召喚師と楽譜の無い狂詩曲

越冬ネギ

プロローグ 始まりの唱


 世界を構築するものは何か。それは自然であり、文明である。そこに住む自然が基になり、文明はどこまでも大きく発達を遂げた。


「ただそれだけで、この世界がここまで大きくなれた訳では無い」


 怪しげな黒いローブをまとった人物が、くつくつと笑いながら言った。その声だけでは、性別の判断は難しい。

 フードを被るのをやめ、美しい金色の髪が露わになる。こめかみ付近の髪を一束あつめ、色とりどりのビーズでまとめていた。

 切れ長で黄緑の瞳が、宙を睨みつけ、口角を上げる。微かに出た喉仏が、男だと示していた。


「この世界を統治するのは、国なんかじゃないんだ」


 少年はその場をくるりと回る。ローブの裾も、美しい髪も、風に流れた。大きく両手を広げる彼の足元には、巨大な魔法陣が描かれている。

 一番大きな魔法陣の中、大小様々な魔法陣が無数に。


「火を喰らい、水を還らせ、木を、風を、土を壊しあうほどに、強大な力よ。

 光を飲み込み、闇を包み込む、全ての力よ。

 無垢たる存在に、あらん限りの力を貸したまえ。

 悠然たる力を、今、解き放て――」


 目を閉じ、一言を噛み締めるように、時間をかけて唱を詠む。一言紡いでいく度に、足元の魔法陣からは光の粒が浮き上がってきていた。

 ほの暗い空間は、様々な色の光で満ち溢れる。それは全て、少年の足元から発せられていた。

 ガラスが割れるような音が、少年を包む暗闇から鳴る。亀裂からは明るい光が僅かに差し込み、花弁が散るように、黒い欠片が地に落ちていっていた。


「早く――早く!」


 高まる気分に、笑みが自然とこぼれる。もう少年を捕え続けた暗闇は、その役目を果たしていない。上部はすでに、外の光がしっかりと入り始めている。

 足元だけに充満していた光は、すでに少年の頭上に至っていた。余裕そうに笑む少年だが、首筋や生え際からは汗が滲んでいる。


「お前ら何してる! 崩れ始めてるぞ!」

「ですがっ、これ以上は我々の魔力がもちません……!」


 外から聞こえてくる声に、さらに少年は口角を上げた。もう待ち切れないというように、大声で叫ぶ。


「噛み殺せ、グリフォン!」


 魔法陣の一つから、大きな鳥獣種の羽が現れる。成人男性二人分ほどはあるだろうか。次にはわしを彷彿とさせる上半身に、獅子を思わせる下半身が露わになった。

 大きく羽を動かし、勢いをつけてグリフォンは宙へ浮かんだ。光を受けて輝く金色の頭部と、純白の下部は、この世のどの生物よりも美しい。


「う、あ……! うわあああああああああ!!」


 その大きな叫び声が一つ上がると、順に叫び声が上がっていく。

 少年は嬉々とした笑みを見せながら、ダンスを踊っているかのように火の玉の形をする遠距離魔法を、矢を、かわしていた。


「身を焦がし尽くす深淵に住みし、暴食の獣よ。

 我が血肉を糧<<かて>>に、我が力を餌に、地より出でよ」


 際限なく溢れ出る召喚獣サモンズとは異なる、紅色の魔方陣が少年の足元に発生する。

 それは少年の詠唱に呼応するように、緋色の粒を放出していた。


「全てを飲み込む劫火ごうかを、今ここに現せ」


 眼前で繰り広げられる召喚獣サモンズと魔術師の攻防を、余裕なさ気に眺める。力の弱い召喚獣サモンズは、上級魔法によって消滅していく。

 蛇や、合成獣キメラかたどったもの、巨人――それらがいとも簡単に魔法によって討たれ、白色の塵へと変わった。

 同時に、少年の足元にある魔方陣が消滅する。


「失礼致します、サリヴァッド王! 詠唱完成致しました!」


 サリヴァッドと呼ばれた初老の男は、壊されゆく城の中で絢爛な玉座に腰掛けていた。口元には、厭らしそうな笑みが浮かんだ。


「奴の様子は」


 立ち上がったサリヴァッドは、ゆうに180Mメドルは超えているだろうか。

 壁の無い部屋から、わずかに見える召喚獣サモンズの姿を見る。

 爪や牙には誰のとも分からぬ血が付着している。


「現在は詠唱を行っておらず、我々の広範囲殲滅魔法で数十体の消滅に成功致しました」

「そうか」


 かしずいて話した魔術師は立ち上がり、サリヴァッドの判断を待つ。

 白髪交じりの無精髭を撫でながら、サリヴァッドは静かに考えていた。あの少年と対面した時、フードから見えた顔には無数のタトゥーがあった。

 差し出された手の甲にも。


「サリヴァッド王、ご判断をお願い致します!」


 切羽詰ったように魔術師が声を荒げる。その目には焦燥以外の何も宿っていない。

 もしかしたら、と浮かぶ、根も葉もない考えを頭の隅に押し込み、外にも聞こえるほどの大声で告げた。


「――魔法射撃用ォォォォォォ意!」

「用オオオオ意!」


 外に駆け、王の言葉を復唱する。詠唱を完成させていた魔術師達が、眼下で魔方陣を形成する少年と、それに使役される召喚獣サモンズたちに杖を向けた。


発射っしゃぁぁぁあああああ!!」


 天を裂くような大声を受け、魔術師達が一斉に力を放出させる。

 巨大な魔方陣の中心に立つ少年を目標に、空から火を帯びた隕石が降り堕ちた。未だ詠唱を続ける少年をかばうように、召喚獣サモンズが術を受け次々と消滅していく。

 悲鳴をあげ、消えゆく召喚獣サモンズから白色に輝く粒が昇っていた。同時に少年の周囲に展開していた魔法陣が次々と消えていく。


召喚獣サモンズ殲滅せんめつ完了しました!」


 額に汗をかく魔術師が、後ろに控えるサリヴァッドへ叫ぶ。


「――敵を殺せ。イフリート!!」

「まだだ構えろ!」


 報告に安堵したのも束の間、サリヴァッドは戦慄した。

 塀越しに見えた魔法陣が今まで以上に強く発光したのを、小さく見える少年が腹の底から出した声と呼応するのを。


 少年が“イフリート”と召喚獣サモンズの名を呼び、詠唱を完成させた時、既に魔方陣は初めと比較にならないほど巨大化していた。

 紅色に光る粒は既に出ておらず、辺りを静寂が包み込む。


「何も……出ないのか?」


 サリヴァッドの頭に“詠唱失敗”の四文字が浮かんだ。

 詠唱を失敗すれば魔力の暴発が発生し、最悪の場合は死に至ることもある。しかし、未だに暴発による影響は少年に出ていなかった。


「王! ご指示を!!」


 隊列を成す魔術師達が、口々に言う。


「今が好機です!」


 確かにそうだ。少年は詠唱を終えてから、魔方陣を展開し続けたまま動かない。


「王!!」


 荒げられる声を聞きながらも、サリヴァッドは指示を出せずにいた。

 形容しがたい何かが、動き出している気がしてならない。


「くっそおおおああああああああ!!」


 その時一人が、パニック状態におちいりかけていた一人が、少年に杖を向けた。

 

「待てッ!」


 サリヴァッドの制止の声に気付いた魔術師達が、杖を向けぶつぶつと呟く仲間を黙視する。

 手を伸ばしその魔術師のもとへ駆け出した瞬間、上級魔法が少年へと放たれた。


「うあああああああああ!」


 青白く太い雷光はジグザグに進む。俯いていた少年が顔を上げそれを見ると、心底嬉しそうに笑顔を見せた。

 両腕を広げ、雷光を胸に受け止める。


「あっ、が……っ」


 一際大きく光ってみせた雷光は、少年の身体を刃物のように突き抜けながら、彼の肌を焼いた。

 肌をがすほどの威力。胸から止め処なく血を流す少年は、そのまま魔方陣へと倒れこむ。

 微動だにしない少年を誰もが食い入る様に見つめた。

 尋常じゃないほどの魔力ちからを持っていた少年の、驚くほど呆気ない死。


 少年が現れるまでに、どれだけの仲間が散っていっただろうか。

 少年が現れてから、どれだけの仲間が散っていっただろうか。


「やった……我々の、サリヴァッド帝国の勝利だ!」


 誇らしげに、勝利を噛み締めて出る声の次には、帝国軍に属し生き残った魔術師達の雄叫びが響き渡った。

 湧き上がる喜びに浸る部下達を見、サリヴァッド自身も笑顔を零す。


 

 

 サリヴァッド暦94年。

 両国あわせ死者10万5287名、傷病者7232名。


 サリヴァッド帝国による侵略戦争は、勝利という形で幕を引いた。



「え」


 はずだった。

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