第四話
「終わったーー! 依頼されていたコロン十本完成!」
香料の原料からの抽出に二週間。その後の調香に一日。熟成に一月。
締めてて一月半間の初仕事だ。今までとは少しばかり違う環境と量が量だけにもう少し時間がかかると思ってたのだが、組んでいた計画よりも随分と早く仕上げる事が出来た。
原料のリーン草は……萎れてしまったがまだ二枚。
自己評価としてはまぁまぁな結果だと自負している。
成分に関しても正しく抽出。不純物も少なく、個々の品質も高い。私としても惚れ惚れしてしまいそうなほどの完璧な仕上がりだ。
それが依頼通り、小型の瓶。十瓶。
昼過ぎという事も考えれば、これから審査を受ける事も可能だろう。
初めての審査だが、試験だって上手く突破したのだ。それに成分確認も逐一行い、一点の抜かりだってなかった。絶対に合格する筈。
そう意気込み、アトリエを駆け足で飛び出し雑貨屋の扉を潜ったのだが、そこには肝心の店主であるマリンさんの姿がどこにも見えなかった。
だが、鍵は開いている。となると、遠くに出かけたわけではなさそうだ。
「あのーマリンさん? いませんかー?」
「ちょっと、待って貰える? 裏で作業していて、手が空いていないから」
そう言って少しの間雑貨屋の商品を見回して待っていると、何かを棚卸ししていたのか両手に軍手をはめ、少しばかり髪に埃を着けたマリンさんが店の奥から姿を現した。
私はこれから審査が始まると考え始めると、手が震え始める。
やっぱり、こういう空気には慣れない。高鳴る鼓動を落ち着ける為に深呼吸をし、唾を飲み込むと依頼品であるコロンの入った小瓶をカウンターの上に並べていく。
「早かったわね。まずはちゃんと十瓶。数を揃えている、と」
マリンさんはそう言うと、一つずつ小瓶を確認していく。
コロンを日の光にかざして見たり、沈殿物がないか軽く振ってみたり。
その一つ一つの動作がとてもゆっくりに感じられ、この時間がとても長く感じられ……。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。これで最後って訳でもないのだから、もっと肩の力を抜いて落ち着きなさい。そんなんじゃ、商談相手に舐められるわよ?」
「そうは言っても、やっぱり怖いですよ。初めての事なんで……」
初めての商品としての調香。初めての商品審査。初めての商売相手としてマリンさんと対面。初めて尽くしだ。初めて尽くしで、それでいてどこか遠く感じる。
これが一歩踏み出すという事なのだろうが、それがどうしようもなく怖い。
「確かに私も最初はそういうものだったかもしれないわ」
どこか寂しそうにマリンさんはそう呟くと、最後の小瓶をカウンターへと戻した。
「まず、調香のスピードに関しては文句なし。むしろ、早いくらい。確かに今回は期日を指定していなかったけれど、期日より早くもって来てくれる分にはこちらも取引がし易い。但し、ちゃんと調香を行えていたらの前段階がクリア出来ていたらの話だけれどね」
早目に提出しようとした事に関しては大正解。好印象だ。
つまり、一つ目のステップは越えたという事。その事にまずはほっと胸を撫で下ろす。
「それで、調香の方だけど――色は濃い目の碧。透き通っており、成分抽出における不純物も基準値を大きく下回る。流石……と言っておくわ。その若さでここまでの技術を持った人間は私の知る限りでも数える限りよ。貴女よりも熟練でもね」
「あ、ありがとうございます。それって! つまり!」
つまり、商品として認められたという事だ。私の持ちうる限りの技術が。
まぁ、不合格など有り得ないとは思っていた。材料も良かったし、作業はいつも以上に完璧だった。何の問題もなかった。
だが、次のマリンさんの言葉に私は耳を疑ってしまう。
「――でも、不合格。これだと、
「え? 何を言っているんですか? だって、さっきは……」
すぐにはマリンさんが何を言っているのか理解出来なかった。
熟練並みのコロンを作れている。マリンさんもその部分に関しては確かに認めてくれていた。ならいったい、何が問題だったというのだろう。
不備があったようには到底、思えない。だとすれば、何? 私には検討もつかない。
「成分抽出は完璧。不純物も少ない。技術は問題ないって言いましたよね! なら!」
私は不合格という事実に納得がいかず、マリンさんに食ってかかってしまう。
だが、そんな私の動揺などなんでもないかのようにマリンさんは淡々と返答をする。
「そうね。確かにそれに関しては非の打ち所がないわ。最上級と言ってもいい」
「なら、どうしてです! 何も問題がないならどうして!」
戸惑いを隠しきれない私に対し、マリンさんは深く溜息を吐いた。
「問題ないのは技術だけよ。私が依頼をする際になんて言ったか、覚えているかしら?」
それは品質の良い物を早く……。いや、果たしてそんな事を言っていただろうか?
私は思い出したかのように合格祝いにもらった手帳を
だが、そこに記されていたのはやはり品質の高いものとはっきりと書かれている。
それも、マリンさんの字だ。
余計に私はこの商品が何故、失格なのか分からなかった。
首を傾げるそんな私の様子にマリンさんは額を手で押さえると、カウンターに並ぶ小瓶の一つを私の手の中へと手渡した。
「私は
マリンさんは無言でそれを使うように促してくる。
私は恐る恐る、そのコロンを自分の手の中に一滴落とし、それを嗅ごうと……するのだが、匂いなど気にする間もなく、その強烈過ぎる香りに大きく咳き込んでしまう。
「えっ……どうして? 前に作った時にはこんな事、なかったのに……」
「体調を改善するという事はすなわち、以前とは違う形に整えるという事よ。適度な量ならいいけれど度が過ぎれば身体を壊す要因にもなり、物によっては大変な事態を招いてしまう。私の言っている事の意味、わかったかしら?」
私が旅をする際に作り、使っていたコロンはもっと柔らかな感じだった。こんな風に咳き込むなんて絶対に有り得なかった。
体調を改善させるコロンで体調を悪化させるなんて元も子もない。笑えもしない。
作った製法も同じ。場所と機材だろうか?
いや、原料の取れた場所ならともかく、今回のコロンは作った場所では左右されない。使った材料も同じ。製法も機材が変わっただけで何も変わってはいない。
変わったモノと言えば、材料の品質くらい……。でも、一体なんで?
「少しは理解出来たようね。香能は強過ぎれば体に害を為す毒にもなり得るの」
マリンさんはそう言って一拍、間を置くとこう続けた。
「だから、
「そう……ですよね。これでは、何の為のコロンか分かりませんもんね。本末転倒です」
「そうね。覚えておきなさい。コロンも薬も変わりない。本来は毒に等しいの。その香能を利用しているだけ。度が過ぎれば命だけじゃ済まないわ。特に……アロマになれば、ね」
技術にだけに目を向け、商品としての品質など見向きもしなかった私の完全なミスだ。
それは素直に受け入れなければならない。
だが、どうしよう。これでは、もう課題をクリアする事は出来ない。
このコロンはもう使えない。となれば、残りで……いや、もう十本作れる量はない。
そうなると、新たにリーン草を用意しなければならないが、新たに買うお金はない。
「あの……。もう、リーン草の在庫は……」
「ないわね。あっても、お金はないでしょう? これは貴女の失敗よ。職人になった以上、自分の失敗は自分で取り戻しなさい。それが出来ないのなら、香料士なんて辞めなさい」
その言葉に何も言い返せない。ただ、落ち込んでいる暇はないのも事実だ。
材料を買えないとなれば、現地調達。香料探索用の魔法生物である白銀の蝶があるものの、やはり初めての事もあり不安だ。ちゃんと見付けられるのか。
しかし、納期の指定はされていなくても仕事を早くこなさなければ次の段階へ進めない。
リーン草はこの辺り一帯に群生している多年草。探せばきっとすぐに見つかる筈だ。
「もう一回、作り直してきます……」
私はそう言い残すと、失敗を取り戻す為にコロンを放置して大急ぎで雑貨屋を後にする。
そして、白銀の蝶にリーン草の香りを覚えさせ、リンカーベルを走り回る為にアトリエへと大急ぎで戻るのだった。
レスティナが雑貨屋を去ると私も雑貨屋を閉め、ある場所へ向かっていた。
手には彼女が作り、残して行った十本のコロンの一つ。それを持ち、久方ぶりに私も彼女も良く知る人物――ジュリアの仕切っている酒場へと顔を出した。
当然、まだ夕暮れ時。かきいれ時と言う訳でもなく、酒場には客の姿はない。
「少し、いいかしら? 久しぶりに飲みたい気分なのよ」
「三年ぶりかい? アンタがここに顔を出すのは……まぁ、元気そうで何よりだよ」
そう言えば、私が来るのはそんなにだったのか。思い出してみれば、あの娘が香料士になりたいと言っていたのを聞いた頃……。
私の前にジュリアはワインを置くと彼女もワインを手に私の隣へと座る。
「あら、いいの? これから夜の支度でしょう?」
「アンタがわざわざここに来たって事は何かあったって事だろう?」
「本当に何でもお見通しって訳か。本当に敵わないな……ジュリアさんには、さ」
私もジュリアみたいに強ければ、ここまであの娘の事で悩む事はなかったかもしれない。
傍観者でもいられず、かと言って手を差し伸べ続けられるだけの度胸もない。
「それで、何があったんだい? もしかして、何かレスティナがお前にやらかしたかい」
「やったのは私よ。分かっていた事ではあったけど、ちょっとね」
もっと優しい言葉をかければよかったかもしれない。
ずっと、独学で頑張って来た。先生がいる訳でもない。一人、懸命に頑張った結果だ。
これはあの娘一人の責任ではない。逃げていた私の責任でもある。
もしも、もっと真剣に向き合おうとしていたなら、早く気付けた筈だ。
「そうかい。でも、レスティナはアンタが思っている程、弱い子じゃないよ。きっと、乗り越える。でなけりゃ、私は最初からあの娘の夢を応援したりしないよ」
「それでも、挫折する時はするのよ。香料士はそういう生き方しか出来ないから」
そんな風に簡単に言えないのが香料士なのだ。
コロンやアロマは人の心を惑わす毒にもなる。度が過ぎればそれは悲劇を生む。
悪魔の所業――人を惑わし、殺す事も出来る技術。
だからこそ、その技術を扱う人間には覚悟がいる。詐欺師などが横行し、暗黒の時代と呼ばれた酷い時代が終わったとは言え、今もそこは変わりない。
紛い物が出回る事はなくなっても、香料士に圧し掛かる責任は何一つ変化していない。
それを身を持って知っているだけに私はあの娘に香料士になって欲しくはなかった。
今回はまだいい。売り物として出回る前かつ、アロマでもない。
でも、今後もそういった事が起こらない保証はどこにもないのだ。そうなった時……。
「それはあの時の事を言っているのかい?」
「違うと言っても、納得はされないでしょうね」
あの娘をどこか重ねて見ているのは事実だ。
感性に頼った作製技術。誰かを救いたいという行動理念。
何から何までそっくり。違いがあると言えば、才能――あの娘の才能は天性のものだ。
あれだけの材料を用いて、最大限の質の物を作り出す。それは鍛えたからと言って容易に習得できる技術ではない。そこだけは認めなければならない。
「私はあの娘にはあの時のような事にはなって欲しくないの。だから、今も内心では喜べない。あの娘が香料士としての道を順調に歩もうとしている事を、ね」
「それでいいんじゃないのかい。それを認めさせて初めて一人前だよ。それに、アンタがそう思う気持ちも分からなくはないからね。少なくとも、私は否定しないよ」
「狡いなぁ。ジュリアさんは……そう言われたら、何も言えないじゃない」
私はワインを一気に飲み干すと、溜息を吐いた。
そして、あの娘が作ったコロンを掲げてそれをじっと見つめる。
「本当は失敗なんかじゃないんです。これだけの物なら十分な商品的価値がある。奥の手を使えば、普通の商品としても売り出せたんですよ」
「でも、それを敢えて言わなかった。それはアンタなりの教育なんだろう?」
「そうですね。私なりの遠回しな教育なのかもしれません」
濃度の違う物を組み合わせ、調整する技術を用いれば何の事はない。
実際、常に高品質な材料を取り揃えられる訳ではない事を考えれば、そうやって品質を調整するのも一つの技術だ。そういう香料士は実際の所、多い。
ただ、問題点を挙げるとするならば、それはある程度の実績を積んでからの事だ。
あの娘にはまだ早過ぎる。腕だけが先行し、経験がない。そこを積まないまま、それを知ってしまえば、職人としての責任を負うという事の意味を知るチャンスを失う。
薬とは毒であり、適正な香能も現実として存在しない。それを知ってからの話。
それが出来なければ、せっかくの才能を殺してしまう。一度の失敗で二度とアトリエに立てなくなる。二度と……香料士を名乗る事が出来なくなってしまう。
「私には香料士がどういうものか、全く見当がつかないんだよね。でも、少なくともあのバカを見ていたら誇れる職業だとは思うよ。ティナはあんな風になって欲しくないけどね」
「でしょうね。あの人が特別なんですよ。だから、とても眩しいんです」
あの娘が師匠と呼ぶミネルバ・レイスマン。
当たり前の事を当たり前に行い、香料士として当たり前のように生きている。
だからこそ、香料士にとっては異端であり、異常であり、それ以上に羨望してしまう。
「きっと、あの娘はアレみたいにはなれませんよ。私が保証します。あの娘は優し過ぎる。だからこそ、怖いんです。それはそうと、もう一杯貰えますか?」
「はいよ。でも、程ほどにしておきな」
私はジュリアからお代わりを受け取ると、それをちびちびと飲み始める。
間違いを侵さず、立派な香料士になって欲しい。香料士を辞めて欲しい。
その相反する二つの思いに挟まれながら、私はあの娘にどう接すればいいのか。
あの娘に対して、何をする事が出来るのか。そんな事に悩みながら。
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