第二話

「たっだいまー! ジュリアおばさん」

 笑いとジョッキのぶつかる音に負けないように大声をあげ、背の低い私は存在をアピールするように大きく手を広げて見せる。きっと、みんな驚くだろう。

 いつも通りの盛況な酒場。変わらない風景。

 ウェイトレスとして働いてるお姉さんが端から端まで駆けずり回っている。これは、返ってきたばかりだが私も手伝いに回った方がいいだろうか――。

 そう考え、一歩踏み出したのだが、なんだろう。私に気付いた皆の空気が変わった。

 具体的に言えば、夢でも見ているのかとでも言いたそうな顔をした後、ハッとしたかと思えば、途端に気を遣うような感じになった。

「――ジュリア! 今日は朝まで飲み明かすぞ!」

 突然、酒場にいた客の一人がそう叫び、それを合図に宴会ムードに再突入する。

 ええと、何なの、この空気……。私、何かしたのだろうか?

「馬鹿言わないでほどほどにしておきなよ」

 そう続いたのは、ぽっちゃりとした体系。そこらの男には負けない大柄な体格と腕っ節を持った女性。この店の店長兼料理人のジュリアおばさんである。

 そして、私に気が付いたジュリアおばさんはやや膝を曲げ、そっと私に視線を合わせた。

「まぁ、まずはおかえり。ティナ――予定より随分と早いようだけど、何かあったのかい?」

 ……わぁ、ジュリアおばさんまで私に気を使うような対応だ……。

 これはもしかして、フローラから帰還が早過ぎて落第したと思っていたりするのだろうか? 落ちてショックで辻馬車使って大急ぎで帰ってきた、……みたいな。

 資格認定試験は年一回、一カ月の間行なわれる。それを逃せば、チャンスは来年。

 なにより、その試験の最低ラインとして十五歳という年齢制限がある。つまり、十五歳の私はその最低ライン。難関だからこそ、受からなかったと思ったのだろうか?

 勝手に話が面倒な方向に進んでしまって今更ながら本当の事が言い辛い。

 そんな時、私の胸ポケットから銀細工の蝶が飛び出すと私の周りを舞い始めた。

「なんだなんだ? その蝶は。この辺りでは見ないな」

 酒場の客の言葉に私へ再び視線が集まる。

 これはチャンスか。中央でもなかなか見ることが出来ない逸品なのだ。きっと、本当の事を知ればみんな腰を抜かして驚くだろう。

「ちゃんとフローラまで辿り着けましたよ。この通り、この白銀の蝶と三級の認定証まで貰ってきました。もっと、褒めてくれたっていいんですよ」

 鼻高々に宣言する私に相反し、酒場の皆は何の反応も示さない。

 えっ、なんで? 私は何が何だが理解出来ず首を傾げるのだが、当然と言えば当然か。

 私が受けると言って出立したのは初歩の初歩。見習いの初級。

 だが、私に与えられたのは三級。きっと、驚きのあまり言葉も出ないのだろう。

 ……と、思っていたのだが、どうやらまったく違うらしい。

 何故か、肩に手を置くと先程より酷い憐みの視線を送られる。

「ティナちゃん、そんな落ち込んで幻覚を見なくてもまた来年頑張ればいいじゃないか。ほら、今日は騒いで飲んでその事を忘れて明日から頑張ろうな?」

「いや、だから違いますよ。落ちてないですし、幻覚なんて見てませんから! ほら、この通り! 三級の証明書ですよ。香料士の証もありますし、印章だってほら!」

 私はギルドから与えられた認定証を拡げるとギルドの紋を指差して見せる。

 その上、私の上を飛んでいるのはただの蝶ではない。ギルドに正式に認定された香料士にしか渡されない。白銀の蝶と呼ばれる私だけの魔法生物だ。

 ギルドの人はこれだけで香料士の証になると言っていたのだが、やはり中央だけか。

 そんな胸を張りつつも信じてくれない事に頬を膨らませていた私をジュリアおばさんはそっと抱き締めてくれた。久々に感じるおばさんの体温が心地よい。

 酒場にいたお客さん達もそんな私の様子を微笑ましく眺めると同時に、ほっと胸を撫で下ろしていた。ただ、心なしか雰囲気がどうもいつもと違って感じてしまう。

 久しぶりに我が家とも呼べる場所に帰ってきたからだろうか?

 私が師匠にこの町で置いて行かれて……この町に慣れるまでしばらくの間はよく、こうして貰っていたが最近は殆んどなくなっていた気がする。

 だからこそ、おばさんの身体から漂う仄かに甘い香りが私に安心感を与えてくれた。

「そうかい。それなら良かったよ。みんな、心配してたんだ。悪く思わないでやってくれ」

 ジュリアおばさんの言葉を合図に、静かに私の様子を眺めていたお客達が一斉に口を開く。いつもの光景。いつもの酒場の雰囲気だ。

「こいつなんか、試験に行ってから毎日、酒場に金もないのに顔出してたからな」

「お前さんだって、似たようなものだろう? 毎晩毎晩、まだかってジュリアにティナはいつ帰ってくるのかって聞いてばかりだったじゃないか」

 まるで子供のように擦り付け合う男達にジュリアは呆れたようにため息を吐くと、苦笑いを浮かべていた私にこう尋ねてくる。

「それから、マリンにも早く報告してやらないとね。色々と助けて貰ったんだろう?」

 確かに調合の材料の工面。資料の本。様々な事でマリンさんにはお世話になった。

 特に香料の材料は毒などもある為、私個人では手に入らない物が多い。それを廃棄するレベルのクズではあるが、こっそり私に譲ってくれていたりした恩人だ。

 もしも、マリンさんの助力がなければ実技試験の調合で練習の時のような成果が出せなかったかもしれない。それを考えると、マリンさんには頭が上がらないな。

 ただ、もう日は沈み星が輝いている。確かに報告は早い方がいいのだが、この時間は明日の雑貨屋の仕入れのチェックや在庫確認を行っているだろうから邪魔するのも悪い。

 行くなら明日のお昼過ぎの方がいいだろうか? 色々と話したい事もある。

「うん、明日のお昼にでもコレを見せて驚かせるつもり。喜んでくれるといいけど」

「陰ながら応援してくれてたんだ。喜んでくれるよ。私からもお礼を――」

「べ、別に気にしなくていいからね。お礼は私の方でちゃんと言っておくからさ。それよりも、お客さんの相手してあげないと! これだけ盛況なんだから」

 これは私個人でお世話になった事だ。私がお礼をしなければならない。

 それにこの町で商売をする際に相手になる最初のお得意様になるのだ。その事もある。だから、ジュリアおばさんが間に入るのは良くないと思う。

 コロンをあの雑貨に置かせて貰う約束もあるが、ギルドに納品してという形式とは違う為、私とマリンさんの交渉によって価格が決定する。

 私が旅用に自分で調香したモノとはわけが違い、今度はギルドの指定の瓶に指定の方法で詰めなければならない。買い手がいる。売り物としてのコロンを作る必要があるのだ。

 品質の良し悪し、量、効用。様々な観点から私の技術料が計りにかけられる。それに商売だ。納期もあり、指定日までに調合し納品できなければ取引は御破算。

 もう、私だって子供じゃない。職人と認められたのだ。

 まぁ、確かに今は懐が心許なく、材料を調達しアトリエを構えるだけのまとまった資金が不足している為、最初の納品日について相談しなければならないのだが……。

 あぁ、私の香料士生活はまだまだ遠そうである。いつになったら始まるのだろう。

「それはそうかもしれないけど、久し振りに帰ってきたんだしねぇ。そうだ、私からも何かティナにお祝いしないとね。確かこの辺りに……」

 ジュリアおばさんの言葉に、賑わっていた酒場は何かを待つように静まり返る。

 そして、お客達は互いに目配せしながら何かの合図を送り合っている。

「えっ? 別に気にしなくてもいいよ。ほら、中央へのお金だって相当無理して貰った訳だし、この酒場とパン屋の経営だけでも大変じゃない。私のことは構わないからさ」

 そこまで言って、大事な事を思い出した。怒っていなければいいのだけど……。

「そう言えば、アドはいい子にしてた? 行く時、随分と連れていけって渋っててさ」

「あぁ、あの子ならあんたのいなくなった部屋で静かにしていたよ。毎日、三食のご飯も食べていたようだし、何の問題もないと思うよ」

 アドとは私のポケットが定位置のネズミのような生き物だ。しかし、静かにしていたという単語が少しばかり気がかりだ。何も起こっていなければいいのだが……。

 私の問いにそう答えると、ジュリアおばさんはカウンターの中へと戻ってしまう。そして、奥の方で何かを探し始めるのだが、その様子に私は困惑してしまった。

 確かにパン屋と酒場は赤字を免れている。だが、ジュリアおばさんの働く時間は長く、その二つが負担となって毎日、寝る間を惜しんでいる事を知っているだけに受け取れない。

 そんな断ろうとする私に対し、見付け出した小さなモノを私の手の中に包ませると大きなため息を吐く。そして、残った手で私の頭を優しく撫でた。

「本当にあんたって子は心配し過ぎなんだよ。それに、合格したんなら寝泊まりしている部屋で仕事なんて無理だろう?」

 ジュリアおばさんの言葉に何も言い返せない私は目を逸らしてしまう。

 確かにこれまでは調合の実験を外でやる訳にもいかず、はたまた自室でやるにも困った事態で作業を物置でしたりと色々と試行錯誤をしていただけに言葉も出ない。

 これから行うのは商売。もう、そのやり方は出来ない。

 何より、不純物が混じらないように工夫したりと大変なのだ。それなりの広く清潔な部屋――生活感のある場所での仕事は難しい。

「分かってるよ。それは……。でも、お金ないからこれまで通り色々としてさ。お金貯めてアトリエ作って……って、見、見られてたんだ。作業してるところ」

「あぁ、けど私だって無理は出来ないからね。村のみんなに頼んだら、レスティナの為に力を貸してくれて廃屋になっていた民家を修繕してくれたのさ。それがレスティナへの私達からの合格祝いってやつかね。アンタの香料士として働くアトリエさ」

 その言葉に最初は何を言っているのか理解出来なかった。

 香料士として働くアトリエ? だって、それはまだまだ先の事だと思っていた。

 理解が追い付かない。でもどっちにしても、ちゃんとした調香用の機材が必要。気持ちは嬉しいが、複雑だ。気持ちはとても嬉しいのだが……。

「えっ? でも、そんな場所を借りるお金ないし、周りに迷惑だってかけるかも知れないよ。それに、気持ちは嬉しいんだけど、調香用の器材とか一通り揃えようと思うと、やっぱりアトリエで働けるようになるのはまだまだ先の話だったり」

 ちゃんと目で確かめていないが、廃屋を補修したとなるとそれなりに広い場所なのだろう。しかし、そんな場所でもちゃんと薬品洩れした際の対策をしなければならない。

 頭の中で経費を計算して行けば行くほど、その帳簿は真っ赤に染まってしまう。

 いつかは私もアトリエを持ちたいなと夢見ていたが、流石に今の私には完全に宝の持ち腐れ。悪いが、必要経費の計算をしたら受け取るのは気持ちだけだろう。

「器具は親切な人がタダ同然で譲ってくれたから心配しなくてもいいし、必要な補修だってちゃんとその人が計算してくれたから問題ない。お金の件が心配なら、これから働いて少しずつ返して行けばいい。どうってことない話だろう?」

 ジュリアおばさんの言葉を合図にお客達はエールを掲げると大声でこう叫んだ。

「俺達はバカみたいにエール飲むなら、少しはティナちゃんの力になってやれってこっぴろく母ちゃんに絞れたしな。あはははは」

「そうそう。少しは協力してやったらどうだいってな」

 お酒が入っているからか、笑い混じりの言葉の数々――その言葉の一つ一つが私の胸の中へ落ちていく。頬を滴が伝っていく。

 酒場にいるみんなの気持ちが温かい。その温もりに我慢できず、声まで出てしまう。

 本当に優しい人だらけだ。こんな人達に支えられて私は本当に幸せ者だと思う。ここは優しさに満ち溢れている。なら、私はそれに報いないといけない。

 涙でグシャグシャになった顔で無理矢理笑うと、大声で宣言する。

「皆さん、本当にありがとうございました。私、レスティナ・ティンカーベルは明日から三級香料士として頑張っていきたいと思います」

 そう酒場の中心で高らかに誓う。決意として胸に刻む。

 それと同時にジョッキを乾杯し、活気がさらに高まる夜の酒場。私の帰還を肴に宴会に発展し、大賑わいだ。これは一晩中、この調子が続きそうである。

「あぁ、そうだ。マリンの奴を呼んで来てくれないかい? どうせ、今晩は祭りみたいなもんさ。それぐらいなら問題はないだろう? あいつもたまには……ね」

「わ、分かりました。大急ぎで呼んできます」

 中には本当にただ騒ぎたいだけの人間も数名混じっているかもしれないが、やはりこういう席はみんなで楽しんだ方がいい。それに、それくらいならきっと問題ないだろう。

 私は頬を拭うと顔を叩き、気持ちを入れ替える。そして、活気の溢れる酒場を飛出し、夜道を駆けてマリンさんの営む雑貨屋へと急ぐのだった。

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