騎士王ガイ
ウィルの目の前には弓を横にしてくっつけたような、謎の武器を構えるガイがいた。
そしてガイが武器を向ける先には肩を矢で貫かれて倒れているドゴージの姿。
どうやらこの謎の武器によってドゴージは撃たれたようだが、ウィルはこんな奇妙な武器は見たことがなかった。
木製の土台の上に横向きされた小さな弓がくっついている。
弓は小さいが
そして木製の土台には先端に
ガイは倒れたドゴージに冷たい視線を向けていた。
「用済みのゴミならゴミらしく大人しくしてればいいものを」
言葉と同時にガイは謎の武器の鐙に足をかけた。
そのまま武器を下に向けて鐙を踏むと、腰のベルトにつけられた鉤爪を弓弦に引っ掛けた。
ガイが身体を起こすと自然と鉤爪が弓弦を引き上げて弓身が引かれた状態になる。
すると土台の留め具に弓弦が引っかかり、その状態をキープした。
腰の反対側に吊るされていた矢筒から短く矢羽の小さい矢を取り出して、武器に装着する。
その様子をまじまじと見ていると、ガイがウィルに視線を移した。
ガイは嬉しそうに顔を歪めた。
その顔は今まで見たこともないほど下卑たものだ。
ガイはいままでずっと穏やかな表情を見せてきた。
社交の場では紳士的に、試合においても相手の騎士に敬意を忘れない。
誇りがないウィルを揶揄する時でさえ、あからさまに蔑む表情はしなかったのだ。
そのガイがまるで下街のゴロツキのような顔で笑った。
とうてい騎士王には見えない、享楽的で、刹那的な表情だ。
「コイツはな、『騎士を殺す』新しい武器なんだよ」
そういわれてウィルはドゴージの肩を貫通した矢を見る。
よく見ればドゴージは紋章官服の下に鎖鎧を着込んでいた。
それにも関わらず謎の武器から発射された矢は貫通したのだ。
「ふ、クロスボウの威力はこんなもんじゃねぇぜ。この距離なら板金鎧ですら貫通する」
新しいおもちゃを自慢する子供のような表情でガイが言って、武器を再びドゴージに向ける。
ロジェがドゴージをかばうように抱きつき、二人を守るようにウィルは立ち塞がる。
それを見てガイは満足そうな笑みを浮かべる。
「しかし、こいつの恐ろしいところは威力なんかじゃあねぇ。今見ていたように発射準備にちょいと時間はかかるが、慣れれば誰でも出来る。そう誰でも、だ」
誰でも、と強調されればガイが何を言いたいのかは分かる。
つまりこのクロスボウという武器は、騎士ではない者が騎士を殺す事が出来る武器なのだ。
板金鎧を飛び道具で貫通する事なら、特殊な
しかし長弓をまともに引くには長い訓練期間が必要で、それを狙い通りに撃つとなると更に熟練の腕が必要だ。
「気づいたか? コイツのスゲェところは農民や奴隷でも、使い方を教えればすぐ撃てるようになるってところだ」
ガイは上機嫌でそう言うとクロスボウの狙いをウィルに向ける。
ウィルは素早く腰の剣を抜いて構える。
さすがにあの速度で発射される矢を叩き落すのは無理だ。
こちらを狙う矢の先端に背筋が冷たくなってくる。
「狙って撃つのだって簡単だ。こうして相手に向けてレバーを引くだけ」
ガイはクロスボウの持ち手についているレバーを握りこもうとした。
それがどういう結果を招くのかは、もう分かりきっている。
ウィルは一気に間合いを詰めて、突き出されたガイの腕を狙って剣を振るう。
このままガイが矢を発射させれば、同時に腕を斬り飛ばすことができる。
しかしガイは発射装置のレバーを引かずに、突き出した手を引いた。
ウィルの斬撃が空を切る。
ハメられた。
こっちを撃つフリをして先に攻撃させるつもりだったのだろう。
斬撃を外して重心が流れてしまったところへ、ガイが再びクロスボウを向けてくる。
ウィルは必死に身体をひねって避けようとするが、重心が流れた状態ではそれも難しい。
バン!
倉庫に弓弦が放たれる音が響く。
同時にウィルの肩の内部に熱湯を注ぎ込んだような熱さと痛みがほとばしった。
そしてそこから温もりが零れ落ちて、身体が冷たくなってくる。
「ウィル!」
「はっはっはっ、どうだ! こいつが量産されて戦場を支配する! 騎士の時代は完全に終わりを迎える。クロスボウを装備した農民や奴隷に、鎧を着た騎士どもがなすすべもなく殺されていくわけだ!」
ガイは倒れるウィルを見て、上機嫌で笑う。
その表情はとても自然で無理がない。
今までの取り繕ったような騎士王の顔とは違った。
「……随分と嬉しそうだね」
「嬉しいとも! 威張りくさった騎士共が居場所も誇りも失って消えていくのだからな!」
ガイの言葉にウィルは顔をしかめる。
「アンタだって騎士だろ?」
「いいや、俺は違う。そいつが言いかけていたようだが、俺は剣奴だ。騎士身分はそいつとエゼルバルドがでっちあげてくれたのさ」
「――そ、そんなっ」
ロジェが悲鳴のような声をあげてドゴージを見る。
騎士でない人間を紋章官が己の知識を駆使して騎士に仕立てる。
紋章官にとって最もやってはいけない禁忌だ。
ドゴージは苦悶の表情の中に悔しさをにじませてガイを睨む。
おそらく強要されて仕方なく行ったのだろう。
騎士を詐称すること自体は簡単だ。
全身鎧を用意して、軍馬を手に入れ、剣や騎士槍などの武器を用意する。
それが揃っているだけで大抵の人間は騎士だと認識する。
騎士に必要なのは家名や肩書きではなく、戦う力だからだ。
しかし騎士が紋章試合でしか戦わなくなった昨今では違ってきた。
平民が成り上がろうと何とか武装を用意して騎士を自称し紋章試合に出始めたことで、大きな大会ではその騎士の三代前までの家系をさかのぼり確認するようになったのだ。
三代前までの家系を偽造するのは至難のわざだ。
それだけさかのぼるとなるとどこかしらの家と繋がっている。
適当な家名を名乗ってもすぐに見つかってしまう。
偽称が可能となるのは、人知れず断絶した家系や、周りと付き合いの少ない家系ですら把握しているような博識な紋章官が必要となるのだ。
つまりドゴージのような人材だ。
「偉ぶって俺に殺しを強要してた連中が、誇りも何もない農民に殺されていく! 楽しい世の中になると思わないかぁ?」
「それがアンタの目的?」
ウィルが睨むとガイは鼻で笑う。
「いいや、俺の目的は
高らかに笑うガイをロジェが睨みつける。
「それがアンタの本性ってワケ? いままで随分お行儀良くしてたのね!」
そんなロジェにガイは獰猛で嬉しそうな笑みを向ける。
「ああ、まったく窮屈なモンだったぜ。ただの成り上がり者でよければ詐称なんてせずにエゼルバルドが俺を騎士に取り立てれば済んだ。だが由緒正しい公爵であるアリエノールと結婚するために、俺はそこそこ歴史のあるお貴族様じゃないといけなかったんでな」
「……随分と親切に教えてくれるんだね」
「そうだろう? 俺様は優しいからなぁ、死に行く連中には憂いなく死んでもらいたいんだよ。化けて出られちゃおっかないからな」
ウィルは剣を握り締める。
撃たれた肩からじくじくと血が流れ出して、徐々に活力が失われていくようだ。
それでもなんとかしないと、ここで三人とも殺されてしまう。
そんな必死なウィルの表情をガイはニヤニヤと見ている。
そしてくるりと後ろを向いて大きな声を上げた。
「今だ! 放て!」
ガイの声と同時に、倉庫の周囲からパチパチという弾ける音が聞こえてきた。
そして倉庫の中に何かが焦げたような臭いが充満していく。
「まさか、火を!」
ドゴージが辺りを見渡す、倉庫の壁面からはチロチロと炎の舌が覗いていた。
「ここに居たのは流れてきた盗賊団だ。こっそり街に侵入し、勝手に倉庫を使って潜伏していた。そして煮炊きの際の火の不始末で焼かれて死ぬ。そういうことになる」
「アタシたちの存在を闇に葬ろうってワケ?」
「いやいや違うさ。誇りのない騎士殿とその紋章官は、実は恋仲だった! しかし
ここでウィルたちを焼き殺し、その死体は盗賊として処理する。
そしてウィルたちの行方は逃亡した事にしてしまう。
ガイは倉庫が炎にまかれるのを楽しそうに見ている。
自身も入り口近くとは言え、倉庫の中にいるというのに、まるで炎など目に入らないようだ。
「そんな事、アリエルが信じるはずがない」
「本人は信じないかもな? だがお前たちの事を物語でしか知らない連中はどうだろうな。俺たちがそうだった、と言えば、そうかもな、と納得すると思うぜぇ?」
「くっ、それは……」
ロジェが悔しそうに歯噛みする。
自身が噂を使って誇りのない騎士の物語を広めていたからこそ、分かるのだろう。
民衆にとっては紋章試合や騎士たちの戦いは娯楽だ。
娯楽だから、その中で行われた出来事を真剣に考察したり、真偽を気にしたりする人間は少ない。
ほとんどの人間は、そうらしい、という情報を鵜呑みにして、深く考えずに納得する。
なぜなら彼らの生活に何の影響もないからだ。
「周りがそれで納得しちまえば、それでおしまいだ。それに証拠もなしにウェセックス公爵エゼルバルドの調査結果にケチをつけることも出来ねぇよ」
「……くそっ」
なんとかしてこの場を抜け出して生き延びないと、殺されたにも関わらず試合から逃げ出した事にされてしまう。
そうなれば困るのはアリエルだ。
「元々公爵になれるなら人形のようなつまらない女だって構わなかったが、アリエノールは存外楽しめそうだ、お前の代わりに飽きるまでは可愛がってやるさ」
いやらしい笑みを浮かべて笑うガイの言葉にウィルの思考は真っ赤に染まった。
一瞬だけ、この下卑た男に嬲られるアリエルの姿を思い浮かべてしまった。
ウィルは肩から血がふきだすのも無視してガイに飛びかかる。
ガイもそれを予測していたのか獰猛に笑いながら剣でさばく。
ウィルの思考は怒りで真っ赤に染まっていたが、目的だけは一点に純化していた。
ただ目の前の障害を壊す。
そのための最短手段を半ば機械的に選択していく。
踏み込んで突き。相手は半身になって避ける。
突きから薙ぎ払い。相手は後ろに飛びのく。
大きく踏み込んで真上から振り下ろす。相手は剣で受ける。
剣の触れている部分を基点に背中を向けるように回転。
剣筋を隠しながら斬り上げる。相手は身を捻りながらかわす。
「ぐぅ、くそがっ! テメェはここで焼け死ね!」
避けきれずにガイの頬に斜めに切り傷がついた。
ガイは憎悪に顔を歪ませながらも身をひるがえし倉庫の入り口から出る。
そして置き土産とばかりに入り口の木枠に剣を叩きつける。
倉庫を包む炎は壁面全体を覆い始めている。
入り口もまた半ば炎に包まれているのだ。
そこを斬撃が加えられた事で入り口は崩れ、完全に炎に飲まれてしまった。
轟々と燃え盛る炎の向こうでガイが狂ったような笑い声をあげているのがかすかに聞こえる。
黒々とした煙が倉庫に充満し、熱せられた空気は肺を焼く。
ウィルたちは立っている事が出来ずに地面を這った。
「すまないロジーナ。結局お前を助ける事が出来なかった」
ドゴージが諦めたようにつぶやいた。
肩の傷口からはとめどなく血が溢れ、顔色は蒼白だ。
ロジェはそんなドゴージをキッと睨み付ける。
「何諦めてんのよ! それにさっきからアタシの事ばっかり! 母様はアンタを信じてずっと家を守っていたのよ!」
「……ああ、分かっていた。彼女は強いからな」
弱々しく吐かれた言葉にロジェは顔を怒りに染めて手を振り上げた。
そして平手で思い切りドゴージの頬を張る。
「何分かったような顔してるの! そうよ! 母様は強いわよ! ずっと平気な顔して笑ってアタシを育ててくれたわ! それでも、それでもアンタがいなくて泣いてた。泣いていたのよ!」
そういうロジェの瞳にも涙が浮かんでいた。
ドゴージを叩いた手は握りしめられている。
ウィルはその手に自分の手を重ねた。
「コイツを連れて謝らせにいこう。それで教えてあげないと、変な仮面被ってバカやってたって」
ウィルの言葉にロジェは泣きながら笑う。
それによってロジェの表情に力が戻る。
「そうね、そうしましょう。絶対生き延びてみせる!」
ウィルは素早く周囲を見渡した。
一面火の海といってもよい状況だが、すべてが一斉に燃えているわけではない。
良く見ると片隅に他の壁面よりも燃えの悪い場所がある。
おそらく湿気が多くて水気が多い場所なのだろう。
ウィルとロジェはドゴージを引きずってそこまで這う。
動くたびにウィルの肩口から血が溢れ、意識は遠のく。
だがここで気を失うわけにはいかない。
気力だけで意識を保ち身体に鞭をうつ。
たどり着いた場所は野菜の保管棚のようで、火にまかれ汁をにじませる野菜が転がっていた。
そのせいで棚自体も汁にまみれてまだ燃えていない。
「ロジェ、おそらく外はガイの手下たちが見張ってるはずだ。だから壁を壊して、瓦礫に紛れて外に出る」
「なるほど、ガイがやったみたいにこの棚を壁に倒して崩すのね」
感心した表情を浮かべるロジェの顔に砕けた野菜を擦り付ける。
「ちょっ、何すんのよ!」
「気休めだけど、顔を焼かれたくないでしょ?」
ウィルは嫌がるロジェを無視して肌が露出している部分に野菜を擦り付けてその汁をまぶす。
ロジェも目的が分かると嫌そうな顔をしながらも自分で汁を塗った。
「うぇぇ、変な匂いする」
ウィルは朦朧とする意識をなんとか繋ぎ止めて、息を止めて中腰になる。
焼けただれた空気がウィルの頬を削ろうとする。
目を開くと水分が蒸発して干からびてしまいそうだ。
ふらつく身体で野菜棚に体当たりをする。
ウィルの身長よりも高い棚はぐらりと揺れるとそのまま燃え盛る壁へと突っ込んだ。
大きな音を立て、辺りに火の粉を散らしながら倉庫の壁面が崩れ落ちる。
「今だ! 出るぞ!」
ウィルとロジェはドゴージを必死に引っ張りながら、瓦礫に紛れて転がるようにして外に出る。
かなり大きな音を立てて派手に崩れたが、もはや倉庫全体に火がまわりそんな状況なのはここだけではない。
火に照らされて何人もの騎士の姿が確認できる。
彼らの足元には桶がいくつもある。
一応は消火活動をしている、という体裁を整えているのだろう。
実際に火をつけたのが彼らだとしても、それを知るものはウィルたちしかいない。
彼らも火にまかれるのは嫌らしく、ある程度倉庫から離れている。
ウィルたちは瓦礫や木箱の影を縫うように這いながら倉庫を離れる。
なんとか見つからずに狭い路地に逃げ込む事が出来た。
「なんとか逃げられたわね。後はみんなのところへ……戻れない、か」
「うん、アリエルの周辺は奴らが見張ってるはずだ」
闇に乗じて忍び込もうにも、今にも倒れそうなドゴージを連れては無理だ。
「一旦街を出て、外にいる行商人か遍歴者に匿ってもらいましょ。アンタたちは応急処置でも治療しないとマズイわ」
ロジェは煤で汚れた顔をしながらも、しっかりとそう言った。
その瞳は潤み、今にも泣きそうな表情だ。
ウィルはそんなに死にそうな状況なのか、と自分の事ながらおかしくなった。
しかし笑おうと思っても顔は強張り笑えない。
「行こう。どっちにしろここにとどまってはいられない」
思いとは裏腹に口からは重たい声が漏れた。
ロジェと一緒にドゴージに肩を貸し、足を引きずりながら歩く。
ひたすらに明かりのない暗い方へ。
月明りを頼りに門の近くまで歩くと突然何かに引っ張られて転んだ。
その衝撃はウィルの全身を走った。
まるで血液の内側から無数の針で貫かれるような痛みだ。
なんかと首だけで振り返るとロジェがドゴージに潰されるように倒れていた。
ロジェは何とか立ち上がろうともがいているが、ドゴージが微動だにしない。
完全に意識がなくなり倒れたらしい。
いくら二人がかりとはいえ、完全に脱力した人間を引きずっていくのは困難だ。
それでもこんなところで倒れているわけにはいかない。
ウィルは力を振り絞って身体を起こすと倒れているドゴージを持ち上げる。
その瞬間、ウィルの視界が真っ黒に染まる。
ドサリ。
どこかで何かが倒れる音がした。
同時に再び身体を衝撃が襲う。
しかし今度は傷みはない。
いや、傷みどころか感覚がない。
身体がどこかに触れている、という感触が感じられない。
慌てて目を開く。
いつの間にかウィルは目を瞑っていたのだ。
横倒しになった視界の中で、ドゴージの身体の下から抜け出したロジェがいた。
どうやらウィルはまた倒れてしまったらしい。
ロジェが必死な形相で何かを言っているが、声が聞こえない。
まるで大きな耳鳴りですべての音が消えたように、何も聞こえない。
ロジェの後ろで馬車が停まる。
そして馬車の周囲を固めていた騎士たちが馬から降りた。
そのままこちらに向かって歩いてくる。
ロジェはそれに気づいていない。
とにかく必死にウィルに向かって何か叫んでいる。
ウィルは何とかロジェに伝えなければ、とゆっくりと口を開く。
そして言葉を紡ごうとして、再び意識を失った。
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