向けたれた殺意
@maso
第1話
或る男は善良であった。
斎藤 和也は、小学校から高校まで目立った成績を残すことは無かったが野球部に所属、大学では一変音楽系サークルに入り、とある貿易企業に入社。今でも近所のライブハウスでビートルズのコピーバンドをすることと読書を趣味にしている。人柄もよく頭も中の上程で上司からも部下からも信頼を得ている。
そんなある日、一本の電話がきた。
「もしもし、斎藤です。」
電話口からは何も聞こえない。
「もしもし。」
ずっと無言である。
和也は少しの間待っていたが相手が話すことはなかったので電話を切った。
すると30秒もしない内にまた電話が鳴ったのだ。
「もしもし、斎藤です。」
また無言だった。
和也は怖くなり電話を切った。
するとまた電話がかかってきた。
和也は無視しようと思ったのだが、もしこれが仕事場から、友人からの電話だったらどうしようと思い呼吸を整え電話に出た。
「もしもし、斎藤です。」
「ふふふ・・・」
少し笑い声が聞こえ、今度は相手から電話を切られた。
なんなのだ。一体。
とにかく疲れてしまい、和也は寝ることにした。
するとまた電話がかかってきた。
彼は葛藤の末電話に出ることが出来なかった。電話の音が鳴り止んだ瞬間また電話がかかってきた。彼は異常を感じ、電話の線を抜いた。
これで・・・大丈夫・・・そう思った矢先、次はケータイ電話の着信音が鳴った。和也は電話番号を見たが見覚えのない番号であったし彼は性格上一度付き合いのあった人の番号は全て電話帳に登録するマメな人であった。
その日、和也はケータイの電源を切り、しっかり戸締りの確認をして寝ようと思ったが眠れなかった。
次の日通勤する際和也は怯えていた。誰も彼もが昨日のイタズラの犯人に見えてしまった。
会社に着いても誰もが犯人の可能性があることを考えればこのことを話せる人は居なかった。
「斎藤さん、どうしたんですか?」
「いや、昨日なかなか寝れなくて。」
「そうなんですか。何か心配事でもあるんですか?」
和也の顔には苛立ちが見えた。そのちょっとした機微を読み取ったのか彼の部下である女性は直ぐに去っていった。
警察に言う程ではないだろうがやはり不安である。和也はやはり怯えていた。
仕事終わり。いつもは同僚や趣味でやっているバンドメンバーと呑んで帰るのだが今日は直接帰った。すると妻の香織が出てきた。
「あなた。」
その声は悲壮そのものだった。
「どうした。」
「あのね、あなたの名前で、」
そう言うと後ろピザが積み上げられていた。
「なんだ、これは。」
「やっぱりあなたが頼んだんじゃないの」
「当たり前だろ、どうして金を払った」
「だってあなたの名前で届いたから」
「そんなのちょっと考えれば分かるだろ、馬鹿野郎」
少しの沈黙の後香織は口を開いて
「あとね、ずっと電話が鳴るの」
和也は香織が一日で少し頬がこけてる気がした。これ以上彼女を責めるのは良くないと思い、和也はとっさに
「まぁ仕方ない。食べるか。」
と言い少し冷めたピザを温めそれを食べながら今後どうするかを考えた。
警察に言うべきだろう。そう思い明日警察へ行くことにした。
次の日和也は会社へ事情を説明し今から警察へ行くことを伝えた。事情が事情であったためにすぐ了承は得られた。
和也は車で15分ほどの警察署へ行き、受付から勧められるがままに相談窓口へ行った。
彼はこれまでの経緯を話し唯一の手掛かりである犯人のケータイ番号を教えた。
すると警察はケータイ会社に問い合わせた。ケータイの持ち主の名前や住所がすぐに分かった。和也は感心した。そしてこれで安心だという安心感が彼を包み込んだ。
「容疑者の名前なんですが、加納 陽子。という方ですな。何か覚えはありますか?」
と田口 大輔という警察の方から聞かれた。
彼は全く聞いたことのない名前が出たことに驚いた。
「加納・・・陽子・・・全く覚えがありません。」
田口はそうですか、と言うと彼女について色々話してくれた。加納 陽子は結婚を一度もしておらず、戸籍の変更もしたことがない。つまり生まれて今までずっとこの名前だったのだ。そして住んでる場所も遠くはない。地下鉄の駅二つ分といったところだ。
和也は記憶を辿ったがやはり彼女を全く知らなかった。
警察は事件として調べてくれると言い。今日は一先ず家に帰った。
彼は抜いてあった電話線を繋ぎ電話が来るのを待った。
すると直ぐに電話が鳴った。
電話を取るやいなや彼は
「何のつもりだ。加納 陽子。僕は君の事を調べたんだ。もうすぐ警察がそっちへ行く。待ってろ。」
そう言うと電話口から
「ばーか」
と一言、男の声がした。
完全に男の声であった。加納 陽子というのは男の名前であるというのは考えれにくい。しかしあの声は完全に男であった。
彼は呆然としていた。彼はその間にも電話は二、三度鳴っていたが放心しており気づかなかった。怖い。彼の精神は完全に恐怖に支配されていた。この日も彼は眠れなかった。
次の日も彼は警察へ行った。
窓口へ行き田口を呼んだ。
田口はしっかりとした足取りで彼の元へ来た。
「斎藤さん、どうなさいましたか」
「田口さん、昨日犯人の声を聞きました。」
「どんな声をでしたか?」
「男性です。」
「男性?」
「はい。男性です。」
そう言うと田口は頭を掻いた。
「面倒なことになったかもしれないですね。加納 陽子さんはケータイを何者かに奪われ、その何者かが、あなたに陰湿な嫌がらせをしている可能性があります。」
「ということは手掛かりは・・・」
「ご安心下さい。ケータイ会社は警察への協力が義務付けられているのでGPSなんかから直ぐに場所を特定出来ますよ。今から行ってきます。」
そう言うと田口はデスクの電話からケータイ会社へ電話を掛けすぐさま車でケータイ会社へ向かった。そのついでに彼も乗せてもらった。
「いや、こんな事件ってよくあるんですよ。」
彼は何も言葉を発しなかった。
「何か怨恨を買うような思い当たる節でもありますか?」
「ないです。」
「あのですね。何もなくてこんなことになる訳ないじゃないですか。何でもいいんです。思い出して下さい。」
彼は黙った。何か思い当たる節がないか必死になって考えた。だがそんなものは全くなかった。車で家まで送ってくれたが、結局お互いそれから一言も交わすことなく彼の家まで着いた。
「ありがとうございます。」
「いえ、何か思い出したら直ぐに連絡して下さい。これ、僕の名刺です。」
彼は名刺を受け取ると直ぐに自分の名刺入れにしまった。家の扉を開けただいまと言葉を発する前に妻が駆け寄ってきた。
「あなた、ポストにね・・・」
そう言うと何通もの手紙が入っていた。
内容は、死ね、殺す、などの脅迫文がほとんどで中にはカミソリが同封してるものもあった。そこで彼はひとつ気が付いた。その手紙には切手も判子も押して無かったのだ。妻に尋ねると来た時の状態のままであるらしい。ということは犯人はこの家に直接手紙を届けたという事になる。彼は田口に電話して事の顛末を話した。田口はすぐに家に来た。田口は手袋をし、その封筒を慎重に開いた。田口はひとつひとつ丁寧に手紙を見て
「あのですね、これ、一度に送られて来たんですか?」
妻が口を開く
「はい、今朝入っていた分だけです。毎日ポストは見るようにしているので。」
田口はまた頭を掻いた。
「うーん、明らかに筆跡が違うんですよ。例えば、これと、これ。見てください、この平仮名のそ。違うでしょう。」
「つまり、その、」
和也は上手く言い表せないでいたが、田口は汲み取ったようにこう言った。
「ええ、複数の犯人がいる可能性があります。」
和也と田口はお互いを見つめていた。田口が先に口を開く。
「複数犯となると話はもっとややこしくなります。なんでもいいんです。何か、何か思い出しませんか?」
和也は頭を抱えて考えた。しかし彼は今までの人生に於いて他人に恨まれるような事をした覚えはないのである。
「申し訳ありません。全く覚えがありません。」
和也は絞り出したような声で田口に言った。
田口はそうですかとだけ言い、警察署へ帰った。
「香織、明日、田口さんは加納 陽子へ事情聴取をしに行くらしいよ。」
「もう事件の話はしたくないの。寝るわ。」
「どうしたんだ、ピリピリして。」
「当たり前よ。こんな嫌がらせが毎日起こってるのよ。貴方はいいわよ。会社や警察署に出れば恐怖から解放される。でも私はね、ずっと家の中で怯えながら暮らしてるの。わかる?」
和也は驚きが隠せず更に申し訳なく感じた。追い詰められた香織に気付いてやれなかった鈍さにだ。
香織はこう言う
「今夜、ね、寝よ。一緒に。」
「ああ、いいよ。」
和也と香織は二週間ぶりにセックスした。それは恐怖からくる子孫を残そうという力の働きというものを和也は強く感じずには居られない一夜であった。
次の朝和也は会社へ電話し、長期の休暇を貰った。彼の上司が話が通じる人物であった上に和也の人徳のなせる技であろう。
次の日の夕方まで彼は家にずっと引き篭もっていた。日も落ちかけた頃、彼のケータイに田口からの電話が来た。
「斎藤さん。加納 陽子容疑者。自白しました。」
「けど、あの、男の声は」
「それは聞き間違えじゃないですかね。彼女、声も低いんで」
「ですが・・・」
「なんにせよ、容疑者、確保致しました。今夜は安心して眠って下さい。」
和也はもやもやした気持ちを捨てきれないでいたが、今夜はこの事実で満足する事にした。彼は恐怖の払拭が出来ずにいたので電話線は抜いたままにしていた。
次の日の朝彼の予感が的中した。
家のポストに犬の死骸が詰まっていた。新聞配達の男が通報し、近所の人の多くの人には見られなかったが、朝から警察が家に3人ほど来た。
その様子を見た香織は泣き出し、和也は呆然と立ち尽くした。死骸はすぐに撤去されたがポストは凄まじい死臭を放っていた。
和也は警察に頼みポストを外してもらい、それも犬の死骸と共に警察署へ持って帰って貰った。死骸の下には一通の手紙がしっかりビニール袋に入れられ置いてあった。書いてある内容は
「ちょうしにのるな。つぎはおまえをころす。」
とあった。それから10分程で田口が来た。
「田口さん・・・」
「斎藤さん、今、お話、大丈夫ですか?」
「はい。」
「斎藤さん、加納のケータイの通話記録見たんだけど、斎藤さんの電話番号ありました。彼女が犯人で間違いないです。」
「じゃあなんでこんなことになったんですか?」
「複数犯、と、言いたいところなんですけれど、彼女、友達居ないんですよ。」
「え?」
「友達どころか家族も同僚も仕事先だってないんです。つまりね、中学でイジメられてからの不登校からの引き篭もりっていう、状態なんです。」
和也も田口も黙り込んだ。
「とにかく、何かわかったら教えますね。和也さんも何か思い出したら教えてください。」
和也は自室へ行き、机からタバコと灰皿を取り出しタバコに火を付けた。そして今までの自分の人生を思い返すように出来るだけ細かく思い出していた。しかし、人から恨みをかうようなことは全くしてない。彼は付き合いの為に買ったタバコを初めて一人で吸った。
「ねぇ、あなた。」
突然ドアの前から妻の声がした。
「どうぞ。」
そう言うと妻が部屋へ入ってきた。
「私、こういうことに慣れてなくてね、あの、引っ越しとかって。ダメなの。」
急な提案だった。
「僕が、僕たちがようやく手に入れたマイホームだぞ。ローンだってまだ残ってる。仕事だってあるんだ。芸能人じゃあるまいし、こんな嫌がらせで引っ越しなんて出来ないよ。」
「わかってるわよ。でもね、もう耐えられそうにないの。」
香織は悲痛な顔で和也に訴えた。
「そうか。すまない。僕は少し寝るよ。最近、寝不足でね。」
彼は明日の朝はどんなことが起きるのか不安で仕方がなかった。
そして次の日の朝。ウーウーと鳴るサイレンの音で目が覚めた。
和也は妙な胸騒ぎがして急いで家から飛び出した。すると消防車は彼の家の前に留まっていた。家の前で消防士達がワーワー言ってる。彼はその中へ入っていった。
「どうしたんですか?」
「御宅の家の前で何かが燃えてるという通報があって駆けつけたら、なんだろうね。これは。ちょっとよくわからないけど、これが燃えててね。もう少しで御宅に火が付くところだったよ。良かった。」
彼は火が消えた何かの燃えかすをジッと見た。
「とりあえず、警察に連絡します。」
連絡すると、今日田口は休みだった。
西野 浩二という若い刑事が家に来た。
「西野と言います。また、災難ですね。」
そう言うと西野は燃えカスを警察署へ持って帰る準備をした。それを車に詰めると部下を先に帰らせた。
「斎藤さんにはお教えします。実はですね、加納容疑者も斎藤さんの事を知らないみたいなんですよ。田口さんが嘘で弁護士さんの事を斎藤さんだって言ったんです。そしたら彼女血相変えて弁護士さんに謝り出して。きっと直接の面識はないと思われます。」
「では何故彼女もとい彼女達は僕たちに嫌がらせをしてくるのですか?そもそもどうやって僕たちを知ったんですか?」
「それが分からないんです。彼女は中学もまともに行ってないような、正直なところ相当な馬鹿です。彼女の後ろには大きな物が潜んでると思いませんか?」
和也は生唾を飲み込み恐怖に少し身震いをした。
「と、言うのは推理小説の読みすぎですかね。あまり深く考えないようにして下さい。案外結末は簡単かもしれませんし。」
西野がそんな話をしていると西野の部下が迎えに来た。
「では、また。」
そう言うと西野は、パトカーに乗り込み警察署へ帰っていった。
明日、不動産屋へ行こう。引っ越す事を決めた。
次の日、不動産屋へ和也は香織と共に行った。不動産屋で香織がマンションを選んでいる間少し時間が空いたので近くの古本屋へ入った。古本屋で彼は一冊100円の文庫コーナーを物色していた。大槻ケンヂのエッセイを一冊買い、不動産屋へ帰ると香織が嬉しそうに決めたわよ。と言ってきた。よほど今の家から離れるのが嬉しいのだろう。そしてその反対のベクトルで同じ分辛い思いをしたのだろう。
彼が買った本を見て香織は
「また本買って。また売りに行くのは私なんでしょ。次はマンションの9階なんだかた面倒だわ。」
和也は悪態をつくその声も軽く普段の香織に戻ったようで嬉しかった。
そんな中、ケータイへ田口から電話がきた。
「今から御宅へ行ってもかまいませんか?」
「ええ、私も今外なので一時間後ぐらいに。」
その一時間後田口は来た。
「事件の真相、分かりましたよ。」
田口はそう言うと、彼らに説明した。
「これは怨恨による嫌がらせではないんです。ある意味、嫉妬からくるものなのかもしれませんね。」
「どういうことですか?」
「つまり、あなたの人生というのはこれまで順風満帆だったように見えても致し方ないぐらいいい生活をしている。かわいい奥さん、マイホーム、安定した収入。そういうのに人とは嫉妬してしまうんです。」
「勿体ぶらず教えて下さい。」
田口は大きく深呼吸し、彼にこう伝えた。
「貴方に嫌がらせしている犯人は不特定多数いる。ということです。」
そういうと彼はインターネットから印刷した何枚ものプリントを見せてくれた。
「見て下さい。あなたの名刺やフェイスブック、ツイッターが事細かに晒されています。とある掲示板サイトで。あの時休暇をとってその掲示板サイトの管理人と会ってきて事情を説明したらその書き込みの住所を教えてくれてね。犯人に辿り着いて今日。確保しに行く。」
「誰なんですか。犯人というのは。」
「住所から割り出した名前は野見山 雄二という男です。」
「野見山 雄二・・・」
「聞いたこともないでしょう。当たり前です。調べましたが、貴方と接点なんて何もなかったんですから。」
「今から確保しに行くので待ってて下さい。」
そういうと彼は立ち上がり家の前に待たせたパトカーへ乗り込んだ。
そのまま野見山 雄二は捕まった。彼は中年太りした小汚い男で、大学を中退した後コンビニのアルバイトで生計を立ててるらしかった。彼の犯行の動機は田口の言う通りであった。そして名刺をどうやって手に入れたのかという疑問であるが、香織が本を売りに行った時中身を確認せず売ってしまったので和也が栞がわりに挟んでいた名刺も共に売ってしまったのだ。たまたま野見山がその本を買い、斎藤 和也という存在を知った。彼の事をネットで調べるとSNSが出てきて彼の詳しい情報を知り、順風満帆な人生への嫉妬から衝動的に書き込みに至ったそうだ。加納 陽子らはその書き込みを見てイタズラ電話したのだと思われる。
その日田口を家へ招きささやかながらパーティをした。西野の言った通りであった。結末とは案外簡単なものだ。久しぶりに和也の家に笑顔が戻った。そして和也は泥酔してしまい、寝てしまった。田口はそれを見て、
「では今日は帰らせて貰います。本当に楽しかったです。おめでとうございます。」
「いえいえ、こんなにも親身になってくれてありがとうございます。田口さんのお陰です。」
田口は家を出た。
斎藤家の周りをすこしウロつくと、野良猫を見付けた。野良猫を見るや否やその野良猫を蹴り飛ばした。そして田口は頭がぐちゃぐちゃになるまで猫の頭を踏みつけ、それを斎藤家の玄関の前に置いた。
「忘れてるも何も本人は何にも覚えてねぇんだよなー。当たり前だよなぁー。あー、斎藤くんにとっちゃ俺なんてただのアリみてぇなもんだろうし。」
田口はにやけ顏のままその野良猫の死骸に唾を吐きかけた。
「ただの嫉妬なんですよ。斎藤くん。」
田口はフラついた足取りでその住宅街を後にした。
向けたれた殺意 @maso
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