘉津間は以前に麻子に一方的に決闘を申し込んできた、天狗小僧と自称するものである。

 確か前に会ったのはまだ麻子が高校生だった頃、夏休みの時期だったから、ちょうど一年ぶりくらいになるだろうか。

 嘉津間は空中で体勢を変え、麻子の目の前に胡坐を掻いて浮かぶ。

「おい、なんでこいつは」

 柄の悪い声がして、鍵をかけていなかった窓が開く。そこから青川南高校の男子制服を着た少年がするりと部屋の中に入ってきた。

「あ、そういえばシンリュウは初対面か」

 シンリュウは射殺さんばかりの目付きで嘉津間を睨む。麻子は冷房のためにシンリュウの開けた窓を閉め、睨み合う二人をまあまあと宥めた。

「勝手に人様の家に上がり込むとはいい度胸だ。締め出すぞコラ」

「おいおい、俺はこれでも麻子とは結構な付き合いだぜ? あんたこそ何我が物顔で居座ってんだ」

 麻子が仲裁に入ろうとお構いなしである。取っ組み合いの喧嘩でも始められたら堪ったものではない。喧嘩っ早いという面ではこの二人は似た者同士だ。

「こらー! 仲良くしないと駄目!」

 タマが一喝すると、二人は呆気に取られたように固まった。

「はい、二人共座って」

 八本ある足の内の一本で床を指し示し、有無を言わせぬ迫力で言う。

 嘉津間とシンリュウは不承不承といった様子で床に腰を下ろした。二人共幼子に真っ向から敵意を剥き出しに出来る程の悪漢ではないのだ。

「ね、お喋りしよう」

 タマは言って、麻子の頭の上で身をもたげる。

「嘉津間は、なんで今日ここに?」

 嘉津間とシンリュウはタマに説教されてしまった手前話しにくいだろうと思い、麻子が第一声を受け持った。

「ん? ああ、一年ぶりに顔でも見とこうかと思ってな。また去年みたいな馬鹿騒ぎでも企ててねえかと心配になったもんで」

 シンリュウが敵意のこもった視線を送るが、嘉津間はそれを無視した。

「で、誰だこいつは」

 シンリュウが呟く。相変わらず険のある目付きで嘉津間を睨んでいる。

「えっと、嘉津間っていって、高一の時に知り合って、それから何度か」

「天狗小僧か」

「なんだあんた、俺のこと知っててくれたのかよ」

「けっ、半端者は俺も一緒でな」

「わかるぜ。あんた、龍の眷属だろ」

「俺ァシンリュウだ」

 いつの間にやら険悪な空気はなくなり、互いに自然に会話している。

「ねえ、ボクの話も聞いてよー」

 タマはそれから二人を相手に他愛のない話を続けた。嘉津間もシンリュウも戯言と一蹴することなく、親身になって話を聞いていた。きちんと相槌を打ち、疑問を投げかけられればそれに答える。

 タマの機嫌は見る見るよくなっていった。話せば話す程に、それは顕著になっていく。

「タマ、もしかして他の人と喋りたかったの?」

 機嫌がいいと見て、麻子はそう訊いてみた。

 タマの話相手は、基本的に麻子一人だけだ。タマを見て会話が出来る人間は、麻子以外にそうはいない。住職はその珍しい部類に入る人間だが、最近は「仕事」にかかりきりであまり顔を見せていなかった。

 だから、さっき風雲寺に行った時、タマ少し機嫌を直したのではないか。そして麻子以外に会話の出来る相手が今こうして部屋にいるということが、一層タマを上機嫌にさせた――。

 だが、タマは思い切り息を落とした。

 さっきまでの楽しげな会話が嘘だったように、あっという間に機嫌を損ねている。

「おいどうしたタマ」

「タマ公?」

 先程までしきりに話していた二人はその急変ぶりを見て慌てて声をかける。

 麻子は――最も考えてはならない部分に踏み込み始めていた。

 ひょっとして――ひょっとすると――。

 タマは麻子に愛想を尽かしたのではないか。

 そう思った途端、麻子は今まで味わったことのないような虚無感を覚えた。それは一度身体に広まると、あっという間に麻子の隅々まで行き渡り、例えようのない絶望を駆け巡らせた。

 ――そんな。

 ――そんなことって。

 タマは麻子の初めての、一番大切な友達だ。十年以上前から離れることなく生活を共にしてきた、かけがえのない存在である。

 その関係は、これからもずっと、一生続くのだと思っていた。

 いや――続かなければならないのだ。麻子とタマは麻子の身長以上の距離を離れることが出来ない。もしも両者の関係が崩壊してしまったら、その後死ぬまで生き地獄が続く破目になる。

 麻子がタマを煩わしく思ったことがなと言えば嘘になる。人前だろうとところ構わず話しかけてくるタマに、頼むから静かにしていてくれと何度願ったか知れない。

 だが、損得勘定抜きに、麻子はタマを大切な友達だと思い続けてきた。この気持ちは永劫変わることはないと信じ続けてきた。

 だけども、タマはどうか。

 麻子の気持ちに関係なく、タマの方が麻子を煩わしく思い続けてきたとしたら。タマは他の妖怪と違い、麻子から離れることが出来ない。それはどれだけ窮屈な思いだっただろう。

 だから、タマが麻子を見限ることは――有り得ないとは断言出来ない。

「おい! おい! クソ女!」

 シンリュウの声で我に返った。麻子は魂が抜けたようにへたり込み、殆ど意識を失っていたらしい。

「う」

「う?」

 麻子が込み上げるそれを何とか押し込めようとしたが、無駄だった。

「うわあああああん!」

 恥も外聞もなく、麻子は泣き叫んだ。

 とにかく泣く。叫ぶ。駄々っ子か、もっと言えば赤ん坊のように。

 嘉津間とシンリュウは呆然とその醜態に目を点にしていたが、まず嘉津間が我に返り、とにかく麻子を宥めようと声をかけた。

 だが恐慌状態に陥った麻子を宥めるのはなかなかに難しい。一応まだ未成年とはいえ一丁前の大学生のマジ泣きである。これははっきり言って子供相手より厄介だ。

 おろおろと麻子に声をかけ続ける嘉津間だが、その効果は殆どないと言ってよかった。

 しかし時間の経過と共に、麻子は次第に落ち着きを取り戻しつつあった。それでも何度も何度もしゃくり上げ、気を抜けば再び号泣に陥ってしまいそうな危うさはあったが、嘉津間の言葉に耳を貸す程度には回復していった。

「で、なんで急に泣き叫ぶ?」

 まだ完全に引かない涙を拭うこともしない麻子に向かって、嘉津間がゆっくりと言い聞かせるように訊ねる。

「だ、だって――タマ――」

 しゃくり上げる呼気でまともに言葉を発せない。

「麻子」

 タマが、静かに口を開く。

「タマ――タマ――私、タマに嫌われたら、もう生きていけない――」

「馬鹿ァ!」

 一喝。麻子はびくりと身体を震わせる。それをきっかけに涙は引いていった。

「麻子はやっぱり何もわかってないんだ。ボクが――ボクが麻子を嫌いになる訳ないでしょ」

「タマぁ……」

 しかしタマはまた機嫌を損ねたようにそっぽを向く。

「こりゃ難儀しそうだな」

 嘉津間が呟くと、タマは同意でもするように溜め息を吐いた。




「こればっかりはアドバイス出来ないなあ」

 住職は凶悪な顔を歪めている。これが住職の場合の苦笑なのだ。

 嘉津間とシンリュウが去ってから、麻子は必死にタマと会話しようと試みた。だがタマはまるで興味を示さず、まともな会話が成立しない。

 結局その日はそのまま眠って、今日になって住職に言われた通り風雲寺に向かった。

 タマは住職とはきちんと会話をした。だがそこに麻子が加わろうとすると駄目だった。麻子を見限った訳ではないということは昨日わかったが、それならば何故ここまで麻子との会話を拒むのか。

 麻子は住職にそのことについて助言を頼んだのだが、あっさりと断られてしまった。

「麻子ちゃんがきちんとタマと向き合うことが大切なんだと思うよ。そうすれば自ずと答えは見えてくるんじゃないかな」

「答えって、住職はわかってるんですか?」

 麻子が訊くと住職は声を上げて笑った。

「さあ、どうだろうね。でも、タマは麻子ちゃんが嫌いになった訳じゃないんだろう?」

「うん……」

 タマが答えると、住職はまた笑う。

「なら問題はないように思うけどね。そこに他人の入る余地はないだろう」

 有耶無耶にされたまま、麻子は風雲寺を後にした。

 家に帰って自室に入る。今日は嘉津間もシンリュウも来ていないようだった。ほっとするのと同時にタマと一対一で向き合わなければならないことに若干の緊張を覚える。

「ねえ、タマ――」

 声をかけるが、タマは頭の上に収まったまま何も言わない。

「タマ――」

 どうしたものかと肩を落とすと、タマはひとりごちるように呟いた。

「麻子は何もわかってないんだ。何も聞こえないの?」

 何を言っているのかわからず、麻子はとりあえず耳を澄ましてみた。

「そうじゃないの。えい!」

 堪りかねたようにタマが二本の足を伸ばし、麻子の両耳を塞いだ。

 そのままどれくらい経っただろうか。麻子は塞がれた耳を流れる血液の音をぼんやりと聞いていた。

 ――麻子……麻子……。

 はっとして視線を上に向ける。

 いや、タマは喋っていない。

 ならば今聞こえた声は――なんだ。

 外部からの声ではない。耳を塞がれている状態で聞こえるにしては妙だ。

 くぐもっていないが、明瞭でもない。耳に届くというよりは、身体の芯に染み入るような、微かな声だ。

 意識を研ぎ澄ます。耳は捨てる。目は閉じる。――己の中へと、沈んでいく。

 ――麻子……麻子……。

 微かな声を頼りに、拡散し収束していく意識の中を手探りで巡っていく。

 声は次第に大きくなっていく。麻子が意識を深層へと潜らせていくのと比例するように、麻子を呼ぶ声はどんどん明瞭に、意味を成すものへと変わっていく。

 ――麻子! こっち!

 一際大きな声が響くと、麻子はそれを手繰るようににしゃにむに意識を放った。

「やっと、繋がったぁ……」

 はっと我に返る。その声は確かに麻子の許に届いているが、耳に聞こえるものではない。

 ――タマ?

 声に出さず、だが意識の中できちんと言葉にして言う。

「うん、ちゃんと聞こえるよ」

「え? どういうこと?」

 意識内の言葉だが、その意識内で会話している。

「ずっとね、麻子とこうやってお話し出来るように頑張ってたの。でも、麻子が全然わかってくれなくて……。それで、今やっとこうやって繋がったの」

「うっ……ちょっとこれ、酔いそう……」

 これは口に出した言葉だった。

「大丈夫?」

 タマも声に出して言う。

 外部と内部を同時に認識することは、予想以上の集中力を要するようだった。

「大丈夫、何とか慣れてみせるから」

 意識の中でそう言って、麻子は立ち上がる。

 ――まずは散歩しながらだ。

 とにかく早くこの感覚を物にする必要がある。麻子は意識内でタマと会話しながら、近所を散歩し始めた。




「住職は、気付いてたんですか?」

 講堂で横になりながら、麻子は訊いた。

 散歩しながらのタマとの会話は、最初は案外上手くいった。

 だが、信号のある交差点に差し掛かった途端、麻子の頭はパニックを起こした。

 それまでタマと会話出来ていたのは、要は麻子の意識が殆ど内側だけに向いていたからだった。上の空でも道は歩ける。道路の右端を浮ついた足取りで歩いていれば、散歩は成立する。

 だが、信号という注意を向けなければならない対象が現れたことで、それまで内側だけに向いていた意識を外側へと向ける必要が生じた。考えながらというのならよくある話だが、今回の場合は意識中でタマと会話をしながらである。

 それを完全に同時に行うのは、まだ麻子には早かったらしい。思わず内部へと向いた意識を打ち切り、慌てて信号へ向かう意識だけに集中した。

 そんなことを繰り返している内に、麻子は本当に酔ってしまった。

 そこでちょうど通りかかった風雲寺に駆け込み、住職に事情を話した。住職はとりあえず休むようにと言って、麻子は今こうして講堂に横にならせてもらっている。

「うーん、全部がわかった訳じゃないが、タマが何か苛立っていることと、最近タマがきちんとした会話をしていないんだろうということはね。麻子ちゃんが最近顔を見せに来てないから、タマが麻子ちゃん以外に会話出来る相手がいなかったんだろうとは思ったが、仕事を受けて外にばかりいたんじゃ、タマも殆ど会話出来ていなかったんだろう、と」

「はあ、仰る通りです……」

 力なく笑う。

「でも、タマも考えたじゃないか。今まで出来ていなかった意識と意識での回路を開通させるとは」

「えへへ、偉いでしょー」

 タマの思惑は、ここに来るまでの間に全て聞いている。

 麻子が「仕事」を受ける相手は、全て「見え」ない。それでも麻子は仕事でその相手とばかり話をするので、タマの入り込む余地がなく、まともに会話が出来ない。

 それならばと、タマは麻子と意識内で会話が出来るようにしようと画策した。そのためタマは意識を内へ内へと向け続け、何とか麻子の意識とリンクさせようと懸命に努力した。

 住職や嘉津間、シンリュウと会話したのは、単に話す相手がいないという不満を晴らすためだった。麻子と会話しなかったのは、その時は何としてでも意識内リンクを繋げようとしており、口に出して話せばそこから遠ざかっていくのではないかという懸念からだった。無論、麻子がまるでタマの意図に気付かない苛立ちも多分に含まれていたのであるが。

 ――麻子は何もわかってない。

 ――そりゃ、わかんないって。

「でも、この感覚に慣れるのにはまだ少し時間がかかりそうです。だからタマ、話しかけるのは出来るだけ何もしてない時にしてよ」

「はーい」

 身体を起こし、大きく伸びをする。

「もう大丈夫かね?」

「はい。とにかく慣れないといけない訳ですから」

 立ち上がるとタマが頭の上に飛び乗る。

「ふふん、これからはどこでもずっと麻子とお喋り出来るもんねー」

 声に出さず言うタマに、麻子は思わず苦笑する。

「じゃあ住職、ありがとうございました」

 と口に出して言うのと同時に、

「もう、タマ。頑張って慣れるから、それまではお手柔らかにね」

 と口に出さずに言う。

 タマの機嫌はすっかり直っていた。

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