第4話 残された贈り物


 不審者が出る、らしい。

 川島麻子は不審者がそれほど怖くない。それよりも恐ろしいモノを、常日頃から目にしているからだ。

 幽霊。それと妖怪。麻子の目には何故か昔から、こういったこの世ならざるモノが映ってしまう。

 目が合っただけで鬼の形相で追いかけてくる死霊。喰い殺してやると脅すばけもの。そんなものに比べれば不審者などかわいいものだと、麻子は思う。

 しかし有効な対処法が難しいという点では、不審者も怖いなとも思う。

 では幽霊妖怪への対処法を麻子が心得ているかと訊かれると、心得てはいないだろう。経や真言、呪文などというものは、麻子はまるで知らない。知っているのは南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、あとは南無大師遍照金剛くらいのものである。それが果たして効き目があるのかと問われると、麻子は知らないと答えるしかない。実際に使ってみたことがないのである。麻子にはそれよりも有効な「力」が、頭の上に乗っている。

 麻子の頭の上には、それはもうとんでもなく巨大な蜘蛛が乗っていた。足を丁寧に折り畳んでようやく頭の上に収まっている。この世のものではないそれは名をタマという、麻子が作り出した妖魔である。

 タマは強い。空中に浮遊する雑鬼などは瞬く間に胃袋に収め、自分よりも巨大な相手だろうと巨大な牙で突き刺してしまう。麻子が今も平穏無事に暮らしていられるのも、タマのおかげである。

 噂の不審者は麻子の通う青川南高校の最寄り駅、泗泉駅周辺に出るとされている。自転車通学の麻子にはあまり関係ないかもしれないが、それはつまり出現地区が家の近くにあるということだ。

 サンタおじさん――と呼ばれているらしい。

 いやいや、サンタクロースは元々おじさんだろうという声は今のところ上がっていない。それは「おじさん」がサンタクロースの格好をして現れるということを表しているのである。サンタクロースの格好をしているおじさんは、サンタクロースその人か業者でなければ不審者なのである。

 季節は十二月下旬。サンタクロースが腰を上げる頃。もうすぐ冬休みが始まるという状況の青川南高校では、その不審者に気を付けるようにという連絡が回っていた。

 そして麻子のクラス、一年六組では冗談半分に不審者についての雑談が行われている。サンタおじさん、という語呂のいい名前を与えられ、不審者は格好の話の種になっていた。このような場合は不安がるよりもその存在を面白がるのが普通だ。

 サンタおじさんは道行く子供にプレゼントをあげようかと声をかけるといわれている。現在のところ報告されているのはそれだけで、実害は出ていない。ただの変な人だというのが、学校中の生徒の意見だった。

「麻子は見たことある?」

 渡辺香にそう訊かれ、麻子は首を横に振った。教室で盛んに会話が交わされる中、麻子は香ともう一人、鈴木志穂と一緒に教室の隅の方で固まっていた。三人は同じ中学校の出身で、よく集まって会話をする。高校に入ってからクラスの中や外にも友人が出来たが、やはりこの三人が落ち着くのか自然と集まってしまう。

「何だー。この中じゃ誰も見たことないのかー。あたしら地元の人間なのにー」

「不審者見て楽しいの?」

 志穂が少し呆れたように言う。香は口を尖らせて志穂を親しげに睨む。

「だって今話題のサンタおじさんだよ。見れるもんなら見ときたいでしょ。季節ものかもしれないんだし」

「意外と夏にも出るんじゃない? 不審者なんだし」

 志穂が笑いながら言うと香も笑う。

「それは流石に暑いでしょ」

 でも、と麻子が真顔で声を上げる。

「オーストラリアでは夏にサンタが来るって、小学校の時の教科書に書いてあったよ」

 香と志穂はそれを聞くと二人揃って大声で笑った。

「麻子、あんたやっぱり面白いわ」

 麻子は困惑したが、結局二人と一緒になって笑った。

 放課後、香と志穂は部活に向かい、麻子は他の友人達と談笑していた。話題はクリスマスの予定の方向に進み、彼氏と隣の県にまでイルミネーションを見に行くだとか、家でテレビを見るだとかいう楽しげな会話が続く。

 麻子はクリスマスに大して思い出を持っていない。そもそも麻子の家ではクリスマスイブに豪勢な食事は出ないし、ツリーも飾らない。普通の日と同じ日を過ごすのが、麻子の家でのクリスマスなのである。

 これは麻子の父が大の宗教嫌いだという理由による。何でそんな宗教臭いことをしなければならないのだと、父はクリスマスに真っ向から対立している。そもそも日本のクリスマスには大して宗教の色はないように思えるのだが、イエスの誕生日だと言われているのが気に食わないのだという。

 保育園か幼稚園の頃、麻子は世間一般でクリスマスイブには家族で御馳走を食べるのだという習慣を知り、何故家ではやらないのかと父に訊いたことがある。父は笑って嫌いだからだと答えたが、麻子はこれに納得しなかった。それにクリスマスにはサンタクロースからプレゼントがもらえるとも聞いた。当然麻子にはプレゼントはなく、麻子はそれが家でクリスマスを祝わないからだと嘆いた。

 それから麻子はクリスマスが近付くと家族に隠れてサンタクロースにお願いをするようになった。それでもプレゼントはもらえず、クリスマスの朝には麻子が泣き喚く。両親も流石にこれでは可哀想だと思ったのか、小学校に上がる前にはプレゼントだけは枕元に置かれるようになった。

 だがそれでもやはり、クリスマスに何の思い出もないというのは麻子の心に少しだけ影を落としていた。今ではそういう過ごし方もありだと思えるようにはなっていたが、友人の前で堂々と「家ではクリスマスを祝いません」と言えるだけの度胸はない。

 だから麻子は、自分のところに話が及ばないように気を配りながら話を合わせている。

 当然、麻子は徐々に疲れていった。クリスマスの話題が早く終わらないかと待っている内に会話自体が終わり、集まった者達は帰宅することになった。

 青川南高校では、何故か自転車通学の生徒の数が少ない。なので自転車通学の麻子は集まったメンバーの中の誰とも帰り道が同じにならなかった。

 そういえば――自転車を漕ぎながら、麻子は思い出す。

 家族からクリスマスプレゼントがもらえるようになるよりも前から、麻子の枕元にはクリスマスの朝に飴玉が一つ置かれていた。確か麻子がクリスマスの習慣を知り、自分の家と世間の違いに困惑し泣き喚いていた頃から、飴玉は置かれるようになった。サンタクロースのプレゼントにしては貧相すぎると麻子は納得しなかったが、それでも毎年――昨年も置かれている。

 家族はそんな覚えはないと言っていた。これは麻子のサンタクロースが実在するという夢を壊さないためではなく、率直な返答であると麻子は見ている。

 では一体誰が置いているのか。まさかサンタクロースその人が家に不法侵入して十円もしないようなプレゼントを麻子に与えているということはあるまい。

 麻子は家に直接帰らず、泗泉町を流れる四泉川に向かっていた。四泉川には昔にこの川で死んだ麻子の兄――川島新龍が死霊として居座っている。新龍は麻子に対して過保護であり、寂しがり屋のため、時々顔を見せないと不機嫌になる。以前に来たのは月命日だったから、十日ぶりくらいだろう。

 土手の上に自転車を停め、気を付けながら土手を下っていく。この土手はなかなか急であり、そのこともあって川岸にまで下りていく人は少ない。河岸も冬だというのに雑草が生い茂っており、普通の神経の持ち主ならばまず下には行かない。

 猛スピードで暮れていく陽のなか、一層薄暗い橋の下に新龍はいた。服装は青川南高校の夏服なので肌寒そうだが、平然と立っている。死霊には寒暖の差など関係ないのだろう。

「お兄ちゃん」

 麻子が声をかけると、新龍は満面の笑みで麻子の許に駆け寄ってくる。

「麻子おおお。久しぶりじゃないかあ。何かあったのか?」

「何もないよ。たった十日で久しぶりって……」

 苦笑しながら言う。

「麻子、あれなあに?」

 幼子のような高い声が麻子に訊く。見た目からは想像できないが、これがタマの声である。声と同じく思考も行動も子供のそれであり、麻子はよく振り回される。

 タマの視線の先を想定して川の下流の方に目を凝らすと、どぎつい赤色の服を着た太った男が見えた。長く白い髭を生やし、頭の上には赤いナイトキャップを被り、背中には白い大きな袋を背負っている。

 その男は遠くからでもはっきりとわかる溜め息を吐き、川の中へと踏み出した。

 ――入水自殺!

 こんな冬の夕方の川の中に入っていくなど正気の沙汰ではない。

「お兄ちゃんあれ!」

 麻子が指でその男を指し示すと、新龍は怪訝な顔をしてそちらを見た。

「何だありゃ。サンタか?」

「とにかく助けないと!」

 駆け出しながら叫ぶ。

 男が川に入った辺りにまで辿り着き、川の中の男を引き戻そうと意を決して川の中に突っ込む。足を水の中に入れた途端、全身に強烈な寒気が走った。

「馬鹿野郎!」

 肩を掴まれ、後ろに引っ張られる。地面に尻餅をつくと、新龍が鬼の形相で麻子を見下ろしていた。

「そんな真似したらお前まで死ぬぞ! お兄ちゃんが何とかするから、麻子はここで大人しくしてろ」

 新龍は地面から数センチのところを浮遊しながら川の真ん中に歩を進めている男のすぐ後ろにまで近付く。男を羽交い絞めにして、新龍は浮かび上がった。服に水が染み込んだ太った男は重すぎるのではないかと思われたが、新龍は平然と後ろ向きに浮遊し、男を岸に下ろした。

 男は疲れ切ったような顔をして、何も言わなかった。

「あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃよ」

――じゃよ?

 麻子、タマ、新龍が同時に声を上げた。

「あの、あなたって駅前に出る人ですよね?」

「そうじゃ」

 ということはこの男は噂のサンタおじさんその人という訳だ。不審者と関わり合いになってしまったと、麻子の胸の内に不安が湧き上がる。だが見殺しにする訳にはいかなかった。不審者とはいえ人命は人命である。

「このままじゃ風邪ひいちゃいますよ。着替えないと――」

「わしはこの服装以外は出来ないんじゃ。この服装を外したサンタクロースはただのおじさんじゃよ」

 いや、あなたは世間ではサンタクロースの格好をしたただのおじさんと思われているんですけど、とは言えなかった。

 着替えろと勧めると必ず拒否されるので、麻子は仕方なく家に送り届けることにした。

「あの、家はどこですか?」

「それより、何故わしが川の中に入っていったのかを訊こうとは思わないのかの」

「今はそんなことより身体の方が大事ですよ。早く家に帰って温まらないないと」

「服なら、この通りもう乾いた」

 男はそう言って自分の暖かそうな服を見せた。見ると水分を含んだ様子はどこにもない。

「えっ? だってさっき、川の中に――」

 まさか――この異常事態を見て、麻子の思考はそれまで全く向かうことのなかった方向へと進んだ。

「いや、でも、そんな――あの、失礼を承知でお訊ねしますけど、本物のサンタさん――ですか?」

 恐る恐る訊くと、男は頷いた。

「そうじゃ」




「服があっという間に乾いたら、サンタクロースなのかね?」

 麻子ちゃんの思考回路はよくわからないなあ――と言って、風雲寺の住職はその凄まじく凶悪な面相を歪めた。笑っているのである。

「でも、ただの不審者ならそんなことにはならないでしょう? それ以外には考えられなくて」

 風雲寺の講堂で、麻子は住職と向き合って座布団に腰かけていた。先程あの不審者もといサンタクロースと別れ、興奮しながらここにやってきた。この事実を誰かに伝えなければならない――とはいえ学校の友人達とはもう別れてしまったし、変なことを言う奴だとは思われたくなかったので、ここを選んだ。

 住職は麻子が「見える」人間だということを知っており、自身も麻子と同じく「見える」人間だ。そのため麻子はよく住職に相談を持ち込む。そして今回も、ある種の相談でもあった。

 自分の素生を明かしたサンタクロースは、何故川に入っていったのかを麻子に語った。

 自分には力がない。ろくなプレゼントを子供に与えることも出来ないし、町中に出ても振り向いてくれる人もいない。

 もはや自分は必要ないのではないか。

 思いつめた結果、死のうとした。

 麻子は二度とこんな気を起こさないでくださいと注意をして、どうにも釈然としないまま別れた。

「私、どうしたらいいでしょう」

 住職にサンタクロースの身の上を語った後で、麻子はそう呟いた。

「まあ、色々と突っ込みどころはあるね」

 真剣に悩む麻子を見て笑い、住職は茶を一口飲んだ。

「子供の夢を壊すようで悪いけど、そもそもクリスマスプレゼントはサンタクロースが贈るものじゃない。子供の親が、子供にばれないようにこっそりと枕元に置いておくものだ。最近じゃ隠すこともせずに子供に直接渡す親だっている。サンタクロースの出番はない。だから、本物のサンタクロースっていうのが僕にはいまいちよくわからないなあ。麻子ちゃんの話だと濡れた服を一瞬で乾かしてしまう超能力を持っているらしいけど、じゃあそりをトナカイに引かせて空を飛べるのかな?」

「住職、真面目に考えくださいよ。私は割と真剣なんです」

「割とかい」

「割とです」

 住職は快活に笑い、謝った。まだ冗談気質が抜けていない。

「こいつは参ったね。じゃあ麻子ちゃんは、自殺志願者のサンタクロースを何とか社会復帰させたいと」

 思わず言葉に詰まる。大筋はそんなところだが、生々しい単語を使われると腰が引けてしまう。

「まあまあそう身構えずに。そのサンタクロースの相談に乗ってあげるくらいのことでいいんじゃないかな。でも」

 住職はそこで真顔に戻る。一層恐ろしい表情になるが、これに怯まない程度には麻子はその顔に慣れていた。

「気を抜いちゃいけないよ。サンタクロースだかなんだか知らないが、得体の知れない相手だ。という訳でタマ」

 麻子の頭の上で半分眠っていたタマが気の抜けた声を出す。住職はそれを見てまた笑顔に戻った。

「いざという時は麻子ちゃんをちゃんと守ってあげるんだよ」

「うにゃあ。任せてー」

 そう言うとタマは麻子の頭の上で寝入ってしまった。

「でも住職、そんな警戒なんてしなくても――」

「麻子ちゃんは本当にお人よしだね。半分は誉めてるけど、半分は叱ってるからね。神野悪五郎っていう妖怪にしても、麻子ちゃんはちょっと信用しすぎだと思うよ」

「そんなことありません! おじさんは優しい人です!」

 麻子がむきになって声を荒らげたのに驚いたのか、住職はごまかすように毛のない頭を掻いた。

 翌日の金曜日、麻子は普段通り学校に向かった。今年は天皇誕生日が日曜日なので、明日から冬休みということになる。そのため通常の授業はなく、終業式が終わるとホームルームで諸々のプリントなどを渡されて午前中で解散となった。

 麻子は放課後に友人達と談笑した後、一人で自転車に乗って帰路についた。香と志穂は今日も部活らしい。

 ふと思い立ち、麻子は自転車を駅の方に向けた。噂だとあのサンタクロースが出没するのは駅周辺だという。色々と話したいこともあるので、会える可能性のある方向に来てしまったのだ。

 駅周辺は商店街があるのだが、その殆どがシャッターを下ろしっ放しなのでどうしても閑散とした印象を受ける。その道を進んでいくと、不意にどぎつい赤色の服を着た男が飛び出してきた。慌ててブレーキをかけるが、前輪がぶつかり相手がよろめく。

「痛いのう」

「す、すみません!」

 強烈な赤色を見た瞬間にわかったが、相手はあのサンタクロースだった。

「君か」

 サンタクロースは白い髭を撫で、麻子は自転車から降りる。

「あの、サンタさん、私でよければ相談に乗ります。だから自殺なんてやめてください!」

「ホッホッホー。面白い子じゃのう」

 そう言いながらも、サンタクロースの顔は物憂げだ。

「わしは子供の夢じゃ」

 通学路の途中にある公園。そのベンチに麻子とサンタクロースは隣り合って座っていた。サンタクロースは落ち着いているが、麻子は他人がこの現場を目撃したら麻子を助けに来るか通報するのではないかと気が気でなかった。

「子供の夢を壊さぬよう、夢を配るのがわしの役目。しかし、わしには力がないのじゃ――」

「――と、言いますと?」

 周囲に気を配りながら麻子は訊く。

「わしには空を飛ぶトナカイも、そりもない。その子が欲しがっているプレゼントを知ることも、事前に用意することも出来ない。わしは無力なんじゃよ……」

「はあ、煙突から家の中に入ったりも出来ない訳ですね」

「いや、それは出来る」

「出来るんですか!」

 麻子が本気で驚くとサンタクロースは笑った。

「まあ煙突のある家などそうはないから、家の者に気付かれぬよう家の中に入る、と言った方が正しいかもしれんがの」

「それは――」

 不法侵入と言うのではないか。麻子は一瞬迷った後その言葉を飲み込んだ。

「でも、サンタさんはサンタクロースなんですよね?」

 サンタクロースはぽかんとした顔で麻子を見つめる。何を当たり前のことを言っているのだと言いたげな表情だ。

「なら、子供達に夢を与えればいいじゃないですか。その格好だけでも、充分夢は与えられますよ!」

 サンタクロースが何かを言う前に、麻子は彼の手を取って立ち上がった。

「行きましょう! 子供がいる場所なら、別の大きい公園!」

 サンタクロースを引っ張っていく麻子の姿は、不思議と誰の目にも止まることはなかった。




 サンタクロースはがっくりと肩を落とし、

「だから、駄目なんじゃよ」

 と呟く。

 公園に行くと、子供はいた。何人かが集まって少ない遊具で遊んでいるのを見て、麻子はサンタクロースにそこに行けと声をかけた。

 結果、子供達は逃げた。

「うわっ! サンタおじさんだ!」

「助けてー! 不審者ー!」

「攫われるぞー! 逃げろー!」

 などと口々に叫び、子供達は走り去っていったのである。中には本気で怖がり涙を見せる子供もいた。

 現在、周辺住民には「サンタおじさん」という不審者に警戒するようにと各学校から通達が入っている。そこにのこのことこんな格好で出ていったのだから、この反応は当然だと言える。

 少し考えればわかることだった。だが麻子はサンタクロースを何とか立ち直らせようという方にばかり気が行き、すっかりそのことを失念していたのだ。

 そしてサンタクロース自身、自分の今置かれている状況を最初から理解していた。

「このご時世、わしは不審者としかみなされないのじゃ。どうにもならんのじゃよ」

 深く溜め息を吐いて、サンタクロースは麻子が買ってきた缶コーヒーを啜る。麻子とサンタクロースは最初に二人で話をした公園に戻ってきていた。あの後騒ぎを聞き付けた大人達が現れれば警察沙汰になりかねないということで、麻子は何度も謝りながらサンタクロースを連れてここまで逃げてきたのだ。

「ごめんなさい――私が勝手なことしたせいで……」

「まだ謝るのかの? もういいんじゃよ」

 缶コーヒーを飲み切り、それをベンチの上に置く。

「ごちそうさま。久しぶりに温かいものを飲んだ気がするわい」

「私――」

 言葉に詰まっていると、後ろから麻子を呼ぶ声が聞こえてきた。

「川島サン? 何してんのこんなとこで?」

 瞬時に現実に引き戻された麻子は恐る恐る後ろを振り向く。この状況、果たしてどう説明すればいいのだろう。しかも相手は恐らく麻子の知った人間だ。

 振り向くと、麻子の予想通り桐谷匠が自転車を止めてへらへらとした笑みを浮かべていた。

「そ、桐谷君、これは、その――えっと――」

「へー、一人でコーヒー飲んでたのか。何か渋いね」

 ――一人?

 桐谷の目はサンタクロースの座っているベンチに向いている。そこにはサンタクロースの飲んだコーヒーの缶が置かれ、桐谷はそれを見て麻子がコーヒーを飲んでいたと判断したのだろう。しかしそう判断するには、サンタクロースの存在を完全に無視しなければならない。ただでさえ目立つ格好をした男を無視するのは、普通の神経では無理だ。

 ――見えていない。

 桐谷にはサンタクロースの姿が全く認識出来ないのだ。麻子はこれまでの付き合いから、桐谷に全く霊感がなく、本来見えるはずのないものをどうやっても見ることが出来ないのだということを知っていた。

 つまり――。

 麻子は適当に桐谷を誤魔化し、別れの挨拶をして去っていく姿を見送った。その姿が見えなくなった後で、サンタクロースと向き合う。

「人間じゃ、ないんですね」

 ある意味当たり前かもしれない。服があっという間に乾いたのも、家に上がり込むことが出来るというのも、ただの人間ではないということの証左だった。

 だから、決して責めるような口調で言ったつもりではなかった。そういったものとは麻子もしょっちゅう関わっているので大した嫌悪感もない。

 だが、サンタクロースは痛恨の極みのような表情を見せる。

「わしは、自分が何なのか、本当はよくわかっていないのじゃよ」

 ナイトキャップを掴んだ後、その手をゆっくりと離す。脱ぐことが出来ないのだと麻子にはわかった。

「もう十年以上も前かの。わしは突然この地に湧いて出たのじゃ。自分がサンタクロースだと知っておったし、何をすべきなのかもわかっておった」

 わしは子供の夢じゃった――溜め息を吐くように、そう言葉を吐き出す。

「だが、夢は所詮夢じゃ。子供も大人になればサンタクロースなどいないと思うようになる。夢は醒めるものなのじゃ。ならばわしも、消えてなくなるしかない」

「そんな――」

 麻子は説得しようと一歩前に出るが、サンタクロースが首を振り、手を出して制したことで立ち止まる。

「いや、入水は流石に早計じゃったと思っておるよ。そう、何も自分から死に急ぐことはなかったんじゃ」

 そこで麻子は気付く。サンタクロースの出した手の先が、小さな粒子状になって散っている。

「わしはもう長くない。知っておったんじゃ。持ってクリスマスの朝までじゃろう。いや、最初からその日に消えることが決まっておったのかもしれんの」

 ゆっくりと立ち上がったサンタクロースは小さく笑い、麻子の隣を抜けて公園から出ていく。

「サンタさん!」

 サンタクロースは一度振り向くと、少しだけ嬉しそうに頬を緩めて去っていった。




 クリスマスイブまで、麻子はサンタクロースを捜し回ったが、結局見つけることは出来なかった。自分の無力さに泣きたくなりながらも、やはり無力は無力だった。

 別れの言葉を交わすこともなっく、サンタクロースは消えてしまうのか。胸に何かが詰まったような感覚のままベッドに倒れ込むと、気付かぬ内に眠っていた。

 そして浅い眠りの中にいる途中、頭をぺしりと優しく叩かれた。

「麻子ぉ、誰か来てるよ」

「タマ……?」

 麻子の顔の横で足を伸ばすタマによって起こされたようだ。

 時計を見ると午前三時を回っている。

 部屋の中に気配を感じる。目を凝らすと、何者かがこちらを見て固まっていた。

「ああ、そうか。そうだったんじゃな」

 聞き覚えのある声。

「サンタさん?」

 麻子が声を上げると、その人物は深く頷いた。

「わしは湧いて出た時から、ある家のある子には必ずプレゼントを置くことを決めていたんじゃ。それが、この家なんじゃよ」

 サンタクロースは握った右手を開いて見せた。そこには、毎年麻子の枕元に置いてある、飴玉があった。

「その子は」

 飴玉をそっと枕元に置き、サンタクロースは遠くを見るように目を細めて話し始める。

「きっと必死にわしの名前を呼んだんじゃろう。そして、わしは生まれたんじゃ」

 麻子ははっと息を呑む。

 麻子には、この世ならざるものを見る力以外に、もう一つ特別な力がある。「名前」を付けることで、不確かなものを強固な存在に変えてしまう力。タマもまた麻子のこの力によって生まれ、かつて悲しい出来事を引き起こした恐るべき力だ。

 麻子が幼い頃、自分の家に現れないサンタクロースに必死にしたお願い。その中で麻子は何度もサンタクロースの名を、「サンタさん」という名を呼んでいた。

 かつての麻子は自分の力を知らず、コントロールも全く出来ずにある時には口にした言葉が全て名前となって無数の妖怪を生んでしまったこともある。

 確かな名前がある空想上の存在。その名を何度も呼んだことで、不確かなものに名を与え、今目の前にいるサンタクロースが生まれた。

「その子の願いを叶えることが、わしには出来たかのう――こんな、しょぼくれたプレゼントしか贈ることしか出来ない非力なわしに」

「喜んだと思います、きっと。こんなのプレゼントなんかじゃない、ちゃんとしたプレゼントが欲しいって思いながら」

 サンタクロースは小さく笑う。

「嘘を吐くか、本当のことを言うか、どちらかにして欲しいのう。まあ、少し、救われた気がする」

 サンタクロースの身体は次第に光り出し、無数の光の粒子となって散っていく。

「ごめんなさい、サンタさん。私のせいで、何年も辛い思いをさせてしまって――」

「せっかくの聖なる夜に、悲しい顔をするものではないぞ。ただ、祝っておくれ」

「メリークリスマス……ですか?」

「そうじゃ。メリークリスマス! ホッホッホー!」

 笑い声だけが残され、サンタクロースは完全に消えていった。

 麻子は枕元の飴玉を握り、そのまま眠った。




 不審者の噂は、瞬く間に聞こえなくなった。

 それは帰宅部である麻子が冬休みという時期に学校という社会との関わりを絶っているから、というのもあるだろう。それでも外出の折、泗泉駅近くを歩くと、何というか雰囲気が以前と変わっているような気がする。前はもっとぴりぴりとした空気に覆われていた記憶がある。それもただの気のせいなのかもしれないが、不審者呼ばわりされていた当人が消えてしまったことは麻子が知っている。

「やっぱり、季節ものだったんだねー」

 暖房の利いた店内でドーナッツを齧りながら香がつまらなそうに言う。

 西日町にあるショッピングモールの中のフードコートの一角に、麻子と香、志穂が集まっていた。もう年末一色の時期だし最後に買い物でもしようと香から電話があったので、この三人で集まったのだ。

「サンタおじさんの話?」

 志穂が訊ねると、香は口をもごもごと動かしながら頷いた。

「二十五日以降、全く見なくなったんだって。ブラスでも話題がなくなってさあ」

 ごくんと口の中のものを飲み込み、ジュースで口を潤す。すると口が滑らかになったのかまた話を始める。

「二十五日って言やあクリスマスじゃん? やっぱりクリスマス以降のサンタクロースは変だしねえ」

「クリスマス前でも充分変でしょ。ねえ麻子?」

「うん……。でも、もしかしたら本物だったのかもね」

 香と志穂はそれを聞くとぽかんと口を開けた。麻子はそんな二人の表情が面白かったので、思わず吹き出す。

「冗談だよ冗談。でも、うん、きっとサンタさんはサンタクロースになりたかったんだよ」

 また二人はぽかんと固まる。

「麻子って、時々よくわからないこと言うよね」

 香が呟くと、志穂も苦笑する。

「昔から、色々とね」

 麻子はポケットから飴玉を取り出す。十円もしないであろう安っぽい色に包装。

「あ、飴じゃん。ちょうだい麻子ー」

「駄目。これは大事なものなの」

「何じゃそれ。ケチだなー」

 麻子は意味あり気に笑うと、ビニールの包装を破いて飴玉を口の中に放り込んだ。

 噛んで砕くことはせず、ただ噛み締めるように口の中で転がし、やがて飴は溶けてなくなった。

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