雨降って、地固まる。〈三〉
「行方不明?!」
「こっ、声が大きいです! まだ、そうかも、ってぐらいで……」
「かも、でも大変じゃないですか。静かになんてしてられませんよ!」
レジで応対をしながらでも聞こえる声に、つい視線が二人のほうへと向いてしまう。振り返るすんでのところで、「お願いします」とお客さんの声が聞こえたから、再びレジに意識を向けた。行方不明も相当大変であるけれど、レジで過不足を出すのも大変である。
並んでいたお客さんを捌き、今度こそ後ろ髪引かれることなく二人を振り返る。
と、いつの間にか休憩に入っていたさすがさんも加わって三人になっていた。
店内をぐるりと見回してから、わたしもいそいそと仲間に加わる。
「警察に連絡はしてないんです。友達の家に泊まってくる、って伝言もあったし、ちょっと長いなぁ、くらいで。ただ、彼女が出掛ける前に言ってたことが気になって」
「言ってたこと?」
「ひょっとして、傘を探して、っていうあれですか?」
日下部さんは頷いた。
「でも正しくは、寂しくて死んじゃいそうになったら、濡れないように傘を探してね、っていう感じだったんですけど」
「……なんかよくわからないこと言ってますね」と正直な感想を漏らしてから、鳴海さんは、あ、と片手の指先で口を覆った。
「すみません。婚約者さんに対してこんなこと」
「いえ、いいんです。僕も正直ヘンだな、と思いましたし」
「なんていうか、ちょっと暗号っていうか、隠されたメッセージって感じしますもんね」
「そう! そうなんです。それが気になって、僕、警察に届ける前にちょっと探してみようと思って。濡れないようにっていうのは、駅から屋根が繋がっているところにあるところかな、と」
「本屋を選んだのはなんでですか?」
「たまたまです。僕が本好きだから……ここに最初に来たのは、別の駅にある系列店舗によく通ってたからなんですけど、とりあえず全部回るつもりでいました」
なるほど。幸運だったらしい。そう言うと日下部さんは微笑んでから、
「とはいえ、彼女はそんなに暗号とか使うタイプじゃないんですけどね。だからちょっと不思議で。ミス研に入ってたのも僕だし、暗号によく付き合わせたのも僕の方だから」
意外である。
鳴海さんも同じような反応をしたので、日下部さんは心外だと言わんばかりに、
「これでもミステリ好きなんですよ。パスワードシリーズとか、夢水シリーズで育った世代ですからね」
その言葉に、わたしはついつい嬉しくなって顔がほころんでしまう。
パスワードシリーズとは小学生五人がパソコン通信を通じて知り合い、身近なところの謎解きに挑んでゆくという、松原秀行先生のシリーズ作品。夢水シリーズは中学生の三つ子(特に亜衣ちゃん)と、そのお隣に越してきた夢水清志郎という名探偵が主人公の、はやみねかおる先生によるシリーズ作品である。
わたしはどちらかといえば世代は違うけれど、学校の図書館に置いてあったのを読んでから、もうずうっとファンである。松原先生ではお馴染みの、指一本でYの字を作るには? というナゾに関しては、困ったときの話のネタにさせていただいている。
「それ、わたしも大好きです」
「本当? 世代を超えて愛されてるなんてすごいなぁ」
好きな本の話についでしゃばってしまったけれど、幸い、日下部さんもわたしと同じように表情を輝かせてくださった。
鳴海さんもミステリを好んでいるので、話はついついそちらに逸れる。
「よく付き合わせてたとおっしゃってましたけど、たとえばどんなものを?」
「そうですねえ……色々ありますけど、彼女が本屋さんで働いてたこともあって、本をベースにした暗号が多かったですね。本のタイトルを繋げてひとつの単語に、とか」
「でもそれ、そのまま並べたらわかっちゃいません?」
「だからちょっと捻るんですよ。例えばちょっと前に実際にやったのは、今日のばんごはん何食べる? っていう彼女のメールに、こんな風に返信したんです」
そう言うと、日下部さんは、ポケットからスマートフォンを取り出して、何やらを探しはじめた。
ほどなくしてわたしたちに見せられたのは、ツイッターの呟きだ。婚約者さんらしいアカウントに向けて、こう書いてある。
『174-6 21-15 256-8 223-18 250-1 が食べたいな』
「…………?」
暫く沈黙したあと、鳴海さんが投了した。
「これ、どの本ですか」
「それを言ったらすぐわかっちゃうでしょう」
ごもっとも。
「ヒントはちゃんとありますよ」
と日下部さんがおっしゃるので、挑戦してみることにした。
数字の並びは恐らく、文庫などにある本を示す番号なのだろうけれど、この数字は大抵の本の背に記されている。数字のいずれかは著者番号を示し、また残りのいずれかは作品番号を示すのが常で、この数字自体は珍しくもなんともない。
ただ、大体の本にはあるはずの、著者の最初の一文字が足りない。ただでさえ本屋であっても指定された本を数字から探すのは骨が折れそうなのに、著者名の一文字もないとあっては、五十音順はあてにならず、棚の端から端まで眺めたおさなくてはならない。
鳴海さんに続いて白旗を振りかけた頃合いで、またいつの間に姿を消したのか、さすがさんが戻ってきた。
今度は引き連れていたのは、五冊の本である。
その山を見て、日下部さんはにっこりと笑う。
「正解です」
「ええーっ?!」
「ちょっと貴家くん、見せて!」
半ば奪い取るようにして、さすがさんから本を受け取った鳴海さんは、その本をラッピング台の上に広げはじめた。書名はそれぞれ、『ステップファザー・ステップ』、『ラズベリーケーキの罠 パティシエすばる』、『一休さんは名探偵』、『ムーミン谷の仲間たち』、『踊る夜光怪人』。すべて同じ出版社、同じレーベルであった。
ここでわたしも、ヒントの正体に気が付いた。
「……そうか、だからツイッターなんですね!」
「はい」
「ちょっと、おいてけぼりにしないでよ」と不満げなのは鳴海さん。
さすがさんは喋らないし、この場合暗号を残した犯人は日下部さんである。せっかくなので、わたしが探偵役を引き受けた。
「ほら、この数字。書店員なら大抵見覚えはあるけど、どの本かなんてわからないじゃないですか。著者の最初の一文字もないし、どこから探せばいいのかわからない。そのためにヒントが必要なんですけど、そのヒントがツイッターなんです」
「ツイッター?」
「そもそもメールで尋ねてきたのに、ツイッターで返信するのっておかしいじゃないですか。だって普通ならメールで返せばいいわけでしょ? ツイッターのマークは青い鳥。本で青い鳥っていうとメーテルリンクはもちろんですけど、あの分類番号みたいなのが複数あることを思うと、別のものが思い浮かびませんか?」
そこまで言うと、鳴海さんも気がついたらしい。
なにせ正解が目の前にあるのだ。さすがさんが持ってきた本はすべて、講談社から出ている、小学生向けのレーベル。
青い鳥文庫である。
「で、背表紙にある番号を、さっきの暗号の順番に並べ直すと……」
確認しながら本の位置を入れ替える。
すると出来上がるのは、本のタイトルを一字ずつ取って完成する、「お」、「む」、「ら」、「い」、「す」の文字だ。
「ということで、答えはオムライスが食べたいな、ですね?」
「正解!」
「やった。Q.E.D.証明終了!」
普段ミステリを読んでいても、自分で謎を解くことはほぼないわたしだから、純粋に嬉しい。さすがさんもゆったりと拍手してくださり、鳴海さんに至っては「くやしい」と最上級のお言葉をいただいた。しめしめ。
「たしかにこれは、ちょっと楽しいですね」
「まあ彼女は僕ほどミステリが好きってわけでもないですから、急いでるときとかにやると怒られますけどね」
思わず笑ってしまう。
「でも、喧嘩したときとか、言いにくいことを伝えるときなんかはこっちの方が言いやすいので、彼女もたまに使ってましたよ」
「じゃあ今回の傘も、婚約者さんが仕掛けたその暗号の線が濃厚なんでしょうか」
「うーん……だと思うんですけど……でも彼女から暗号を仕掛けてきたことなんてめったにないし、最近電話もメールも繋がらないので、単なる暗号とは思えなくて」
たしかに、夕飯の献立を尋ねることとは規模が違う。書店といういわば第三者に仕掛け、おまけに「寂しくて死んじゃいそうになったら」などという発言も、どことなく不穏な響きがあった。
好きな本の話題ですこしは解れていた日下部さんの表情が、徐々に曇り、今にも雨を降らせんばかりとなった。
「傘を見つければ、今回みたいに暗号が見つかってどうにかなるかなと思ったんですけど、他に暗号みたいなものも見当たらないし……僕は一体どうすればいいのか……本当に真尋に何かあったのかもしれない……」
「日下部さん……」
わたしはそういったお相手がいるわけでもないけれど、実際、笑ってなどいられないだろう。日下部さんがどんな気持ちでここに辿り着いたのかも、その行程を知るわけでもなく、婚約者さんを案じる気持ちは第三者であるわたしたちには測れない。
だから口を出すことに戸惑って、それでも、さすがさんを見上げてしまう。
さすがさんは、相変わらずワカメさんに覆われたおかげで読めない視線を、どこかへと向けていた。顔の向きから察すると、置きっぱなしの傘だろう。
何を見ているのだろう?
尋ねようと思ったが、レジに呼ばれてしまった。「申し訳ございません!」と言いながら向かう最中、後ろから鳴海さんと日下部さんの会話が聞こえた。
「そんなに気落ちしないでください。また何かわかったら連絡しますから」
「……よろしくお願いします……」
すっかり萎んでしまった風船のような声に、なにかできることはないかしら、と、性懲りもなく、思ってしまった。
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