恋はくせもの〈九〉


 さすがさんの「大丈夫」が、明確な結果となってわたしにもたらされたのは、一週間もあとのことだった。

 見覚えのあるワンピースに視線を奪われていると、そのひとが段々と近づいてきたのだ。

 國永さんだと気づく頃には、今度は、晴れやかな笑顔に心を奪われてしまう。ご機嫌だ。


「こんにちは」


 挨拶を交わすと、周囲のお客さんの様子を窺ってから、


「今、忙しいですか?」

「いえ、まだピークにはすこし早いので。どうされたんですか?」

「待ち合わせなんです。彼と」

「えっ。じゃあ、もしかして」

「ふふ」と、國永さんは春色に染めあげた頬を緩めて頷いた。

「仲直りされたんですね。よかった!」

「ありがとうございます。でも、仲直りっていうか……私の勘違いだったんです」

「勘違い?」


 首を捻ると、今度はその首を逆に戻しにかかる勢いで、「きゃああ」と黄色い歓声があがる。何事かと振り返ると、瀬尾さんが、お客さんのひとりと話していた。


 どこかで見覚えのあるお方である。

 どこで見かけたのかしらん。


 見つめながら記憶を漁っていると、その殿方の腕に、國永さんが腕を絡めた。「昭史、遅い」と名前を呼ぶ声が、やや甘ったるい。

 はて。と首を傾げているわたしを他所に、瀬尾さんがまたひとつテンションをあげて、國永さんに話しかける。


「噂のカノジョさんですね。今ちょうど百合のしおりの話してたんですよぉ」

「やだ、はずかしい」

「こぉんな綺麗なカノジョさんにヤキモチ妬かれるなんて、幸せ者ですねっ」


 まったくもって話が見えないわたしは、ひたすらに頭上に見えないクエスチョンマークを浮かべてしまう。


「ははっ。しかもばあちゃん相手ですからね」

「もう。そんなに笑わないでよ」

「ごめんって。でも、手製のしおりにしては古いなぁ、とか思わなかった? これ、ばあちゃんの手作りだから結構年代物なんだけど」


 その殿方が、瀬尾さんにラッピングを頼んだ方だということに気づいたのは、そのときだった。


 そこでようやく話が掴めてきた。

 彼氏さんはラッピングの際、おばあさまの好きだった本を彼女が気に入ってくれて、と仰っていた。その「彼女」がつまりは國永さん。そして國永さんがやきもきしていたしおりを彼氏さんに差し上げたのは、以前お付き合いをされていたらしい百合子さんではなく、彼氏さんのおばあさまなのだ。


 思えば、あの懐かしい香り。思い返してみればお線香の香りにひどく似ていた。おばあさまにお線香をあげる際、思い出の品を傍らに持って行くのはなんらふしぎなことじゃあない。それに、それがおばあさまのお気に入りの本なのであれば。


 依然として頬を染めながら眉尻を吊り上げる國永さんに、彼氏さんは言い訳の体で言葉を続けた。


「百合とはかけ離れてるぐらいさっぱりしたひとだったから、あんなばあちゃんにヤキモチなんて面白くって。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花とか、ないない」

「……昭史が知らない時代にそう言われてたかもしれないじゃない」

「そうかな? でも晃子のほうが綺麗だよ」

「あら」


 ぽっ。と國永さんの頬が赤い花を咲かせる。

 最初から、彼氏さんの思い人はたったひとりだったのだ。


「ちなみにおばあさまのお名前は?」と瀬尾さん。

「さゆりです。吉永小百合の、小百合」

「ああ、だから」

「昔自分で作ったやつを挟みっぱなしにしたまま、本と一緒に俺にくれたんです。気づいたときにはもう亡くなったあとだったから、形見代わりに大事にしようって思って」


 呆気にとられて見ていると、となりにさすがさんが並んだ。

 わたしはさすがさんを見上げて、國永さんを見て、それからまた改めて、さすがさんに視線を戻した。


 大丈夫、と、さすがさんは仰った。

 あのときは、恋焦がれ合うふたりだから、多少の嫉妬も仕方ない、真実をお話ししてしまいなさい。そういう意味なのかと思っていた。


 けれど、ひょっとして。


 恋する桃色の頬を持った國永さんを見ると、どうやらこちらを見ていたらしい國永さんと、視線が出会った。

 悪戯っ子のように肩を竦め、そして、口の形だけで何事かを紡いだ。これは名探偵でないわたしでも、解読できる。



「あ」、「り」、「が」、「と」、「う」。



「ほら」と頭上から声が降りてきた。

「だいじょうぶだった」


 わたし以外の誰にも聞き取れないその声は、どこか満足気で、おまけに真っ黒のワカメさんから申し訳程度に覗くくちびるには薄らと笑みが浮かんでいたような気がしたから、わたしはまたぽかんと間抜けな面を晒してしまう。

 幸せそうなふたりは、そのまま文庫のコーナーに歩いていった。ひょっとすると、彼氏さんが國永さんにお勧めの本でも選んでいるのかもしれない。一度は涙を流した瞳も、もう赤くも、そして緑色でもない。怪物はしずかに眠ってしまった。


「やれやれ」


 わたしはさすがさんに倣って、ほんのすこし、くちびるをむずむず動かした。

 泣いたり笑ったり、忙しなくも、それはそれでまあいいかと思える。それこそが、恋はくせものといわれる所以なのだと、そう思った。




 そしていつかそのくせものは、きっとわたしのもとにもやってくるのかもしれない。

 そのときはどうか、怒っても、泣いても、最後に笑えるくせものでありますように。

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