香料士~幼き職人と深き森の魔女~

浅田湊

序章 幼き職人の帰還

第一話

 空に右手を掲げ、天に伸ばした人差し指で休憩する白銀色の蝶に私は思わず、頬を緩ませてしまう。夢じゃない。念願が叶った証拠なのだ。

 思わず鼻唄を口遊んでしまう。土手を走る辻馬車の揺れに合わせ投げ出された足が空を切る。首が揺れ、髪を結んだ大きなリボンが左右にぴょこぴょこと動く。

 左手にはまだ真新しい羊皮紙――中央を発ってから何度開いて確認したか覚えていない。

 羊皮紙に銀細工で出来た魔法生物。認定証とその証明。

 香料士と呼ばれる職人を取りまとめるこの国の中央。そこに存在する夜明けの星と呼ばれるギルドが私を正式な職人であると認める証書なのだ。

 念願の夢。それがようやく叶った。

 まだ、師匠に追い付くには程遠い。でも、確かな一歩。前へ前進する事が出来た。

『本日付けでレスティナ・ティンカーベルを第三級香料士として認定する』

 五階層からなる見習い認定の五級ではない。三級! まだ、正式な香料士としては中堅クラスだが初めての試験でこの結果だ。これを喜ばず、何を喜べと言うのか!

 本当なら手伝いで貯めたなけなしのお金を使ってあと中央に三泊ほどし、色々と観光を終えてから徒歩でまた来た道を帰る予定だったのだがそれらを全てキャンセル。

 ギルド近くの乗合馬車に認定証発布を終えると飛び乗ってしまった。

 それもこれも片田舎できっと試験に合格しているか心配しているであろう養母のジュリアおばさんにこの煌びやかな結果を知らせる為だ。

 きっと、この認定証と蝶の銀細工を見たら飛び上がって喜ぶどころか腰を抜かしてしまうかもしれない。ぎっくり腰にでもなってしまったらどうしよう?

 でも、これからが大変だ。今までのお礼もしなければならない……。

 それに、アトリエを構えたりと帰ったら仕事が山積みだ。忙しくなる。

「お嬢ちゃん、随分と嬉しそうだけどなにかいい事でもあったのかい? それとも、中央から久方ぶりに故郷に帰るから到着が待ち遠しいのかい?」

 陽気に口遊んでいた鼻唄はどうやら、御者さんにも聞こえていたらしい。

 その言葉に現実に戻り、辺りを見回すと他のお客さんも微笑ましそうにこちらを見つめている。その事に恥ずかしさのあまり熱い鉄のように一瞬で真っ赤に染まってしまう。

 ダメだ。ダメだ。気が緩み過ぎている。気合を入れ直さなければ――。

 そう思い頬を叩いて緩みを吹き飛ばし、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着けようとするのだが、気が付くと頬が緩んでしまう。あぁ、これは治りそうにない。

「両方ですかね。嬉しい事があったからと、早く故郷に帰って応援してくれていた家族を安心させてあげたい。――それにしても、早いな。私が五日もかけて歩いた距離をこんなに早く駆け抜けちゃうなんて」

 中央のフローラはもう見えない。辻馬車もまた一人、また一人と人が減っていく。

 試験の二日前に止まった宿場町も通り抜けた村までもたった今、通り過ぎてしまった。

 あれだけ時間をかけて自分の足で歩いた道がこんなに早く見えなくなり、過ぎ去っていくなんて夢でも見ているかのようだ。この旅まで幻のように感じてしまう。

 夕日に染まる草原。満点の星空。川のせせらぎ。どこからか流れて来た潮風の香り。通り抜けた村々。そこで聞こえてきた人達の営み。

 初めての一人旅は新鮮で目を輝かせるものばかりだった。

 初体験。新鮮な香り。色々な人との出逢い。本当に初体験尽くし。

 きっと、これから歩んでいくリンカーベルでの香料士としての道も新鮮な事尽くしだと考えると期待に胸が膨らんではじけ飛んでしまいそうだ。

 あぁ、早く帰りたい。でも、もう少しこの旅を続けたい。

 そんな思いの中をフラフラしていると、御者さんがどこか楽しそうに笑った。

「そりゃ、馬だから当然さ。しかし、お嬢ちゃんの年齢で足を使って故郷から中央まで出て来たとは驚きだね。でも、話を聞いてる限り、お嬢ちゃんはその気質がありそうだ」

「そっちの気質ですか? てっきり、旅は足でするものだとばかり……」

 御者さんの言葉に思わず素っ頓狂な声を上げて尋ね返してしまう。

 何せ、旅は自分の足で歩くものだとばかり思っていたのだ。遠い昔、師匠に拾われてからいくつも町を巡った事があるが、その時だってずっと徒歩。しかも、野宿だった。

 そんな師匠の背中をずっと見続けていて、それが当たり前だと思っていたのだが違うのだろうか? 馬とはお金がある金持ちの乗り物だとか言っていたのだが。

「いや、確かに世の中には好き好んで徒歩で旅する人も大勢いるし、そういう知り合いだって沢山いる。人それぞれの理由だが、ゆったりとした旅を楽しみたいとかそういう考えにも一応、理解があるつもりさ。でも、旅には危険が付き物だろう? 特に今のご時世」

「あはははは、確かにそうですね」

 確かに御者さんの言葉の通りかもしれない。

 華の都と言われていたフローラもどこか、鉄と火薬の臭いが立ち込めていた。そういうご時世、少女の一人旅は流石に危な過ぎたか。今後は気を配らないといけないな。

 それにしても、師匠って今どこで何をしているのだろう。元気にしているだろうか?

 私の原点であり、孤児だった私を引き取ってくれた恩人。

 手紙だって一度もくれた事がないが、何故だろう。楽しくやっている気がする。

 色々と無茶苦茶な師匠。どこかでまた巡り会えたらいいな。いや、それは無理か。

「でも、心配は御無用です。しばらくは故郷でって決めてますから。今まで、色々と迷惑をかけた人達のお蔭で今の私がいますし、まずはその恩返しをしないと」

 ただその背中を追いかけ、アロマの調合の技術を目で盗んで覚える事に必死だったから毎日が大変で。一日の流れがとても速く感じられた。

 ジュリアおばさんに預けられてからも、雑貨屋を営むマリンさんの持っていた蔵書を読み耽り、時間を見付けては廃棄される薬草を使って必死に調合の練習をしてきた。

 ジュリアおばさんやリンカーベルの町に住む人々の助力がなければ私がスタートラインに着く事すら出来なかったかもしれない。夢は夢のまま終わっていたかもしれない。

 だからこそ、この職人としての腕を。認められた技術を彼らの為に使いたい。

 香料士として町を笑顔にする。悲しみにくれる人を救う。それが香料士となる事を決めた私が師匠に誓った言葉なのだ。絶対に叶えてみせる。実現させる。

 そう別れの時に自分自身に誓いを立てたのだ。

「そうかい。若いのに随分と立派な考えの嬢ちゃんだ」

「違います。私なんてまだまだ、立派ではありませんよ。未熟の卵から孵化したばかりのヒナ鳥です。これから成長していかないと――まだ目標は先だから」

 御者さんの言葉に思わず、頬を膨らませて反論する。

 三級は中段。最上級の一級香料士の認定まではこれまでの倍以上の努力がいる。

 それに、香料士となったからには一番の高みである一流の証明である一級を目指すのが筋というものだ。こんな所で満足する気は毛頭ない。

 そう考えていると、懐かしい風景が目に飛び込んで来た。

 私が故郷を飛び出す時に目に焼き付けた光景――帰って来たのだ。リンカーベルに。

「そりゃ、一本取られたね。まだ、馬車は止まらないけど目的地に着いたよ」

 トコトコと馬は音を鳴らし、土を踏みしめながら木製の門を潜り抜ける。

 それと同時に慣れ親しんだ香り。腐葉土と土の香りが漂ってくる。

 あれ程、遠かったフローラが半日足らず。空には満点の星空。

 片道五日間もかかった時間が嘘のように短い旅路で終わってしまった。それだけに呆気なかったが、それでもやはり感慨深いものがある。

 馬車が止まると私は荷台から飛び降りる。すると、チリーンと腰に付けた鈴が鳴った。

 久方ぶりの土の地面に足を踏み締める感覚がとても心地よい。私は背伸びをして故郷の香りを鼻いっぱいに吸い込むと、御者さんに大きなリボンを揺らし、微笑みかける。

「えっと、九十銅貨レーヌでしたよね」

 一銀貨は今六十銅貨だから、支払うべきは一銀貨フロルと三十銅貨。

 だが、帰りの宿場代と観光代を合わせた金額はポケットに入っている二銀貨。帰りの金額もピッタリになるように旅費の消費を抑えて調整していたつもりだったが、帰りの計画変更はかなりの大誤算だったらしい。

 だが、こればかりは仕方がない。三十銅貨を受け取る以外にはなさそうである。

 思わず溜息を吐きながら残りの二銀貨を御者さんに手渡した私に対し、御者さんは一枚だけ銀貨を受け取った。そして、残りの一銀貨を私の手に優しく握らせる。

 その行動に私は計算を間違ったのかと首を傾げてしまう。

「あの……九十銅貨ですよね? 御代は……」

 今朝の銀貨と銅貨の取り引きは変動してなかったと記憶している。つまり、これでは御者さんが損をしてしまうという事になってしまう。それはやっぱり、

 私がそれに対して口を開くと、私の言葉が出るより先に御者さんは首を横に振った。

「これは小父ちゃんからの心ばかりの気持ちってやつさ。これからお嬢ちゃんはこの町で頑張るんだろう? なら、これはちょっとだけどその足しにしてくれや」

 何だろう。心遣いはとても嬉しい。だが、やはりただ貰うのは気が引ける。

 でも、お金以外には私が持っているモノなんて……あっ。

 私はある事を思い出し、ポケットを弄るとそこにはやはり、瓶が残っていた。

 試験会場で帰り用に調合しておいた疲れが取れるコロン。

 本来の仕事の検査用。製品としては規格外だが、この薄緑の液体でも気持ちを落ち着かせ、睡眠導入を行う事によって疲れを取る効果がある。

 きっと、御者さんも疲れているだろうし、コロンも必要な人に使われたい筈だ。

「なら、私からも心ばかりのプレゼントです」

 私は御者さんに精一杯の微笑みと共に、その小さなガラス瓶に入った液体を手渡した。

 一応、試験官も褒めてくれた。私自身も同様の物を行きに利用し、効果は実証済み。

 きっと、御者さんの役に立ってくれるに違いない。

 そう思ったのだが、私は一つの現実を知る事となる。

「液体? 何かの飲み物かなにかかい?」

「違いますよ。その液体を枕に二滴落として寝て見てください。きっと、いい夢が見られます。なんたって、香料士が作った特性のコロンなんですから」

 私が香料士に見えなかったのか。香料士という職業の認知度が低いのか分からないが、これが現実か。やっぱり、師匠の背中はまだ見えそうにはないや。

 でも、御者さんは嬉しそうにその瓶を眺めている。あぁ、でもそんなに喜ばれると少しばかり、複雑である。それ……処分する試験用の素材で作ったものだから……。

「香料士――あぁ、噂には聞いた事があるがこれがそうなのか。って事は、お嬢ちゃんはその香料士ってやつって事で……。こんな物を貰ってもいいのかい?」

「構いませんよ。旅用に私が作成しておいた残りでそんなに品質も高くないですから。それに後八日にはただの色水に戻ってしまっちゃうので使わないのはもったいないですし」

 あと八日。それがその品質の低いコロンの使用期限だ。

 それが過ぎれば香りが揮発し、ただの水へと戻ってしまう。きっと、私には疲れを取る香りなど、今日明日の挨拶周りでは必要ない筈だから、大丈夫。

 こういうのは誰かの為に使われるべきである。それが本来のコロンのあるべき姿の筈だ。

 そして、香料士として求められている形だと私は考えている。

「それでは、ありがとうございました」

 私はそう言って御者さんに小さく礼をして別れを告げると、馬車を止めた村中央の広場で明々と灯りの灯っている村唯一の酒場。ジュリアおばさんのお店の扉を開けるのだった。

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