騎士と白の少女



 ウィルは抱えていた訓練用の剣の束を持ち直した。

 重さでバランスが悪くなっていたのだ。

 収納用の棚の前まで運ぶ、格子上に組まれた木のスタンドだ。

 小さな手で剣を一本ずつしまっていく。

 刃引きされた鉄剣は重く、両手で懸命に持ち上げなければいけない。

 幼い身体は小さく、足を伸ばさないと届かない棚もある。


 ガシャン。


 最後の一本をしまおうとしたところで手の力が抜けて地面に剣が転がった。

 面倒な、と顔をしかめて腰をかがめ、手を伸ばした。

 その時、地面にぽたりぽたりと水滴が落ちる。


「……ひく、うぐっ」


 喉が引き攣り、呼吸が難しくなる。

 口からは意図せずにしゃくりあげるような呻きが漏れた。

 気がつけばウィルは泣いていた。


 別にいじわるをされているわけではない。

 訓練用具の片付けだっていつもの事だ。

 老騎士たちの訓練は厳しいがそれが辛いわけではない。

 

 今の生活に不満があるわけではない。

 身寄りをなくした自分が住むところと食事を保障されている。

 むしろ恵まれているとすら思う。


 それでもふとした拍子にどうしようもなく寂しくなるのだ。


 ウィルの両親は病に倒れた。

 いまコーンウォールにはそんな子供はいくらでもいる。

 しかし同じ境遇の人間がたくさんいるからと言って自分の悲しみが減るわけではない。


 ウィルは涙を流しているのを認めたくなくて、拭わずに落ちた剣を手に持つ。

 だがしゃくりあげる嗚咽は身体を震わせて持ち上げるのを邪魔してくる。

 するとそこへ白くて小さな手が添えられた。


 驚いて横を見ると水底のような蒼い瞳と目があった。

 いつの間にかウィルの隣に輝くような金髪の人形のように整った顔の少女が居た。

 しかしその視線は人形のような虚ろなものではなかった。

 幼いながらも、その意思の強さをうかがわせている。

 ウィルは少女が幼い姫アリエノールと分かり、慌てて涙をぬぐおうとした。

 

 するとアリエノールの細く白い手がそれを遮る。

 そして懐からハンカチを取り出すと、それで優しくウィルの涙をぬぐった。

 ウィルは戸惑い、その手から逃れようとしたが、動けなかった。

 アリエノールの手が離れた時には涙はすっかり止まっていた。


「お父さんとお母さんがいなくて、寂しい?」

「……そんなの珍しくないだろ」


 優しく問いかける声に照れくさくなって突き放すように言う。

 だが実際、いまのコーンウォールでは珍しいことではなかった。


「そうね、いまこの街にはそんな子たちがたくさんいる。私もそうだしね」

「じゃあほっといてくれよ」


 ウィルはアリエノールが姫と分かってはいたが、泣いていたところを見られた、という恥ずかしさから乱暴な口調になってしまっていた。

 だがアリエノールはそんな事を気にした様子もなかった。


「いやよ、だって私も寂しいもの」

「え?」

 

 予想外の言葉に思わずアリエノールの方を見るウィル。

 そこでようやくウィルもアリエノールの瞳の奥にある、自分と同じ諦観のような感情を見た。

 だが一方で自分にはない、何か強い意志も感じた。


「ねぇ、いいこと考えたわ。私たち皆で家族になりましょ」

「皆で? 家族?」

「そうよ、この街には家族を亡くした子供たちがたくさんいるでしょ? だからその子たちも一緒にみんなで家族になれば寂しくないじゃない」


 良い考えだ、とばかりにアリエノールは顔を輝かせる。

 一方でウィルは呆れた顔をしていた。

 ウィルにしろ街の子供たちにしろ、公爵家の姫であるアリエノールとは身分が違いすぎる。とてもじゃないが気安く家族になれる関係ではない。

 しかしアリエノールはそれが分からないのか、それともそんな事大したことではない、と思っているのか、気にした様子もない。

 そしてウィルの方を見ると嬉しそうに笑みを浮かべて手を差し出した。


「じゃあまずは貴方からね、ウィル!」


 ウィルはアリエノールの顔を見て呆然とした。

 自分と同じ憂いと諦観を持ちつつも、それでも抗い前進しようという強い意思をたたえていた。

 このときウィルはアリエノールから後光のような輝きを感じていた。

 いや、後光というよりはむしろ彼女自身が輝いているように感じた。

 いま思えば、ウィルはこのときアリエルに恋をしたのだ。


                    ◇


 何かの気配を感じてウィルはゆっくりとまぶたを開く。

 なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。

 まだぼやけた視界の中に、先ほど夢でみた少女の姿が見える。


「……アリエル?」


 徐々に鮮明になる視界。

 そこに居たのはアリエルではなく、真っ白な少女だった。

 

 少女は髪も肌も新雪のように真っ白だった。

 長い髪から除く耳は長く、尖っている。

 ブリトン人でもここま尖ってはいない。


 そして何よりの特徴は、その真っ赤な瞳だ。

 まるでルビーのような赤く透明な輝き、そんな瞳を大きく見開いてこちらを見ている。

 じっと見ると睫毛までもが白いのに気づく。

 なんだか見つめていると不思議な気分になる少女だ。


 じっくりと見ていると少女の頬がだんだんと赤味をさしてきた。

 顔の造作は人形のように整っている、こんなところはちょっとアリエルに似ている。

 だがアリエルと違うのは恥ずかしそうに顔を赤くしているのに、その表情がほとんど変わらないところだろう。


 少女は無表情のまま顔を真っ赤に染めると、たたた、と走って部屋を出て行った。

 走り去る時に見えたドレスは水色のシンプルなドレスだが、良い生地を使っていた。

 ついでに部屋の中を見渡すと豪華は調度品も目に入る。

 ここがどこかは不明だが、なかなか裕福な者の屋敷らしい。


「――ぅっ」


 ウィルがゆっくりと身体を起こすと肩に鋭い痛みが走る。

 肩を見ると丁寧に包帯がまいてあった。

 まだ傷は塞がりきっていないのか包帯の上から血がにじんでいるのが見える。


「失礼いたします」


 ノックの音が聞こえ、返事をする間もなくメイドが入ってきた。

 若くキレイな女性だが、驚くほどに無表情だ。

 そして起き上がっているウィルを気にすることもなく、包帯の様子をじっと見てくる。

 ウィルが視線に居たたまれなくなった頃に、躊躇いなく包帯を掴んで解き始めた。


「えっ、ちょ、ちょっと」

「包帯を換えさせていただきます。ところでお客様、食事は食べられそうですか?」


 メイドはウィルの戸惑いを意に介した様子も見せずにどんどん包帯を剥いていく。

 丁寧な手つきなのだが容赦がない。

 ウィルが圧倒されつつも頷くと、メイドはニコリともせずに答えた。


「では、ご案内いたします」


 気づくと包帯の交換は終わっていた。

 メイドから服を借りて着替える。

 さすがに着ていた服は焦げてボロボロだ。


 着替えが終わるとメイドに案内されて大きな部屋へと移動した。

 部屋には先ほど見かけた幼い少女とロジェ、ドゴージ、そして身なりの立派な初老の男性が座っていた。

 テーブルには食事が並べられている。


「来たか。『誇りのない騎士』ウィリアム・ライオスピア男爵」


 初老の男性はウィルが部屋に入ると低い声でそう呟いた。

 銀色に近い白髪をきれいに撫で付けた髪で耳は小さく尖っていた。

 顔の彫は深く鼻も高いが、肌の白さからブリトン人だと分かる。


「色々聞きたいことはあるだろうが、まずは自己紹介しよう。私はノーサンブリア公爵スヴェン・ブラッダという」

「……ブラッダ?」

「そうか貴公は愚息に会っておるのだったな。ヨーク領主エイリーク・ブラッダは儂の不肖の息子だ」


 スヴェンは厳しい表情を少しも動かさずに言い放つ。

 ウィルは脳裏に浮かんだエイリークの胡散臭い笑みを目の前のいわおのような顔が重ならずに思わず首をかしげた。


「……奴はどちらかというと儂の叔父に似ておるのだ。まぁ、愚息のことはどうでもよい。それよりもこの子はレジナリーフという儂の可愛い孫だ」


 スヴェンの横にちょこんと座っていた白い少女レジナリーフがぺこりと会釈する。

 そうする間もレジナリーフの視線はずっとウィルに固定されていた。

 ウィルもレジナリーフの顔をじっくりと見てみた。

 孫というのでエイリークの娘かと思ったのだが、共通点が見つからない。


「見て分かると思うがエイリークの娘ではないぞ。奴の凡庸な顔とこの子の古の女神トゥアハ・デ・ダナーンのような美しいかんばせは比べ物にならんだろう」


 スヴェンは厳しい顔を緩めて、ずいぶんと嬉しそうに語る。

 よほど自慢の孫娘らしい。

 いつもの事なのかレジナリーフは照れもせずに無表情のままだ。

 

 一方でスヴェンの方は絶好調でレジナリーフの自慢話を始めた。

 曰く、レジナリーフが生まれた日は空に虹がかかり庭の花が咲き誇ったとか。

 曰く、レジナリーフが初めてしゃべった日は嵐が止んだとか。

 曰く、レジナリーフが初めて歩いた日は街中の病人が快癒したとか。


 どんどん大げさになっていく話を適当に聞き流しながら食事を取る。

 スヴェンは最初の厳しい顔はどこへやら、すっかり顔を緩ませて孫自慢をしている。

 レジナリーフもそんな祖父を無視してぱくぱくと食事をしている。

 しかしその視線はずっとウィルに釘付けだ。


「……何、この状況」


 ロジェがぽつりと呟いた。

 ウィルも同意したいところだが、それより今は食事が先決だ。

 怪我のせいか身体に血が足りない。


 食事はさすがに公爵が用意しただけあって肉もたくさんあって豪勢だ。

 雉肉、鴨肉、猪肉、豚肉、塩と香草で調理されたそれらをまとめて口に放り込む。

 口の中に肉汁と香草の香りが充満する。

 一噛みごとに肉の旨味が広がり、それに反応して唾液が溢れる。


 ウィルはスヴェンの孫自慢をBGMにして食事を堪能した。

 ロジェとドゴージも最初は呆れた顔をしていたが、いつまで経ってもスヴェンの孫自慢が終わらないことに気づいて、同じように食事し始めた。


「あ~、美味かった」

「……アンタこの状況でよくここまで食べたわね」

「前から思っていたが、君は結構図太いな」


 ロジェとドゴージが呆れを通り越して感心した表情でウィルを見ている。

 孫自慢が終わらないのをいいことに食事のおかわりまで要求したのだ。

 駄目ならメイドが止めるだろう、と頼んだのだが無表情なメイドはあっさりおかわりを運んでくれた。

 案外この屋敷ではスヴェンの孫自慢は無視するのが常識なのかもしれない。


 永遠に続くかと思われたスヴェンの孫自慢だが、ウィルたちが食後のお茶を飲んでいる時にようやく終わった。


「……とまぁ、そのようなワケで私は今回の大会に不審を持っていてな。大事な孫娘をこの街に留めるのは危険だと思ったのだ。昨夜秘密裏にこの屋敷から出したのだが、どういうわけかボロボロのお前達を拾ってきたのだよ」


 そして話もようやく繋がった。

 公爵たちも今回の大会の妙な点を気にしていたようだ。

 とはいえ、確証もなく決勝前に領地に帰るわけにもいかない。


 そこでスヴェンは孫娘だけでも先に帰そうとしたようだ。

 ウィルたちは人目を避けて街を出ようとしていた。

 そこに人目を避けて街を出ようとしていたレジナリーフたちの馬車に出会った、というのが今回の顛末のようだ。


「どうして俺たちを助けてくれたんだ?」

「………………」


 ウィルはレジナリーフを見てそう言った。

 しかしレジナリーフはウィルを見つめるばかりで口を開かない。

 いまだにこの少女が声を出すのを聞いたことがない。


「この子は貴公のファンなのだよ。吟遊詩人の物語を聞いて以来、ずっと貴公の試合を見たいと言っておってな。決勝まで見ると言って聞かなかったのを何とか説得して出発させたのだが、まさか本人を拾ってくるとはな」

「ゴメン、でも助かった」

「理由は既にドゴージ殿から聞いている。まさかあの騎士王ガイがな」

「信じられない?」

「いや、爵位持ちにしては付け焼刃な立ち居振る舞いだとは思っていた。それもどうせエゼルバルドが貧乏騎士でも見初めて強引に引き上げたのだろう、と思っていたのだ。それがまさか、剣奴とはな……」


 スヴェンの言葉にドゴージが俯いた。

 紋章官として身分の詐称に関与したのは忸怩じくじたる思いがあるのだろう。

 それでもドゴージは顔をあげ、スヴェンに提案した。


「ブラッダ公、コーンウォール公と協力してエゼルバルドを止めてくれませんか? このままでは貴方も軟禁され、意に沿わぬ者を後継者にされてしまいますよ」

「ふむ、そうなるとエイリークの奴が後継者にされるだろうな。奴はエゼルバルドには良い顔をして擦り寄っているからな」


 忌々しそうに言うスヴェンの言葉にウィルは首を傾げた。

 確かにエイリークは胡散臭い男で、上位者には平気でへりくだる。

 しかし表面上はそうしても内面では決して意に沿わぬ相手には屈しない芯を感じた。

 スヴェンにはそれが分からないのだろうか。

 そう思っているとスヴェンがウィルを見る。


「どうやらライオスピア殿はエイリークの本性を知っているようだな」

「あいつがエゼルバルドにいいように使われるタマかな?」

「ふん、その通りだ。奴の普段の様子に騙されてエゼルバルド陣営が声をかけたのだろうが、一応あんなでも元々私が後継者に指名する予定の男だ。ウチの領地は困りはしない」

「あれ? エイリークは長男じゃないんだよね。長男は?」


 エゼルバルドたちが声をかけて、手先にしようとしているのは、次男以降で燻っている公爵の血縁のみのはずだ。

 エイリークが長男であるなら声をかけることはありえない。

 しかしそうなるとエイリークは元々長男ではないのに、スヴェンの後継者として指名される予定だった、と言うことになる。


「私の長男はレジナの父親だ。親の欲目だが人間的には好感の持てる優しい人間なのだが、領主としては不安になるほどお人好しでな。元より後継者にするつもりはなかったのだ。それをエイリークの奴が勘違いして跡目争いを起さないようにと、自分は盆暗を演じたせいでエゼルバルドも勘違いしたのだろうよ」

「そ、それでは、協力していただくことは……」

「王位を簒奪しようというエゼルバルドに協力するつもりはないが、率先して敵にまわりたいとも思わない。エゼルバルドはこれでブリトニアを手に入れられると思っているようだが、私はそうは思わん。このままならまた国が割れるだけだ、昔に戻るだけだな」


 スヴェンの冷たい言い様にウィルたちは黙り込んでしまう。

 だがコーンウォールのように直接狙われたわけではない以上、日和見的な対応になるのは当然だろう。

 エゼルバルドの目的は他の公爵領を攻め落とすことではなく、自分が王位を簒奪するのに邪魔な公爵を排除することだ。

 王都を占領し周囲を掌握するまでは、味方ではない相手も敵対しないのであれば積極的に排除することもないだろう。


 スヴェンにしてみれば、どうせ向こうの勘違いで自分が指名する予定の後継者を強制されるだけなのだ。

 大人しく軟禁されて、後継者を指名してから領地に戻ればいい。

 レジナリーフを脱出させようとしたのは予想外の事故を恐れてのことだろう。

 逆に言えば、スヴェンにとってはレジナリーフの安全ぐらいしか、今回の騒乱に関して心配することはない、ということだ。


 ロジェもドゴージも、これ以上スヴェンに提案をすることが出来なかった。

 こちらはスヴェンの協力が、もっと言えばエゼルバルドに対抗するならどんな協力でも欲しいところだ。

 怪我の治療はしてもらえたが、ここからアリエルたちのいる屋敷まで三人で歩いていくのは危険だ。

 どこまでガイの手がおよんでいるのかわからない。

 何より、このままでは大会で勝ったとしても殺されてしまう。


 するとレジナリーフがその小さな口を開いた。

 まるで小さな鈴を転がしたような声が響く。


「じぃじ、助けてあげて」

「……レジナ、いくら可愛いお前の頼みとはいえ……」


 スヴェンはまるで普通の祖父のように困った顔をした。

 そんなスヴェンをレジナリーフはじっと見つめる。

 ただただ黙ってじっと見つめる。

 しばらく見つめあっていた二人だが、やがてスヴェンが根負けしたのか苦笑した。


「わかったわかった。そんな顔をするなレジナ」


 その言葉にレジナリーフが無表情ながらも目を輝かせる。

 ウィルたちの期待も高まった。


「ならば、ウィリアム・ライオスピア男爵。貴公がレジナリーフと婚約してくれるのなら協力を約束しようじゃないか」

 


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