栄光なき決勝戦



 準決勝の試合後、ウィルたちは領事館に戻ってきた。

 ここはかつてコーンウォールが王国だった時代に建てられた領事館だ。

 その頃から隣国同士であったコーンウォールとウェセックスはつかず離れずの関係にあった。

 コーンウォールは他国を攻めるほどの人的余裕がなく、ウェセックスは中央に近い国のためコーンウォールと敵対すると包囲されてしまうからだ。

 そのため、互いにいくつかの街に領事館があり、常に交流を持ち極力争わない間柄だった。


 ここはそうした領事館のひとつだ。

 中で働く人々は皆コーンウォールの住民であり、領事館の敷地内はいかにウィンチェスター騎士団でも手出し出来ない。

 その代わり、領事館の外には警備と言う名目で多すぎる数のサクソン人の騎士たちがたむろしていた。

 本人たちに言わせると多くの人が集まる大会中は不届き者が出る可能性があるので、主要な貴族たちの居留地を警備しているのだと言う。


「随分とあからさまに監視してくれるわね」


 ロジェが窓から外を見てため息をついた。

 ウィルも見てみると、外からこちらを見ていたサクソン人騎士と目があった。

 軽く手を振ってやると顔を歪めて睨んでくる。

 

「もう、ウィル君。動いちゃダメ」


 窓をのぞきこんでいたウィルをサラが押し戻す。

 サラは包帯を片手にウィルの治療をしているのだ。

 驚異的な回復力で既に新しい肉が傷口を埋め始めているが、それでも完治はしていない。

 今でも無理に動かせば傷口が裂けて血があふれ出してしまう。

 サラは血が乾き黒ずんだ包帯を外して新しい包帯を巻きなおしていた。


「ウィル、食事が出来たわ。食べましょう」


 そこへアリエルが入ってきた。

 アリエルは何故か侍女服を着ていた。


「アリエル、何その格好は?」

「ふふん、いいでしょ? 今日の食事は私も手伝ったのよ?」

「……アリエル様、何やってんのよ」

「アリエル様はお料理も出来るんですか?」


 呆れるロジェと驚くサラ。

 ウィルは思わず顔をしかめた。

 それをアリエルは目ざとく見つける。


「何よ、ウィル。不満そうな顔して。私だって料理くらい出来るわよ?」

「出来るけど、いつも適当じゃない」

「いいじゃない、そこそこ美味しいんだから」


 アリエルは不満そうに頬を膨らませる。

 確かにそこそこ美味しい、が何となく物足りない味になる。

 原因は塩やハーブを目分量で適当に入れるからだ。

 そういうのは経験豊富な人間がやる技術なのだが、アリエルはそういうことこそやりたがるのだ。適当に。

 ウィルはため息をついてアリエルの後に続いて食堂に移動した。


 食堂のテーブルには所狭しと大量の料理が並んでいた。

 まるでこれからパーティーでもやろうかというような分量だ。

 いつもは侍女や老騎士たちとで交代で食堂を使うのだが、今日は全員で食べるらしい。

 それにしても量が多い。

 

「こんなにどうしたの?」

「明日はウィルが騎士王になる大事な日だからね。奮発したのよ」

「どうやって買ってきたの? 監視されて買い物にも出られないのに」


 ロジェがアリエルの言葉に疑問を持つ。

 ウィンチェスター騎士団は先日の倉庫の炎上を予定通りに不法侵入した野盗くずれの仕業として発表した。

 そして警戒のため、と称して騎士団を街中に巡回させ、公爵たちには危険なので出歩くな、と外出を禁じているのだ。


「買ってこさせたのよ、その騎士団の連中に」

「へ? 監視してる連中に買いに行かせたの?」

「そうよ、私たちが出歩けないんだからあの人たちに行ってもらうしかないでしょ?」

「……よく買いに行ったね、その人たち」

「私たちが勝手に出歩くよりはマシだと思ったんじゃない?」


 アリエルの言い方では随分とウィンチェスター騎士団が物分りが良いようだが、本当はそうではないことをウィルは知っている。

 アリエルに口論で勝つなんて不可能なのだ。

 ウィルはアリエルの使いっパシリにされた騎士たち思って同情した。


「保存の利かないモノばっかり買ってきたから今日中に食べないとね」

「……なるほど、変なモノ買われるぐらいならお使いもするってわけね」


 長期保存可能な食べ物は脱走するときの物資になり得る。

 下手にそんなものを買われるぐらいなら、自分達で買い与えても問題ないものを買ってきた、ということなのだろう。


「だからって、これは買いすぎじゃないの?」

「たくさん食べてね。ウィルは怪我したし、お肉一杯食べないとね」

「…………頑張るよ」


 ウィルはテーブルに並ぶ大量の『ご馳走』に顔をしかめた。

 それでもこれが最後の晩餐とならないように、ウィルは口いっぱいにそれを詰め込んだ。

 こうしてウィルたちは騒がしくも賑やかな夕食をとり、それを背景音楽にして決勝戦とその後の対応について遅くまで話し合った。


                    ◇


 翌日、ウィルたちが準備を整えて試合場に向かおうとすると、門の前にはウィンチェスター騎士団が待ち構えていた。

 完全武装の騎士たちが十数騎、随分と物々しい出迎えだ。

 鎧の上には儀礼用の羽織をつけ、槍にも煌びやかな旗がついているものの、まるでこれから戦闘でも起こるかのような備えだ。


「コーンウォール公爵様、会場まで我々が護衛いたします」

「あら、護衛でしたら私の頼もしい騎士たちがいるから不要ですわ」

「いえ、大会の混乱に乗じて不審なやからが入り込んでいるという情報もございます」

「まぁ、エゼルバルド様の治めるこの街で、あなた方のような頼れる騎士がいるにも関わらず、そのような備えが本当に必要なのでしょうか?」


 アリエルの言葉は丁寧ながらも辛辣だ。

 領地を治める公爵が滞在中で、しかもたいそうな数の騎士団まで出張っているにも関わらず、街にいる貴族の行動を制限しなければならないほどに治安が悪いのか、とあてこすっているのだ。

 要するに騎士連中に、お前達は街ひとつも満足に防衛できない無能か、と言っているに等しい。


 だからこそアリエルは彼らにそれを言ったのだ。

 ウィルたちに張り付いているのが任務だが、それを認めることは自分たちを無能だと認めることになる。

 ちょっとした嫌がらせのはずだった。


「はい、我々の力不足で街の中であっても安全とは言い切れません。ご不便をおかけしますがよろしくお願いします」


 だからこそ、騎士の率直な言葉にアリエルは驚いた。


「……そんな危険な状況で大会を強行するのですか?」

「ですので万全を期すために、決勝戦は一般の観客は全て排除しております。試合場におりますのは、貴族の皆様と我々ウィンチェスター騎士団のみとなっております」

「――っ、観客を全て、ですか」

「はい、身元の不確かな者はもちろん。街の住民ですら試合場には入れません。警備は万全ですので試合は安心してご覧いただけますよ」


 騎士はニコリと笑う。

 その表情は穏やかながら有無を言わせぬ迫力があった。

 ちょっとやそっとの嫌がらせでは動じそうも無い。

 何か覚悟を決めたような表情をしている。


 ウィルはその表情に不穏なものを感じた。

 覚悟と言っても悲壮なものではないのだ、熱を持った芯が燃えるような覚悟。

 まるで戦闘前のような。


「……分かりました。それでは共に参りましょう」


 アリエルもその雰囲気を感じたのか、これ以上言葉を重ねるのをやめた。

 ここで取れる行動は限られている。

 ウィルたちは前方と後方をウィンチェスター騎士団に挟まれた形で試合場まで移動することになった。


 試合場までの道のりには多くの人々が溢れていた。

 誰もが、買い物をするでもなく、さりとてどこかに向かうでもなく、戸惑うようにしている。

 その視線は厳重な警備の中、連行されるように移動するウィルたちに向けられた。

 

 ウィルを見て、決勝戦に出場する騎士だと気づく者はたくさんいた。

 しかし誰もが、一瞬嬉しそうにウィルを見るが、すぐに不満そうな顔をする。

 おそらくこの道に溢れている人々は大会を見ようとこの街に来た人々なのだろう。


 大会も盛り上がり、いよいよメインイベントの決勝戦というところで、一般の客は観覧できないと締め出されたのだ。納得は出来ないだろう。

 それでも街のあちこちには武装したウィンチェスターの騎士たちが立っている。

 あからさまに不平を言うことも出来ない。


 異様な雰囲気の中、ウィルたちは試合場に入ることになった。

 ようやく先導していた騎士たちと後ろを固めていた騎士たちから解放される。

 ずいぶんとあっさり包囲を解いたと思い、周りを見渡して納得した。

 試合場の中はウィンチェスターの騎士だらけだったからだ。


 いつもは喧騒に包まれている試合場が静まり返っている。


 試合場の中に入る。

 

 いつもは雑多な人々で溢れかえっている客席には、等間隔で騎士が立っている。

 ウィルがぐるりと周囲を見渡すと、客席すべてにウィンチェスターの騎士がいた。

 彼らの視線は全てウィルに注がれていた。


「コーンウォール公爵様、貴賓席までご案内します」


 ウィンチェスターの紋章官らしき男が近寄ってきた。

 その顔に笑みはない。

 案内というよりは牢屋を見回る看守のようだ。

 周りをウィンチェスターの騎士に囲まれた貴賓席など、牢獄と変わらない。


「まさか儂らは入れない、ということはないだろうな?」

 

 凄味のある表情でランスロットが紋章官に言う。


「もちろん、護衛や付き人は何人連れていただていも構いません」


 紋章官は表情を動かさずに言い放つ。

 これだけの数の騎士がいるのだ、老騎士たちが何人いようとその気になれば制圧可能だと思っているのだろう。

 ランスロットは片眉をぴくりと上げ、しかし何も言わずに頷いた。


 この場で即座にアリエルを捕らえようとしないのは王子が来るからだろう。

 今日の試合には第一王子であるアゼルスタンも来る。

 エゼルバルドの一番の目的は試合を観覧するアゼルスタンの捕縛だ。

 彼を捕らえるまではあくまで紋章試合という体裁が必要なのだ。


 もちろん、アゼルスタンも一人で来るわけではない。

 何人もの護衛の騎士を連れてくる。

 それでもこれだけの人数がいれば無理は通せそうだが、万が一逃げられるとエゼルバルドは困ったことになる。

 事は王位簒奪という大事だ。

 状況が周りに知れ渡ったときには、手の内に王子が必要になる。


 だからエゼルバルド、いや、ガイが狙うのは優勝した後だ。

 優勝し騎士王になった騎士は、試合場の最上位者であるアゼルスタンから、祝福の言葉をかけられて、『大会の女王』を選ぶための金の冠を渡される。


 渡す方法は高見にある貴賓席に座る王子に向かって騎士が槍を掲げ、王子がその槍に金冠を引っ掛けるのだ。

 そして騎士は金冠を引っ掛けたまま意中の女性の下まで馬を進めて、槍を掲げて金冠を渡す。


 ガイはこの王子が槍に金冠を引っ掛ける瞬間を狙っているのだろう。

 この瞬間なら王子とガイを阻む者は誰もいない。


 それゆえに、少なくとも決勝戦まではまともに試合がおこなわれるはずだ。

 観客のいないこの試合が、まともと言えれば、だが。


 アリエルは、静かに対峙するウィンチェスターの紋章官とランスロットの間に立った。


「私一人で貴賓席に行きますわ」

「姫様っ! 危険です!」


 ランスロットは思わず声を上げる。

 アリエルは強い視線でランスロットを見る。


「ランスロット、貴方達はサラやロジェをお願い」

「し、しかしっ」

「私は大丈夫。下手に分散できないの、お願い」


 ウィルはアリエルの表情を見て、ため息をついた。

 あの表情はダメだ。

 何を言っても聞かないときの顔だ。


 ウィルはランスロットの肩に手を置いた。

 そして振り向いたランスロットに向かって首を横に振ってやる。

 事前に話し合った作戦で、最悪の状況の場合はこうすると決めていたことだ。

 もう少し敵の数が少なかったら老騎士たちを二手に分ける予定だった。

 しかし試合場中に集められた騎士を見ると、戦力の分散は出来ない。


 この作戦はウィルがガイに試合で勝利して、初めて開始できる。

 全てはウィルにかかっている。


 ランスロットは苦虫を噛み潰したような表情から更に顔を歪める。

 そして再びアリエルを見る。

 アリエルはじっとランスロットを見つめ返した。

 ランスロットは大きくため息をついた。


「分かりました。くれぐれも無茶はなさらんでくだされ」

「大丈夫よ、ウィルが迎えに来てくれるもの。ね?」


 そういってアリエルはウィルに向かって微笑んだ。

 その顔が、いつか見た幼い少女の顔と重なる。

 ウィルがすることは、あの時から変わらない。

 アリエルを守ると決めたのだ。


「騎士王になって迎えにいくよ、アリエル」


 嬉しそうに頷くアリエルを見送り、控えのテントに移動する。

 今回はロジェだけでなく、サラや老騎士も皆このテントに集まった。

 もはやここは敵地だ。

 老騎士たちはいざという時にロジェやサラを守る役割がある。


 ウィルとしては、紋章官であるロジェはともかくサラは領事館に残ってほしかった。

 領事館にはアリエルの身の回りの世話をしていた老侍女や、領事館を切り盛りしていた人たちが残っているのだ。

 しかしサラたっての希望と、それをアリエルが受け入れたことで付いて来てしまった。

 ウィルがサラを見ると、サラが強い視線で見つめかえしてくる。


 思わず顔をしかめて、視線を外す。

 こっちもアリエルと一緒だ。

 一度言い出したら聞かない顔をしている。

 ウィルは大きくため息をついた。


 サラはそんなウィルにニッコリ微笑むと鎧の着付けを手伝い始める。

 ロジェとサラが協力してウィルに鎧を装着していく。

 それぞれのパーツをしっかり確認しながら固定していく。

 胸甲を付けるときに左腕を動かす。


「――くっ」


 思わず声が漏れた。

 ガイに貫通された肩はなんとか動かせるが、痛みを伴う。

 自在盾は使えたとしても一回か二回だろう。

 隣を見ると、サラが辛そうな顔でウィルを見ている。

 

 本当は止めたいのだろう。

 こんな状態で試合を行うなんて自殺行為だ。

 せっかく治りかけている傷口が開き、化膿することだってある。

 教会で医療の知識を習ったサラだからこそ、止めたいはずだ。


 それでも、止めるわけにはいかないのだ。

 ウィルは反対隣にいるロジェを見た。

 ロジェは口を引き結び、手を強く握ってウィルを見ていた。

 ここまで来たら、ロジェの、紋章官の出来ることはない。

 

 ここから先は騎士の、ウィルの仕事だ。


「勝ってくるよ」


 そういうと、ウィルは兜をかぶり、騎乗して入場した。

 反対側の入場門には金の鎧を着たガイがいる。

 兜の面当てバイザーを上にあげて顔を晒している。

 その顔にはウィルを嘲るような笑みがあった。


 いよいよ、大紋章試合グランド・マスター・リーグの決勝戦が始まる。

 これに勝った方が、騎士王だ。


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