第三話


 夜の闇に沈んだ道は遠くから薄気味悪い虫の音によって不気味な雰囲気を醸し出す。

 私は足早にその道を走り抜け、広場から東に少し入るとようやく、マリンさんの営んでいる雑貨店が視界に入って来た。だが、辺りは暗く灯りが見えない。

 看板が掲げられていないのだが、この村の住人ならば誰でも知っているお店。

 独り身。二十五歳の細身。どこかお淑やかな雰囲気の中に、艶美を醸し出しているのが人気の秘訣なのだろう。店には村の男共が頻繁に顔を出している。

 私としても、その容姿は羨ましくもあり、尊敬して止まない人物でもある。

 ただ、何故だろう。いつもとお店の雰囲気が違う。

 この時間ならまだお店で帳簿を付けたりとマリンさんは雑貨店の中で作業をしているのだが、完全にお店は扉を閉じてしまっている。中から人の気配もしない。

 その様子に何かがあったのかと逆に心配になってしまう程だ。

「あれ? 今日は休みだったのかな? でも……。何かあったのなら、今日じゃない方がいいよね。迷惑になるかも知れないし……明日にでも」

 時間も遅い。どこかに出かけてしまっていたのなら、ここで待っていても会えないかも。

 それにジュリアおばさんのお店の方も心配だ。あの調子ならば、客からの注文を回すのも一苦労だろう。一晩中となればそれはなおの事だ。

 ここはやはり、次の機会にでもするべきか。早めに伝えたいが何も今日今すぐに伝える必要性はない。一緒にお祝いを出来ないのは私としても非常に残念だが……。

 そう思い、主役がいないにも関わらず大騒ぎになっているであろう酒場へと戻ろうとするのだが、私は背後から誰かに呼び止められた。

「あら? どこへ行くの? ここに来たって事は私に何か用があったのでしょう?」

 振り向くと、いつもの黒一色の服装とは違う。やっぱり、どこかへ出かけていたのか動き易そうな質素な服装に麦藁帽子を被ったマリンさんがほほ笑んでいた。

 長い艶のある黒髪に右眼下の泣き黒子。見ているだけで自分の貧相な身体に泣きたくなってしまう。あぁ、なんて羨ましい体系なのだろうか。妬ましく思ってしまう。

 それにしても、どこかに出かけていたのだろうか? ズボンの裾に泥のようなモノが付着しているのが見て取れる。だが、マリンさんは畑を持っていた覚えなんて……。

 まぁ、あまり詮索をするのも帰って失礼だろうし、聞くべきではないか。

「あ、はい。一応、報告とお礼をしないとって思って――三級香料士に認定されました」

「そう、おめでとう。あれだけの調香が出来れば、確実だとは思っていたのだけど、試験のプレッシャーに弱い子。ドジする子もいるから心配だったの」

 まるで、私の報告をそれくらい当然と言うように頷いて見せるマリンさんにもしも、試験に落ちていたいたらと考えただけで身が震えてしまう。

 本当に三級の資格に合格して良かった。本当に良かった。心からそう思った。

 上品に笑いながら、マリンさんは懐から鍵を取り出すと、それを雑貨屋の閂へ差し込む。

「でも、その報告を聞いて安心したわ。じゃあ、積もる話は中で聞きましょうか?」

 そう言うと、マリンさんはそっと扉を開けてくれた。私もそれに促され、入店する。

 そして、マリンさんが店に一歩足を踏み入れ何かを呟くと赤々とした灯りが燈った。

 明るく照らされた店内には様々な生活雑貨が並んでおり。いつも通り。

 そんな一角に私が旅に出る前。最後に訪れた時にはなかった見覚えのない棚が出来上がっている。何より気になるのはその上には何も置かれていない事だ。

 まさか、私のコロンを置く為にわざわざ増設してくれていたのだろうか?

 いや、それは流石に自意識過剰というものだろう。間違っていたら恥ずかしいし。

 それにしても、相変わらずの綺麗好きだ。隅々まで掃除され埃一つない。生活雑貨のしても棚一つ一つに整理整頓が行き届いており、いつみても思うが清潔感が漂っている。

 畑に蒔く為の種や、肥料の他にも色々な雑貨が売っており、私のペットのアドのお菓子も極まれにではあるがここで買っている。

 ……あっ、後でアドにお菓子でもあげて機嫌を直して貰わないと。長旅になると思って、連れて行けなかったから拗ねているだろうから。

 そんな事を考えながら、私は先程目に止った棚について何気なしに尋ねてみる。

「あの……あの棚って何も置かれていないようなんですが、何を?」

「決まってるじゃない。貴女のコロンを置く場所がなかったから作ったの」

「あぁ、私のコロンをですか。――って、えぇ!?」

 即答。その返答にありがたさを通りこし、逆に色々と申し訳なくなってしまう。何だろう。マリンさんを直視できず顔を背けてしまう程だ。

 ちゃんと理由を説明すれば分かってくれるだろうが……。お金がないとは言い辛い。 ちゃんとした機材だってない。調香する場所もだ。

 山積みの課題を目の前に、私は即座にマリンさんに対して何度も頭を下げ、懇願する。

「あの……コロンを置かせて頂く件なのですか、材料の調達のお金も実はなくて……。貯めるまで少しだけ待っては貰えませんか? 本当に少しだけでもいいんですけど……」

「なんだ、そんな事なのね。それに関しては大丈夫な筈よ」

 マリンさんは私の心配をなんでもないように笑い飛ばすと、一枚の羊皮紙を取り出した。

 内容は契約書。確かにこの方式なら、材料はなくても最初は問題ない。

「材料を私が提供し、それに応じた調香を行う。本来のギルドへ仲介する方式だと時間がかかるから、こっちの方が貴女にはいいと思ってね。ただ、まずはそれを行うだけの技量があるかのテストをさせて貰うし、当然買い取る値段は大幅に引き下げるけどね」

 今の私には願っても見ない提案。貰える賃金は少ないが、材料の心配はまずない。

 自分の腕を磨くにはちょうどいい。こうなる事まで、分かっていて色々と手を回していてくれたのだとすれば、本当に何から何まで頭が上がらない。

 試験に関しても仕方がない。これは商売。認定証を持っているからと言っても、その目で技術を確かめるのは当然の事。私は自分の出来る事を精一杯するまでだ。

「分かりました。マリンさんの期待に絶対、応えたいと思います」

「そう。それじゃあ――まずは貴女が旅の前に作った疲れを取る香りのコロンをギルド指定の小型容器で十本作って貰いましょうか? 一度作った事があるから大丈夫よね?」

 疲れを取るコロンならば材料の種類も少なく調香工程もあまりない。

 小型容器に十本という量を作るのにどれ程の時間が必要か。それが問題なくらいだ。

 試験内容から今後の予定を頭の中で組み始めていると、マリンさんがどこからか一冊の手帳を取り出しそこに羽ペンで何かを書き記し始める。

「それが貴女に対する最初の試験。但し、厳しくチェックさせて貰うから、簡単ではないわよ。それから、これが私からの香料士認定試験合格祝いよ」

 マリンさんが私に手渡して来たのは何の変哲もない高価そうな革張りの手帳だ。

 ただ、最初の二ページに先程書き込んだのだろう。乾き切っていないインクがあった。

「これってさっきの依頼ですよね? でも、こっちはなんですか? ことわざ?」

 二ページ目に記されていたのは今回の依頼。そして、その依頼の期日。備考。

 だが、最初の表紙を開いたページにはこんな言葉が刻まれていた。

『汝、香料士なれど未だ香料士に在らず』

 言葉の通りに受け取るとすれば、香料士になっても香料士ではない。

 言葉遊びだろうか? 矛盾しているようにも思えるその言葉が何を指し示しているのかはまったく、見当も付かない。誰かの言葉にしても、聞いた事もないし……。

 それがどのような意味を持つ言葉なのかを私が考えていると、マリンさんは何でもないかのようにそれを流して、簡単な手帳の使い方の説明を始める。

「その手帖は依頼内容、期日、追加要項を記していくの。後半のページには調香法を記載できるようになってるから、忘れないようにね。特に独自調合なんかは忘れずに」

 マリンさんはそう告げると少しの間、間を置いてからこう続けた。

「それから、最初のページに記した言葉は私から貴方へ送る言葉よ。――その言葉をしっかりと胸に刻んでおきなさい。それが理解出来た時、貴方はきっと成長するわ」

「意味ですか? あはは、私には難しそうです。この手の謎解きってどうも苦手で……」

 これまでの調合も実戦で手に入れた経験を基に行っている。香料士用の本を普通に読もうとしたら、一ページを読み終わるより早く睡魔に襲われてしまうくらいなのだ。

 そんな私のこれまでを知っているからだろう。マリンさんは苦笑いを浮かべていた。

「それも、そうね。どう考えても貴方の場合、理詰めというより、感覚で調香しているタイプの人間だものね。まぁ、仕事を熟して行けば、自ずと見えて来る筈よ」

「やっぱり、私のやり方って駄目なんでしょうか? どうも、座学が苦手で……」

 頭で色々と考え込むよりは行動に移したい。ジッとしているのが苦手な人間である事は自分でも良く分かっている。ハッキリ言って、座学は大嫌いだ。

 一応、頭の中にはある程度の薬草の知識はあるが、それを覚えるのも相当な苦労を要した。半分以上は実際に抽出して見て試して何とか覚えた程だ。

「少しはそういう事を受け入れていかないといけないわよ? 特に難しい素材を使う時は調香次第で香能が大きく変わってしまうんだから……。それで、これが今回の依頼に必要な材料。あまったら、貴女の自由に使って構わないから」

 なんだろう。マリンさんが言葉の途中で顔を曇らせたようにも思えたが、気のせいか?

 それにしても、多い。鈴の形の花を付けるリーン草の葉なのだが、十枚。

 これだけの量があれば、軽く三十――いや、香能を強くしても十五本は作れる。

 けれども、これだけの量の材料から調香するとなると、大量の水と無水エタノールが必要になる。水の方は井戸から組み上げ何度も往復するれば、重労働になるだろうがどうにかなる。問題は無水エタノールをどうやって確保するか。

 流石に酒場のお酒を使うなんて事も出来そうにはない。まずい、どうしようもないぞ。

 それにしても、良いのだろうか? こんなに材料を貰ってしまっても……。

 いままでの廃棄するしかなかった屑とは訳が違う。列記とした商品の筈だ。

 元々この葉っぱも薬草としての効能がある訳だし、需要はそっちの方が多い訳で……。

「別に気にしなくていいわよ。屑を渡して、それを理由に品質の低い物を作られても買い取れないからだもの。分かった? 品質の低い使えない物は買い取れない。これで今回の仕事の説明は終わりよ。初めての仕事、頑張りなさい」

「はい、出来る限りの技術を集めて頑張ってみます」

 品質は指定しなくとも良いモノであった方が良い筈だ。きっと、今後のことも考えてちゃんと香料を一定の高い品質で調香出来る事を求められているのだと思う。

 つまり、これだけある材料から品質の良いモノを選別し、調香してコロンを作り上げる。そうなると、徹底した温度・湿度管理なども重要になる筈だ。

 簡単そうに見えて、難しい試験。これは最初の依頼から骨が折れそうである。

 そんな事を考えていると、ここに来た本来の目的を思い出した。

「そう言えば、酒場で私の帰還歓迎と称して宴会をしてるんですが参加しませんか?」

「そうね……。いや、今日は良いわ。誘って貰えた事は嬉しいのだけど、今日はちょっとね……。一人で星を見上げながら静かにお酒を飲みたい気分なのよ」

 確かに、マリンさんが宴会に参加する姿を思い描く事が出来ない。

 それどころか、あまりお酒のようなものを嗜まない事を知っているだけにその断り方に少しだけ違和感を覚えるのだが、無理に誘うのは失礼にあたる。

 私は小さくお辞儀をすると、酒場を手伝う為に大急ぎで雑貨屋を飛び出した。

 酒場の手伝い、掃除、明日からのアトリエの準備。

 今日の内から出来るのは素材の品質を見ての選別くらいだろうが、今日は寝られるだろうか。この胸の高鳴りはそう簡単には静まりそうにはない。

 私は初めての仕事に胸を躍らせながら材料を抱えて二階の自室へと持ち帰ると、階段を駆け下りると宴会会場である酒場のどんちゃん騒ぎに参加するのだった。

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