騎士王の決断
ウィルは拍手も歓声もない試合場からロジェたちの下へと戻った。
右肩は痛み、生暖かいモノが流れているのを感じる。
おそらく出血しているのだろう。
戻ると同時に怖い顔をしたサラに馬上から引きずり降ろされた。
そしてそのままロジェや老騎士たちが寄ってたかって鎧を剥いでいく。
穴の開いた鎧の下から、皮膚が破れ、肉が裂けたウィルの右肩があらわれた。
傷口の大きさは指一本が入る程度の小ささだが、深く裂けている。
「……思ってたよりは悪くないみたい。ウィル君ちょっと我慢してね」
サラは真剣な表情で傷口を見据えると、ガウェインの方を見た。
「ガウェインさん、巨人さんから貰ったお酒をください」
「ん? なんじゃ、飲むのか。お前さんにはちとキツいぞ?」
ガウェインが軽口をたたきながら腰のベルトにつけていた小さな水筒を渡す。
サラは水筒に口をつけると中のモノを口に含んで、ウィルの傷口に吹き付けた。
「ぐぅぁ!」
「ち、ちょっとサラ! 何してんのよ!」
「消毒です。ヨークで習いました。北の方では巨人のお酒を傷口に吹き付けて邪気払いして傷から入り込む毒を消すんです」
耳元で二人が言い合っているが、ウィルはそれどころではなかった。
サラに吹き付けられた酒が傷口にしみて、とんでもなく痛いのだ。
のたうつウィルと言い合うロジェとサラ、それを見て老騎士たちは笑っていた。
「ともあれ、ウィル。よくやった、見事な勝利だったぞ」
「爺ちゃん」
「これでエゼルバルドの野望を躓かせる事は出来ただろう」
「躓かせただけ?」
「忘れたか? ここは奴らの腹の中だ。王子は捕えられるだろうし、エゼルバルドの反乱も成功するだろう」
「そんな! それじゃあウィル君が頑張った意味は……」
「いや無意味ではない。ウィルが勝った事で表彰式中に王子を殺すのは難しくなった。おそらくは式直後に捕えるハズだが、そうなれば姫様を捕えるための人員は減る。助けるチャンスは作れたはずだ」
「でも本当にあの作戦でアリエル様を救出できるんですか?」
「アタシもそれが疑問よ。アリエル様がお姫様にしては、その、ずいぶんと行動的なのは知っているけど……」
「それは……」
ウィルが口を開く前に、皆の視線が一方向に向けられた。
そこにはガイと数人の騎士を連れたエゼルバルドの姿があった。
「やぁ、新騎士王ウィリアム卿。見事な戦いだった、おめでとう」
「…………」
エゼルバルドはその熊のような顔に満面の笑みを浮かべてウィルを讃えた。
隣でガイは憎々し気な表情でウィルを睨み付けている。
ウィルはロジェやサラを背後にかばいつつエゼルバルドを見た。
「何しにきたの?」
「主催者が優勝者を讃えに来たのだ。おかしなことではあるまい?」
「……要件はそれだけ?」
「ふふふ、そう邪険にするな。キミを勧誘に来たのだよ」
「勧誘?」
「儂の臣下にならんか? 名誉ある騎士王だ、騎士団長として迎えよう」
「ガイは? 騎士団長だったんでしょ?」
「彼には副長としてキミを支えてもらおうと思っている」
エゼルバルドは隣にいるガイを見る事なく言い放つ。
ガイは悔しそうにウィルを睨み付けるだけで何も言わない。
騎士団長というのは誰でもなれるわけではない。
もちろん相応の実力や実績も必要だが、何より伯爵以上の地位が必要だ。
ウィルの問いかけるような視線に、エゼルバルドは頷いた。
つまりウィルに伯爵位も与える、ということだ。
アリエルもエゼルバルドと同じく公爵だが、支持基盤の脆弱な彼女ではこうはいかない。
大きな実績と強固な支持基盤を持つエゼルバルドだからこそ出来る強引なやり口だ。
しかしそれだけウィルを買っているという事でもある。
「悪いけど、アンタに仕える気はない」
ウィルはその提案を一考もせずに首を振った。
爵位が欲しくて騎士王になったのではない。
アリエルの隣に立つのに爵位が必要なだけだ。
「アリエノール嬢と結婚したいのだろう? コーンウォールは領主が変わったばかりだ。いくら騎士王になったとはいえ、伯爵位をポンと与えられはしまい」
「だからって俺がアンタに仕えてアリエルと結婚したんじゃ、結局コーンウォールはアンタの支配下に置かれる。ガイとアリエルが結婚するのと変わらないだろ」
ウィルがそう突っぱねるとエゼルバルドはニヤリと笑った。
「いや、儂はコーンウォールをどうこうするつもりはない。引き続きアリエノール嬢が支配してもいい。それに騎士団長と言ってもウィリアム卿にして欲しい事はひとつだけだ。それさえやってくれれば後は名前だけ在籍している騎士団長で構わんよ。部下扱いすることもない」
ずいぶんと都合の良い話に、隣に居るランスロットが顔をしかめた。
「そこまでの待遇を用意して、何をさせるつもりじゃ?」
「なぁに簡単な事だ。『試合の女王』を決める儀式の際、王子から冠を槍で受け取るだろう? その時に少し槍を動かしてくれれば良い」
まるで悪戯でも仕掛けるような無邪気な顔だ。
買い物でオマケをねだるように言ってみせた。
ウィルはその言葉に顔をしかめた。
少し槍を動かす、なんて軽く言っているが、要は暗殺の依頼だ。
しかもその相手は、エゼルバルドにとっては兄。
肉親を殺す。
その事に何の痛痒も覚えていないのが分かる。
「アンタのお兄さんだろ?」
「いいや、頼りにならない次期ブリトニア王だ。だから殺す。儂が殺す」
エゼルバルドは笑ったまま眼光を鋭くした。
微笑みながらも眼は笑っていない。
「エゼルバルド公、王子を殺したぐらいでは王国を支配する事は出来んぞ」
ランスロットがエゼルバルドを睨み付ける。
しかしエゼルバルドは平然としている。
「もちろん分かっているとも、しかしウィリアム卿が王子を殺せば、コーンウォールは現王派に付く事は出来なくなる。それで良い」
「……そして結局は孤立を恐れて貴公を頼る事になる、と?」
「それはアリエノール嬢やウィリアム卿次第だな。スヴェン公と親交を深めたようだからノーサンブリアを頼っても良かろう」
「貴様っ! 国を割るつもりか!」
エゼルバルドの言葉にガウェインが激高した。
その声に辺りは静まる。
エゼルバルドは静かに、しかし力強く語り始めた。
「先代エグバード大王は偉大だった。しかしその息子であるエゼルウルフは宗教に狂い国をないがしろにした。あのような男に王国を統治させ続けるわけにはいかん」
「貴様の父親だろうが!」
「だからこそだ、親の過ちは子が正さねばならん。例えそのために兄を弑する事になろうともな」
エゼルバルドは凄惨な笑みを浮かべる。
ウィルたちはその迫力に押されて何も言う事が出来なくなった。
エゼルバルドは決断を迫るようにウィルの顔を見る。
射貫くような視線をウィルは見返す事しか出来なかった。
「選択肢はないと思うがね、アリエノール嬢が無事なのは我々の慈悲なのだよ?」
「それは……」
エゼルバルドは視線で周囲を示す。
今、ウィルたちの近くにいるエゼルバルドの騎士はガイと護衛の数人だけだ。
しかしこの会場には多くのエゼルバルドの騎士たちが詰めているのだ。
その気になれば彼らを動員して圧殺する事も可能だ。
押し黙るウィルたちを見て、エゼルバルドは柔らかく笑みを浮かべた。
「じっくり考えるといい。答えは行動で示してもらうとしよう」
そういうとエゼルバルドは背を向けて悠然と去っていく。
隣にいたガイも最後までウィルを睨み、苛立たし気に去っていった。
残されたウィルたちの間には痛いほどの沈黙が降りていた。
誰もが黙り込み、身じろぎひとつしない。
ウィルは一人目を瞑り、うつむいていた。
老騎士たちが、サラが、そしてロジェがウィルの方を見る。
ウィルが目を開けると皆の視線はウィルに集中していた。
「ロジェ、サラ、爺ちゃんたちゴメン」
突然の謝罪にロジェたちは驚いた。
そしてその意味を問いただそうとする。
しかしその前にウィルが言葉を続けた。
「みんなを危険に晒すけど、あいつの言う事は聞けない」
ロジェたちはウィルの言葉にほう、と息を吐く。
「当たり前じゃない、もし言う事聞くなんて言ってたらアリエル様に怒られるわよ」
その言葉にウィルは本当に嫌そうに顔をしかめた。
「それは困る。アリエル怒ると怖いんだよ」
「がははは、まったくじゃ。姫様を怒らせると怖いからの」
ウィルの言葉に老騎士たちが笑って同意する。
それだけで張り詰めていた空気が和らぐ。
ウィルたちはひとしきり笑いあうと頷き合った。
「アリエル様を助けて、みんなでコーンウォールに戻りましょ」
◇
ウィルたちが治療と話し合いを済ませている間、会場では表彰式の準備が終わっていた。
散乱していた槍の破片などは取り除かれ、馬の衝突を防ぐ隔壁も取り払われている。
邪魔なモノが取り払われて広くなった試合場に、大紋章試合に出場したすべての騎士が集められていた。
騎士たちは貴賓席の前で騎乗したまま横一列に並ぶ。
観客席の壁などは垂れ幕や飾り布で飾られて、華々しい雰囲気になっている。
本来ならここに騎士たちに惜しみない喝采を送る観客がいるはずだった。
しかし、今いるのは厳つい表情のウィンチェスターの騎士たちだけだ。
出場騎士たちも異様な雰囲気にのまれ沈黙している。
ウィルもまた試合場の列の中央で鎧を纏い騎乗した状態でいた。
隣にはガイが居る、ウィルの方に視線を向けず、真っ直ぐに貴賓席を見ている。
貴賓席は一段と豪華に飾られており、その中央にある玉座にはアゼルスタン王子の姿があった。そしてその隣には穏やかな笑みを浮かべるエゼルバルドの姿がある。
ウィルはその笑みに思わず顔が歪む。
式は波乱もなく進行し、成績下位者から順番に褒賞を与えられていく。
成績下位者と言っても大紋章試合に出場するだけでも褒賞に値する名誉なのだ。
それぞれ他の試合での成績や功績も一緒に讃えていく。
そしてついにウィルが表彰される番になった。
カンタベリーでの優勝から始まり、大紋章試合の優勝までの戦歴を大仰な言葉で讃えられた。
「では騎士王ウィリアム卿、大紋章試合の女王を選ぶのだ」
紋章官の言葉と共にウィルの近くに騎士が近づいてきて、一本の槍を手渡してきた。
一見すると試合用の槍とまったく同じモノだ。
しかしウィルはその槍を手に取ったとき、それがまったくの別物だと気付いた。
重いのだ。
試合用の木槍ではあり得ない重量がある。
先端にも刺さらないように王冠型のカバーがつけられているが、逆にそちらは軽い。
試合用の槍ならカバーだけは金属製になっているはずだ。
赤色に塗装して誤魔化してあるが、おそらくカバーが木製なのだろう。
思わずウィルがエゼルバルドに視線を向ける。
エゼルバルドは素知らぬ顔で穏やかに微笑んでいる。
しかしその視線だけは鋭くウィルを貫いていた。
どうする?
その視線はウィルにそう問うていた。
ウィルは静かに目を瞑り、右手に感じる槍の重さに意識を向けた。
王子はこの槍の先端に、試合の女王を選ぶための冠を引っ掛ける。
その瞬間、ウィルが先端を王子の喉に向けて突けば、王子は死ぬだろう。
そしてコーンウォールとウィルは王族殺しの汚名を着せられる。
しかしその代わりに、王位を簒奪したエゼルバルドからは厚い援助を受けて繁栄するかもしれない。
逆に、このまま冠を受け取り、なんとかアリエルを奪回した場合。
コーンウォールとウィルはエゼルバルド率いる反王勢力と完全に敵対し、今後の戦いで付け狙われる事になるだろう。
ウィルが目を開けると、変わらず穏やかに微笑むエゼルバルドと、戸惑った表情をしているアゼルスタン王子が目に入った。
そしてその奥に、真っ直ぐにこちらを見つめるアリエルの顔が見える。
ウィルの迷いを感じて心配そうに見ているわけではない。
その視線はただただ真っ直ぐで、アリエルからの信頼を感じた。
その顔を見たら、ウィルは自然と微笑んでいた。
もう迷いはない。
ゆっくりと馬をめぐらせて、アゼルスタン王子の前へと進む。
王子は試合場の二階部分にある貴賓席、ウィルは試合場。
かなりの高さと距離があるのだが、試合用の槍は大人の人間二人分の長さがある。
ウィルが槍を伸ばすと、その先端は王子の近くへと届いた。
試合場に張り詰めたような空気が流れる。
王子はその空気にのまれたのか、おっかなびっくり槍の先端に冠を引っ掛ける。
冠が引っ掛けられると拍子抜けしたような弛緩した空気が一瞬流れる。
しかし、その後すぐに先ほどよりも緊迫した空気へと変わった。
ウィルは槍先に冠を引っ掛けたまま、ゆっくりと試合場を回る。
試合場に観客はいない。
だから『試合の女王』を選ぶと言っても、その対象はアリエル以外にあり得ない。
茶番だが、文句を言う者は誰もいない。
試合場にいる者は誰もがウィルの挙動を注視していた。
会場中の視線を一身に集め、ウィルはゆっくりと試合場を回る。
その間、ウィンチェスターの騎士たちが、こそこそと動き回っているのが見えた。
エゼルバルドの傍らにも騎士が近寄り、何事か耳打ちされて去っていった。
ウィルが再び貴賓席の前に戻ってくる頃には試合場には落ち着きが戻っていた。
ウィンチェスターの騎士たちは試合前と変わらず配置されているかに見える。
しかしよく見るとゆるやかに貴賓席を包囲するような形に変化していた。
ウィルが槍をゆっくりとアリエルの方へとのばす。
アリエルの顔を見た。
いつも通り、ふてぶてしくも不敵な笑みを浮かべている。
アリエルの両脇にはウィンチェスター騎士が二人、警護という名目で張り付いている。
おそらく王子を捕えるタイミングでアリエルも捕えるつもりなのだろう。
アリエルが冠に手を伸ばすと、騎士たちはピクリと手を動かした。
「ウィル!」
その瞬間、アリエルは冠を取らずに槍に手を伸ばして、身体を宙に舞わせた。
ウィルは軽く差し出していた槍をがっちりと脇で抱え込む。
アリエルは槍を掴むとそのまま螺旋を描き、するりとウィルの胸元へと落ちていった。
どん、という衝撃がウィルの胸甲に響き、ふわりと花のような香りが鼻腔をくすぐった。
「ただいま、ウィル」
「おかえり、アリエル」
胸元にしがみつき、無邪気な笑みを浮かべるアリエル。
ウィルはそれに優しく微笑み返した。
そしてアリエルと一緒に落ちてきた冠を手に取る。
花の咲いた月桂樹を編んだデザインの金の冠だ。
ウィルはそれをそっとアリエルの頭に載せた。
アリエルは少し恥ずかしそうにはにかむ。
「ちょっと! 何二人だけの世界作ってるのよ!」
「ウィル、姫様! 脱出しますぞ!」
あらかじめこのような手段で脱出する事を知っていたロジェやランスロット達が騎乗して試合場に乱入、二人の下まで駆けてきた。
馬に乗れないロジェはサラの操る馬に相乗りした状態で、威勢のいい言葉とは裏腹に怯えた表情でサラの腰にしがみついている。
素早く整然と集合するウィルたちとは反対に、試合場の騎士たちの動きは混乱していた。
貴賓席では押し寄せるウィンチェスターの騎士たちと、それをとどめようと奮闘している王子の近衛騎士たち。
そこに参戦しようとしている公爵の騎士たちと、それを阻止しようとする公爵の騎士たち。王子を助けようとしているのを邪魔しているのがエゼルバルドに与した公爵なのだろう。
そちらを見ていると、いち早く戦闘から遠ざかり試合場から脱出しようとしている公爵とその騎士たちを見つけた。
ノーサンブリア公爵スヴェンだ。
スヴェンはウィルを一瞥すると、騎士たちと共に試合場を後にした。
「俺たちも脱出しよう」
「エスコートしてね、私の騎士様」
アリエルがおどけた調子で笑いかけ、するりとウィルの後ろに周り腰にしがみついた。
ウィルは返事の代わりに手綱を引いて馬を走らせる。
前方には慌てたウィンチェスター騎士たちが出口を塞いでいる。
だがウィルたちは一丸となってそこへ殺到する。
ウィルは先ほど渡された木槍に偽装した鉄槍を脇に構える。
それを正面で行く手を遮っているウィンチェスター騎士に向けた。
ウィンチェスター騎士が槍を向けてくるが、ウィルはそれを鉄槍で軽くいなす。
そしてそのまま王冠型のカバーのついた槍先を突き込んだ。
ウィルの手に重く硬い衝撃が伝わる。
ぱかん、という情けない音を立てて王冠型のカバーは砕け散った。
同時にウィンチェスター騎士の身体が衝撃で吹っ飛ぶ。
もうウィルたちの行く手を塞ぐ者はいない。
ウィルが振り返ると貴賓席で騎士の指揮を執るエゼルバルドと目があった。
その顔に笑みはもうない。
あるのは敵意と決意に満ちた意志だけだった。
そしてその傍らにガイの姿は見えなかった。
「ウィル、行くぞ」
ランスロットの呼びかけに頷くと、ウィルは試合場から駆け出した。
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