第二話

「ったく、あの人は一体何を考えているんだか」

 屋敷で庭師の仕事をしていると、突然呼びつけられ一枚の羊皮紙を渡された。

 これをティナに渡すように。薄汚れた羊皮紙の切れ端を。

 仕事は出来るが自由奔放。外を歩き回るのが趣味なお嬢様はどうしてこれを俺に渡したのか。どう考えても、自分で渡した方がティナから好意は上がる筈だ。

 なのに、常に一定の距離を取ろうとする。まるで、何かを恐れているかのように。

 それが何なのか分からないが、あの人の事だ。直接聞いても答えてくれないだろう。

 ただ、恩はある。本来、執事になる筈だった俺が庭師になる事を許してくれた。

 お蔭で今の俺がここにいる。ティナに比べたら、まだまだなのだろうが――。

 自分と幼馴染のティナを比べ、その未熟さに思わず苦笑いを浮かべてしまう。

「しっかし、これを何と言って渡せばいいのやら」

 ティナの仕事に関して、何も知らない。その俺がこれをポンと渡すのも怪しい。

 どうして、俺がティナの欲しがっていた情報を持っているのか。どうしたものか。

 頭をかきながらどうしたものかと考えていると、気付けばティナのアトリエの前まで来てしまっていた。職人として認められた証でもあるアトリエの前まで。

 ここに来たのはこれが三度目――いや、横目に見たのも考えればもっと、か。

 俺はまだ半人前。ティナはもう一人前。

 本当にどんどん遠くの世界の人間になって行ってしまっている気がする。

 追い付きたくて、隣りを並んで歩きたくて庭師を目指したの筈なのに。

 俺は肩を大きく動かし、盛大な溜息を吐き出した。情けない。

 だが、それと同時にどこかその事が嬉しくもあった。アイツが幸せそうだから。

 覚悟を決めると、アトリエの扉をノックする。

 酒場でジュリアおばさんに話を聴いた限り、家の方には戻っていないらしい。

 お嬢様の話では雑貨屋で何かあったそうなのだが、そうなるとアイツがこの村で行きそうな場所は限られる。ここでないのなら……あそこくらいか。

 反応はない。鍵もかかっている。中に人の気配はない。

 黄金の麦の穂に囲まれたアトリエを後にすると、俺は村の外れの木製の門――外との境目まで足を運んだ。茜色に染まる夕暮れのこの場所を俺はあまり好きではない。

 いや、嫌いになったのかもしれない。

 俺にとっての世界はここまでであり、アイツにとっての世界はこの先にあったから。

「何やってんだ? こんな所で……。一人前の職人さん」

 蹲って泣いていたティナを見付けると門にそっと寄りかかり、声をかけた。

 きっと、雑貨屋を飛び出してずっと泣いていたのだろう。涙の痕が腕にまである。

 その様子にティナが初めて村に足を踏み入れたあの時を思い出した。

 師匠と呼んでまるで母親のように信頼していたあの人に置いて行かれた。ジュリアさんに預けられる事になったあの日の夕暮れもここでこうして泣いていた。

 きっと、ここにいれば戻って来てくれる。そう信じて――。

「何かあったのか? 話くらいなら聞いてやるぞ」

 返事はない。つまり、一人にしろと言いたいのだろう。

 でも、こちらもお嬢様から頼まれた仕事がある。これを終わらせなければ、庭師の仕事には戻して貰えそうにない。だから、はいそうですかと受け入れる訳にはいかないのだ。

「ったく、お前って昔からそういう所、頑固だよな。譲らないって言うかさ」

「だったら何? ジークには関係ないでしょ。ほっといてよ!」

 明確な拒絶の言葉に思わず、俺は頭を掻きむしった。

 確かにティナからしてみれば、俺は赤の他人だ。何の力にもなれないかもしれない。 でも、それでも無視は出来ない。コイツのこんな顔は見ていたくないから。

「だったら、いい加減に顔上げたらどうだ? ここで待ってたって待ち人は来ないぞ」

 その言葉にティナは立ち上がると、パチンという音が辺りに響き渡る。

 叩かれた。そんな事はどうでもいい。そんな事よりも、ティナが目を腫らし泣いていた。 分かっていた事ではあるが直視すると言葉も出て来ない。あの時を思い出して……。

「何も知らない癖に知った様な口聞かないでよ! 関係ない癖に。何も出来ない癖に。偉そうに私に何か言ってこないでよ! アンタに私の気持ちなんて分からないわよ!」


 私は気付けば、ジークにそう叫んでいた。腹の中の黒いもやもやをぶつけていた。

 頭では分かっている。ジークに当たった所で何も解決しない事は。

 でも、それでも私の口は止まらなかった。それ程までに頭の中がグチャグチャだった。

 きっと、マリンさんなら私の気持ちを理解してくれる。そんな期待を抱いていたのだ。

 私は香料士になりたかった。誰もを救える香料士に憧れを抱いていた。

 今の私のような香料士ではない。確かに私の腕が未熟なのは知っている。

 でも、それを理由に逃げたくはなかった。見捨てたくはなかった。

 だから、頼ろうとしたのだが、私はどこで間違えたのだろう。何がダメだったのだろう。

 分からない事だらけだ。本当に、分からない事だらけだ。

「あぁ、俺にはお前の苦しみは理解出来ないし、分からないよ。でもな。お前が必死で頑張ろうとしていた事は知ってる。だから……関係ないなんて悲しい事言わないでくれ」

「はぁ? 何言ってるの。意味分からないんだけど」

 その言葉に、なんだか色々な事が馬鹿らしく思えて来た。

 もうすぐ夜だしいつまでもここにいても仕方ない。家に帰るか。

 今日の晩御飯は何だろう。あぁ、でもずっと帰っていなかったから用意してないかもしれない。そうなると、アトリエで何か適当に調理するのもアリか。

 確か、アトリエには食べれそうな物がそれなりに……。

「おい、ちょっとどこに行こうとしてるんですかね? ティナさん」

「見て分からない? 帰るのよ。ジークもサボってないでさっさと仕事に戻りなさいよ」

「ん? えっ? どうして、明らかに色々とぶった切ってるよな」

 あぁ、泣いていた事か。そう言えば、私って泣いてたんだ。

 ジークの言葉で色々と白けてしまい忘れてしまっていた。

 これはジークのお蔭なのだろうか? お礼を言うべきなのだろうか? 一応。

「はいはい、分かったわよ。ありがとう。これで満足?」

「ん? あ、あぁ……まぁ、お前が元気になったんなら、もうそれでいいか」

 腑に落ちないと言いたげな顔をしていたのだが、納得したのかそれ以上は何も言わない。

 それにしても、ジークは暇よね。こんな村外れにまでわざわざ散歩に来るなんて……。

 本当に庭師になるつもりがあるのかしら。覚える事も多いのにサボりって。

「それじゃ、私はアトリエに戻るから。ジークも真面目に下働き頑張りなさいよ」

「あぁ、がんば――って、何で話を終わらせようとしてるんだよ。俺はお前に用があってわざわざここまで探しに来たんだよ! 仕事を抜け出して!」

「はぁ? それ、一人前を目指そうとしてる人間の言葉と思えないんだけど……」

 私は思わず、その言葉に呆れ果ててしまう。

 わざわざ、仕事を抜け出してまでここに来た? 本当に職人になりたいなら、目の前の事柄と真摯に向き合おうとする姿勢が大切なのでは……。

 真摯に向き合うか。私はマリンさんに真摯に向き合おうとしていたのだろうか。

 良く考えれば、マリンさんが怒るのも無理はない気がした。

 私はマリンさんが用意してくれていた仕事を全て蹴飛ばして、別の事に熱中していたのだ。傍から見れば、それはあまりいい気持ちではなかったのかも知れない。

 何も見えていなかったのは私の方か。両立させる道だってあったかもしれないのに。

「おい、人の話聞いてるのか? さっきから、上の空だぞ」

「はいはい、聞いてるわよ。レナさんに雑用押し付けられて逃げ出したんでしょう。そんなんじゃ、いつまでたっても一人前の庭師になれないわよ」

「ん? 間違いじゃないんだが……。まぁ、いいか。これ以上、言い合った所で話は捻じ曲がりそうだし。レナさんから雑用を押し付けられた事は間違いないからな」

 そう言うと、ジークは懐から古ぼけた羊皮紙を取り出した。

 四つ折りにされたソレは何かから切り出したのだろう。切り口が荒い。

 ただ、それがレナさんからの雑用と何が関係あるのか。まぁ、私には関係ないか。

 私はいつまでもここにいても仕方がないと判断すると、足早に立ち去ろうとするのだが、その腕をジークに掴まれた。まだ、何か用があるのだろうか?

「アトリエに戻るんだけど? 邪魔しないでくれる」

「いや、その……コレをレナさんから渡してくれって頼まれたんだよ。お前に」

 私はそのジークの言葉に訝しげな表情を浮かべながら、その羊皮紙を受け取った。

 レナさんからの伝言だろうか? まぁ、あそこにレナさんもいた訳だし心配してくれたのだろう。きっと、気にする必要はないというような言葉が……。

 そんな事を思いながら、その羊皮紙を開いただけに言葉が出なかった。

「ジーク。これ、どこで手に入れたの?」

「いや、レナさんから渡してくれって頼まれただけだが……」

 嘘だ。そんな筈がない。これをレナさんが持っている筈がない。

 何故なら、レナさんは香料士ではない。こんな手書きのレシピを持っている筈がない。

 ならば、誰が。といっても、一人しか思いつかないか。どうして気付かなかったのか。

 コロンを見極める目。あの蔵書の量。気付かない方がおかしかった。

 簡単な事ではないか。マリンさんの言葉の意味がようやく、全て理解出来た気がする。

「なんだ。答えはこんな近くにあったんだ」

 香料士をどうして辞めたのか。それは私には分からない。

 ただ、マリンさんは自分のようになって欲しくなかったから、私に厳しく当たったのだろう。なのに、私はそれに気付かずに自分の想いを貫こうとしている。

 だからこそ、余計に分からない。このレシピを託された意味が。

「それが何なのか、分からないけどさ。お前がずっと探してたもんなんだろ?」

「うん。そうなんだけど、これ――どうすればいいのかな」

 レシピは手に入った。後は材料を探すだけだ。

 それだけ。それだけなのだが、それを私がしてもいいのか。分からない。

 だって、マリンさんはあれだけ反対していた。失敗すれば取り返しがつかないと。

 なら、どうして今になってこんな周り諄い形で私の手に渡るようにしたのか。

 渡さなければ、私はきっとアロマを作れずに諦めてしまっていたのに。

「それがレシピなら作るだけだろ。お前が香料士でそれがレシピなんだからさ」

「そんな簡単に言わないでよ! 香料士はそんな簡単な……簡単な仕事じゃないのよ……」

 レシピを見て、それを作ればいい。それだけなら、どれだけよかっただろうか。

 料理のようにレシピ通り作れば確かに同じようなモノは作れる。だが、それだけだ。それを使う人にあったモノが作れるわけではない。それでは、意味がない。

 このレシピだってここから改良を加えなければ使い物にはならないだろう。

 気付くと私はそのレシピの書かれた羊皮紙をクシャクシャに握りしめていた。

「そうかもな。でも、いつものお前ならその程度じゃ諦めなかったと思うぞ」

「何よ……。香料士がどういう職業すら知らない癖に!」

 知ったような口を聞かないで欲しい。

 そんな風に簡単に分かった様な事を言わないで欲しい。

 私の苛立ちを感じたのか、ジークは目を逸らしながらこう続けた。

「今のお前はそれを言い訳に逃げてるだけだろ。香料士を目指してた頃のお前はもっと前向きで、何事にも真正面から挑戦していたように見えたけどな」

「それはまだ、私が未熟だったからで……。何も知らなかっただけで……」

「出来る出来ないじゃない。やるかやらないかだろ? 香料士の免許だって受験最低年齢で受けたんだ。受からないかもしれなかった。違うか?」

 そのジークの言葉に私は黙り込む。

 香料士の試験を受けたのはやらなければ、受かる事もなかったからだ。

 受かる確信があった訳ではない。それでも、私はあの時に挑戦する事を選んだのだ。

 そう。やらなければ。一歩、前に踏み出さなければ何も変わらない。

 ずっと、同じ場所に留まる事なんて出来はしない。時間は流れ、それに合わせるように周りの環境も人も変わって行ってしまうのだ。

 時間に取り残されると言うが、それはただ殻に閉じこもっているだけ。

 私はあの時、香料士になるという一歩を踏み出した。

『生きると言うのは決断の連続。それを手助けするのが私達、香料士の仕事』

 誰かがそんな事を言っていた気がする。そして、私は香料士だ。

「ダメだったらここに帰ってくればいいなんて、簡単な事は言えないのは知ってる。けど、俺はお前にはお前らしくあって欲しいんだ。香料士としてじゃない。ティナらしく」

「何それ……。これ、私に告白でもしてるの?」

 いや、相手はジークだ。それは有り得ない。ジークだけに。

 でも、私らしくか。確かに今の私は私らしくなかったのかも知れない。

 こんな風にウジウジ悩んでいるなんて何をやっているのだろう。いつもの私なら、この程度の障害に挫けるなんて事はしなかった筈なのに。

「えっ、はっ……。そ、そんな訳ないだろ!」

「そうよね。ジークにそんな度胸ないわよね。まぁ、でもありがと。心配してくれてさ」

 顔を真っ赤にして必死に否定するジークの様子があまりにおかしく吹き出してしまう。

 やるかやらないか。答えは二つに一つ。

 なら、決まっている。やってみる。いつだって、私はそうして来たのだ。

「ところでジーク。この後、時間ある? って、どうせ抜け出して来たんだし、大丈夫か」

「おい、人の答えを聞く前に納得してんじゃねェよ。まぁ、時間はあるがな」

 材料を見た限り、意味の分からない。恐らく、全てが隠語か抽象的な言葉なのだろう。

 私一人でこの材料を集めきれるとは思えない。一人よりも二人の方が効率はいい筈だ。

 庭師だし、それなりに植物の知識はあるだろう。使えなければ、その時はその時だ。

「そう。なら、材料探しを手伝って貰えないかしら? この隠語だらけの材料探し」

 大蛇の木の実、賢者の一欠けら、燃える石、黄金色の根っこ、清浄なる繭、清緑の涙、思い人の一欠けら。どれも心当たりはない。いや、思い人の一欠けら以外は、か。

 もしかしたら、私とは違う視点で何か思い付くのではないか。そんな淡い期待を抱いてジークに問いかけたのだが、少し考えるとこう返答してきた。

「確信はないんだが、清浄なる繭については庭の方で確保できると思う。他に関しては手に入れるのは少し難しそうだ。心当たりがない」

「清浄なる繭。何かの信仰対象って事なのかな?」

 豊穣の女神イリスに関係しているのなら、稲穂が一番に思いつく。だが、どうもしっくりこない。そもそも、豊穣の女神に繭の説話はなかった筈だ。

 なら、清浄なる繭とは一体、どのようなものなのだろうか。

 そんな事を考えていると、ジークは少し考えながらこう告げる。

「いや、恐らくヤドリギだと思う。あれは神聖なモノと古来から考えられていたって聞いたことがあるし、特に樫の木になったものは重宝されていたらしい」

「へー。ジークって詳しいのね。少しだけ見直したわ。なら、多分それで決まりね。他はまだわからないけど、分かったものから手に入れていきましょう」

 一つ分かったのだ。実物を見れば、他の物のヒントが何か得られるかもしれない。

 領主様の庭園か……。遠目に見た事はあれど、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。どんな素晴らしい場所なのだろう。期待に胸が膨らんでしまう。

「庭園に行くつもりなら、俺の師匠に話を聞いてみてもいいか。あの人なら、ティナの力になれるかもしれない。薬草に関する知識も豊富でお前の師匠とも親しかったらしいから」

「なら、決まりね。善は急げ。楽しみだわ。どんな庭が広がっているか」

 私はジークが何かを言うより先に駆け出し、領主様の庭へと急ぐのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る