第三話

 領主様の庭園に着く頃には辺りは暗くなり、星明かりだけが静まり返った庭園を照らしていた。太陽が昇っている時には鳥のさえずりも聞こえてくるのだろうが、今は無音。

 ただ、静寂が支配し奥に見える小屋だけが明々とした灯りを灯していた。

「もう日も落ちたし、大体の連中は帰った後か……」

「でも、小屋に灯りがあるって事は誰かいるって事よね?」

 確かにもう闇が支配する時間だ。普段なら、家に帰り夕食の準備をする頃合いだろう。

 しかし、まだ誰かいる気配がある。灯りを灯したまま小屋を去る訳がない。

「あぁ、この庭園で唯一王宮に招待された事もある古株の庭師があそこに住んでいるからな。ちょっとばかり、変わった人だけど優秀な人だよ。俺の師匠でもある」

「へー。酒場で手伝いをしてたけど、そんな有名な人がいるなんて知らなかった」

 王宮に招待されるなど、よっぽど著名な庭師なのだろう。

 一度もそんな話を聞いたことがないだけに耳を疑ってしまうが、こんなすぐに分かるような嘘をジークが吐くとは思えない。きっと、事実なのだろう。

「謙虚な人であまり自分の事を語らないからな。庭師一筋らしくて、他に親族はいないらしい。ただ、気になるんだよな。なんで、そんな人がこの庭で働いているのか」

 確かに気になる。王宮に招待されるレベルなら、他の貴族から引き抜きがあってもおかしくはない。何より、親族もいないならこの地にこだわる理由もない。

 領主様に恩義を感じて。そういう理由もあり得なくもないが、不思議だ。

「ただ随分前に年老いた老婆が一人、師匠を訪ねてきたんだよ。ほんの短い間、話をしただけでそれから姿を現すことはなかったんだが……。あの時は随分と気落ちしてたな」

 老婆。その言葉が引っかかった。

 庭師。老婆。他に親類がいない。

 確証はまだどこにもない。けれど、頭の中を確かにその庭師が今回の一件の関係者なのではないかという予感が支配していた。

「色々とお話を聞きたいし、行ってみましょうか」

 私は小屋へと足早に向かうと、軽く扉をノックする。

 少ししてギギーという音を立てゆっくりと扉が開いたかと思うと、顔を覗かせた老人は最初は訝しげな顔をしていたのだが、私の顔を見ると驚愕の表情を浮かべる。

「おぉ、まさか……。いや、あの方は……。なるほど、フィレナ様が気をかける訳じゃ」

 私の顔を見て何を納得したのか分からないが、どうやら悪い印象を与えた訳ではなさそうだ。けれど、領主様の娘に気をかけられた覚えはないのだが、一体どういう事だろう。

「あの……夜分、遅くに申し訳ありません。少々、お話が聞きたく足を運ばせていただきましたが、お時間をいただく事は出来ますでしょうか」

「こんな老人でも良いのであれば、いつでも足をお運びください。あまり、大したおもてなしは出来ませんが、それでもよいのであれば」

 どこか嬉しそうに私を招き入れる老人に思わず首を傾げてしまう。

 ジークもその態度にどこか驚きを隠せないらしく、挙動不審だ。

 ただ、室内に案内されて出されたお茶を飲んだ瞬間、私はそんなジークの様子など気にする余裕はなくなってしまう。なぜなら、その味を私は知っていたからだ。

「このお茶――あの時の!」

 上手く言葉が出てこない。だが、はっきりと分かる。

 これは紛れもない。エリナさんが私に淹れてくれたお茶だ。この香り。味。間違いない。

 しかし、どうしてこれを庭師のおじいちゃんが知っているのだろう。

 完全に同じものとは言い辛いが茶葉に同じ薬草をブレンドしているのは分かる。

「おや、このお茶をしっているのかい。私の知り合いが昔、分けてくれた物を私なりに再現してみたものなんじゃがな。これをどこで飲みなさった?」

「帰らずの森の奥にある薬草園です」

 私の言葉に老人は目をぱちくりとさせる。

 手に持っていた木製のカップはゆっくりと床へと落下し、辺りにお茶を撒き散らす。

「それは……本当か? あの薬草園は閉演された筈じゃが……。最後の管理人が居なくなって随分と経つのじゃぞ……。それなのに、どうして……」

「え、えっと……その……エリナさんが荒廃した薬草園に昔の姿を取り戻そうと……」

 私の両肩を掴み、目を大きく見開いて尋ねてくる老人に私は思わず言葉を濁してしまう。

 あまりの必死な形相。その迫力に驚かずにはいられなかったからだ。

 ただ、一つだけわかったのはこの老人の庭師がエリナさんの事を知っている事。

 しかし、エリナさんの年齢を考えると、娘という事は考え辛い。

「一度も会った事はないが、恐らく儂の孫じゃ。あやつから森を出たと聞いていたのじゃが、まさか戻って来ておったとは……。それも、森の管理人として……」

 ジークは私たちが何の話をしているのか分からず、話に入ってこれずにいる。

 まぁ、それはいい。それより、大事なのはエリナさんに何があったかだ。

 まさか、こういう形で何があったかを知る機会が巡ってくるとは思わなかった。ここには材料についての話を聞きに来たつもりだっただけに嬉しい誤算だ。

 ただ、先程から管理人という言葉を使っている。もしかして、魔女について知らないのだろうか。狼さんが語った魔女の忌々しい歴史について。

「あんなに嬉しがっていたのじゃがな。魔女以外の道を志ざし、森を出て行ったことを」

「えっ、でも……。エリナさんはお祖母ちゃんを裏切ったって思ってました。それに、お祖母ちゃんが死んだのは自分の所為だとも……」

 どういう事だろう。

 お祖母ちゃんはエリナさんが森の外に出たことを喜んでいた。

 だが、結果としてそれがエリナさんを余計に苦しめる結果になったのだろうか?

 そう言えば、私の居場所はどこにもないと言っていた記憶がある。それに、狼さんがお祖母ちゃんはエリナさんの。人の親にはなれなかったと。

「なるほど。そういう事か。子供を捨てて森を飛び出したバカ娘が原因じゃろう。儂が人の事を言えんのは分かっておるが、本当に辛い思いをさせたんじゃな」

 その捨てられた子供がエリナさんなら、母親は森を飛び出しどこに行ったのだろう。

 今も森の外で生きているのだろうか? そう思うと少しだけ胸が締め付けられる。

「孫は管理人としての才覚に溢れていたが、娘はどうやら才能の欠片もなかったらしくての。それが原因で娘を捨ててどこかへ雲隠れしたらしい。迎えに来るからと言ってな」

 すぐにその迎えに来るという言葉が嘘である事に気付いた。

 子供を捨てる時の常套句だ。そうする事によって自分の罪悪感を和らげるのである。

 でも、幼かったエリナさんはその言葉を信じていたのだ。いつか自分の事を迎えに来てくれる。その思いであの場所で暮らしていたのだ。

 そして、森の外へと出た。ここまでわかれば、想像は難しくない。

 旅の本当の目的は母親を探すことだ。だが、きっと見つけられなかったのだろう。

 そして失意の中で戻ってきたが、薬草園にいた筈のお祖母ちゃんは既に亡くなっていた。大切な思い出のある薬草園は荒廃した姿で……。

 救われない。本当に救われなさすぎる。

「悲しいですね。誰が悪いとかじゃないですけど」

 私も孤児のようなものだ。エリナさんの気持ちは痛いほど、分かる。

 昔、師匠にこの村に置いて行かれた際は色々とあった。うまく言葉には言い表せないが、随分な時間をそのモヤモヤとした感情が支配していたのを覚えている。

 でも、同時に母親の気持ちも分からなくはない。

 全てを忘れてしまいたかったのだ。新しい自分になる為に。

 確かにそれは自分勝手な思いだが、その気持ちを否定することは誰にもできない。

 何より私自身が昔の私を知らない。何故なら、このレスティナという名前も新しく人生を歩み始める為に師匠から与えられたものなのだ。本当の名前、本当の母親、本当の自分を私は知らない。それに興味がないと言ってしまえば、嘘になるが……。

「そうじゃな。もしも、儂にもう少しだけ勇気があれば、あやつを森から連れ出す事が出来たのやもしれぬ。そうすれば、あの娘も管理人いう立場を呪縛に感じる事もなかったであろう。今更な話ではあるがな」

 過ぎ去ってしまった過去の話をしても仕方がない。

 人は過去に戻る事は出来ず、思い耽っても現実の問題は何も解決しない。

 ただ、苦しいだけだ。過去の自分の選択を悔やむばかりというものは。

「すまんな。変な話をしてしまって。そう言えば、お前さんは香料士じゃったな。折り入って頼みがあるのじゃが、この老い耄れの願いを聞き入れてはくれぬか」

 その続きは何なのか。聞かずともすぐに分かる。

 だが、私には先約がいる。頼まれずとも、出来る限りやってみるつもりだ。

「すいません。既にエリナさんを過去の呪縛から解き放つという依頼を受けているのでこれ以上の依頼は受けられません。でも、お手伝い願えるでしょうか?」

「儂に出来る事であれば、出来る限りの力になろう。こんな儂にも何か出来るのであれば」

 その言葉に私はジークから渡されていた羊皮紙の切れ端を老人に見せた。

 ここに記されているのは全てアロマの材料だ。だが、現状はヤドリギ以外は分からない。

 もしかしたら、何か知っているのではないかと淡い期待を抱き見せたのだが、老人は静かに首を横に振ると残念そうにこう告げた。

「清浄なる繭となっておるヤドリギ。大蛇の木の実となっておる葡萄。それらなら、この庭園でも手に入るじゃろう。問題は燃える石と黄金の根っこなんじゃが。……おそらくここでは無理じゃろう。儂の知る限り、この庭園にはそれらはないからのう」

「大蛇の木の実は葡萄……確かに蔦が蛇みたいに巻き付きますもんね。でも、黄金の根っこと燃える石。賢者の一欠片と思い出の一欠片っていったい?」

 残りの正体不明の材料は四つ。手に入る場所も不明。

 燃える石と賢者、思い出の一欠片はもはや植物であると思えない。

 そもそも、見つかったとしてもこれをどう扱うものなのかも謎だ。分からな過ぎる。

 そんな私の様子にジークは頭を掻きながら、老人にこう告げる。

「他は分からないですけど、黄金の根っこと燃える石の正体は心当たりあるんですよね」

「黄金の根っこは生姜じゃた筈じゃ。じゃが、あれは残念ながらここでは栽培しておらん。それから、燃える石は記憶が正しければ硫黄じゃからな……」

 生姜に硫黄。確かに手に入れるのは難しそうだ。

 硫黄は火薬の材料だが、少し前の戦争で需要が急激に高まり異常な値上がりを見せている。庶民である私のような人間が易々と手を出せるようなものではない。

 そして、生姜に関してはこの辺りで栽培は難しく栽培されていなかったはずだ。

「そう言えば、どうしてこの材料が何を指すか知っていらしたんですか?」

 私にはこの隠語から何を指しているのか一瞬で判断する事が出来なかった。

 それをこの老人は一目で見抜く事が出来たのか。もしかして、私に知識が足らなかったのだろうか。そんな事を考えていると、どこかから一枚の絵を取り出し、私に見せる。

「昔、一度同じものを集めた事があってな。もう、随分と前になるが」

 そこにあった絵の一人は見た事がある。恐らく、エリナさんの祖母なのだろう。

 隣にいるのはもしかして、師匠だろうか? でも、どこか今の風貌とは違う気もする。

 他にも二人ほど描かれている。一人は老人の若い頃なのだろう。

 残り一人は……見た事がある気がするがどこでだろう。思い出せない。

「あれ、この人って俺もどこかで見た事あるな。どこだったっけな?」

 ジークが知ってる人ってなると屋敷の使用人?

 確かにそれなら村の中で見た事があってもおかしくはない。だが、どこか納得いかない。

 ただ、いくら考えても解らないだけに私は老人に尋ねようとするのだが、老人はその絵を戸棚へと戻すとにっこりとほほ笑みながらこう告げた。

「儂の古い恩人じゃ。とても優しい娘で村中の人間から好かれておった。だから、彼女が嫁に行く時は村を挙げて……。いや、忘れてくれ。関係のない話じゃったな。確か、このレシピはまだ見習いだったミネルバが初めて作ったレシピだった筈じゃ」

 この村出身の女性できっとどこかへ嫁ぐ為に、この村を去ったのだろう。

 その女性がどうなったのか。わざわざ、外に貰われて行ったのだから裕福な所に嫁いだのだろう。少女心としては興味がない訳ではない。

 それに加え、師匠が初めて作ったレシピ。思いがけない所で師匠の名前が出て来た事に少しばかり話の続きが気になってしまうが、今はいいか。

 私が今すべき事はこのレシピを使ってエリナさんを助ける事だ。師匠の話は後でいくらでも聞ける。今すぐに聞かなければならない理由はどこにもない。

「話を戻すが、生姜と硫黄を手に入れる術は何かあるのかのう。昔、アレらを集める時は随分と苦労をさせられた物なのじゃが」

「その辺りはやっぱり、マリンさん辺りを頼るしか……」

 この辺りで簡単に手に入れられる代物ではない。流通ルートを辿っても、相当な金銭が必要になる筈だ。しかし、他に方法を思い付かないのも事実。

 材料が揃えられなければ何も始まらないのだ。そこで躓くわけにはいかない。

「儂の記憶が正しければ、生姜はおそらくあの不帰の森にある薬草園で手に入る筈じゃ。それから、硫黄なんじゃが、燃やした後のものであるならば分けられるかもしれん」

 燃やした後。つまり、硫黄の燃え残り。

 どういう使い方をするかわからないが、ないよりはマシというものだろう。

 となると残された物は二つの欠片と清緑の涙なのだが、これらに関しては全く見当がつかない。欠片と言えば固形物。涙だから液体なのではという推測程度だ。

 老人もこれに関しては何もわからないらしい。どうやらこれら三つの材料は師匠が当時、どこからか持って来たらしい。師匠の事だから、この近くで手に入るモノなのだろうが一体何を指すのか私にも見当がつかない。

 私はそれらをいったん保留。判明した材料を集める作業に取り掛かることにする。

「俺がヤドリギと葡萄を取ってくる。師匠が硫黄。残ったお前が生姜だな。不帰の森にあるっていうんなら、お前以外にとってこれなさそうだしさ」

「そうね。あまり、あの森には近付きたくはないけど仕方ないもの。じゃあ、私は一旦アトリエに戻るわ。材料の件、よろしくお願いしますね」

「礼を言わねばならんのはこちらじゃわい。孫の事、よろしく頼む。あれには色々と辛い思いをさせてしまった。いくら謝っても償えんことじゃわい」

 老人はそう言って、深々と頭を下げてくる。

 その期待が凄く重い。怖い。もし、失敗したらと思うと……。

 だが、そんな私の手をジークはそっと握りしめていた。

「お前ならできる。だから、頑張れよ」

「言われなくてもやってやるわよ。絶対に成功させてやるんだから」

 私はそう宣言すると領主の庭を後にする。

 色々な事が分かった。色々な物が見えていなかった。

 それらを一つ一つ夜道で思い出しながら、歩いていると気が付けばアトリエに辿り着いていた。星灯りに照らされ、静まり返っている。

 そんな中、アトリエの前で狼さんが身体を丸めて眠っていた。

 私は起こさないようにそっと横を通るとアトリエの鍵を開けようとするのだが、それに目を覚ましたのか背後から急に狼さんに声をかけられる。

「何か成果はあったのか? 目の周りが腫れておるぞ」

 その言葉に村の外れで泣いていた事を思い出した。あれだけ泣いていたのだ。時間が経ってもなかなか腫れが収まる筈もない。

 その事に顔を真っ赤にして恥ずかしがりながらも、私は扉を開けながらこう告げた。

「ありました。レシピも解りましたし、エリナさんについても少しだけ理解出来ました」

 庭師の老人の事は話さない。そうするべきではないと思ったからだ。

 あの口ぶりだ。きっと、狼さんとも面識があるのかも知れない。だからこそ、互いの為にも話すべきではないと私は判断したのだった。

「そうか。なら、いい。今日はもう休め。月を肴にするのもいいが、明日も早いのだろう?」

「分かってますよ。けど、私からも一つだけ聞いていいですか?」

「なんだ? 質問とは珍しい」

 色々と聞きたい事は山ほどあるのだが、私はその中であえてこの質問を選んだ。

 私が香料士になったきっかけ。師匠の通った道でもある。このアロマを作るから。

「狼さんは師匠……って、分かりませんよね。ミネルバって人の事を知っていますか?」

 何も答えてくれない。星明りに照らされる軒先の下で狼さんはじっと動かない。

 何か不味い事でも聞いてしまったのだろうか? そんな不安さえ込み上げてくる。

「あ、あの……答えにくいなら良いんです。ただ、気になっただけですから」

「知ってるよ。よくあの森に来ていたからな。絵に描いたようなお転婆娘でよく、一緒にいた娘を困らせていたのを覚えているよ。なるほど、お前はアイツの弟子か」

 弟子、なのだろうか。私としては弟子のつもりだったのだが、最近では香料士としての弟子ではなかった気もして来る。うん。私と師匠の関係ってなんだったんだろう。

 どちらかといえば、香料士としての師匠はマリンさんなのではないかという気もする。

「分かりません。いや、分からなくなったのかな? 師匠の考えが」

「あのバカの考える事が分かる人間がいたとすれば、詐欺師か狂人か、馬鹿正直な奴だよ」

 散々な評価だ。一体、狼さん相手に何をやらかしたんだろう。

 いや、あの人の事だ。とんでもない事をやらかしたに違いない。尊敬していた筈なのだが、だんだんとその輝きも鈍ってきた気がする。無性に悲しくなってきた。

「だが、腕だけは確かなモノだったよ。人間性を差し引いてもおつりがくる。だからこそ、奴の周りには常に人がいたのだろう。アレは行動でしか表せん人間だからな」

「そう、ですか。ほんとに無茶苦茶な人ですもんね。全部、一人で勝手に決めますから」

 私をこの村に置いて行く時も何も私に言ってくれなかった。

 気が付けば、いなくなっていた。いつもそうだ。大切な事は何も言ってくれない。

 こうして、立ち止まって考えると私は何も師匠の事を理解していなかった気がする。

 ただ、香料士として活躍する姿にあこがれを抱いていただけ。それだけだった。

「そうだな。ただ、それは強い人間である証拠でもある。何もかもを一人で背負う事など出来はせん。普通ならすぐに破綻してしまう。そこに立ち続けるなど出来はせんよ」

 確かにそうなのかもしれない。

 何があったのか。私には分からないが、マリンさんは立ち続けるのを辞めてしまった。

 きっと、他にも多くの香料士がそうやって道を諦めているのだろう。

 そんな中で師匠は最前線に立ち続けている。香料士であり続けている。

「だから、胸を張れ。お前は正真正銘の奴の弟子だ。そうでなければあのバカが長い間、誰かの世話をし続けるなんて有り得ないからな。それに、弟子は師匠を越えて行く物だろう? あのバカの背中は随分と遠い所にあるだろうがな」

「返す言葉もありません。けど、この依頼を熟せたら私は香料士として一歩、師匠に近付ける。いや、本当の意味で香料士としての一歩を踏み出せると思います」

 コロンを創り続けるだけでは香料士とは言えない。

 アロマを創り、誰かを助けてこそ香料士である。師匠はそうだった。

 だから、私は私の思い描く香料士になる為にこの依頼に立ち向かうのだ。

「明日、もう一度不帰の森に行こうと思います。どうしても、生姜が欲しくて」

「分かった。明日の朝、また案内しよう。今日はもう休め」

 そう告げると狼さんは顔を伏せて眠りについてしまう。

 確かに、不帰の森で生姜を探すなら歩き詰めになる。睡眠をとっておかないと、大変な一日になるだろう。どんなモノかも分からないのだ。直ぐに見つかるとは思えない。

 私は暖炉に火を入れるとその前で毛布にくるまった。

 そして、パチパチと音を立てて燃える薪。赤々と燃える炎。

 それらを眺めながら、私は眠りにつくのだった。

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