第四話
空は晴天。空気が澄んでいる。森を吹き抜ける風が気持ちいい。
ただ、森の木々に隠された地面はぬかるんでおり、時折足を取られてしまう。
道なき道を狼さんの案内で進んで行くのだが、一向に生姜らしきものが見えて来ない。確か……。うん、そう言えば私は生姜がどういうものかは知っていても、どういう風に自然界に存在しているかは知らなかった。不味い。本当に見つかるのだろうか。
いや、狼さんの事だ。きっと、知っているに違いない。だからこうして……。
「ところで、お前は生姜がどういうものか知っているのか?」
「へっ? 狼さんが知っているんじゃ……。てっきり、案内してくれているものとばかり」
どうしよう。非常に不味い。これではどうやって生姜を見付ければいいか分からないではないか。確か、根っこのようなものだったのだからそれらしき物の下を掘れば! いや、流石に辺り一面を掘り起こすのは不味い。後の手入れが大変になってしまう。
そんな事を考えていると、背後からガサゴソと音が聞こえてきた。
野生の動物だろうか? 藪が揺れている。でも、狼は肉食動物だし、自分から草食動物が近付いて来る事はまずないだろうから……。まさか、肉食?
狼さんはというと、じっとその藪を見詰めるだけで何もしない。
「何やら騒がしいと思ったら、こんな所で何しているの?」
藪から顔を出したのはエリナさんだった。獣道を通ったらしく、服には小枝が付いている。頭にはいく枚かの葉っぱが乗っているがそれを気にする素振りはない。
きっと、仕事中に話し声が聞こえて来たので気になってこちらに来たのだろう。
一昨日、急に押しかけたのに昨日は姿を消していた手前、気まずい。何と返していいのか分からない。いきなり、生姜を下さいというのは失礼だろうし……。
「こいつが生姜が欲しいそうだ。仕事でどうしても入り用らしくてな」
「ちょ! な、何言ってるんですか。嫌だな。狼さん、私そんな事を言いましたっけ?」
何を急に言い出しているのだろうか。狼さんは。
私が恥ずかしくて生姜が欲しいんですけど、分けて下さいませんかと言い辛かった所に直球で分けてやってくれだなんて……もう少し空気を読んで欲しい所だ。
物事には順序というものがあって……。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「そう。生姜だったらこっちよ。着いていらっしゃい」
エリナさんはそれだけ言うと、何も聞く事はなく森の中を歩き始める。
私もその後をそそくさと着いて行くのだが、急に森から姿を消した事を怒っているのだろうか? 一言でも何か言ってから出て行くべきだったかもしれない。
非常に空気が重たく感じられる。胃が痛くなってしまいそうだ。
「一応、言っておくけど怒っていないわよ」
その言葉にホッと胸を撫で下ろす。そっけない態度を取られてしまったから、もしかしたらと思っていたがどうやら違ったらしい。
けれども、私は次の言葉に酷く胸を締め付けられた。
「貴女の世界はここじゃない。なら、大切なモノがある場所に帰るべきよ」
それはまるで、ここにはあまり立ち寄らない方が良いと言われているようにも感じ取れてしまう。でも、私はやっぱりこの場所が好きだ。エリナさんが好きなのだと思う。
私は小さく頷くと私は手をギュッと握りしめた。
「誰かを縛り付ける物が本当に大切なモノなんでしょうか」
私の口から漏らした言葉にエリナさんはゆっくりと足を止めた。
動かない。顔が見えないからどんな事を考えているのか分からない。
その沈黙が私には酷く怖く思えてしまうのだが、後には引けない。私は覚悟したのだ。
「貴女もいつか分かる時が来るわ。縋れるものがある事の幸福を」
縋る。その言い方はまるで――エリナさんもまた助けを求めているようじゃないか。
自分を追い詰めている。それが罰なのかもしれない。でも、同時に誰かに赦しを求めているのではないだろうか? 今は亡き祖母の代わりに。
でも、きっと私の言葉はエリナさんには届かない。狼さんの言葉も届かない。
きっとエリナさんを救えるのはその祖母か、エリナさん自身だけなのだ。
だから、私に出来る事はエリナさんが自分を許せるようにする手伝いをする事。
それが香料士としてアロマでするべき事なのだと思う。死んだ人間を蘇らせる事は出来ない。私はただの香料士でしかないのだから……。
気付くとエリナさんは再び歩き出し、木々の間から木漏れ日が差し込む小さな川が流れる水場の畔で立ち止まった。野生動物の水飲み場なのだろう。近くに野生動物の真新しい足跡らしき物が幾つも点在している上に、その先には獣道も見て取れる。
そして、エリナさんはその一角に生えていた草を引き抜いた。
「これが生姜よ。この根っこの方は風邪の引き初めに良く効くの。栽培が難しくてあまり作られてはいないんだけどね。これも昔、ここで栽培されていた名残だから」
きっと、昔薬草園で栽培されていたのが野生化してしまっているのだろう。
これが生姜。確かに黄土色っぽいが黄金の根っこという感じはしない。
「これが生姜……。芋みたいな感じですし、蒸して食べるんですかね?」
芋の仲間なら蒸して食べればホクホクしそうではあるが、少し小ぶりな気もする。これでは食用としては向いていない気もする。本当に薬用の植物なのだろうか?
そんな事を言っていると、エリナさんは私から目を逸らすとそっとその生姜の皮を少しだけ剥いてそれを手渡して来た。
「皮をむいた部分を齧ってみると分かると思うわ」
私はその言葉通り、恐れず齧るのだがその瞬間に口の中に広がった味に思わず吐き出してしまう。なんだこれは! こんなモノ、食べ物じゃない。苦い薬だ!
「苦いです……。これ、食べられるような代物じゃないです……」
「香辛料としては使われてるみたいだけど、これその物を食するって事はないと思うわ。薬用としては利用されてるみたいだけどね」
身を持って経験しただけに分かるが、確かに香辛料にはなりそうだ。
むしろ、値が高いのは薬用としてよりそちらの需要が高いからなのではないだろうか?
口の中がまだ苦いが、これで目的の生姜も手に入った。
賢者の一欠けらと思い人の一欠けら。
あれ、もしかして思い人というのはエリナさんの祖母の事なのではないだろうか?
思い人とは人によって変わるのだからその人の思い人である必要になる筈だ。
だとすれば、賢者の一欠けらの正体は……検討も付かない。
何より、清緑の涙とは何なのか。恐らく、抽出に利用する液体なのだろうが……液体なのに清緑という辺り、純粋な水とはとても思えない。
そう言えば私が作ったコロンがそんな色だった気もするが、あんな色なのだろうか?
でも、アロマの材料にコロンを使うとは聞いた事がない。
涙。涙からのイメージだと雨。雨……清緑色の。なんだろう?
それほど特別な水を使っているとは思えない。師匠はきっと身近な物でアロマを作った筈だ。ならば、そんな特別な物である筈がない。材料は全て近くにあった筈……。
「随分と難しい顔をしてるわね。そんな顔をしてると幸せが逃げて行っちゃうわよ」
「でも、悩まないと前に進めないと思います。悩んで考えて、それでも前に進めれば私はソレでいいと思います。幸せは遠くなるだけで逃げてはいきませんから」
考える事から逃げていたらアロマは作れない。幸せばかりを追い求めていては何も変われない。前に足を踏み出す事はいつだって怖いモノなのだから。
私がこんな事をエリナさんに言える程、人生経験がないのは分かっている。
私は未熟な香料士でエリナさんから見たら妹分的存在でしかないのかも知れない。
けれども、私はレスティナ・ティンカーベルなのだ。それ以外にはなれない。
「誰にだって幸せになる権利はある。例外なんてどこにもないと思います」
乾いた心では色鮮やかな世界もモノクロになってしまう。
だから、余計に沈んでしまう。心も冷めきってしまう。何もかも諦めてしまう。
でも、それは悲しみで心を曇らせているだけだ。その靄を晴らすのが私の仕事。
「私、エリナさんの事を好きですし、尊敬してます。でも、私は貴女の考えを認めません。今ようやくわかりました。この薬草園に何が足らなかったのか」
思えば簡単な事なのだ。ごく単純過ぎて気付かなかった。
確かに手入れが行き届けば、この場所には綺麗な箱庭が出来上がるだろう。でも、それはきっと過去の記憶を、贖罪と後悔でなぞった絵画のようなものになる。
そこには本当の意味での生命の鮮やかさは存在しない。そんな物よりは、荒れ地に咲く一輪の花の方が幾倍も美しい。私はそう思う。
この前、少しだけ横目で夜の庭園を見た程度だったが、あの庭にはそこを管理する人達の意思が見え隠れしていた。そこにははっきりとした息遣いがあった。
でも、この薬草園にはそれがない。確かに純粋な想いという名の必死さが詰まっているのだろうが、そこには明らかにエリナさん自身の想いが入る余地がない。
だからこそ、はっきりと言える。この薬草園は箱庭でしかないのだと。
「エリナさんは楽しいですか? 薬草園での作業」
「…………当然でしょう。それが、私の仕事なんだから」
そんなのは嘘だ。自分にそう言い聞かせる事でそれを本心だと思い込もうとしてる。
そうやって嘘を貫き通した先にエリナさんの求めているモノがあるとは思えない。
『庭園とは人を映す鏡。だからこそ、個性という物が出るものなんだ』
とか、ジーク辺りなら熱く語るのだろうが、私は庭師でもないので言い切れない。
私はその言葉を飲み込んでいると、エリナさんは自分に言い聞かせるようにこう告げた。
「――でもね。仕事は楽しいばかりじゃないの。そんな甘いモノじゃないのよ」
「分かってますよ。痛い程に。でも、辛いだけの仕事なんて悲し過ぎます」
分かっている。香料士になって私はソレを経験している。だが、それ以上に私にはコレが仕事には思えないのだ。人との繋がりが一切ない。
社会との接点を断ち切って自己で完結しているモノを果たして仕事と言えるのだろうか。
誰の為でも無く、自分の生活を支える為でもない。それじゃ、ただの趣味だ。
趣味で自分を追い込んでしまうなんて……そんなのは間違っていると思う。
「――あぁ、そうか。だからだったのか」
今になってようやく、香料士の離職率が異常に高い事の理由を理解出来た気がする。
助けたいと思う心は大切なのだろう。でも、それを一人で背負い込む事は間違っている。
重過ぎる十字架はその重圧によってその心すらも捻じ曲げてしまう。
強過ぎる思いは鎖になり、想いは重りになる。そして、それによって破綻する。
私達はそんな矛盾した中で答えを探していかなければならないのだろう。
でも、私はこう思う。助けられるのならば、助けたい。出来る事ならば。
「狼さん、私は一度アトリエに戻ります。材料も手に入った事だし」
「いいのか? まだ、全ての材料が見付かった訳ではないのだろう?」
どうやらバレバレらしい。肝心の抽出に利用するであろう清緑の涙。賢者の一欠けらと呼ばれる謎の材料。この二つに心当たりがないのだ。
「賢者の一欠けらと清緑の涙。この二つですかね。何か見当もつかないのは」
「勝手に納得して仕事の話、か。随分と好きなのね。その仕事とやらが」
私を呆れたように見つめるエリナさんに私は深く頷いた。
香料士が好きだという気持ちに嘘偽りはない。それだけは断言出来る。
大きく首を縦に振ると私はエリナさんをまっすぐに見詰めてこう告げた。
「当然です。私は香料士に今もなろうと必死に足掻いているんですから」
私は香料士になる為に走り続ける。香料士として認められても、そうあり続ける為に努力し続ける。それらは全て目標の通過点に過ぎないのだから。
そんな私の言葉にエリナさんは森の奥へと身体を向けると、強く手を握りしめた。手が朱くなるまで。それはエリナさん自身も納得していないのではないかと感じさせる。
「賢者の一欠けらは恐らく智慧の実の逸話のある林檎だと思うわ。それから、清緑の涙にも心当たりがある。そこまで言い切ったのだから、証明してみせて」
「証明、ですか? でも、私自身も香料士が何かをまだ良く理解して無くて……」
恥ずかしながら、私は三級香料士の免許に認定され一人の職人となって初めて、無知である事を知った。香料士についてそれなりに知っていたと思っていた事が思い上がりでしかなかった事を実感する事となった。
だから、私が香料士であると胸を張れる日が来るのか。それは私にすら分からない。
そんな私の言葉にエリナさんは首を横に振ってそれを否定する。
「香料士である事の証明なんてどうでもいい。貴女は私の在り方を間違っているというのなら、それを行動で示して。言葉だけなら何とでも言えるわ」
口だけなら何とでも言える。確かにその通りなのだろう。
だからこそ、行動で示さなければならない。私がそうであったように、その背中を見て人は進む道を決める事が出来る。憧れを抱く事が出来る。
私は香料士だ。あの時、師匠がしてくれた事を今度は私が行なう番。
エリナさんに言われた事でそれを初めて実感できた気がする。
「当たり前じゃないですか。私は香料士で、一人の職人で」
だからこそ、こう言おう。いつか、師匠に再会した時に胸を張って言えるように。
師匠に与えられた名前を胸に。堂々と。精一杯、笑みを浮かべて。
「――レスティナ=ティンカーベルなんですから」
私が香料士としてどういう道を歩んで行くかは分からない。
でも、少なくとも今こうしてやろうとしている事に間違いなんてない。私は香料士としてあるべき事を為そうとしている。私は師匠の弟子として恥ずかしくないように。
そんな私の言葉にどこか恥ずかしげにエリナさんは俯くと、小さく溜息を吐いた。
「貴女って初めて会った時から思ってたけど、本当にまっすぐなのね。……それが少しだけ羨ましいわ。その眩しいぐらいの純粋さが」
最後の方が上手く聞き取れなかったが、変な事を言われている訳ではないのだろう。
それにしても、これで材料は全てそろっ……。あれ、まだ清緑の涙については聞いていない気がする。賢者の一欠けらが林檎なのは納得したが。
「清緑の涙は朝露だと思うわ。今の時間だと収集は難しいけど、今朝の内に集めた物があるからソレをあげる。林檎の方も昨日の残りで良ければ」
一欠けらなのだから、丸々一つは必要ない筈だ。問題ない。
清緑の涙に関しても森の朝露というのならば、納得だ。後は思い人の一欠けら。
エリナさんにお婆さんの遺品を分けて下さいなんてお願い出来る筈がない。かと言って、お墓を暴いて遺体の一部分を貰うなどという不信心な事も無理だ。
最後にして最大の関門。なのだが、当然そんな物を攻略する手段など思い付く筈もなく。
私は林檎と生姜と朝露を手に再び、領主様の庭園まで来ていた。
既にジークと庭師のおじいちゃんは材料を集め終わったのか、小屋の前で私の帰りを待っていたらしい。良かった。ここまで狼さんに着いて来て貰わないで……。
狼さんは私がここに来る前にアトリエに寄った際にそこで待っていて貰っている。
依頼主として最後まで私の仕事を見届けて欲しいから――。
小屋へと近付いて行くと二人は此方に気付いたようで、手を振り始める。
「やっと帰って来たか。それで、材料は全部揃ったのか?」
「一応、作る為に必要な材料は揃ったと思う……。作る為に必要な物は、ね」
「妙な言い回しだな。作る材料とは別に何か必要な物が残ってるって事か?」
恐らく、この材料から推測するに個々の差異を生み出すのは思い人の一欠けら。
その中核である肝心の物がまだ手に入れられていないのだ。これでは作業が出来ない。
私の申し訳なさそうな顔に気付いたのか、ジークも何も言わない。
「思い人の一欠けらだけは手に入れられなかった。大切なモノを無断で持ち出す訳にもいかないし、安易にそれを下さいなんて言える物なんかじゃないから」
エリナさんにとってお婆さんがどういう存在だったか、想像に難くない。
それだけに、私にはそれを蔑ろにするような真似だけは出来なかったのだ。
ジークも私の言葉に頭を掻き毟ると何か手を考えようと額に手を置いて唸り出す。
答えは分かっているのに。それを手に入れる手段がない。凄く、もどかしい。
「思い人。婆さんの物でいいのなら、儂がなんとかしよう」
庭師のおじいちゃんはそう言うと一人、小屋の中へと入って行く。
そして、どれほどの時間が経った頃だろうか。庭師のおじいちゃんはよほど小屋の中を探したのだろう。頭に埃を付けた姿で私達の前へと再び現れた。
「婆さんとの思い出の品と言ったら色々と浮んだんじゃが、顔も知らなん孫とな……。だから、一番婆さんの傍にあった物を選んでみたんじゃがどうじゃろうか」
持っていた煤汚れた布巾の中から出て来たのは――透き通るくらい黒い石だった。
ピカピカで私の顔が歪んでその表面に写り込んでいる。装飾品なのだろうか? そういう物に縁がないだけに、私には何とも言い難いのだが……。
「最期に濃の所に現れた時に渡された物じゃ。これくらいしか思いつかんかったが」
庭師のおじいさんにエリナさんの祖母が自分から渡した一品。確実に本人の物と見て間違いはないのだろう。だが、同時にこれを使っていいのかと思ってしまう。
作り方がまだ分からないだけに、この装飾品がそのままであるとは限らない。
大切な品の筈だ。そんな物を私なんかに預けてしまって大丈夫なのだろうか?
そんな心配をしていると、庭師のおじいさんはその装飾品を見詰めながらこう告げた。
「確かにレスティナ嬢の言う通り、これは婆さんの遺品じゃ。でも、そんなモノよりも大切なモノはあるし、それだけが婆さんとの思い出じゃないんじゃ」
この装飾品が無くなったからと言って、エリナさんの祖母と庭師のおじいちゃんの人生が消えてなくなる訳じゃない。それは確かに存在し続ける。
それを思い出す為のファクターに過ぎないのだ。大切なのはモノじゃない。
私達の中で生き続けている記憶。この胸に刻み込まれているモノの筈なのだ。
「何より、前も言ったが儂は孫の顔も知らん。孫も儂の事を祖父とは思えんじゃろう。当然じゃ。儂は何もしてやれんかったんじゃからな。それが報いという物なのじゃろう」
どこか哀しげにそう呟くと庭師のおじいちゃんはこう続けた。
「じゃからこそ、儂は婆さんがやり残した事をやってやらんといかんと思うんじゃ。そうせにゃ、婆さんも救われんじゃろう。孫があんな状態じゃ、死んでも死にきれん」
エリナさんの祖母の為にこれを私に託す。
呪縛に囚われているのはエリナさんだけじゃない。庭師のおじいちゃんも、きっとエリナさんのお母さんも。そして、死んだエリナさんの祖母もなのだろう。
「それがせめて、儂が死んでしもうた婆さんの為にしてやれる事なんじゃなかろうか」
そこまで言われてしまったら、コレを受け取らない訳にはいかない。
これでメモに記されていたであろう材料は全て揃った事になる。後は作り方だ。
この中で香料として使えそうなのは生姜、林檎、宿り木、葡萄。
朝露は香料を抽出する為の液体なのだろう。問題は硫黄と思い出の一欠けらだ。
宝石を砕いて使うというのは考え辛い。そもそも、石を香料として利用するなどという技術は耳にした事がないのだ。そういう方法を使うとは思えない。
この材料の中でアロマを作ったとして、その効力に影響を与えそうな物はこの思い出の一欠けらくらいだろう。つまり、この宝石が今回の調香の要という事。
「で、どうするんだ? 材料は全部揃った訳だしさ。これで作れるんだろう?」
「うん、材料は揃ったから作れる。でも、問題は作成方法。考えられる方法はそんなにないけど、どうやってやるかが問題なのよね」
そう呟いて、私は一つの事を思いだした。
急ぐ必要はない。階段を一つ一つ昇って行くべきだというマリンさんの言葉だ。
裏を返せば、アロマを作る技術はコロンを作る技術の延長線上に存在するという言い方も出来るのではないだろうか。あの方針にはきっとそんな意味が込められていたと思う。
もしもこの考えが正しければ、このアロマの作製には複合した形のコロンを精製するのに近しい技術を応用する方法でなんとか出来る筈だ。
実際に作成した事はないが、知識として調香方法は頭の中に入っている。
何の問題もない。いつも通りの作業でいつも通りにやればいい。自分を信じて。
残りは思い出の一欠けらと硫黄。燃料というのも考えたが、それは考え辛い。
何より、今手元にある硫黄は肥料に使われる硫黄の一種だ。それをどう使うのか。
「もしかして、灰みたいな形で用いるのかも。確か、灰汁抜きに師匠が使ってた。となると、材料の灰汁抜き? いや、完成品を整える為の材料?」
使う可能性は完成品の香りを整える際か、材料の下拵え。
この二通りしか考えられない。そうなって来ると、問題は記憶の一欠けらの使い道だ。
それがどのような使われ方をするのか。ソレが分かれば、全てが一つに繋がる気がする。
やはり、生物的な物でなければダメだったのか。人の骨。遺髪。灰。
この辺りなら、まだ何とかなりそうなのだがわざわざそのような捉え方以外も出来る抽象の仕方で物が提示されている。だとするならば私の方が何か気付けていないのだろう。
「おーい……。こりゃ、完全に自分の世界に入ってるな」
ジークが横で何かを言っているが、そんな事は気にならない程に集中していた。
記憶。そう言えば、白銀の蝶の鱗粉でその土地の記憶を再生していた。
同じ事がこの宝石でも出来るのだとすれば、まさかそう言う事なのだろうか?
こればかりはやってみなければ分からない。試す以外に証明出来ない。
「よし。作成方法は思い浮かんだ。ここから先は私の仕事ね」
私は材料を抱えると庭師のおじいちゃんに一礼すると、大急ぎでアトリエへと向かった。
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