第20話 首だけの女


 霊能者を名乗るその男は柔和な笑みを浮かべ、

「それなら霊能者を紹介しましょう」

 と言った。

「は?」

 津田つだ正平しょうへいは思わず聞き返す。

 霊能者を名乗るこの男――三条と名乗っていた――は、歳は三十を越えた辺りと思われるが、着ている服はかなりの若者風だ。だからと言ってちゃらちゃらとした感じではなく、清潔感にも溢れているが、若づくりと取られても仕方がない部分もある。肩書と出で立ちがここまで一致しないのもどうかと思うが、胡散臭くは思えない。

「それは、ネズミ講のようなものですか」

 思ったことをそのまま、下手に出るような口調で訊いてみる。津田は腹芸は出来ないが、肝が据わっている訳ではないのだ。

 三条は笑って、いえいえと否定する。

「もしかして僕を霊能者とでも思ってましたか」

「いや、そう紹介されて――」

 津田がどうしようもなくなった時、仕事の先輩が周囲に秘密で教えてくれた。なんだか違法薬物のようだ――などと思ったが、結局はこうして相談に来ている。

「あー、変な風評が広まってるのかな。まあ、大きな括りで見れば僕もそのカテゴリに入るのかもしれませんが、僕にはこれといった力はありません。だから津田さんと話していても、カウンセラーの真似ごとしか出来ませんよ。ただ、紹介することは出来る」

「霊能者を、ですか」

「本物をね。そうだなあ、女子大生と僕のようなおっさん、どっちがいいですか?」

「はい?」

 ここで津田はまた聞き返した。

 三条は困ったように笑って謝る。

「いや、失礼。僕が紹介出来るのは今のところこの二択という話ですよ。二人共D県内に住んでます」

 津田はD県にある電気機器メーカーの工場で働いている。実家もD県だが、そちらは南部で工場は中部なので下宿をしている。

「確かお住まいは黒木くろき市の方でしたね。となるとD大学の生徒の方が都合がいいですか」

「ああ、女子大生――」

 津田に選ぶ権利はないのか。

「じゃあ連絡を入れておきますので、二人に都合のいい日を見繕ってこちらから再度連絡させてもらいます」

 お互いの連絡先を交換し、三条はファミリーレストランの席を立った。




 驚く程整った目鼻立ちをしたその少女は、困り果てたように唸った。

 津田の許に三条から連絡が入ったのは、あのファミリーレストランで相談を頼んだ翌日のことだった。

 黒木市内、大正町駅の近くのコーヒーチェーン店の一番奥の席で、午後五時。相手はD大学の生徒で、名前は川島麻子。

 それで言われた通りの時間にそのコーヒー店に行くと、言葉通り一番奥の席に少女が待っていた。

 津田は最初、女子高生かと思った。話をしてわかったが、先月高校を卒業したばかりだという。器量はいいが、服装は地味である。それに加えて黒髪を長く伸ばしているのだが、何故か暗い印象は受けなかった。垢抜けないとは思うが、綺麗なのである。

「あの……」

 いや、と麻子は何かを否定する。

「あっ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてまして」

「はは……すみません、入学したばかりなのに。付き合いもあるんじゃないですか?」

「大丈夫ですよ。私お酒は本当に飲めないから、新歓一回行って懲りたんです」

 高校を出たばかりということはまだ未成年だが、大学生の飲酒など昔から当然のように黙認されている。津田も成人する前に何度も大学の飲み会に参加していた。

 そこで麻子はまた思案するように唸る。

「三条さんから依頼を受けたのは、実はこれが初めてなんです」

 まあ高校生の時分からそんな依頼を受けているというのも変な話である。ある程度自由になる大学生になったから、三条との繋がりが出来たということだろう。

「三条さん、私のことなんて言ってました?」

「霊能者だと。本物の」

 困ったなあと麻子は本当に迷惑そうに呟く。

「私は殆ど『見える』だけなんです。経験もそんなにないですし、知識もないから対処法を考えるのも一人じゃ大変で……」

「『見える』って、それじゃあ――」

「ええ、見えてます」

 首だけの女――麻子の言葉に、津田はわずかに戦慄する。

 津田が異変を感じたのは、一箇月程前からだった。

 耳元で誰かの囁き声がする。

 工場での流れ作業中、ずっとである。

 流れ作業というものは得てして退屈なものだが集中力は必要だし、ミスをすればライン全体を止めてしまうという責任もついてくる。

 それを邪魔するが如く、囁き声は始終津田の耳元を漂う。

 津田は半月程でノイローゼになりかけた。よくそこまで持ったと自分でも驚いている。

 意を決して精神科の診察を受けたが、通り一遍の質問の受け答えをして薬を出されただけだった。通院してくださいと言われたが、薬を一週間飲んでも何の効果もなかったのでやめた。

 それでもうどうしようもなくなって、職場の先輩に酒の席で相談した。酔った勢いで洗いざらいぶちまけると、三条を紹介された。

 そして三条から、麻子を紹介されたことになる。

 果たして麻子はその囁き声の正体を見破った――ということになるのだろうか。

「多分一番は、その精神科に通院することだと思うんですよ」

 思いがけないことを言われ、津田は上ずった妙な声を上げた。

「だって、川島さんには見えてるんでしょう? それってつまり心霊現象ってことじゃないですか」

 麻子はまた困ったように唸る。

「私に見えているからといって、それが真実という訳じゃないんですよ。ただ私に見えているだけということもあります。結構あやふやなんですよ」

 津田はよくわからずに中途半端な不満の声を漏らした。

 麻子にもそれはわかったのだろう。津田を落ち着かせると、すみませんと謝った。

「私には私なりのアプローチがある――と思います。それで少し変なことを聞きたいんですけど……」

「なんです?」

「その職場に、女性の方はいらっしゃいますか?」

「ええ、結構いますよ。力仕事じゃないですし、黒木工業高校の卒業生を雇用してて、その中に女性が多いんです」

 もしやと津田は麻子の思惑を読み取る。生霊というやつで、職場の誰かが津田に祟っているのか。

「あの、もし必要なら職場の女性の写真を撮ってきましょうか?」

 そこで津田が先回りをして訊くと、麻子はいえ大丈夫ですとあっさり断った。

 拍子抜けして、津田は少し赤面する。

 一体この少女には何が見えているというのか。

「その仕事って、やっぱりきついですか?」

 麻子に訊かれ、津田は慌てて我に返って返事をする。

「きついって程じゃないですけど、退屈ではありますね。単純な作業の繰り返しです」

「そうですか……」

 麻子はまた唸る構えに入る。やはり初めて依頼を受けたというだけあって、スムーズには進まないようだ。

「えっとですね、私はその、が出来ちゃうんです」

「はい?」

 まるで意味がわからず津田が聞き返すと、麻子は申し訳なさそうに苦笑した。

「津田さんに聞こえるっていう囁き声が、私には首だけの女という形で見えています。でも、さっき言ったようにこれは決して真実ではないんです。ただ、私にはこれを一つの真実に変えてしまうこと――つまりズルが出来るんです」

「な、なんだかよくわからないですけど、ならそうしてくださいよ。それでこの心霊現象は収束するんでしょう?」

「いや、それがそうでもないかもしれないんですよ」

「はい?」

 また意味がわからない。

「私に出来るのは、私に見えている首だけの女を認めて、それを取り除くことです。それで一応は津田さんの異常を回避することは出来ると思いますが、根本の原因が別にあるのならまた同じことが起きる可能性があるということです」

「原因は、俺に取り憑いたその首だけの女なんじゃないんですか?」

「私がズルをすれば、そういうことに出来ます。でも私に見えているのは、本来見えない背景です。それに像を与えて取り除いたとしても、結局は過程をすっ飛ばして結果を取ることに繋がりかねないんです」

 さっぱり意味がわからないが、首だけの女を取り除いただけでは解決したことにならないのだということはわかった。

「なんかややこしい話になってすみません。そうですね……一度工場の皆さん全員で飲み会とかしてみたらいいと思いますよ。そこで愚痴をぶちまければ、少しは気持ちも切り替わるかもしれませんし。私は私で少し思い付いたことがあるので、また三条さんに仲介してもらって後日もう一度お会いしましょう」

 麻子はそう言って立ち上がり、会釈をしながら店を出ていった。




 新年度が始まってまだひと月も経っていないことが幸いした。

 津田の務める工場では、新入社員歓迎の飲み会をまだ行っていなかったのだ。そこで津田が主任にそれとなく言ってみると、とんとん拍子に話が進み、全員参加――これは津田が強く言った――で金曜日の仕事終わりに近場の居酒屋をセッティングした。

 酒の席で、津田は徹底的に聞き役に回った。とにかく相手の話を引き出し、適度に相槌を打ち、心地よく話させた。

「そりゃ、不満がないと言えば嘘になりますよ」

 女性陣の輪の中に入って話を聞いていると、一人がぽつりと言った。

「作業中はそれだけに集中しなきゃならないし、でも単純作業の繰り返しでしょう」

「そうそう。給料は労働に見合っているとは思うけど、そう簡単に割り切るのもねえ」

「お喋りしながら出来たらとか思いますよー。別に喋りながらでも出来る仕事ですし」

 うんうんと相槌を打ちながら、津田は話を促す。

「津田さんはどうなんですか? 今年で三年目ですよね?」

「あー、俺はもう慣れたかな。きついとは思わないし、きちんと給料もらえるだけでありがたいと思うよ」

 本当は例の囁き声に悩まされ続けているのだが、それを話す訳にもいかない。

「あっそういえば、牧原まきはらさん、なんかノイローゼになったって聞きました?」

 隅の方で他の仕事仲間と談笑している、牧原広美ひろみを小さく指差し、聞こえないように低い声で訊かれた。

「いや、聞いてないけど。ノイローゼってどんな?」

「なんか作業中ずっと耳元で声が聞こえるんだそうです。それで精神科に通って、よくなったって言ってましたけど」

「ちょ、ちょっと待って」

 それは殆ど津田の症状と同じだ。違うのは、精神科に通って治ったというところだ。

 ――多分一番は、その精神科に通院することだと思うんですよ。

 麻子の言葉を思い出し、津田はいやいやと首を振る。一週間投薬を続けても何の変化もなかったのだ。これは心霊現象に違いない。もしくは津田の訪れた医者が藪だったか、だ。

 津田はそのメンバーとの会話を何とか切り上げ、広美のいる輪の中へ入っていった。

「牧原さん、あの……」

 広美は首を傾げ、津田の顔をまじまじと見つめた。

「なんですか?」

「ノイローゼになったって本当?」

 他のメンバーが横を向いた隙に、津田は小さい声で訊いた。

 広美は迷惑そうな顔は一切せず、はいと頷く。

「もう治りましたけどね。作業中ずっと誰かの囁き声が聞こえてたんです。それで精神科を紹介してもらって――」

 どうやら先程の話は本当だったらしい。

 あの――とさらに声のトーンを落として聞いてみる。

「もしよければ、その精神科教えてくれないかな?」

「いいですよ。あっ、もしかして津田さんも……?」

 津田は笑ってごまかすことにした。




「やっぱり私なんかよりお医者さんの方が有能ですよ」

 先日のコーヒー店の同じ席で再び話を終えると、川島麻子は笑って言った。

 広美から教えられた医者は、津田が前に一回行ったきり通うのをやめた精神科だった。

 津田としては、これでこの現象が心霊的なものであるという確証を得たつもりだったが、それを話すと麻子は予想外の反応をしたのだった。

「いや、だって心霊現象でしょう?」

「絶対とは言い切れませんけど、きちんとそのお医者さんに通院していれば治っていたと思いますよ」

「だって、首だけの女が取り憑いているって――」

「『真景累ヶ淵』って聞いたことありません? 落語の怪談噺で、元は『累ヶ淵』という怪談だったんですけど、それに三遊亭圓朝が『真景』を付けたんです。『真景』は真の景色と書くんですが、これは神経科の神経のもじりなんですよ」

 って、全部受け売りなんですけどね――と麻子は照れるように笑う。

「つまり、心霊現象と神経の作用は同じものだと明治の頃から言われているんですよ。まあ私は立場上断言は出来ないんですけど、そういうものの捉え方もある訳です」

 そこで麻子は立ち上がり、津田にも外に出るよう促す。

 駐車場の奥、人目のないところで麻子はハンドバッグから何かを取り出した。棒状の紙の先端に、何か飾りがついている。津田の側からはその飾りが裏を向いているのでよくはわからないが、雰囲気からすると手持ち花火のようだ。

「これは江戸時代から明治に流行った、眉間尺みけんじゃくという花火です。眉間尺という中国のお話を模したもので、舞首まいくびという妖怪の元ネタにもなっています」

 麻子はライターを取り出すと、すっと津田に向き合う。

「今から津田さんに憑いている首だけの女に、妖怪としての名前を与えます。上手くいけば私に見えている首だけの女は落ちるはずです。それで津田さんに聞こえるという囁き声も収まると思いますが、これだけは約束してください」

「な、なんです」

「精神科に通ってください。私は結果だけを落とすので、過程は残ったままになります。当分は大丈夫だと思いますが、放っておけば再発します。きちんとお医者さんで治療してもらってください」

 暫く悩んだ後、漸く津田が頷くと、麻子は安心したように笑って津田の顔の横の何もない空間を凝視した。

「『舞首』」

 そう言ったのと同時に、手持ち花火にライターで火を着ける。花火は火を吹き上げながら、先端の飾りがぐるぐると回転する。表を向いたそれをよく見ると、三つの首がついていて、それが互いを捉えようとするが如く回っているのだった。

 ふと、肩が急に軽くなった感覚がした。

 花火はだんだん勢いを弱め、やがて火が消えた。

 麻子は火の消えた花火を丁寧に布で包んでバッグにしまうと、ほっと息を吐く。

「上手くいきました。首だけの女は消えましたよ」

「本当ですか?」

「はい。でも、約束は守ってくださいよ。きちんとお医者さんで診てもらってくださいね」

 後のことは三条さんに任せますと言って、麻子は挨拶もそこそこに帰っていった。




 確かにその日以降、作業中に囁き声が聞こえることはなくなった。

 どうやら麻子は本物だったようだ。首だけの女は払われて、津田を苦しめるものはなくなったことになる。

 だが――津田は麻子との約束を破っている。

 今のところ問題はなくなったのだから、わざわざ精神科に通う必要もないだろうというのが津田の考えだった。

「僕も川島さんに賛成ですね」

 最初に会ったのと同じ下宿の近くのファミリーレストランの一席で、三条は苦い顔をして言った。

 依頼金は三条に払うことになっていた。決して安い額ではなかったが、津田は結果に満足しているので妥当だと思っている。

 それで終わりだと思っていたら、三条までもが精神科への通院を勧めてきたのだ。

「でも、首だけの女は消えた訳ですし……」

 津田が言うと、三条は難しい顔をする。

「彼女は再三精神科に通院するように言ったでしょう?」

「まあ、はい。でも、それがわからないんですよ。現に今はあの声がしなくなっている。なんともないのに医者にかかるっていうのも変じゃないですか」

 三条は小さく溜め息を吐いて、おかわり自由のコーヒーを少し飲む。

「彼女のしたことは、応急処置にすぎないんですよ。原因がなくなった訳じゃないんです」

 それは――津田にはいまいち理解出来なかったが――麻子も言っていた。

「確か、結果だけを取り除くとか……」

「そうです。川島さんはかなり特殊で、それが可能な人間です。ですが、それが全てを解決する訳じゃない」

 三条はもう一口コーヒーを飲むと、妖怪の話をしてもいいですか――と津田に訊いてくる。

 よくわからないまま津田が頷くと、三条は話し始めた。

「袖引き小僧という妖怪はご存知ですか? 夜道を歩く人の袖を引くという妖怪です。これは夜道で木や柵なんかに袖が引っ掛かってしまうのを、何者かに袖を引かれたと認識することで生まれる妖怪だとされています。川島さんが行ったのは、謂わばこの認識だけを切り離すという行為なんです。袖を引かれるという結果に、妖怪袖引き小僧という名と像を与えて払い落す。そうすることで、袖を引かれるという怪異を妖怪の仕業にして、その妖怪を鎮める訳です。ですが、夜道にはまだ木や柵は残っている。不注意にそこを歩けば、また同じことが起こる可能性は十二分にあるんです」

 津田さんの場合――コーヒーカップを傾け、三条は続ける。

「袖引き小僧を首だけの女と言い換えることが出来ます。同様に袖を引かれることを作業中に聞こえる声に言い換え可能ですね。川島さんが落としたのは首だけの女だけにすぎないんですから、夜道の木や柵に相当するものは残っている可能性は大いにある訳です」

「つまり、再発するかもしれない……と」

「川島さんも言ったはずですよ」

 確かに、麻子もそう言っていた。

「わかりました……」

 津田がやっと認めると、三条は安心したように笑って店員にコーヒーのおかわりを頼んだ。

「それじゃあ、今回の依頼は完了ですね。本来ならアフターケアはしないんですが、川島さんが気にしていたから今回だけ特別です」

 また何かあればご相談くださいと笑って言って、三条は去っていった。




「感心しないなあ」

 風雲寺の住職はその恐ろしい顔で渋面を作る。どんな表情でも怖い顔なのだが、麻子には長年の付き合いでわずかな感情の機微までわかる。

「まあ、麻子ちゃんも今年から大学生だし、自由にバイトを選ぶくらいはいいと思うがね。しかし師匠としてこういう仕事は見過ごせない」

 麻子は小さく笑って、

「だから弟子になった覚えはないですって」

 といつも通りの返事をする。

 住職は麻子と同じく、「見える」。なので麻子は今回の依頼を受け、津田と面会した後で住職に相談を持ち込んだ。

 その時も住職はいい顔をしなかった。住職の信条では、「あちら側」には関わらないことにしているのだ。それに積極的に関わっていくことになる依頼を麻子が受けたのは、自称師匠である住職としてはぞっとしない。

「三条さんと言ったかな。彼は信用出来るのかい?」

「報酬はきちんと払ってくれましたよ。学生には多すぎるくらいでした」

「お金の話じゃないよ。裏の渡世に身を染めることになるかもしれないんだよ」

「あはは……まあ私にはそっちが表みたいなものですし」

「危機感がないなあ」

 住職は不機嫌そうに腕を組んで麻子を睨む。堅気でない人間でも竦み上がってしまうような凶悪さだが、麻子は居心地の悪さを覚えるだけだった。

「しかし眉間尺の花火なんてものがよく手に入ったね」

 話題を変えられて、麻子はほっとする。

「はい。三条さんに伝手があったそうです」

 麻子が津田の背後に見た首だけの女は、見る角度によって様々に顔立ちが変わった。これは津田の職場全体の不平不満が像を成しているのだとわかった。職場の雰囲気か津田の精神状態が変わりでもしない限り、根本を絶つことは出来ない。

 そこで当座の処置として、首だけの女を妖怪にしてしまうことで落とすことにした。

 住職に相談すると、いい顔はしなかったがそれならば舞首がいいと教えられた。

 舞首は首を切り落とされた三人の悪人が淵で互いを襲いながら回り続けるという妖怪であり、この原典は眉間尺という中国の伝説にある。

 干将と莫耶という刀鍛冶の夫婦は楚王に命じられ剣を打つことになる。三年の月日をかけて雌雄二振りの名剣を作り上げ、自らの名を取って干将・莫耶と名付けた。

 干将はこの名剣を王に納めるのが惜しくなり、干将の剣を隠して莫耶の剣だけを献上した。だが剣を隠したことが発覚し、王によって干将は打ち首にされた。

 干将と莫耶の間には子供がおり、眉の間が一尺もあったことから眉間尺と呼ばれていた。母親から父親の最期を伝えられた眉間尺は楚王に復讐を誓う。

 その頃楚王も夢で眉間尺が自分を殺しにくる夢を見るようになり、この男を探し出して殺すように国中に命じた。

 眉間尺はそれを知って身を隠すが、ある日彼を見つけた旅人に、首と干将の剣を差し出せば自分が代わりに仇を討ってやると持ちかけられる。

 眉間尺は喜んで自分の首を刎ねて剣と共に旅人に差し出した。

 旅人は楚王に眉間尺の首を献上し、釜で煮るように勧めた。楚王はその通りに釜で眉間尺の首を煮るが、三日三晩経っても一向に変化がなく、まるで生きているようであった。王が不審がって釜を覗き込んだその時、旅人は干将の剣で王の首を刎ねた。そして旅人もその剣で己の首を刎ね、二人の首は釜の中に落ち、眉間尺の首と一緒に釜の中をいつもまでもぐるぐると回り続けた――。

 この伝説を元に舞首という妖怪が生まれ、眉間尺という花火も作られた。

 麻子は住職から以上の話を聞いて、三条に眉間尺の花火が手に入らないかと訊ねた。果たして三条の伝手で花火は手に入り、麻子はそれを使って首だけの女を妖怪舞首へと変えて、回り続ける輪の中に誘い込んだ。だが、花火はやがて燃え尽きる。そうすることで妖怪となった首だけの女も燃え尽きた。

 麻子には霊的存在に「名前」を付けることで、それをその名の通りに変質させる力があった。これは非常に特異かつ危険なもので、麻子自身知らずに使って自分の首を絞める結果になったこともある。

 だが、麻子がこれから「あちら側」に関わりながら生きていく上で、この力を能動的に使っていくことは必要だ。

「相談には乗るがね、もうこういった依頼を受けるのはやめたらどうだい」

「でも、まだお試し期間ですよ。三条さんも私が使えるかどうか見極めている状態だと思いますし」

「彼のような人間からすれば、『見える』というだけで十二分に利用価値があると思うがね。だから僕は関わり合いたくない」

「住職には顔を合わせませんから。私も私で、色々考えてることもあるんです」

 住職は大きく息を吐いて、熱い茶の入った湯呑みを煽った。

「いいかい、『あちら側』との付き合いは一歩間違えれば取り返しのつかないことになることだってある。そういう自覚はあるね?」

 頷く。そうした話は住職から重々聞かされてきた。

「よし、ならこれ以上は言わない。タマ」

 住職はそこで麻子の頭の上を見る。

 そこには、とてつもなく巨大な蜘蛛が乗っていた。

「なあに?」

 子供のような柔らかい声でタマは言う。

 タマは麻子が生み出した妖鬼で、常に麻子と一緒にいる。力も強く、並の妖怪相手なら一方的に捕食してしまうが、今回は出番がなかった。

 タマの牙で首だけの女を切り裂いてしまうより、麻子の力で無力化した方が安全だと思われたからだ。首だけの女は津田に取り憑いており、両者の間を物理的――この言い方には語弊があるが、そう言うのが一番わかりやすい――に切り離すのは、津田の方まで影響が及ぶ可能性もあった。

 だからと言ってそれを道理と受け取れる程タマは大人ではない。麻子が頭を悩ませているのに自分が参加出来なかったという事実に、若干立腹気味なのである。

「麻子ちゃんを頼むよ。僕の目の届かないところへ行ってしまう気がするから」

「なんかよくわからないけど任せてー」

 それでも麻子のことは大切に思っていてくれる。

 麻子は小さく笑って、己の立っている岐路に思いを馳せた。

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