騎士王と騎士王
怒声の響き渡る街道を馬に乗って疾駆するウィル。
その腰にアリエルがしっかりとしがみついている。
ウィルたちの馬の後ろをサラが操り、ロジェが乗っている馬が続く。
前後をランスロットたち老騎士が守り、ウィルたちは一丸となって逃げていた。
「ランスロット、出口は?」
「ダメです、姫様。既に
「奴らも儂らが籠の鳥だと思い出したようだ。追っ手が引き返したわい」
ガウェインが後方を確認して、抜いていた剣を鞘に収めた。
ウィルも振り返って見ると引き返していくウィンチェスター騎士の後ろ姿が見えた。
無駄に追い回すよりも街の出口で待ちかまえようというのだろう。
「じゃあ予定通り?」
「ええ、領事館に戻りましょう」
領事館の敷地内は他国の中の自国領だ。そこに踏み込む事は開戦を意味する。
それに領事館には警護程度の戦力しかいない、そんなところを襲撃したとなればかなりの悪評が立つ事になるだろう。
今後ブリトニア王を目指すエゼルバルドにとってそれは避けたいハズだ。
だからこそ、この敵地においてコーンウォール領事館が唯一安全な場所と言える。
ウィルたちは追っ手の居なくなった街道を走り領事館に向かった。
ウィンチェスターの街は戒厳令でも出されているのか人っ子一人見当たらない。
まるで街全体が死んだかのように静まり返っていた。
遮る者がないおかげで領事館にはすぐに着いた。
「……なるほど、出口だけじゃないか」
しかし目の前の光景にウィルは思わず顔を歪めた。
ようやく辿り着いた領事館の周囲にたくさんのウィンチェスター騎士たちがいる。
領事館を占拠するわけではなく、出入り口を固めて脱出も侵入も拒んでいた。
「エマたちは無事に逃げたかしら」
「婆ちゃんたちなら大丈夫、たくましいから」
「ふふふ、レディにたくましいなんて言ったら怒られるわよ。でも、そうね、エマなら大丈夫ね。きっとみんなを引っ張って無事に逃げきってくれるわ」
領事館は治外法権でその街の領主といえども手出しは出来ない。
しかしだからといって絶対に安全かというとそんな事もない。
今のように街の中で孤立する事がありえるのだ。
そんな時の為に領事館には秘密の地下道が用意されているのだ。
大紋章試合の決勝が行われている間に、エマたち老侍女や使用人たちはその地下道を通ってウィンチェスターの街から脱出しているはずだ。
ウィルたちもまたその地下道から脱出するべくここまで来たのだが。
「俺と爺ちゃんたちで道を開くから、アリエルはロジェたちと一緒に……」
「いや、ウィル。お前も姫様と一緒に行け。ここは儂らが切り開く」
ウィルの言葉が終わらないうちにランスロットが言葉をかぶせて、先に馬を進める。
「でもそれじゃあ爺ちゃんたちが……」
「ガハハ、儂らの心配なんて十年早いわい」
それに追いすがろうとすると、ウィルの背中をバンバン叩いてガウェインも先に馬を進めた。
いつの間にか他の老騎士たちもウィルたちよりも先に馬を進めている。
その表情は近所に散歩に行くような気負いのないものだ。
しかしその視線は強い。
目を合わせたウィルが、思わず顔を引いてしまう迫力があった。
ガウェインはそんなウィルに優しく笑いかける。
「なぁに、戦争を知らん小僧どもにやられはせんよ。ジジイはしぶといんじゃ」
「そうじゃそうじゃ、ランスロットなんぞ何度戦死扱いになったころか」
「そのたびに違う女を連れ帰ってきたわいな」
老騎士たちは楽しそうに笑った。
ネタにされたランスロットは渋い表情だ。
「……今は姫様を無事にコーンウォールに脱出させるのが最優先だ。儂らの事は気にするな、それよりも……」
ランスロットは一旦言葉を切ると、真剣な表情でウィルを見据える。
その迫力は試合で相対した時以上のものがあった。
「ウィリアム・ライオスピア卿、姫様の事、よろしく頼むぞ」
その表情はいつもの見守るような顔でも、教え導くような顔でもない。
一人の騎士として、同じ主に仕える者として、対等な者に対する顔だ。
ウィルはその事に嬉しさが沸きあがると同時に、背筋が伸びる思いがした。
「必ず無事にコーンウォールに連れて帰る」
ウィルの言葉にランスロットは小さく頷き、馬を走らせた。
老騎士たちは何の合図もなくとも、自然とランスロットの後に続く。
思い思いに走り始めた老騎士たちがランスロットとガウェインを先頭に密集していく。
その動きは狩りをする群狼のように滑らかで統率の取れた動きだ。
全員が静かに剣を抜き放つと領事館を包囲する騎士たちに襲いかかった。
いくら滑らかな動きでも、騎馬が近づけばすぐにバレる。
ウィンチェスター騎士たちもすぐに剣を抜いて迎え撃つ姿勢を見せた。
「全員迎え撃て! 相手はジジイだ、蹴散らせ!」
ウィンチェスター騎士たちはまずは攻撃を防ごうと剣を身体の前に構えた。
だが老騎士たちは、ウィンチェスター騎士には斬りつけない。
老騎士たちの剣は迎え撃つ剣をすり抜けて、騎士たちの握る手綱を斬り裂いた。
「ほれほれ、どうした。ジジイ相手に情けないのぅ!」
ガウェインが剣の腹でウィンチェスター騎士たちの馬の尻を叩いた。
いくら訓練された軍馬と言えどもこんな事をされてはたまらない。
痛みから逃れようと好き勝手走り出そうとする。
「くぉっ、このぉ!」
ウィンチェスター騎士たちは馬をなだめようとするが、手綱もなく馬も彼らを振り落とそうと暴れているのでうまくいかない。
ほとんどの騎士たちは暴れる馬に落とされてしまった。
わずかに馬上に残っていた騎士たちにランスロットの鋭い斬撃が走る。
白銀の閃光が煌めいたかと思うと、あっという間に二人の騎士が落馬した。
「ウィル! 行け!」
ウィルはランスロットの声を背に、領事館に向かって走り出した。
その後ろにサラも続く。
なかなか様になる走りっぷりで、ウィルに遅れる事なくついてくる。
ロジェがサラの腰にしがみついて何事か叫んでいたが。
領事館を囲むのは騎乗した騎士だけではない。
槍を持った兵士も多数いて、老騎士たちを阻むように殺到してくる。
しかし老騎士たちはそんな兵士たちの槍をなんなく切り払い、領事館までの道をこじ開けてくれた。
ウィルたちはそうして出来た道を走って領事館の門に向かう。
門は当然固く施錠されていたが、ウィルは構わずそこに槍を向けた。
右腕に大きな衝撃が伝わり、辺りに凄まじい破砕音が響いた。
だらしなく口を開ける門を駆け抜け、領事館の庭を突っ切った。
怒号飛び交う塀の外とは違い、領事館の中は静まり返っていた。
どこにも人の姿は見えない。
素早く馬から降りると、領事館の扉を開けて中へと入った。
普段なら絶対にしない事だが、そのまま馬を引き連れて建物内部に入る。
そして真っ直ぐに食堂にへと向かった。
食堂を更に抜けて奥にある食糧倉庫に辿り着く。
薄暗い倉庫に入ると、倉庫の棚はほとんどが空だった。
先に脱出したエマたちが出来るだけ持ち出したのだろう。
石畳の床に置かれた木箱もほとんどが空だった。
その石畳の一角に木製の大きなパレットが載っている。
枠だけの薄く平たい箱のようなものだ。
それを馬に牽かせてずらしていく。
するとそこに地下への階段が現れた。
かなりの広さがあり、そのまま馬を引いて進む事が出来る。
「急ぎましょう。私たちが脱出すればランスロット達も逃げられるわ」
「……ま、真っ暗ね」
馬を引いたウィルを先頭にアリエル、ロジェ、サラが続く。
地下に続く階段は何かの口のように、ぽっかりと開いていた。
「怖いの?」
「ば、馬鹿言わないでよ! 怖くなんてないわよ!」
言葉とは裏腹にロジェの持つ松明はぷるぷると震えていた。
松明の赤い光が不安定に揺れて、石積みの壁をゆらゆらと照らす。
地下道の中は湿った土の臭い、カビの臭いがしていた。
しばらく闇に包まれた階段を降りていく内に、奥から明かりが漏れてきた。
階段を降りきるとアーチ状の通路が現れたのだが、その壁面の松明が灯されている。
等間隔で設置された松明すべてに火がつけられて煌々と通路を照らしていた。
「エマたちは無事に脱出したみたいね」
アリエルがほっとした声で呟いた。
明かりが点いているのは先に通った存在が居るからだ。
侵入者の可能性もあるが、もし侵入者であるならご丁寧にすべての明かりを点けはしないだろう。
おかげでここからは松明を使わず、騎乗して移動できる。
通路自体もかなり高さに余裕が取ってあり、騎乗しても天井にぶつかるような事はない。
壁は古いレンガがぎっしりと積みあがっているが、造りもしっかりしていた。
「よくこんな通路作ったわね。そんなにウェセックスを警戒してたの?」
ロジェが呆れた調子で言うが、アリエルは首を振って否定した。
「ここはコーンウォール公やウェセックス公が建てたんじゃないのよ。まだブリトニアがロムルスレムス神聖帝国に支配されていた時代のモノなの」
「じゃあ、これはロムルスレムスの人が建てたんですか?」
サラが驚いた表情で通路を見る。
ロムルスレムス神聖帝国がブリトニアを支配していた時代となると100年以上も昔の事だ。
ちょっとした遺跡レベルの建物だ。
「ロムルスレムスから来た代官たちが滞在した建物だったらしいわ。だからこそ、こんな通路があるんでしょうね。誰もが彼らの支配を歓迎したわけではないから」
ロムルスレムスの代官たちもこうして敵に追われて脱出したのかもしれない。
ブリトニア人から逃げるための通路を、巡り巡ってブリトニアの一員であるウィルたちが使っている。
なんだか皮肉めいたものを感じる。
ウィルは引いてきた馬に飛び乗るとアリエルを引っ張り上げる。
サラとロジェも引いてきた馬に相乗りして後に続く。
まずはこのウィンチェスターの街から脱出しなければならない。
松明の明かりに照らされた地下通路で馬を走らせた。
単調な一本道をひたすらに進む。
カッカッと一定のリズムで蹄の音が響いていた。
馬上だからという事もあるが、誰も口を開かない。
置いてきた老騎士たちの事、先行しているハズの老侍女たちの事。
心配事は尽きず、弱音や愚痴めいた事を言いたい気持ちはあった。
しかしそれをここで言ってもどうにもならない、と全員が思っていた。
かなりの距離を走ると前方にぽつんと影が現れた。
ウィルは無言のままに馬を止めた。
現れた影は騎乗している。
その鎧は松明の光を跳ね返し黄金に輝いている。
「……ガイ?」
「そんな! 先回りされてたの?」
アリエルが不安そうな顔をした。
先に脱出したエマ達を心配しているのだろう。
しかしガイと思われる騎士は一人だけで周りには誰もいない。
仲間を引き連れているわけでもなければ、エマ達を人質に取っているわけでもなかった。
ただ一人、ウィル達の行く手を塞ぐように佇んでいる。
ウィルはそっと後ろに乗るアリエルを降ろした。
アリエルの心配そうな瞳と目が合う。
小さく頷いて、一人で馬を進ませた。
ガイもまた無言のままゆっくりと馬を進ませてくる。
二人の騎士が松明が照らす地下道で対峙した。
「テメェを待っていたぜ。ウィリアム・ライオスピア」
「何の用、急いでるんだけど」
「お前に一騎打ちを申し込む。俺と勝負しろ」
「もう勝負はついたハズだけど?」
「あんなおままごとのようなぬるい試合じゃねぇ。互いの命をかけた戦いだ。敗者は死に、勝者のみが生き残る。本当の殺し合いで決着をつけようじゃねぇか」
そう言ってガイがウィルに見せた槍はカバーのついていない実戦用の槍だ。
ウィルが暗殺用に渡されたのと同じく、先が鋭利に尖った、人を殺せる槍。
ウィルもガイも板金鎧に身を包んでいるが、騎乗し勢いのついた状態で繰り出される
試合と違い、直撃を受ければ落馬するだけでは済まない。
「俺が受けるメリットがないけど?」
「脱出した連中が無事にコーンウォールに辿り着けるといいなぁ? 今のところ奴らの脱出に気づいているのは俺だけだが、ここで勝負を断られてしまったら俺はショックのあまり騎士団に報告に戻らなきゃな」
ガイはニヤニヤとおどけた調子で言う。
ウィルは思わず顔をしかめた。
「……人質ってわけ?」
「俺はテメェを殺して再び高みに登る! もうあんな場所に戻ってたまるか!」
挑発的な言動の割にはガイの表情に余裕はない。
どこか追い詰められたような顔だ。
ウィルはエゼルバルドと共にいた時のガイを思い出していた。
供として側には居たものの、まるでその場にいないかのように振る舞われていた姿を。
エゼルバルドは剣奴であったガイを実力だけを認めて騎士にでっち上げた。
逆に言えば、エゼルバルドがガイを評価しているのはその実力だけだ。
それが誰かに劣るとなれば、エゼルバルドにとっては価値がないのだろう。
「俺は誇りの為に戦うなんてご立派な騎士様じゃねぇ。だが奴隷の時のような、ただ生きているだけの生活はもうゴメンだ」
ウィルを睨み付けるガイの瞳の中は暗い闇が広がっていた。
しかしその奥には強い意志の光も見えた。
いままでウィルの前に立ち塞がった誇りを持った者達と同じ瞳だ。
「俺の
叩きつけられる強い意志。
かつてウィルはこの強い意志を持っていなかった。
それゆえに戸惑い、憧れた。
ティンタジェルで戦った山賊のような騎士。
カンタベリーで戦った三人の聖騎士。
ロンドンで戦った第5王子のエル。
巨人の国で戦った英雄ゴーム。
ヨークの赤弓騎士シグルズ。
老騎士ガウェインとランスロット。
そして騎士王ガイ。
誇りを持つ者、誇りを持たぬ者。
様々な相手とウィルは戦ってきた。
いまだにウィルには誇りとは何か分からない。
それでも、変わらぬ思いがあった。
「分かった、俺はアリエルへの『思いを貫く』為に戦う」
いままでの戦いを思い出していたウィルの口から、自然とその言葉は紡ぎ出された。
ガイは驚いた表情を浮かべた。
「なるほど、それが貴様の、『誇りのない騎士』の
ウィルはガイの言葉に、はっとした。
それを
なぜならそれはずっとウィルの心の中にあった思いであり、言葉だったからだ。
当たり前すぎて特別に思えなかった言葉。
それを
「……俺の
誇りを持てば劇的に何かが変わると思っていた。
覚悟が決まり、自信に溢れ、立派な騎士になれるのだと。
だが、実際に誇りを持っていると気付くと、そんな事はなかった。
ウィルのこの想いは、騎士を目指した時からずっと持っていたものだ。
そのことを自覚したからと言ってほとんど変化は感じられなかった。
しかしまったく変化がないわけでもない。
ほんの少しだけ、気持ちに行き場が出来たような。
ほんの少しだけ、息を吸うのが楽になったような。
そんな感覚だ。
戦う事には以前から迷いはない。
しかしこれほど迷いなく戦う事を決断できたことはなかった。
強いて変化をあげればその程度だ。
二人は示し合わしたように、同時に背を向けて地下道を引き返していく。
互いに距離を離して、試合のように対決する、そのための準備だ。
互いに殺し合うための準備でもある。
アリエルたちの下に戻ると、心配そうな視線がウィルに集中する。
ガイとの会話は三人には聞こえていないはずだが、楽観できるような状況ではないのが分かるからだろう。
「……ウィル」
「大丈夫、勝ってくるよ。みんなでコーンウォールに戻ろう」
不安げなアリエルをなだめて荷物袋から兜を取り出そうとする。
しかし、ふと気がついてやめた。
「どうしたの?」
「いや、試合じゃないなら要らないな、と思って」
「そんな! 危ないですよ!」
「木槍でもないし、カバーもついてない。頭に当たったらどっちにしろ終わりだよ」
終わり、という言葉にロジェ、サラ、アリエルが黙り込む。
ウィルとしては負けるつもりはさらさらなく、暗くするつもりもなかったのだが、三人はそうは取らなかったようだ。
俯いて言葉を発しなかった。
だがウィルから言える言葉もまたなかった。
無言のまま、槍を持ち直し、手綱を引いた。
馬の向きを変えて、ガイのいる方へ向く。
その時、アリエルがウィルの足を踏んで馬上に駆け上がり、抱き着いてきた。
そして、ウィルの頬に柔らかい唇が押し付けられた。
ふわり、とアリエルの花のような香りが鼻腔をくすぐる。
ウィルが驚いてそちらを見ると、アリエルはすぐに身を離し地上に戻った。
「絶対勝って、無事に戻ってきてね」
そこにはいつもの悪戯っぽい表情があった。
自信に溢れ、強気な顔。
しかしウィルにはそれが泣きそうな顔に見えた。
「まかせて、俺の誇り『思いを貫く』にかけて、勝つよ」
だからその言葉はウィルの口から自然と出た。
そして口にしてからウィルは自分の言葉に少し驚いた。
つい先ほどガイに気づかされた誇りだったが、思ったよりもしっくりきたのだ。
アリエルを見るときょとんとした顔でウィルを見ていた。
その顔がおかしくてウィルは笑った。
ウィルに笑われてアリエルは頬を膨らませる。
その顔には先ほどのような悲しい色はない。
それが嬉しくなって、ウィルは勢いよく駆け出した。
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