番外編 春の宴は邂逅を呼び
「お花見、ですか?」
「左様でございまする」
川島麻子が訊ねると、白い鳥はかしこまって答えた。
麻子の部屋の窓は開いており、そこから鳥は中に顔を突っ込んでいた。
「先日の非礼をお詫びしたいという、山本様のご希望にございまする。是非いらっしゃってください」
山本五郎左衛門と言えば、以前麻子を狙った妖怪である。
「でも、山本さんは……」
麻子はあまり乗り気ではなかった。山本は麻子を永遠に自分のものにしようと企んだのだから当然だ。
「我が主はそのような些末なことは気に致しませぬ」
「些末って、私が気にしてるんだけど……」
「何だか楽しそうだね。ねぇ麻子行こうよー」
麻子の頭の上に乗った巨大な蜘蛛の妖鬼、タマが麻子の額を足で叩く。
「タマ……山本さんが前に何したか覚えてる?」
「でも謝りたいって言ってるんだよ?」
確かに、相手の謝罪をないがしろには出来ない。しかし相手は大妖怪、山本五郎左衛門である。また嫁に来ないかなどと誘われはしないだろうか──。
「なるほど。ならば私も一緒に行ってあげよう」
突然の背後からの声に麻子は仰天して飛び上がりそうになった。
振り返ると、ドアのところにごく普通の年齢不詳の男が立っていた。
「あ、悪五郎おじさん、おどかさないでくださいよ」
男の名は神野悪五郎。麻子に好意的な妖怪である。
いつからいたのかと訊ねると、神野は最初からだと笑って答えた。麻子は全く気づかなかった。
それは鳥も同じなようで、神野の姿を認めると途端に慌てふためいた。
「し、し、し、神野悪五郎! なりませぬぞ、山本様があなたがいらっしゃることをお許しになるはずが──」
何でもこの神野、山本と肩を並べる大妖怪なのだという。麻子はいまいちよく実感出来ないが、鳥の慌てぶりを見れば確かにすごい妖怪なのかもしれない。
「何、桜を見て酒を飲むだけだ。別に構わないだろう」
「し、しかし──」
「わ、私おじさんと一緒じゃないと無理です!」
麻子はしぶる鳥にそう告げた。神野が同行してくれるのならば、山本も迂闊には手は出せない──はずだ。
「……わかりました。山本様にそう言っておきまする。時刻は今日の夜、日付が変わる頃。場所は北雲公園にございまする」
鳥はそれだけ言うと逃げるように飛んでいった。
「って、何か私いつの間にか行くことになっちゃってる……」
その夜、麻子はずっと部屋に残っていた神野と共に家を出た。
北雲公園は麻子の住む泗泉町の隣、北雲町にある。大した距離ではないし、神野も一緒ということで歩いて行くことにした。
三月の末、桜は咲いているとはいえ、夜はまだまだ寒い。
もう一枚上着を羽織って来るべきだったかと考えているうちに、二人は北雲公園に到着した。
公園の外灯の下にござが引かれている。その上には様々な姿の異形達が座り、酒を飲んでいた。
その一番上座に座っている、和服を着た男が山本五郎左衛門だ。
山本は麻子と目が合うと、静かに口を開いた。それまで騒がしかった有象無象が静まり返る。
「よく来てくれた川島麻子。この間は本当に申し訳ないことをした。まず謝らせてくれ」
山本が頭を下げると、一同が驚き騒然とした。
「山本よ、そんなことで麻子が許すとでも思っているのか」
少しおどけたように神野が言うと、山ン本は忌々しげに神野を睨みつけた。
麻子は慌てて手をぶんぶんと横に振った。
「お、おじさん! いいんですよ山本さん、私気にしてませんから!」
本当は内心戦々恐々としていたのだが、二人が喧嘩する方がよっぽど怖い。それに山本はちゃんと謝ってくれたのだ。麻子は一つのことをいつまでも根に持つタイプではない。
神野はそれを聞くと笑って、その辺りに置いてあった缶ビールを勝手に開けて飲み始めた。
「さあ、君も飲んだらどうだ」
「……え?」
麻子はてっきり花見をすると聞いて、ただ桜を愛でるだけだと思っていた。しかしことわざにある通り、花より団子──酒というのが実際の花見というものである
いつの間にか麻子の手には杯が握らされていて、なみなみと日本酒が注がれていた。
未成年の飲酒は法律で禁止されています、と言っても通じる訳がない。
「麻子、一杯くらい飲まないと連中は帰してくれないよ」
今度は日本酒を煽りながら神野が耳打ちする。
仕方なく、麻子は意を決して杯を煽った。
麻子は激しく咽せた。味など殆どわからない。ただ喉が焼けそうだ。
「あ──れ?」
足元が覚束ない。ふらふらと揺れて、麻子は後ろに倒れた。
「麻子!」
地面に倒れるよりも早く、神野が麻子を受け止めてくれた。頭がうまく働かない。
「何だ、飲めんのか」
山本が麻子の顔を覗き込んで呟く。
「全く、飲めないのなら飲めないと言わないか」
「だって、飲んだことなんてないんですもん……」
麻子は桜の木の下に座らされ、妖怪達はまた酒を飲み出した。
「子供がお酒を飲んじゃ駄目じゃない」
声のした方に目をやると、麻子のすぐ隣に質素な和服を着た女が座っていた。
麻子よりは年上だろうがまだ若い。
「あなただってまだ子供なんじゃないですか?」
頭がくらくらとしながらも麻子は何とか口を動かす。
女は何処か自嘲的な笑みを浮かべた。
「そうね、私はやっぱりまだ子供だったのかもしれない。ねえ聞いてくれる? 私は十八でお嫁に行ったの」
麻子には女の言葉を遮る気力などなかったので、大人しく話に耳を傾けることにした。
「私は一番上のお姉さんでね、弟達は随分嫌がったんだけど、断る訳にもいかなくてね。けど、私はやっぱり子供だったのよね。本当は嫁ぐのが厭だったのよ。家族と離れるのが辛くって、嫁入りが決まった最初の頃は一人で泣いてたりしてたの。でも夫はいい人で、その内子供が出来た。それからはもう厭だなんて思わないようにしたわ。母親が家にいるのが厭だって子供が知ったら厭じゃない。でも、その子を生んですぐ、私死んじゃったの。だからまだ子供のままなのよね」
「え?」
死んだ人間だったのか。麻子が慌てて横を向くと、すでに女の姿は消えていた。
結局、麻子が帰れる状態になったのは丑三つ時だった。しかしその後も宴は続き、空が白み出すまで麻子は桜の下で妖怪達の姿を見ていることになった。
タマはというと殆ど寝ていて、麻子は一人寂しく朝を迎えた。やはりタマが話しかけてくれないとどうも駄目だ。普段は面倒に思うこともあるというのに、不思議なものだ。
神野に送られて家に帰り、両親に気づかれないように自分の部屋に戻って布団に潜り込む。
朝が来ると、麻子は真っ先に父に声をかけた。
「お父さん、確かひいおばあちゃんって……」
「ん? ひいおばあちゃん? ああ、家に嫁いですぐ亡くなったって話か。そうそう、戦前の話だけどな。何だってそんなことを訊くんだ?」
麻子は昨夜会った女の顔を思い出していた。もしやとは思っていたが、やはりひょっとすると──。
「う、ううん。別に」
それより麻子──声を潜めて父が囁く。
「昨夜は何処に行ってたんだ?」
「ええ!?」
まさか気づいていたとは。麻子はしどろもどろになりながら必死に言い訳を考えた。
父はそんな麻子の様子を微笑みながら見ていた。
「は、花見に行ったの」
「そうか」
父は笑ってそれ以上は何も訊かなかった。
そういえば──麻子は花見をしに行ったのだった。
しかしどうも桜を見た記憶がない。酒を飲む妖怪達を遠目に見ていただけである。
思わず麻子は乾いた笑みをこぼした。
また行こう。今度はゆっくり桜を見に。そうすれば、また会えるかもしれない。
「桜の樹の下には──」
屍体が埋まっているんだったか。確か。
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