第14話 忙し悩ましラストダンス
1
最後だが、二回目になる。
本来ならば一年前にも行われるはずだったのだが、あの事件によって起きた自粛ムードに流されてお流れになった。
青川南高校の文化祭は今年は例年通りに行われることになった。
川島麻子達三年生は、だからこれが二回目で最後の文化祭なのだ。
体育館の舞台の反対側、引き戸を開け放つと出てくる全面鏡の前で、麻子はステップを確認していた。
――柄じゃないんだけどなあ。
青川南高校の文化祭――通称南高祭では、学年によって行うプログラムがある程度決まっている。一年生はお化け屋敷などアトラクション。二年生は模擬店。そして三年生は舞台で発表するダンスや劇などのパフォーマンス。
麻子のクラス――三年一組は、寸劇を挟んだダンスパフォーマンスを行うことに決まった。
幸い寸劇のパートは積極的な生徒が手を挙げ、麻子が練習するのは全員参加のダンスパートだけで済んだ。
それでも、大勢の前でパフォーマンスをするという行為は好んでやりたいものではない。
しかし他の生徒の大部分は二回目にして最後の文化祭ということで士気が上がっている。そこに水を差すような真似はしたくないし、出来る程胆力がある訳でもない。
「ちょっと桐谷君!」
体育館に甲高い怒声が飛ぶ。
またかと溜め息を吐いて、麻子はダンスの自己連を中断して声の方に目を向ける。
桐谷匠は体育館の真ん中辺りに寝転がっていた。叱りつけたのは同じクラスの
「やる気あるの? 全然練習してないじゃない」
「やる気はない。練習もしてない。仰る通り」
「おちょくってんの?」
「だからやる気ねえつってんだろ。なんなら当日サボるから、メンバーから外しといてくれよ」
「今のフォーメーションは全員参加前提で動いてるの。フォーメーション組み直すのだって大変なんだから」
「そいつはご苦労さまです」
「はいそこまで!」
麻子は慌てて二人の間に割って入った。
「ごめん茅野さん、匠には私がきつく言っとくから」
幸枝は軽蔑でもするように麻子を睨んだ。
「彼女に助けてもらうとはね。川島さんも彼氏を庇ってばかりじゃ印象悪いよ」
いや、付き合ってないから――麻子と桐谷は同時に言ったが、幸枝には意味のない言葉だったようだ。
「とにかく、やる気がないなら厭でもやる気を出してもらわないと困るの。わかってる? 最後の文化祭なんだよ?」
幸枝が舞台の方へ去ると、麻子は腰に手を当てて桐谷を見下ろす。
「匠、あんまり茅野さん達を困らせないでよ。私が止めなかったらまた泣き出す人が出るとこだったじゃない」
桐谷を注意した者は以前にも何人かいた。その誰もが、桐谷の絶望的なまでのやる気のなさに途方に暮れ、女子の場合は泣き出し、男子の場合は暴力に訴えそうになるのだった。
桐谷を言い負かしてやる気を出させようなどという行為は徒労に終わる以外の道はないのだ。やる気がないのはどうしようもないし、言い負かそうにも桐谷と他の生徒では潜ってきた修羅場が違う。
以前の桐谷は、常にへらへらと笑みを浮かべ、誰にでも愛想よく接するという処世術を使っていた。それでも本音はこういった行事を面倒だと感じていたことを麻子は知っている。あの事件を経てその処世術を放棄した今の桐谷は、もう本音を隠そうともしない。
「だから抜いてくれって言ってんのに。なんでどいつもこいつも全員参加に意義があるって言い出すんだよ」
「それはやっぱり、審査があるからじゃないかな」
南高祭はそれぞれの部門に教師陣やPTAによる審査が入り、最も優れたプログラムは表彰されることになっている。勿論やるからには皆表彰を目指す。
意図的にメンバーを外してパフォーマンスを行ったと知れれば、心証は確実に最悪だ。
「その辺は上手く誤魔化せばいいだろうに」
「そうもいかないよ。匠がいない前提で練習すれば目に着くし、いきなり当日に抜けられたらフォーメーションを組み直さないとならないでしょ」
桐谷は乾いた笑みをこぼす。
「麻子、お前だってこんな行事は柄じゃねえだろ?」
思っていた通りのことを言い当てられ、麻子はうっと息を詰まらせる。
「でも、みんなはやる気なんだから……」
「そんなこと気にする必要なんてねえって。俺は気が乗らない。それを隠す必要もないと判断した。お前もサボっちまえよ」
「――匠の気持ちはよくわかるよ」
ふう、と息を吐き、麻子は桐谷に背を向ける。
「でも、私はそこまで割り切れない。ごめんね、意気地なしで」
麻子は全面鏡の前に戻り、またステップの確認を始めた。
2
麻子はそこまで社交的ではないが、一応の友人関係はそれなりに広がっている。それは所詮気兼ねせずに会話が出来る程度のものではあるが、一年生と二年生の時に同じクラスだった生徒は大体その中に入る。
桐谷はそれらとは完全に別格である。友人というよりは、戦友と呼ぶ方がしっくりくる。二人で体験した修羅場は筆舌に尽くしがたいものだった。
桐谷はその処世術を捨てて以降、まるで人間関係に興味を失っていた。話しかけられれば返事はするが、自分から他人に交わろうとする気は殆ど感じられなかった。
その中で麻子にだけは陰のある笑みを見せて親しく話してくれた。元はといえば麻子の方から桐谷に近付いていったようなものなので、麻子も休み時間や放課後は殆ど桐谷とばかり話している。それで他の生徒と疎遠になろうと麻子は構わないと思っている。
一人でもいいから、心から信頼出来る相手を持てばいい。それは桐谷が己の過ちから導きだした答えで、麻子もそれに賛同している。だから麻子と桐谷の関係は固く、深い。
それでも麻子は桐谷程人間関係の構築を放棄した訳ではない。なので今回のような場合はどうしても板挟みになってしまう。
桐谷もそれは承知している。桐谷が麻子の人間関係を破壊してしまうような人間ではないことは麻子も知っているし、どうにか折り合いをつけてくれるはずだろうとは思う。
「さっきは悪かった」
なので桐谷は練習が終わると真っ先に麻子に謝った。素っ気ないものだったが、麻子にはそれで充分すぎる程伝わった。
「お前まで巻き込むのは考えものだったな。あと一週間、ずっとサボれば言い訳も立つだろ」
文化祭当日まではあと一週間。今は最後の追い上げ時期なのだ。
麻子は力なく笑った。
「どうしてもやる気はないんだね」
「まあな。今までサボってきてあと一週間でどうにかなる訳でもねえだろ。審査は厳しくなるかもしれねえけど、まあ俺の知ったことじゃねえわな」
そこで桐谷はもう一度、悪いなと謝った。
「お前に責任が負わされるかもしれない」
確かに、麻子はこれまで桐谷とクラスメート達の対立を何度も仲裁してきた。桐谷が完全にサボタージュを決め込むとなれば、桐谷側に立った人間としてその責任の一旦を担わされるだろう。
麻子はまた力なく笑う。
「全部匠が悪いって言い張るから大丈夫だよ」
桐谷はくつくつと笑った。
「違いねえな」
翌日から桐谷は学校まで休み始めた。もはやここまで来るとクラスでもフォーメーションの変更を行わざるを得なかった。
その日の放課後から、ダンスの練習は一層熱が入りだした。桐谷という不安材料が取り除かれたことで、一気に士気が上がったのだろう。
それでも麻子は覚悟していた事態を受け入れなければならなかった。
体育館での全体練習をぶっ続けで三回やり終えると、一旦休憩に入った。決して運動が得手ではない麻子が肩で息をしていると、苛立った様子の幸枝が目の前に立っていた。
「川島さん、桐谷君は?」
さてここでどう答えるべきか。麻子は桐谷がもう練習に出るつもりがないことを知っていたが、それをそのまま伝えれば麻子が糾弾されるのは火を見るより明らかだ。しかし白を切るのはどうしても気が引ける。
「多分サボりじゃないかな?」
そこで麻子はクラス内の判断を憶測という形でそのまま使った。
「川島さん、桐谷君から何も聞いてないの?」
「うん、特には……」
言葉を濁す。殆ど白を切ったようなものだが、ここは仕方がない。
「ああ! もう!」
幸枝は奮然と地団太を踏む。苛立ちを覚える相手がいなくなったが、それが却って苛立ちを加速させ、加えてそれをぶつける対象を失ったことで行き場を失っているのだ。
「ま、まあ落ち着いて。新しいフォーメーションはどう?」
「それは一応完成したけど。でも審査が……ああ!」
幸枝は苛立ったまま舞台の方に戻っていった。
幸枝が離れていった理由はすぐにわかった。麻子の後ろにいつの間にか担任の鮎川俊樹が立っていたからである。
三年一組の担任という立場であると同時に、審査を行う教師陣という立場にある鮎川に桐谷のことを知られるのはまずい。
というよりは、何度も練習を監督しているのだから大方の察しはついていると考えるのが妥当だろう。
「喧嘩か。青春してるなあ」
抑揚のない声で言って、鮎川は苦笑する。
「あの、鮎川先生……」
「桐谷のことかな」
麻子は小さく頷く。
「あいつがどういう気持ちなのかはわからないが、無理強いはしづらいだろう。あの事件がどういうものだったかを知ってる身としては、特にね」
あの事件の全容について学校は完全に箝口令を敷いた。生徒の中で現場を目撃したのは麻子と桐谷だけだ。鮎川もその現場を見た一人だった。
「だから審査員の方にも上手く言っとくよ。気にせずに全力でやりなさい」
麻子が何か言う前に、鮎川は体育館を出ていってしまった。
麻子がそのことを幸枝達に話すと、果たして鮎川の言った通り――それ以上の全力を発揮することになった。士気は俄然上がり、練習には凄まじい熱が入った。
麻子はその熱気についていくのが精一杯で、完全下校時間ぎりぎりになって漸く練習が終わると、もうへとへとだった。
翌日からは、まず授業が始まる前の早朝から練習を行った。それに加えて授業の合間の休み時間にも自発的に練習を始める者が現れた。昼休みならまだしも、授業と授業の間の本来ならば次の授業の準備をするための十分休みでも、ステップの確認を教室の後ろでやり出す始末だった。当然長い昼休みには大勢が通し練習に参加した。中には昼食を抜いて練習に没頭する者も多くいた。
放課後の練習は苛烈を極めた。殆ど休憩を挟まず何度もダンスを繰り返し、麻子はこのまま倒れてしまうのではないかと思った程だった。それでも有無を言わせぬ勢いがクラスの中にあり、口を挟むことなど誰にも出来なかった。
あと三日で文化祭当日という頃になると、流石の麻子もこれはおかしいと思うことになった。
明らかにオーバーワークの練習が連日繰り返され、全員が疲れ切っているというのに誰も文句を言わず延々と練習に打ち込むのだ。
そういう麻子自身、その練習に付き合っている。もう全身筋肉痛で悲鳴を上げているというのに、練習となると何も言えずに同じダンスを何度も踊る。
「酷い顔だね、麻子ちゃん」
風雲寺に久しぶりに顔を見せると、住職からそう言われた。
「今日もついさっきまで練習で……」
「さっきまでって、もう七時を大分過ぎているじゃないか」
「完全下校時間が七時なので……。最近はそれを越えることも多くて」
講堂に敷かれた座布団の上で麻子は茶を啜った。
「それで、相談があるんだろう?」
住職に言われ、麻子はこくりと頷く。
「どうも様子がおかしいんです。みんなストイックすぎるというか……私も一緒になってるんですけど」
住職は苦笑する。
「それはどうしようも出来ないよ。その場の『空気』という言葉があるだろう? 最近じゃKYなんて言葉があるけど、実はこの場合の『空気』という言葉はかなり昔から使われているんだよ。戦時中なんかは『空気の醸成』なんて使われ方までされている」
そういえば以前に関わった男も空気を醸成するというようなことを言っていた。ただし、その男の場合は式を打ったと言っていたが。
先月起こったその出来事はもう住職に話している。解決に導くことの出来る妖怪の名も、実は住職から教えられていたものだ。
「なら、また名前を付ければ――」
「うーん、それはどうかな。この間のは式という外部からの力が働いていた。それが霊的な働きを持っていたからこそ名前を付けて妖怪にするということが成功した訳だ。しかし今度の場合は行き過ぎた場の空気だからねえ。確かに妖怪的ではあるけど、無力化は難しいんじゃないかな。むしろ妖怪にしてしまうことで被害が拡大する可能性だってある」
麻子は熟考してから頷いた。
「原因は何だと思う?」
一気に士気が上がったその原因は。
「匠――」
こんな状態になったのは桐谷が学校に来なくなってからだ。
麻子がそのことを話すと、住職は凶悪な面構えを歪めた。笑ったのである。
「なら、元に戻してしまえばいいんじゃないかな」
3
文化祭まであと二日。
早朝練習は電車通学の生徒が始発で出てくる時間帯に行われることになった。麻子の家は学校のすぐ近くなのでまだ楽だが、それでも連日続いた練習の疲れが抜けない中の早起きは辛い。
「全員集まったね」
幸枝が中庭に揃ったクラスメートを確認して言う。積極的に練習に参加する側の幸枝の顔色は見るからに悪かった。それでも目は爛々と輝き、やる気に満ちている。
「一人忘れてる」
全員がジャージ姿の中、制服を着た生徒が校門の方から歩いてきた。
「桐谷君……!」
片手を挙げて挨拶の代わりとすると、桐谷は中庭に置かれたベンチに寝転がった。
「おちょくりに来たの?」
幸枝は全身を怒りに震わせて桐谷に詰め寄る。
「みんな頑張ってるって聞いてな。なら俺も顔を出した方がいいだろと思って」
「それがおちょくってるって言ってんでしょ!」
幸枝は脇目も振らず怒鳴り散らす。
「あんたが来なくなったおかげでみんなやる気出してんの! きつい練習も続けてる! 休み時間もずっと! なのになんで水を差すような真似してくれてんの!」
どれだけ叫んでも桐谷には蛙の面に水だった。低く笑いながら、桐谷は口を開く。
「いやな、水を差した方がいいんじゃねえかと思ってな」
「はあ?」
「ちょっとやる気出しすぎだっていう意見を出したくても出せない空気らしいんで、やる気ゼロの俺が水を差しに来た」
幸枝は呆然と桐谷を見下ろしていた。
「ちょっと気ぃ抜けよ。俺を見習えとは言わねえけど、もうちょっとゆるくやってもいいんじゃねえか」
そこで桐谷は大欠伸をする。
「眠ぃ」
それをきっかけに、ずっと張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと切れた。
「確かに、ちょっとやりすぎだったよな……」
「本番までに体調崩したら元も子もないし……」
誰からともなく教室に戻っていき、最後には幸枝もそれに従った。
それからは休み時間の練習はなくなった。放課後も適度に休憩を挟み、七時前には全員が下校した。
練習の場には桐谷が、誰の気にも留められることなく寝転がっていた。
文化祭当日、桐谷は言葉通り学校をサボった。練習はすでに桐谷がいないことを前提に行われていたので、パフォーマンスは最高のものを披露することが出来た。
舞台での発表プログラムが全て終わり、三年生はもうやることがなくなる。とはいっても校内の至るところにアトラクションや模擬店が出ているので、文化祭の本番はここからだ。
「麻子ー、やっぱり桐谷君サボったの?」
元の教室は一年生のお化け屋敷に利用されるため、麻子達は視聴覚室に移動していた。そこには他のクラスも一緒で、麻子に話しかけてきたのは小学校から同じの鈴木志穂だ。
「うん、どうもそうみたい」
志穂は声を上げて笑った。
「彼女と一緒に店を回るくらいやってあげればいいのにねー。可哀想に」
「だから私達付き合ってないって」
麻子はいつものように笑って否定する。果たしてこれがどこまで通用しているのか、麻子は知らない。
「なら可哀想な麻子と一緒に店回ろうか?」
志穂に言われ、今度は麻子が訊ねる。
「翔君はいいの?」
「ああ、翔はお化け屋敷で忙しいんだってさ」
まあ私はいいから――と笑って、志穂は麻子の手を取る。
視聴覚室を出ると、麻子の頭の上に乗った巨大な蜘蛛がぴくりと反応する。
「麻子ぉ、何かいる」
その蜘蛛――タマの声を聞いて、麻子は廊下に目を走らせる。
青い肌をして、襤褸を半分脱いだような格好で走り回っている。顔は長く潰れたような形で、口からは長い舌を出している。
「いそがし、いそがし」
麻子は住職から聞いた妖怪の名を思い出し、思わず苦笑する。
麻子が名付けるまでもなかった。文化祭までの間に巻き起こった焦燥感はこの妖怪の仕業だった。そういうことにしておこう。
「いそがし――か」
そのまんまの名前と行動を見て、麻子はまた笑みをこぼした。
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