騎士と紋章官の夢
ウェセックス領主エゼルバルドの開会宣言によって、遂に
参加する騎士の数は三十二名。
それは今年の間に優秀な成績を残した、大紋章を持つ騎士に限定された。
試合はトーナメント方式で進み、四回勝ちあがれば優勝だ。
組み合わせはその騎士の以前の戦歴などが加味されて、暫定的につけた順位に基づいて行われる。
大会規模としては際立って大きいわけではない。
参加人数はもっと多い大会もある。
他の大会と違うのは参加騎士すべてが各地の大会で優勝するような力量の騎士ばかりということだ。
王都ロンドンで行われた壮行試合は、言ってみれば
そうした有名な騎士ばかりが出場する試合だけに、入場前の紋章官による騎士の紹介に多くの時間が割かれている。
今もウィルの対戦相手であるアロン・アイアンサイドの紋章官が、彼がいかに鉄壁の防御を持ち、常に安定した勝率を誇っているのかを朗々と謳いあげていた。
「アロンを侮るつもりはないんだけど、彼の紋章官は大変ね。戦歴も戦い方も、何もかもが地味すぎて煽るのが難しいわ」
「騎士の中では評価高いんだけどね」
「どこかの副騎士団長らしいからねぇ」
ウィルとロジェは自分たちの入場門の裏で、色々な表現でアロンを讃える言葉を聞いていた。
『堅実で』『鉄壁の防御を誇り』『一度も落馬したことがない』というのを、手を変え品を変えて観客にアピールしている。
それに比べてウィルは『女公爵の為に騎士王になろうとしている』『カンタベリーで修道女の名誉の為に戦った』『ロンドンで王子と友情を育んだ』『ヨークで巨人に勝ち従えた』など、試合の結果以外にもいくらでも逸話があり、観客を煽るのは簡単だ。
しかしそんなウィルの紹介にも難点がある。
「アロン卿の
アロンの紋章官は大きな声でそういって、紹介を締めくくった。
そう
アロンの紋章官が
「……本当に
「ああ、いいよ。『誇りのない騎士』で始めた戦いだ、最後まで『誇りのない騎士』で戦う」
ウィルの言葉を聞くとロジェは俯いた。
「……ロジェ?」
「ゴメン、アタシが最初に『誇りのない騎士』で有名にしちゃったから……」
「何言ってんの、おかげでこれだけ有名になれたんじゃない」
「方法として間違っていたとは思わないけど、それでもウィルの気持ちを無視した方法だったと思ってる」
ロジェは上目遣いでウィルを見た。
その瞳は不安に揺れている。
ウィルはそんなロジェに首を振った。
「違うよ。ロジェは戦略として『誇りのない騎士』として俺を有名にしたのかもしれないけど、俺は実際に誇りのない騎士だった。そのことに間違いはないし、それを前面に押し出して戦えてよかったって思ってる」
「……ウィル」
「だからロジェは自信を持って俺のことを『誇りのない騎士』だって紹介してきてよ」
「……ふふ、何よそれ。そんなこと言う騎士アンタだけよ」
ウィルの言葉にロジェは微笑んだ。
ちょうどアロンの紋章官の演説じみた紹介も終わったところだ。
「それじゃあ、いっちょ派手に煽ってきますか!」
◇
ロジェは入場門から試合場に入った。
赤い狐耳はピンと立ち、尻尾はぱんぱんに膨れている。
大きく息を吸い込むと大股で中央に向かって進む。
大きな試合場だ。
ロンドンの試合場も大きかったが、ここと比べると小さく感じる。
ただでさえ広い試合場に、観客席は三階建てで作られていて、しかも満席だ。
それどころか立ち見すら出来ている。
それだけの人間がいるが、すべてがロジェに注目しているかというとそうではない。
試合前の紋章官による騎士の紹介というのは、ハッキリいって冗長だ。
持ってまわったような婉曲な言い回しが多いし、一定のテンポで語るため眠くなる。
これは歴史のある貴族などが直接的な言い回しを嫌う傾向にあるので、それに配慮しているのだ。
紋章試合が始まった当初からの伝統と言えるが、今では古臭く意味のない伝統だとロジェは思っていた。
かつて紋章試合を楽しみ観戦していたのは貴族だけだった。
だが今は違う。
いま紋章試合を見ている者の大半は庶民なのだ。
ロジェは試合場中央まで来ると貴賓席に向かって一礼した。
普通はこれで騎士の紹介に入る。
紋章官と言ってもピンキリだが、それでも貴族の一員だ平民に頭を下げる必要はない。
だがロジェは礼を終えると今度は西側観客席に向かって一礼、次は東側、と全ての観客席に向かって一礼した。
これによって観客席にはざわめきが起きた。
散漫だった注意が、ロジェに集まってきているのが感じられる。
ロジェはそれに満足しつつも、踊るような心臓の鼓動に苦しんでいた。
いままでの試合でもロジェの騎士紹介は旧来のやり方とは違っていた。
婉曲表現を使わず、話すテンポも変えて抑揚をつけ、まるで吟遊詩人が謳うように紹介した。
それによって観客たちはおおいに盛り上がったが、紋章官や貴族たちには白眼視された。
そのことに後悔はない、しかし他人と違うことをやるのは勇気がいるのだ。
ロジェはうるさいぐらいに脈打つ鼓動を抑えるように右手を胸に置いた。
なだらかな胸から破裂しそうなほどの緊張が伝わってくる。
大きな重圧がかかっている事を自覚する。
これは生物の生存本能だ。
異常事態とも言える外圧を受けて、身体がすぐにでも反撃、あるいは逃走可能なように脈拍をあげて即行動可能なようにガンガン燃料をくべて炉の温度を上げているのだ。
しかし今の状況は誰かを殴っても、どこかに逃げても解決はしない。
ロジェは自分を無理に落ち着かせようとはしない。
自分の身体が目の前の困難に対して逃走することによって解決しようとしていることと向き合う。
何故逃げようとしているのか、身体がこの事態はロジェの手に負えない、と考えているからだ。
だからロジェは自分の身体に言い聞かせる。
既に言うべき言葉は用意してある。
紋章官として試合場に立つのは初めてではない。
自分の
だから大丈夫。
不安に思うのは興奮しているしるしだ。
そう思うと、動悸が激しいのも身体の隅々まで血を送り、最高のパフォーマンスを発揮させるためだ、と思えるようになってくる。
ロジェは空を見た、雲もなく青い空がどこまでも広がっている。
空を見ると口元に自然と笑みが浮かんだ。
顔を観客席に戻して口を開いた。
「ご来場の皆様、私は『誇りのない騎士』の紋章官ロジーナ・オウルクレストです。
しかしこの名前はすぐに忘れて結構です。
そんな事はこれっぽっちも重要ではありません。
これから私が語る最も重要なことは、我が騎士のことです。
私の騎士ウィリアム・ライオスピアには
彼は少し前まで、まだ騎士見習いでした。
そして止まれぬ事情によって、準備なく騎士叙勲されました。
だから
何の準備もさせて貰えず、騎士叙勲を受けさせられたことは悔しい。
しかし
だからこそ私は『誇りのない騎士』として彼をデビューさせた。
事実『誇りのない騎士』だったから。
しかしウィリアム卿はただ
カンタベリーで、ロンドンで、ヨークで。
彼の戦いは卑劣だったでしょうか?
彼の戦いは愚劣だったでしょうか?
彼の戦いに意味はなかったでしょうか?
詳細に関してはここでは述べません。
皆様はもう耳にタコが出来るほど吟遊詩人から聞いているでしょう。
私もいささか言い飽きていますしね。
戦いについての意見はおのおのあるでしょう。
しかしひとつ言えることは、全ての戦いには『何か』があった。
私には夢があります。
彼にも夢があります。
ヴォルフハート卿を倒し、騎士王になるという夢です。
ウィリアム・ライオスピアには
しかしウィリアム・ライオスピアには夢があります。
それはこの
皆様! 『誇りのない騎士』が夢を叶える瞬間をぜひご覧ください!」
ロジェは再び四方の客席に礼をする。
それによって観客たちは、聞き入っていたことに気づき、大慌てで拍手をする。
そのうち内容も頭に入ってきたのか大きな歓声が響き始めた。
ロジェはこうしてガイとロビンに宣戦布告の狼煙を上げたのだ。
◇
「……夢、か」
ウィルはロジェの言葉を反芻しながら兜をかぶる。
ロジェなら
だがその言葉から勇気を貰うとは予想外だった。
入場門に戻ってくるロジェを見ていると、不審げにこちらを見る。
「何よ?」
「いや、ロジェが俺の紋章官で良かったと思ってさ」
「――っ! ば、馬鹿、何言ってんのよ! 突然っ!」
ロジェは顔を真っ赤にした。
尻尾をぶんぶんと振り、狐耳は落ち着きなくぴこぴこ動いている。
その様子にウィルは思わず笑みを浮かべる。
「何よっ!」
「いや、ロジェが俺の紋章官で良かったと思ってさ」
「さっさと勝って来なさいよ! バカっ!」
ウィルは逃げるようにして入場門をくぐった。
反対側の入場門にはアロンの姿が見える。
一度苦戦した相手だ。
しかしランスロットが容易く倒した相手でもある。
審判が開始の合図をして、観客たちが歓声を上げる。
槍を構えて馬を走らせる。
一定の速度を保ち、互いの間合いが狭まる。
もう槍が届く距離だ。
だがどちらも突きを放たない。
アロンから戸惑った気配が伝わってくるが、ウィルは突きを放たない。
遂にアロンが先に突きを放つ。
それをウィルは盾で柔らかく受け流した。
すい、と穂先がそれてアロンの槍は砕けなかった。
同時にウィルは小さく捻りながら槍を突き出す。
馬の勢いを乗せるには遅く、腕の力で突くにしては軽い突きだ。
回転の加わった穂先はすれ違うアロンの兜飾りを貫いた。
そしてそのまま槍はガラス細工のように砕け散った。
ウィルの目にはバラバラに砕けて、槍の破片と一緒に宙を舞う兜飾りが見えた。
ウィルは反対側の入場門近くに着くと、兜の
観客席からは怒号のような歓声があがる。
ウィルが喜ぶ観客に応えて手を振っていると、
「完敗だ、ライオスピア卿。貴殿の夢が叶うことを祈っているよ」
どこかさっぱりとした表情で告げるアロン。
夢と言われてどこか面映い気持ちになる。
「ありがと、必ず騎士王になるよ」
ウィルはそう言うと折れた槍を放すと、右手をアロンに差し出した。
アロンはその手を見て小さく笑うと同じように手を差し出し握手した。
こうしてウィルは
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