騎士王の戦い
騎士ばかりが見つめる試合場で、静かに決勝戦の開始が宣言された。
貴賓席にはアリエルやスヴェンなどの公爵たちが座っている。
最も豪華な椅子には第一王子であるアゼルスタンが座り、その周囲を近衛騎士たちが護っている。
エゼルバルドは主催者ということでアゼルスタンの近くの席に侍従を連れて座っているが、その周囲に護衛の姿はない。
だがそれも当然と言える。
会場のほとんどの騎士がエゼルバルドの配下なのだ。
護衛を置く必要などないだろう。
ウィルは貴賓席の方を見るのをやめ、正面を向いた。
正面の入場門には黒と金の鎧に身を包んだガイの姿がある。
ガイも兜越しにウィルを見ていた。
その視線を感じると、すぐに試合場の様子など気にならなくなる。
視野が狭窄するように、ガイの姿だけしか見えなくなる。
左肩の怪我も忘れ手綱を握りしめた。
鈍い痛みが身体を貫く。
審判が試合開始の合図をした。
ウィルはガイと同時に入場門から駆け出した。
ガイの槍先はピタリとウィルの胸元めがけて固定されていて揺るがない。
互いの槍が交差する瞬間、ガイの槍がウィルの槍の内側に滑り込んできた。
かつてウィルも使い、ガイもボルグとの模擬戦で使った『巻き落とし』だ。
このまま内側を取られると、ガイの槍はウィルの槍をガイド代わりに突き進んでくる。
そしてウィルの槍はそのまま外に弾かれてしまうのだ。
ウィルは内側を取られないようにこちらも槍先をガイの槍先の内側に入れなおす。
しかしガイもすかさず槍先を跳ね除け、自らの槍を内側にねじ込もうとする。
互いに譲らない槍先の戦いは、一瞬のうちに何度となく繰り返された。
しかしこの間も二人の馬は全力で駆けている。
すぐに二人の間合いは詰まり、もはや突くことが出来ない距離になる。
二人は同時に槍を弾いた。
そのまま、二人とも槍を砕くこともなく、すれ違った。
ウィルは手に残る痺れに顔をしかめながら自分の入場門に戻った。
入場門では心配そうなロジェが出迎える。
「……まずは、様子見?」
ロジェは不安をそのまま口にすることなく、平静を装って聞いてくる。
だがウィルから見てもそれは強がりだとすぐに分かった。
だからウィルは正直な意見を言った。
「技術は互角、でも体格や力は向こうが上だから、総合的に負けてる」
「そ、そんなっ、な、何弱気になってるのよ!」
「いや、事実だよ」
「ち、ちょっと何落ち着いてるのよ! まずいじゃない!」
慌てるロジェを尻目にウィルは頭の中で何度かガイとの対決を思い描いた。
これが馬を下りての歩行試合なら体格差というのは絶望的だが、騎乗試合なら話は別だ。
長大な槍を持つ以上、手足の長さはそれほど影響がなく、馬に乗って戦うので力の差もそれほど影響がない。
ただまったく影響が無いかというとそんな事はない。
実力差があればほとんど影響はないが、拮抗していると、そのわずかな差が勝敗を分ける事になってしまうだろう。
「大丈夫、最初から楽な戦いじゃないのは分かってた」
「……それは、そうだけど」
「行って来る」
不安そうなロジェを残して、ウィルは再び駆け出す。
もう『巻き落とし』は使えないだろう。
互いの技量が同じなら、あの技は決まらない。
次は別の手段を講じる必要がある。
ウィルは盾をしっかりと身体の前に構えた。
槍先はガイの胴体、身体の中心に向ける。
ガイの攻撃力は分かった。
今度は防御だ。
開始の合図と共に駆け出す。
今度は全力の疾走ではなく、やや速度を抑えている。
確実に槍を命中させるためだ。
ガイの姿が迫ってくるとウィルは先んじて螺旋槍を繰り出した。
槍はガイの鎧の中心に吸い込まれるように進む。
それをガイは盾を斜めに構えて受ける。
表面を滑らせるつもりだったのだろうが、螺旋槍は食いつくように盾に絡みつく。
心地よい破裂音を響かせてウィルの槍先は砕け散った。
お返しとばかりにガイの槍がウィルに迫る。
ウィルはその槍をギリギリまでひきつける。
そして素早く盾を構えて、自在盾で受け流そうとした。
「くっ!」
その瞬間、左肩に刺すような痛みが走る。
左腕が引き攣って動かせない。
凄まじい衝撃が左手から伝わり、盾ごと腕が跳ね上げられた。
同時にガイの槍が粉々に砕け散る。
「ウィルっ!」
「ウィルくん!」
入場門に戻ると青い顔をしたロジェとサラに出迎えられた。
特にサラは今すぐにでも鎧を脱がせたいような表情をしている。
しかし試合中に鎧を脱ぐことは出来ない。
「大丈夫、傷口は開いてないよ」
「でも……」
「これでどこまでなら動かせるか分かったから」
ウィルの言葉にサラは黙り込む。
止められない戦いだというのは分かっているのだ。
「……螺旋槍は有効だったわね」
「ガイは自在盾は使えないみたいだ。防御はこっちのが上かな?」
ロジェの言葉にウィルはわざとおどけた調子で言ったが、ロジェは笑わなかった。
何も言わず、真っ直ぐにウィルを見つめる。
隣を見るとサラも心配しながらも同じ瞳でウィルを見ている。
「行ってくる」
ウィルは短く告げて駆け出す。
現在のスコアは一対一、まだまだ勝負は分からない。
攻撃技術は互角、体格はガイが有利、防御技術はウィルが有利。
これが戦場であるならウィルは不利だ。
いくら防御に優れていても相手を倒せなければ意味がないからだ。
しかしこれは試合だ。
どんなに強烈な一撃を放っても、相手が落馬しなければ一点だ。
そして攻撃をいなして、槍を砕かせなければ、相手に点は入らない。
ウィルに勝機はある。
三度の合図でウィルは駆け出した。
先ほどの対決の焼き直しのように、まったく同じ速度で二人は駆ける。
そして同じようにウィルの槍が先にガイの盾に命中し砕け散る。
ガイの槍が眼前に迫る。
ウィルは先ほどよりも小さい動きで左腕を動かした。
最小限の動きで槍先を捉えて、柔らかく受け流す。
「――っ!?」
その瞬間、ウィルは盾から違和感を感じ取った。
自在盾が柔らかく受け流すとは言え、手応えは柔らかいものではない。
こちらを突き通そうという力を最小限の力で押し返しつつ、その矛先を逸らすのだ。
しかしこの一撃には盾に力が伝わってこない。
まるで紙の槍で突かれたかのようにスカスカだ。
とまどうウィルの目の前でガイの槍先が砕けた。
ウィルは驚きのあまり目を見開いた。
砕けるはずがない。
しかし現実に槍先は粉々に砕けていた。
ウィルは呆然と砕け散る木片を見ていた。
なんだか破片が細かく、量が多い気がする。
まるで最初から砕けやすく細工していたかのように。
折れたガイの槍はそのままウィルの身体に迫る。
嫌がらせに折れた槍をウィルにぶつけるつもりだろうか。
既に槍が砕けている以上は大した効果はないはずだ。
その時、ウィルは飛び散る木片の向こうから鋭利に尖った木槍を見た。
盾を引き戻そうとするが、既にいなす動きをしてしまった後だ。
必死に身体を捻って避けようとするが、動かない。
どん、という衝撃とともにガイの短くなった槍がウィルの胸甲に命中した。
「ぐぅっ!」
命中した左肩から金属の軋む音と木が折れる音が聞こえた。
同時に身体を引き裂かれるような痛みに襲われる。
衝撃によってウィルの身体は大きく揺れ、馬から落ちそうになった。
視界が斜めに
遠のく意識の中、涙を浮かべて悲痛な表情をしているアリエルの姿が見えた。
「――
意識を取り戻したウィルは目の前の手綱を右手で握って、落馬を逃れる。
本当に地面に落ちる寸前で、馬の横腹にしがみつくようにして耐える。
急に手綱を引っ張られた馬が暴れるが、渾身の力で張り付いていた。
何故か左腕に力が入らず、何かが邪魔をしてうまく掴めない。
それでも何とか身体を立て直して馬上に戻った。
一息つくと左肩に焼きゴテを押し付けられたような痛みがはしる。
顔を歪めて見てみると、木槍の先端が左肩に刺さっていた。
「ぐぅっ」
自分の目で見て認識すると、更に痛みが増したような気がする。
馬上で揺られるその振動で、叫びだしたくなるほど痛い。
「ウィル!」
ロジェが顔を怒りに染めて、サラが泣き顔で出迎えた。
ランスロットたちも駆け寄ってくる。
「どこまでいっておる?」
「先っぽだけ、骨までは届いてない、と思う」
ランスロットの冷静な言葉に短く返事をする。
鎧を貫通しているせいで大怪我しているように見えるが、実際は鎧のおかげで先の部分が少し肉を裂いて刺さっている程度だ。
鎧に刺さっているせいで抜けずにくっついているが、無ければ簡単に落ちるぐらいの深さでしかない。
「とりあえず降りてきてください。傷を見ますっ」
サラが涙を浮かべたまま、それでも視線だけは強くウィルを見据える。
しかし下馬しようとすると入場門近くにいる係官が止めてくる。
「下馬しますと棄権とみなしますが、よろしいか?」
係官の言葉にロジェが噛み付くように叫ぶ。
「何言ってるの! アクシデントが起きた際の治療は認められているはずよ!」
しかし係官は顔色ひとつ変えずに首を振る。
「折れた槍が鎧に刺さってしまう事は試合をしていれば普通にあります。アクシデントとは認められません」
「怪我をしてるのよっ!」
「戦場では当たり前のことですよ。敵が怪我を理由に攻撃を止めてくれるとでも?」
「詭弁よっ、これは試合でしょ!」
「試合と言えど騎士と騎士の真剣勝負です」
「何が真剣勝負よっ、槍に細工してたでしょ! あんな不自然な折れ方っ」
ウィルはまだ食って掛かっているロジェの前に騎乗したまま立ち塞がる。
「ロジェ、いいよ。このまま続行する」
「――無茶よっ、そんなの!」
「俺だってこのまま終われない」
ウィルがロジェを見つめると、ロジェは息を飲んで黙り込んだ。
「……怒ってるの?」
「怒るさ、そりゃあ」
反対側の入場門ではガイが悠々と撤収の準備をしようとしている。
ウィルが棄権すると思っているのだろう。
観客が入っていたらブーイングものの疑惑の判定だが、この場にいるのはエゼルバルドの息のかかった者たちばかりだ。
アゼルスタン王子やスヴェン公爵のように訝しげな顔をする者もいるが少数派だ。
ウィルは歯を食いしばってガイを睨みつける。
反則をされたのは初めてではない。カンタベリーの試合の時のようにもあった。
しかしまさか騎士王が反則などしないだろう、と勝手に信じ込んでいた。
その自分の甘さに腹が立った。
そしてそれ以上に、あれほどの技術がありながら勝利のためには反則も辞さないガイのやり方に腹が立った。
ガイの誇りは『より高みへ』だ。
確かに公爵へと迫ろうというガイにとってこの試合は『何をしても負けられない』試合なのだろう。
そのためにはいかなる手段も講じる。
理屈としてはあっている、合理的でもある。
しかしウィルはこの『
ウィルは右手で肩に刺さった木槍を掴む。
そして歯を食いしばり、力を込めて引き抜いた。
「――くっ」
引き抜くと同時に肩から温かいモノが流れ、鋭い痛みが継続的に起こる。
それを無視して抜いた木槍を投げ捨てる。
「ウィル、やれるのか?」
ランスロットが顔をしかめる。
それほど顔色が悪いのだろうか。
ウィルは誤魔化すように兜の
「やるよ、俺はアイツを認めたくない」
ウィルが馬上から手を差し出すと、ロジェが複雑そうな顔をして槍を渡して来る。
「……勝ちなさいよ、それでアリエル連れて、必ず戻ってきて」
「うん、分かった」
サラを見ると泣きそうな顔でウィルを見ている。
何度か口を開き、そして閉じ、結局一言だけ呟いた。
「帰ってきてね、ウィル君」
「大丈夫、無茶はするけど、死ぬ気はないよ」
ウィルの言葉にサラは更に悲しそうな顔をする。
だが、それ以上は言葉にしなかった。
ランスロットが近くに寄ってきた。
「どうする? ポイントは同点だが、長引けば負けるぞ」
「長引かせないでしょ。向こうはこれで決めるつもりだよ」
ウィルは再びガイの方を見る。
ガイはこちらが続行すると見て取ると、そうそうに
おそらく槍の細工もしてこないだろう。
本当に狡猾な相手は不正を繰り返し使ったりしない。
不正を繰り返せば、万が一それが発覚した時にそこで立場が逆転してしまうからだ。
だからこそ、不正で得たリードを活かして最後は文句のないように仕留めに来るはずだ。
「こっちも手がもたないしね。次で決める」
「その腕では防御が出来んぞ」
「防御はしない」
「……ウィル」
ランスロットは何かを言おうとして、口を閉じた。
その代わりにゆっくりと頷いた。
「分かった、好きなように戦え、勝てばお前が『騎士王』だ」
ランスロットの言葉にウィルは頷いて馬を走らせた。
ウィルは添えるようにして軽く手綱を握っている左手で馬の首筋を撫でた。
左手はこの程度なら動く。
審判の合図と共にウィルとガイは駆け出した。
ガイは全力で馬を走らせ、半身を盾に隠し、槍先をウィルの胸元にピタリとつけた。
紋章試合において最も一般的な基本の構えだ。
派手さは無いが、隙が少なく崩しづらい構え。
その鋭い槍先が凄まじい勢いで迫ってくる。
ウィルはその槍先に盾を向け、そのまま盾を地面に放り出した。
ガイの槍先がピクリと揺れる。
ウィルは盾を捨てた左手を構えた槍に添える。
そして槍を握ってた右手を放した。
槍は柄の後ろが鎧の
空いた右手で手綱をしっかりと握る。
足で軽く馬の腹を蹴って、右手で手綱を引いた。
ウィルの馬が短くいななくと、前脚を持ち上げて、宙を舞った。
その瞬間、周りの音がすべて消えた。
視界がゆっくりと流れる中、慌てて槍を突きあげようとしているガイが見える。
ウィルはそれに構わず右手は手綱をしっかり握り、左手は槍を落とさないようにする。
流れる景色が下降し始めた時、ウィルは身体を前傾し、手綱から手を放した。
耳に再び音が戻ってくる。
ゆっくりだった景色が凄い勢いで流れ始めた。
ウィルは素早く右手で槍を握りなおす。
槍先を眼下のガイに向けた。
馬が落下する勢いを槍に乗せる。
下からガイの突きあげた槍が向かってきた。
その槍に突っ込むように姿勢を更に傾ける。
同時にウィルの槍はガイの胸甲に命中する。
右腕に凄まじい重みがかかり、身体が馬から吹き飛びそうになる。
左手は再び手綱を握ってはいるが、ほとんど力は入らない。
ウィルは足で馬の身体を挟み、必死に振り落とされないように耐える。
衝撃と共に槍が砕け、身体が馬上から引っこ抜かれそうになる。
激しく揺れる視界の中で、ガイの身体が馬上から落ちるのが見えた。
そのままウィルの視界は斜めになって地面が迫ってくる。
ウィルは折れた槍を手放すと右手で手綱を必死で掴んだ。
ピンと身体が馬上に引っ張られ、視界が止まる。
馬から半ばずり落ちたような姿勢だ。
そこから何とか右手の力だけで身体を起こした。
その頃にはようやく馬が歩みを止めた。
ウィルは一息つくと試合場を見まわした。
試合場は静まり返っている。
客席に等間隔で立っているウィンチェスターの騎士たちは目を見開いて、口をぽかんと開けていた。
ガイは落馬した姿勢のまま呆然と座り込んでいる。
ウィル側の入場門を見るとロジェとサラが手を取り合って喜んでいる。
ランスロットたち老騎士も手を打ち合わせて騒いでいる。
貴賓席を見た。
エゼルバルドは苦々しげに顔をしかめている。
アゼルスタンは感心した表情をしている。
そしてアリエルは、穏やかな笑みを浮かべてウィルを見ていた。
その瞬間、ウィルは突き動かされるように右手を高々と掲げていた。
歓声はない。
拍手もない。
それでもウィルの胸には降り積もるように達成感が満ちていく。
遂に騎士王になったのだ。
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