エピローグ

  エピローグ


 灰色をした空の下、あまりに巨大な川がゆったりと流れていた。濃い霧がかかっており、対岸はとても見通せない。流れはごくごく穏やかで、よく目を凝らさねば水がどちらに向かって流れているのかも判らないほどだ。

 この川の流れに沿って、枯れた大地を人々が列をなして歩いていた。老いも若きも男も女も、皆一様に黙り込んで、あるのかどうかもわからない海を目指して無限の旅を続けているのだ。

 そうした無数の人々の列のなかに、正行の姿もあった。

 正行はなぜ自分がこの列に加わっているのかわからない。いつから歩いているのかもわからない。ただゆかねばならぬということだけを心得ている。それで川の流れに従ってずっと歩いていたのだが、突然横から力強い手が伸びてきて、正行を列から引きずり出した。

「行ってはならぬ」

 正行ははっとして自分を列から引っ張り出したその男を振り仰ぎ、幼い顔をぱっと輝かせた。

「先生! 鬼丸先生!」

「久しいな、正行」

 鬼丸泰一はにやりとわらって、正行の頭をぽんぽんと撫でやった。

 正行は懐かしい師匠との再会にしばらく感激していたが、やがて列の流れが気になって、川の方に目を戻した。

「先生、おれ、行かなきゃいけないんだ」

「行ってはならぬ」

 泰一はきっぱりとかぶりを振った。正行はそれがもどかしくて身動ぎをした。

「でも!」

「まあ落ち着け。そして見よ」

 泰一はそう云いながら右手を横へ差し出した。そこには美少年のような美少女が立っている。

「あっ、ソル……お姉ちゃん?」

 ソルは微笑んで首肯うなずいた。ソルだけである。彼女といつも姉妹のように一緒にいたルナの姿は、どこにもない。

「ソル」

 泰一がそう促すと、ソルはその身を黄金の剣へと変えた。それが実に素晴らしい。もしこの世に究極の剣があるとすれば、それはこういう剣を指すのではないか。

 泰一はその剣を握り、灰色の空をねめつけた。

「さあさあ、見るのだ、正行。この灰色の世界、俺が斬って捨ててやろう!」

 そう大見得を切った泰一は、次の瞬間、雄叫びとともに空へ向かって斬りつけた!

「でやあっ!」

 すると灰色の空に裂け目が生じた。そこから瑠璃色の光りが溢れてきたかと思うと、空はみるみる青さを取り戻していき、世界全体が輝きを増した。川の流れが青々とした美しいものになる。枯れていた大地には緑の草が萌え出した。生気のない人々の列も、最初から幻だったかのように消え失せてしまう。

 そして無限に広がる緑の草原と、その草原を流れる巨大な川が現れたのだった。

「わあ……!」

 正行は世界が色彩を取り戻した大異変にそう嘆声を漏らすことしかできない。だがいつまでも感動に浸っているのをよしとせぬのか、泰一の声が厳かに正行を打った。

「正行。おまえはこの川を遡っていけ。そこに沙代子が待っている。おまえの父も」

「うん」

 正行は一も二もなく頷いていた。世界が色で溢れた今となっては、なぜあの奇妙な灰色をした人々の列に加わっていたのかわからない。それに父と母が無性に恋しかった。

「ゆけ」

 泰一の声に拍車をあてられたようにして、正行は走り出した。しかしすぐに立ち止まって振り返った。泰一がついてこない。

「先生は来ないの?」

「俺は反対側だ」

 泰一は川の下流へ視線を投げた。美しい川はどこまでもどこまでも流れていくように思われる。正行は急に不安になって、眉を曇らせた。すると泰一が微笑みながら問わず語りに云った。

「俺は旅に出る。長い旅だ」

「どこへ行くの?」

「海を見に行く」

「じゃあ、おれも一緒に行く!」

「ならん!」

 泰一の大喝を浴びて、駆け寄ろうとしていた正行はその場でつんのめった。

「おまえは沙代子のところへ帰るのだ。なに、案ずるな。長い別れになるが、おまえが空を見上げるとき、俺も同じ空の下におる。だからまた会えるさ」

「本当?」

「俺がおまえに嘘をついたことがあったか?」

 母が幼馴染であった縁で、泰一は物心ついたときから正行の傍にいた。一緒に過ごしてきた日々が、記憶が、光りの風となって吹きつけてくる。

「ないよ」

 正行は白い歯をみせてわらった。泰一がそれに一つ頷きを返す。

「ではゆけ、しばしの別れだ」

「うん」

 正行は素直に頷くと、身を翻して今度こそ走り出した。が、やはり途中で足を止めて振り返った。肝心なことを云うのを忘れていたからだ。

「先生! お土産、忘れないでね!」

「土産を持ってくるのはおまえの方だ。楽しみにしておるぞ」

 泰一はそう云うと、黄金の剣を片手に正行に背を向け、川の流れに沿って歩き始めた。正行はそんな泰一の背中を名残惜しげに見つめていたが、泰一は追ってきてはならぬと云った。川を遡っていけと。弟子としては、師匠の言葉に叛くわけにはいかない。

 正行は涙を拭うと、川を遡って走り出した。

 そして光りが――。


 ふと気がつくと正行は白い天井を眺めていた。消毒薬の匂いがする。自分はどうやらどこかのベッドに寝かされていて、なにかの器具に繋がれているようだった。たしか、泰一に命じられて、川の流れに逆らって走っていたはずであるのに。

「夢……?」

 それが実に八ヶ月ぶりの目覚めであることを、少年はまだ知らない。


        ◇


 やがて奇跡的な回復を果たした正行は、退院するとまた普通に学校に行き、剣道の稽古も続け、逞しい青年へと成長していった。

 高校生になると初めての恋人も出来たが、その恋人が、正行がよく空を見上げながら歩くことをおかしそうに指摘してきた。正行はそんな恋人に、ごく真剣な声で云った。

「俺がこの世で一番尊敬している人が、この空の下にいるんだよ」

 彼女は不思議そうに小首を傾げたものの、笑いはしなかった。

 あれから泰一と会ったことはない。母は「いつものこと」と寂しそうに笑っていた。だが正行も、母も、泰一が死んでしまったなどとは露ほども思っていなかった。

 ――だってそんなことは全然想像できないんだ。

 泰一はきっと生きている。

 そしてこの空の下のどこかで、笑っているに違いない。


                  千の剣の覇を競え! 第一部尾張開戦篇・完


▼あとがき

 私がこの小説を執筆したのは今から一年前、二〇一二年一月から三月にかけてのことです。そもそもはライトノベルの新人賞に応募するために書いた原稿なのですが、思うところあって、こうしてインターネットで公開することにしました。

 本作は三部作を想定しており、今回公開したのは『第一部尾張開戦篇』になります。このあと『第二部京都騒擾篇』『第三部東京決戦篇』の構想があり、第一部のエピローグではいまいちはっきりしない泰一の顛末などは、ここできちんと書くつもりです。

 第二部はプロットもぼちぼち出来てきましたし、今年中には取り掛かりたいのですが、今書いている別の小説に手こずっていたり春の新人賞に向けて新作を書く予定があったりして、時間はちょっと約束できません。ひょっとしたらこのまま絵に描いた餅で終わるかもしれません。なので、ここでひとまず完結とさせて下さい。

 一応、自分なりに区切りはつけたという自負はあり、第一部のみをもって完結とするのも間違ってはおりません。

 でも私はまだ泰一の物語が書きたいですし、エクスカリバーや草薙剣も出したいし、第一部ではまだ未登場のメインヒロイン(名剣ではなく人間の女剣士です)も泰一と出会わせてあげたい。なのできっと書くと思いますし、そのときはお付き合いいただければ幸いです。

 ともあれ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 もしこれを読んで下さったあなたが泰一のことを気に入ってくれて、この話を面白いと思って下さったなら、甲斐はあったと思います。

 最後になりましたが、せっかくここまでお読み下さったのですから、是非是非感想などお寄せ下さい。私も人の子ですから、反応がないよりはあった方がやり甲斐も張り合いも出ると思うのです。一言だけでも構いませんので、お気軽にどうぞ。

 それではいつになるかわかりませんが、第二部でお会いしましょう。


 二〇一三年一月二十日 太陽ひかる


▼補足

 本作は二〇一三年一月より『小説家になろう』で公開しており、上記はそのあとがきと同一のものです。

 付け加えておきますと、その後、第二部と第三部は二〇一三年中に五ヶ月かけて書きました。合計で原稿用紙一三〇〇枚くらいになるのですが、自分で思っていたほど面白くならなかったという理由で自主的に公開を見合わせております。

 私は新人賞にも応募しているのですが、新作や落選作の改稿に手を取られ、こちらの方の見直しはなかなか出来ない状態です。それでもいつか余裕が出来たらやりたいと思いますので、もしよろしければ気長にお待ち下さいませ。


 二〇一五年十二月二十八日 太陽ひかる

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